フェイフォンのブログ

混迷する世界情勢、私の日常とニュースで感じたことを掲載していきます

石破茂首相の愛情にあふれた所感

石破茂首相が退陣することになりました。首相の「戦後80年の所感」を読みますと、積み上げられた見識と日本への深い愛情を感じます。

 

批判が相次いでいますが、政治にまったく興味ない人や選挙にも行かない人が、なぜ批判しているか理解できません。首相の善し悪しはどこで判断しているのか、おそらくメディアからの情報で判断しているのでしょう。具体的な政策を勉強もせずに、情報を鵜呑みにすることはどうかと思います。メディアの有識者の饒舌な能弁にうっとりし、その場の雰囲気、空気に流されているのではないでしょうか。首相の所感は、長年の堆積し練磨された知識の塊です。安易に揶揄することは控えてほしい気持ちになります。

 

自民党総裁選は盛り上がりを見せておりますが、過去から山積された複雑な問題は解決されるわけでもなく、再び退陣の要求が起こり、無用な繰り返しが連年と続いていくことになるのでしょう。物価高、経済政策、年金問題、労働問題、教育問題、米中貿易摩擦、複雑で根が深い問題をどうやって解決していくのでしょうか、国内で揉めている場合ではなく、一丸となって立ち向かうようになってほしいです。

 

私は政治にうとく、詳しい事情は分かりませんが。石破首相の、日々勉強を続けた知性、闘った跡のような顔の皺、やさしさに満ちた憂いと切なさの表情、眼孔するどい怜悧さを兼ね備えている姿は、とても深みのある人に見えました。生きざまが顔や態度に出ています。新聞も読まない、勉強もしない、無責任な薄っぺらな人に、このような風格が出るとは思えません。

 

 

日本語の正しい使い方:世の中で氾濫する言葉

前回の記事で、日本語の要素を「用語」「調子」「文体」に分けました。なるべく、分かりやすく親しみやすい用語を選び、漢文調なのか和文調なのかの調子を整え、堅い文章か柔らかい文章かを、よく考えて日本語を使っていくことが大切です。

 

若者のあいだで使われている「マジ」「超」「めちゃめちゃ」「うざい」「やばい」「すげー」などは使い勝手がよく簡単に意思を伝えられますが、その反面、語彙力が乏しいため、品性に欠け、素行が悪いようにも見えます。私の仮説ですが、この言葉をたくさん使って会話している人同士は、小さな揉め事や、取るに足らない喧嘩が多く起きているような気がします。意思が相手に十分に伝わっておらず、お互い間違って解釈した意思がいさかいの原因になっていると私は考えております。いさかいはしだいに大きくなり、「一生、口を聞かない」「一緒にお酒を飲みたくない」などといった悲しい場面をときどき見かけます、一概ではありませんが、言葉の使い方が人間関係のこじれの大きな原因になっているのではないでしょうか。

 

人間関係の揉め事の原因のひとつに、「あの人の、あの言い方が気に食わない」「あの言い方はないだろう、許せない」などがあります。言葉は心に大きな影響を与え、取り返しのつかない溝になりかねませんので、気をつけて扱わないといけません。饒舌を慎み、敬語を取り入れ、相手に対しての言葉使いを丁寧にすることがとても大切です。優雅の徳と呼ばれるそうですが、私も気をつけるように心がけております。

 

 

参考本:谷崎潤一郎文章読本

 

 

 

猛暑から快適な秋へ

2025年10月5日、日曜の午後、記録的な猛暑もやわらぎ薄地の長袖を着るようになりました。お昼になると少し暑く感じ、長袖を脱ぎ、Tシャツとなって調節しています。過ごしやすい季節とは今のこと、20~25度ほどの気温がちょうどいいですね。先日から扁桃腺の痛みもなくなり、気分は上々になってきました。

 

今日はいつもの晩酌とは違う、ねぎ入り納豆巻きを買ってきました。醤油をバシャバシャとたくさんかけ、わざとしょっぱくし、わさびを少しだけ入れつつ、少しづつゆっくり食べ、つまみとしてお酒に合わせます。久しぶりですので楽しみです。酔いが深まってきましたらワインとナッツに切り替え、最後は日清のシーフードヌードルで締めようと考えています。

ニュースで気になるのは、格闘技の「朝倉海バンタム級への階級変更」と国際情勢の「イスラエルガザ地区への和平案を決定」くらいですかね。

欧米文化の中毒性、失われていく日本文化

欧米文化と東洋文化の違いにより、日本はずっと損をしています

欧米からの最新技術は、西洋人の都合のいいように作られています!

 

紙について

西洋紙は光線を跳ね返すように強く、真っ白、とにかく便利だけを考えて作られています。

唐紙はやわらかく、ふっくらと光線を吸い取るようにできています。長持ちせず不便なところもありますが、墨汁で染みた唐紙は、やさしく深みのある文字となります。

 

食器について

西洋人は食器を銀や鋼鉄やニッケルを使い、ピカピカにします。

東洋人は漆を用いた、朱泥のような深みのある、沈んだ色を好みます。お味噌汁はお椀が一番合い、ガラス製にはまったく合いません。

 

宝石について

西洋人はルビーやエメラルド、輝きのあるものを好みます。

東洋人は玉の石のように、どろんとした鈍い光を好みます。長年にわたり触っていると、手垢の自然な味わいとなり、それも楽しみます。

 

医者の白衣について

東洋人ならば、医者の服を真っ白にはしないでしょう。怖く見えますし、親しみを感じづらいですし、暗く柔らかみのある色にしてほしいものです。

 

 

たしかにそう言われますと、そうだと考えさせられます。アメリカをなんでもかんでも真似することは、よくないでしょう。海でとれた魚を、畑でとれた野菜を、田んぼで育てた白米とお味噌汁に合わせる、自然のものを楽しむことが、どれだけ大切だったかが心に沁みます。

コンビニで買うサンドウィッチとコーラ、テーブルに並べられたボールペンや缶コーヒーとパソコンは、たしかに便利です。これらを手にしたことにより、これらがなくては生活できなくなり、昔のように自然と調和する生活は不可能になってしまいました。なにか寂しいです。

 

欧米文化の抜け出せない中毒性

日本文化の回帰を願っています。そう心に思いながらも、私は今日もお酒を飲みながら、ネットゲームのApexLegensをやります。お酒はウォッカベースのレモンサワーとワイン、つまみはチキンとカシューナッツとサラダ、ゲームは欧米で開発されたものです。

酔いながらネットゲームの世界に没入していき、興奮と快感のなかに陶酔していく私は、欧米の文化にすっかり取り込まれ、明日も明後日もこれからも、飲み込まれていくのでしょう。

谷崎潤一郎「陰翳礼讃」 日本建築の魅力

純日本風の家屋について

明治から日本は西洋の文明を取り入れるだけ、取り入れてきました。日本の建築において、障子からもれるほのかな光と木のぬくもりは、自然と調和しようとする考えであり、日本家屋はもともとそのように設計されているのです。

今の日本では、防寒に優れた鉄骨の建築、耐久性のあるタイル張りの浴室とトイレ、とても便利な世の中ですが、昔の日本建築とは別の方向へと進んでいます。

 

私が子供のころ遊びにいった農家の家ではまだ囲炉裏がありました、冬は寒く、床や柱は年数が経ち黒っぽくなっていましたが、なんでしょう、心地よい気持ちで過ごしたのを覚えています。自然の流れのなかで古くなった木は、味わい深かったように思い出されます。

 

そういえば、おばあちゃんは使った割り箸を捨てずに洗い、ワンカップ大関の箸立てにたくさん入れてました。田んぼの風景のなか、木で作られた家々が、日本の本当の姿ではないでしょうか。立派な高層ビルも素敵ですが、心地よさ、味わいに関しては日本建築のほうが上のように思えます。

日本語の調子と文体の考察

日本語は使い方で、個性といろいろな表現ができます。谷崎潤一郎文章読本」は、より深い考えが書かれてあり、とても面白かったです。

日本語の要素を6つに分けています、用語、調子、文体、体裁、品格、含蓄、前半の調子と文体の分析が興味深かったのでまとめてみました。

 

用語について

なるべく分かりやすい使い慣れた言葉を選んだほうがよいです。例えば、「散歩」は言い換えますと「散策」「そぞろ歩き」「漫歩」「杖をひく」とも表現できます。やみくもに、なにも考えず言葉をだすのではなく、よく考えて選ぶことが大切です。

 

調子について

文章における調子は、精神の流動、血管のリズムのことです。この本では調子をさらに4つに分け、「流麗な調子」、「簡潔な調子」、「冷静な調子」、「飄逸な調子」としています。少し分かりづらいと思いますが、まとめますと、柔らかい流れるような文章、漢文調のような引き締まった文章、論文のような文章、飄々とした自由な文章、といった内容です。どの調子を使ってもかまわないのですが、言葉には調子があるということを知っておきましょう。

 

文体について

文体とは文章の形態、姿のことです。こちらもさらに4つに分けています。

「講義体」、「兵語体」、「口上体」、「会話体」、講義で話すような言葉、やさしさと親しみある言葉、より丁寧な言葉、会話で使うような言葉に分けられます。

 

ここまでをまとめますと、言葉の言い換えを考えること、心のリズムを意識すること、文体があるということを知ること。

 

ただ思うがままに言葉を放つ人はよく見かけますが、そうではなく、ひとつひとつ丁寧に考えながら話すということがとても大切です。

飲み会などでよく見かける思うがままに言葉を放つ人というのは、調子から考えると正解なのかもしれませんが、そういう人の場合は、大抵は内容が乱雑でつじつまが合わないことが多いような気がします。下品という言葉で片付けられそうです、私も知らず知らずそうなっていたようにも思われ、最近ではとても反省し、気を付けております。

 

日本の不安浮上:孤立と断裂

ニューヨークの国連本部ではイスラエルのネタニヤフ首相が演説するとき、複数の国の代表団が抗議のため、退席しました。

ネタニヤフ首相が壇上に上がると、半数以上の代表団がゾロゾロと背を向けながら議場を去っていく映像を見ますと、世界はアメリカ中心ではなくなったようです、追随している日本に不安を感じます。第二次大戦中の日本の国連脱退のように、孤立していく日本の姿がぼんやりと浮かんできました。

 

数十年前は考えられなかったようなことが、今この瞬間に起きていることが、実感が湧いてきません。田中角栄が猛威をふるった高度経済成長期、バラエティー番組の視聴率が30%を超えたバブル経済期、ダチョウ倶楽部は今なにしてるのでしょうか、ドラゴンボールが世界中で売れたあのころ、アメリカが右にならえとすれば右にならったあのころは、むかしに見た夢のようです。むかしむかしのことでしょうか、ついこの前だったような気もするし、遠いむかしだったような気もします。

 

時代の移り変わりがあまりに激しすぎて、脳と体がついていけないようです。各時代は考え方に違いがあり、1950年から2000年に生まれた人のあいだでは、考え方に断裂ができています。猪突猛進に経済成長のために働く世代と、現実を見て冷静に冷めた目で働く世代での、大きな断裂。これだけ考え方が毎年変わっていく時代に何を考えて行動すればよいのでしょうか。目先のこと、今を全力で頑張ることはもちろん大切ですが、それでは世界に振り回され、資本主義に愉快に踊らされ、それはそれで癪に障りますし、あのころはいったいなんだったなどということは、なにかむなしい心持ちになります。

 

大航海時代の世界の中心はスペインとポルトガルでした、オランダ、イギリスと変わり、現在はアメリカとなっています。アメリカに変わり台頭してくる国があらわれ、また世界は激しく変わっていくのでしょう。