SLE患者日記

膠原病(SLE)ループス腸炎・ループス膀胱炎の患者として30数年。同じ症状に悩む方の参考になることを願い、過去~現在の記録を残していきます

ループス膀胱炎の症状と受けた治療

SLEは患者1人1人、さまざまな症状が出ると言われます。

私の場合は、「ループ腸炎」と「ループス膀胱炎」という2つの診断がついています。

 

主治医からは

・ループス膀胱炎は症例が少ない

・ループス腸炎の症状が出きった後で、ループス膀胱炎の症状がでることがある

と説明を受けています。私が発症したのは40年近く前ですので、今はもっと明らかになっていることもあろうかと思います。新しい事実が分かったら随時ご紹介していきます。

 

*Xでは大学病院や研究者の先生の投稿をリツイートでお知らせする時もあります 

 

ループス膀胱炎とは、細菌感染での膀胱炎とは違って抗生剤で菌を殺せば治るものではありません。(細菌感染の膀胱炎と併発することはあるようです)膠原病起因の炎症ですので、SLEの治療が必要です。私の場合は、プレドニゾロン60㎎/日の大量増量で治療をしました。

 

症状は自覚的なものは頻尿です。

ひどい時は寝ている時間も1時間おき。それでも一回に25㏄とか50ccとか、ほんのちょっろっとしか出ません。(本当に切ないです・泣)

 

医学的には「膀胱の繊維化」と説明を受けています。

膀胱の壁が繊維化=固くなり、おしっこを貯める量が極端に少なくなる。膀胱が固くなると尿管との接続部分の通過障害が起こるので、尿が尿管を逆流しはじめて酷くなると

水腎症(腎臓に尿がたまり膨らんでしまうこと)を起こします。

私の場合は尿管の膨張まででとどまり、幸い水腎症まで起こすことは今のところ経験がありません。

 

SLEの治療(プレドニゾロン増量)以外に、外科的な措置を行ったこともありました。膀胱から尿管に管を入れ、尿道カテーテルを通して袋状の「尿バッグ」に尿が溜まるようにしました。

 

この時の外科手術は泌尿器科でやってもらいました。

膀胱から尿管に管を入れる手術は麻酔をかけるので無痛でしたが、尿道カテーテルはやはり慣れなかったです。(今は改良されていることを期待します)尿バッグは、寝たきりの方を見たことがある方は分かると思いますが、若くして尿バッグを下げて病院内を歩いている患者は珍しかったのでしょう。陰では「可哀そうに」と言われていたようです(退院する頃に知りました)。でも幸か不幸かなにごとも鈍感な私は、恥ずかしいとか嫌だとかいう感情はあまりなく、頻繁にトイレに行かなくて済む、治療なのだという気持ちで受け止めていました。

 

実際、尿意をもよおしてトイレに行くのに、ちょっとしかお小水が出ないのは精神的に辛いことです。それから解放されたこと、また尿管から尿道をとおして排泄するので、少なくとも水腎症を起こすリスクは無くなることで安心でした。

 

尿管のカテーテルを入れたのは一度だけですが、なかなか尿管の肥大化が治らず、数週間を要したと記憶しています。入院も長くなったので、カテーテルを入れたまま在宅に戻ったら一気に尿が引いて、即座にカテーテルを抜きました。

今もそうですが、尿の出は精神的なものも大きいように思います。

 

ループス膀胱炎の治療は今は違う手法がとられているかもしれません。

SLEでループス膀胱炎を発症された方には、精神的にも苦痛の少ない治療、療養となるように内科の主治医の先生、泌尿器科の先生とも率直にお話をされて納得のいく方法を取っていただきたいと思います。

ペットの存在(難病患者のキャリア・番外)

ここまで膠原病を抱えた自分のキャリアを振り返ってきましたが、実家を離れて一人暮らしをしながら働く中で、とても大事だったのがペット(猫)の存在でした。

 

勤めていたマーケティングの会社はマンションの一室を事務所にしたいわゆるSOHOで、社長が部類の猫好き。事務所に居ついた猫が何匹かいた中で、ちょうど年末に差し掛かった頃に子ども産んだ母猫がいました。子猫のうち一匹が食が細く年を越せるか、、という状態で、年末休みに入ってしまう前にと自宅に連れて帰り、動物病院に連れていきました。

 

その猫ちゃんは長生きできなかったのですが、これ以来、猫との同居は長く続き、大事な家族になりました。家で面倒を見なくてはいけない存在がいることで、何時間でも残業をしてしまいがちなところをセーブしてくれましたし、話し相手でもありました。猫を飼ったことがある方には分かっていただけると思いますが、何をしていても猫の仕草には癒されます。

 

決して大げさではなく、生きる気力を毎日与えてくれる存在でした。

 

ペットを飼っても大丈夫かどうかは、主治医の先生に相談してからが良いと思います。あくまでも先生の許可が出て、毎日面倒をみる体力がある、家族の協力が得られるなど環境が許せばペットを迎えるのは良いことと思います。

しかし生き物ですから、飼い続ける自信がなければ止めておく決断も必要ですし、亡くなった時のペットロス(私もありました)があることも考えておきたいです。

 

人であれ動物であれ、家族との心のふれあいが身体にとって良いことであることは言うまでもないことです。

私は長く一緒に生きた家族(愛猫)を看取ってもう何年にもなります。今でも時折思い出すと哀しい気持ちにもなりますが、生活を共にしてくれたことや毎日癒しを与えてくれたことにはとても感謝しています。

 

今日は愛猫の月命日でしたので、番外編として書いてみました。

難病患者のキャリア形成(4)

最初の職場は小さい組織、次の2社目は上場企業でしたので組織で働く楽しさと難しさを経験しました。そしてこれ以降の私のキャリアは、コンサル業を軸にして組織の規模も領域もさまざまな仕事を経験していきました。

 

個々の職場での顛末はまたゆっくり書いていこうと思いますが、病気が仕事の選択にどの程度影響していたかというと、あまり意識をしていなかったかもしれません。ただ実家の飲食店の2店舗目を目指すのは体力的に無理だと(今思えば当たり前ですが) 痛感しました。

その後の転職では「ストレスが一番身体に悪い」ことを言い訳にしてか、良くも悪くも辛抱せずに新しい環境を求めていたかもしれません。寛解が続いて、転職する気力と体力に恵まれていたので、自分の気持ちの向くままに選択をしていたように思います。

膠原病を若くして発症された方で、将来を考えて資格を取られる方も多いように見受けます。そのような選択をとれる方は賢いと思いますし、尊敬します。

今、私は副業で個人のキャリアメンターをしています。さまざまな組織での経験がメンタリングに活かせていると前向きに捉えていますし、多くの経験をしたからこそキャリアメンターという仕事に関心を持った面もあります。

コンサルタントという職種を長く続けていたのも、転職はむしろ経験値だと自分に言い訳ができたからかもしれません。しかし通常は転職回数があまりに多いと、不利になろうかと思います。実際に体調不良で退職を余儀なくされることもあるでしょうし、職場の理解が得られないことも多々ありそうです。

 

そう考えると資格を取るのは有望な選択肢に思えますが、資格取得に限らず、先を見通した技術・スキルを身につけていくことが王道ではないでしょうか。体力的に可能かどうかはもちろんのこと、業界を選ぶときには長く雇用され続ける業界かどうか(斜陽産業でないこと)、今でしたら在宅勤務が認められるかといった勤務条件も気になりますね。

できるなら継続的に雇用が守られる正規雇用が良いでしょうけれど、叶わない場合は派遣や契約社員のテンポラリーな仕事であっても一つ一つの案件でキャリアを蓄積することを意識していってもらいたいと思います。

 

選べる選択肢の中でより良い仕事、職場を選んでいくのは、健常者も難病患者も同じです。難病患者だからこそ、長い視点をもってご自身にとってベターな選択ができるものと思います。決して理想論ではなく、それこそがキャリアプランニングの神髄といえます。

 

実際に働いていて、病気が活動してしまっている時や体調不良が続くと周囲に迷惑をかけて、悲観しがちです。体調の良し悪しとは生涯付き合っていかなくてはいけないので、なるべく体調がすぐれない時でも冷静でいようと思っていますがなかなか難しいものです。

 

私自身今でも日々体調の波を感じては、目先の仕事をいつまで続けていけるか不安になります。過去には長期入院で仕事の担当を外されたこともありました。でも復職してからあてがわれた仕事に誠心誠意勤めることで、首が繋がったりもしました。諦めず真摯に取り組む姿勢は病気の有無を問わず仕事をする上で必要と感じます。

 

転職に際しては、ハローワークにはキャリアカウンセラーがいて無料で相談ができますし、病気を熟知している患者団体で相談にのってもらえるところもあると思います。

難病患者だからと悲観せず、自分の気持ちに正直になって、できること、やっていきたいことを丁寧に積み上げていって欲しいと思います。

働くというのは「傍(はた)を楽にする」ことだと人生の先輩から教わりました。生きる活力をえるために仕事を持つことは心身の健康に大きく影響します。難病を持つ私たちには、”誰かの役に立っている”と思えることはとても大切です。仕事を通じてご自身の自己実現をかなえていってもらいたいと強く願います。

 

難病患者のキャリア形成(3)

意気揚々と始めた社会人生活は、飲食店勤務の長時間労働でした。

今振り返れば、無謀だと思える選択でしたが、病気が落ち着いていた当時は、将来の目標に向かって経験を積むんだ!とテンションが上がっていました。

 

しかし社員さんは「大学院出のお姉ちゃんが何しに来た」とばかりに、最初の1週間は口もきいてもらえませんでした。食事休憩になかなか行かせてもらえなかったり、一種のいじめでした。でも飲食店の仕事は実家で経験していましたし、目の前の仕事をこなすのことで精一杯、生来の楽観的な性格からか不思議に不安はなくいじめ的なこともほとんど気になりませんでした。

アルバイトさんがお客さんの扱いに困っている時などは少しだけ年の功で率先して対応するなど、徐々に認めてもらい始めて充実しかけた頃、とうとう無理がたたって、右背中の激痛で身体が動かなくなりました。

 

帯状疱疹でした。

 

主治医には「同じ仕事に戻るなら、再発しない保証はできない」と言われ、哀しい気持ちで自宅に帰りました。せっかく仕事に慣れて人間関係も落ち着いてこれからという時に、半年も経たずにクビかぁ、また仕事を探さなきゃいけないのか、将来店をやるなんて無理なのかなどを考え、痛みと情けなさとで一人凹んでいました。

 

自宅で静養し1週間ほどたった頃、神様が可哀そうに思ってくれたのか、上司から電話があり、店舗勤務から本社勤務を命じられました。本社で出産退社する女性が一人いるので、代わりに本社に来なさいというのです。

 

今でこそダイバーシティ重視の風潮がありますが、当時の勤務先は古い体質の会社で、1部署に1人女性社員がついていました。私が引き継ぐことになったのは商品部。仕入れと商品開発、原価管理の一部を担当する部署でした。出産退社する女性は若い方でしたがかなりの古株で、彼女の退職によって大きな支障が出るのではないかと経営会議で議題にのぼるほど女性といえどとても重要な仕事を担っている方でした。

 

引き継ぎはとても大変でしたが、首がつながってありがたいという思いで必死に仕事を覚えました。ノートを必死に取って往復の電車で読み返したり。商品開発の仕事は、前にいたマーケティング会社での経験も役に立ちました。会社の上場や全社システム導入の機会に立ち会えるなど、20代としては良い経験をさせてもらえたと思います。病気も落ち着いていて、月1回の通院以外には、自分でもほとんど持病があるという自覚をせずに済んでいました。

 

(続く)

難病患者のキャリア形成(2)

実家の手伝いとマーケティング会社とのダブルワーク生活を始めて、1年ほど経った頃、正社員での就職を考えざるを得ない状況になりました。実家の兄から、大学院に戻らなくて良いのか、このままで良いのかと(前向きな)話が出て、その直後にマーケティング会社の社長から突然、全員クビ(!)という宣告があり、慌てて就職情報誌を買いに走りました。

 

ちなみに当時の求人情報は雑誌がメインで、有料でした。クビを言われたのがなんと友人と香港旅行に行く前日で、香港のホテルで求人誌を必死にめくる私を友人が呆れて見ていたことを覚えています。

 

元来なまけ者の私に起きた突然の危機でしたが、今思えば仕事に慣れてきたタイミングで正社員として働くよう背中を押された形で、良かったと思っています。

 

病気も幸い落ち着いていて、働く意欲も多少の自信もそれなりについていましたから、身体のことを深刻に考えすぎず、自分の将来に向けて考える時間となりました。兄と相談して、実家の飲食店2店舗目をいずれ出すことを目標に、飲食店の経験を積もうと外食産業に就職することを決め、当時急成長していた企業に就職することとなりました。

 

目標が決まり、正社員としての就職先も決まって、前途洋々な気持ちで新生活が始まりました。しかし早くも入社1か月で、自分の体力を過信していたしっぺ返しを受けることになるのです。

 

(続く)

ノーベル生理学・医学賞 坂口志文先生

今年のノーベル生理学・医学賞に阪大の坂口志文教授が受賞されました。

制御系T細胞の発見とメカニズムの解明での受賞です。

 

偶然ですが、今年の春にXで坂口先生の著書を知り、読んでいました。

 

(「免疫の守護者 制御系T細胞とは何か」ブルーバックス)

 

「制御系T細胞」とは自己免疫疾患の解明と治療に深く関連する研究で、その仕組みなど詳細は難しくて分からない点もありましたが、確実に今後の治療につながると期待できる内容でした。そんな折、ニュースで先生のお名前と「制御系T細胞」の単語が耳に入った時は、大変驚くと同時に、認知が進むことで研究が進むことへの期待も高まりました。

 

坂口先生がインタビューでも仰っておられましたが、これを機に、自己免疫疾患の臨床研究や創薬に向けた研究に資金が集まることを切に願います。

 

同時にノーベル化学賞を受賞された、京大の北川進先生も坂口先生と同じで、研究がなかなか評価されない不遇の時期があったようです。FACTを、またご自身を信じ続け、粘り強く研究を続けてこられたことでの受賞でした。

基礎研究・応用研究の重要性は私のような素人が言うまでもありませんが、根治が難しい自己免疫疾患の領域で、粘り強く研究に取り組んでくださる研究者の方がおられること自体、患者として大変嬉しいことです。たとえ自分が生きている時代に解明がなされなかったとしても、将来必ず克服できる病気となることを願ってやみません。

 

坂口志文先生、本当におめでとうございます!

インフルエンザにかかりました

先々週末にインフルエンザに罹患しました。

 

数年前、家族がかかった時もうつらず、記憶の限りでは大人になってからかかったことあったっけ?と思うくらい久しぶりのインフルエンザで、快復に時間もかかりました。

 

熱は平熱が低いせいか、ピークで37.9°。

その熱も半日で下がってきたので、コロナやインフルの感染症ではないのかなと思いながら、職場でインフルA型感染者がいたので「念のため」と検査をしたらまさかのインフルエンザ。職場でがっちりもらってしまったようです。

 

服薬をして2日程度で復活した!と一瞬元気になったものの、自宅で調子に乗って働いていたらまた翌日からダウン。それから数日の間、倦怠感と食欲不振で終日ベッド上で過ごす日々となってしまいました。

 

年齢を重ねるほどに、病気になると(もともと病気もちですが、、)回復に時間がかかっていくように思います。なかなか元の状態に戻らないと不安になるし、焦りも出ます。もっと食べなきゃ、もっと動かなきゃ、、と。

 

ですが必要以上に心配すると気持ちが急いてしまうし、快復した今ではこの数日の辛抱ができなかった自分が不思議にもなります。体調が戻ると、「次に体調を崩した時はゆったりした気持ちで快復を待とう、身体に自浄作用の時間を与えよう」と思うのですが、すぐに忘れてしまいます。学習しないな、、、、

 

今年のインフルエンザは例年よりピークが早いと報じられています。

再度罹ることのないように気をつけたいと思います。