シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

クリスマスの賛美歌をご一緒に

 

 クリスマスおめでとうございます。

 

  きょうダビデの町で、あなたがたのために、

  救い主がお生まれになりました。

  この方こそキリストです。

           ルカの福音書2章11節

 

 

 今やクリスマスは年中行事の一つとして、プレゼントを贈り、贈られる日、

また大切な人と共に過ごす日というのが常識になり、救い主イエス・キリスト

誕生日であることが忘れられているようです。“なんだかなぁ~”と苦笑せざるを

得ないのですが‥。さて皆さまは、クリスマスをどのようにお過ごしでしょうか。

 

 年末の慌ただしい喧騒から少し離れ、静かに賛美歌に耳を傾けるのも

素敵なクリスマスのひとときかも知れません。どのクリスマスキャロルも

素晴らしいのですが、クロサワ・リンさんが歌う『さやかに星はきらめき』と

『荒野の果てに』の2曲を選んでみました。メロディをご存知の方は、ぜひ

ご一緒に口ずさんでみてください。不思議と心が澄んで穏やかになってきます。

 


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※手作りクリスマスカード40セットは完売。クリスマス献金として捧げました。

 

 

常緑樹 ミルトスのように

  

ミルトスの花(ネットのフリー素材からお借りしました)

 それぞれの教会には独自の部会やグループなどがあるでしょうが、

最近、私が集っている教会では従来のそれとは別に、「ミルトス」という

新たなグループが発足しました。どの部会やグループにも所属して

いない、主に高齢の方々が孤立しないために発案されたものです。

 

 ミルトスとは地中海沿岸原産の常緑樹で、和名はギンバイカ(銀梅花)

と言います。雄しべが80本以上あり、中央に雌しべが1本ある、白梅に

似た花を咲かせ、葉と果実にはユーカリのような芳香があるそうです。

 

 H&Aモルデンケによればギリシア人には愛と不死のしるし。

イギリス人には平和、家庭、安らぎの象徴。ドイツでは花嫁がミルトスの

花輪をつける習慣がある。ボヘミアでは不老不死の望みの表れとして

ミルトスを棺の上に置く。ローマ人は無欠の勝利をした時、月桂樹と

合わせてミルトスを身に着けた。聖書では神の祝福を表す。

           梶田季生著『聖書の植物』(イーグレース)より 

 

 別名を「マートル」と言い、日本での知名度は低いものの西洋では

ハーブとして大変尊ばれている植物のようです。花言葉は愛・祝福・高貴な

美しさなど。花嫁のブーケには最高の花と言えそうですね。

 

  聖書にはこう書いてあります。

  茨の代わりに、もみの木が生え、おどろ※の代わりにミルトスが生える。

  これは主の記念となり、絶えることのない永遠のしるしとなる。

                        (イザヤ書55章13節)

   ※おどろ→いばらのような邪魔になるもの。

 

 ミルトスは切られた後も生命力が強く、干ばつにも耐える強木ということ

から、“老いてなお輝きたし”との願いを込め、このグループ名を決めました。

メンバーが集まって何かをするというより、近況を報告し合い、祈ってほしい

課題があればそれを共有する。礼拝説教で学んだこと、感じたことを分かち

合う。そういう声のかけ合いを旨とするグループがあっても良いと思います。

メンバーは8人。無論、私もその一人です。正真正銘、高齢者ですので(^o^;)

日本語の奥ゆかしさを守りたい

 

 

 最近は日本語が乱れているなどと言えば、老人のたわ言と一笑に

付されそうですが、やはり美しく、また奥ゆかしい日本語はどうしても

守りたい。そんな思いを持つ人は少なくないのではないでしょうか。

 

 私が最も嫌いな今どきの言葉は「めっちゃ」、「めちゃくちゃ」です。

若者はもちろんですが、いい大人も抵抗なく使っているのを聞くと、

日本語の品格が危ぶまれ、何とか打つ手はないのかという思いが

高まってきます。

 

 言葉は生き物とも言われ、時代とともに変わっていくのは、ある意味

自然なことですが、耳障りな、また知性や品格とは対極にある言葉が

市民権を得て当たり前になっていくのには賛同しかねます。

 見識のある著名人が食レポで「めっちゃ美味しいです」とか、絶景を

見て「めちゃくちゃ綺麗ですね~!」などと感想を述べているのを見聞き

すると、アチャー、あなたもですか? と残念な気持ちになります。

 

 「めちゃくちゃ(滅茶苦茶)」は本来、「道理に合わない」「でたらめ」

というマイナスイメージの意味を持つ言葉ですが、いつの頃からか

「とても(良い)」とか「ひじょうに(良い)」というプラスイメージを

兼ね備える言葉にすり替わったようです。少し前までは「超‥」が世の中に

氾濫していましたが、今は「めっちゃ」>「超」といった感じでしょうか。

 

 他にも「ぶっちゃけ」とか、「それ日本語?」というおかしな言葉が出て

来ましたね。 「率直に言うと」「単刀直入に言うなら」というニュアンス

なのでしょうが、せっかく美しい日本語があるのだから、できるだけ

ボキャブラリーを増やして、ふさわしい言葉をチョイスしてほしいところ。

 結局、老人の説教と、一笑に付されるのがオチでしょうけれど‥ね。

 

 

“イクスース”=魚の形をした暗号

  

 陶芸を習い初めて早11年。 そろそろ食器棚も満杯になってきました。

子どもの頃、泥まんじゅうを作るのが大好きで、水をつけつけ、できるだけ

固く丸め、手のひらでピカピカに光るまで転がして遊んでいました。泥の

ホクホクして優しい感触が好きだったのだと思います。

 

 泥遊びが好きな子どもでしたから、いつか陶芸をやってみたいなと思って

いました。自分ではあまり覚えていないのですが、次男のお嫁さんに陶芸への

憧れを話したことがあったらしく、夏休みの「陶芸・親子体験教室」に孫と

参加するようにと申し込んでくれたのです。 “親子”ではないのですが(^o^;)

 

 そこからはすっかり陶芸の“どろ沼”(?)にはまり、スローペースですが、

ふだん使いの食器やプレゼント用の器を作り続けています。

 

 今年最後の作品となる銘々皿が今日、焼き上がってきました。

白い角皿には刺繍の図案集を見てアレンジしたバラの蕾を毛筆で絵付けを。

オーバルの黒い皿には先が丸い鉄筆で削り彫りを。

 趣の全く違う白黒の皿は、ちょっと斬新。食卓に並ぶのが楽しみです。

 

 ところで、黒い皿の模様について少し説明したいと思います。

魚の形をしていますが、よく見ると何やら文字らしきものがありますね。

実は、これは“イクスース”と読み、一つの暗号を表しています。

 初代教会のクリスチャンたちは、ローマ帝国の迫害下で信仰を公に

することが許されず、気づかれずにお互いを認識するためシンボライズ

されたのが、この魚の形だったのです。

 

イエス・キリスト・神の・子・救い主」というギリシア語のイニシャルを

並べると「イクスース」となり、これはギリシア語で魚を意味します。

イニシャルをウロコのように描くという発想、なかなか賢いですね(^_^;)

 

 参考までに調べたギリシア語を書いておきます。

ησοςイエスース)・ Χριστόςクリストス)・Θεοセウー)・

 Yόςフイオス) Σωτήρソーテル)」

⇨ 「イエス・キリスト・神の子・救い主」 ⇨ ΙΧΘΥΣ(イクスース)

 

 マルコの福音書1章17節にこう書いてあります。

  イエスは彼らに言われた。

  「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」

 

 なぜ魚の形がクリスチャンを表すのかというと、このイエスさまの言葉に

由来するのでしょう。私もクリスチャンの一人として、暗号である魚の

マークを模様にするのも面白いかなと選んでみたのですが、自画自賛

いうか、なかなか可愛い仕上がりになり満足しています。

映画「ボンヘッファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師」を見て

 

 11月11日、教会の方と3人で映画を見に行きました。

 若い頃を除けば、我が人生に映画鑑賞の4文字はほぼ無きに等しい

もの。映画館の空気が息苦しくて、苦手だったのかもしれません。

ともあれ、この映画はどうしても見たいという3人の思いが一致し、

ちょっと遠い有楽町の劇場まで足を運ぶことになりました。 

 

 どうしても見たかった映画とは「ボンヘッファー ヒトラー

暗殺しようとした牧師」。なかなか穏やかではないタイトルですね。

 

 第二次世界大戦下、牧師であるディートリッヒ・ボンヘッファー

ナチス・ドイツの時代に、独裁者ヒトラーを支持する聖職者がいる

ことに危機感を抱き、教会を守るため抵抗運動に加担。結果、投獄

され絞首刑により39歳の短い生涯を終えました。

 

 映画のタイトルだけを見れば、“汝、殺すなかれ”を信条とする牧師が

ヒトラー打倒計画に加担するなど、大いなる疑問符が頭をよぎりますが、

そこが論点ではないことはボンヘッファーの言葉から明らかです。

 

 悪に対して沈黙することは、それ自体が悪である。

 沈黙は発言であり、行動を起こさないことも行動である。

 

 人類に対する、おぞましき脅威となる巨悪の状況を前に、正義とは

何か?使命とは何か? 悪の前に沈黙せず、状況を変えようとする

勇気ある者はいるのか? 自分ならどうするか?

 

 信仰とは何かということ、ボンヘッファーのような生き方もまた、

本当にあったのだという事実を知る、良い学びの機会になりました。

 獄中から親しい人々に送られた手紙には、たくさんの力ある言葉が

書かれています。39歳という短い生涯ではありましたが、彼の残した

言葉の数々は、教会に、そして世界中の人々に、今も計り知れない

励ましを与え続けています。

 殉教から80年。ほとんどクリスチャンの間でしか知られない

ディートリッヒ・ボンヘッファーという牧師がいた事実を、ぜひこの

映画を通して多くの人に知ってほしい。心からそう思いました。

 

 ボンヘッファーが友人に書き送ったという詩が賛美歌として歌われて

います。ドイツ語バージョンですが、格調高い言葉と美しい旋律をぜひ

味わいながら、ボンヘッファーという一人の聖職者がいたことを思い

浮かべていただけたら幸いです。


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   「善き力にわれかこまれ」(歌唱:ドイツ語バージョン)

 

  1. 善き力に われかこまれ、 守りなぐさめられて、

   世の悩み 共にわかち、 新しい日を望もう。

   ※善き力に 守られつつ、 来たるべき時を待とう。

              夜も朝もいつも神は われらと共にいます

  1. 過ぎた日々の 悩み重く なお、のしかかるときも、

   さわぎ立つ 心しずめ、 みむねにしたがいゆく。

  1. たとい主から 差し出される 杯は苦くても、 

   恐れず、感謝をこめて、 愛する手から受けよう。

  1. 輝かせよ、主のともし火、 われらの闇の中に。

   望みを主の手にゆだね、 来たるべき朝を待とう。

                   

 

鳥にも言葉があるらしい

 

 10/27(月)の「徹子の部屋」は久々に興味をそそられるゲストの

お話でした。東大准教授の鈴木俊貴さん。若き動物言語学者の方です。

幼少の頃から生き物が好きで観察を続けていくうちに、シジュウカラ

言語を持っていることに気づいたのだそうです。

 

 一年の内、10ヶ月を軽井沢で過ごし、シジュウカラの鳴き声や動きを

つぶさに観察しデータを記録していくと、シジュウカラがいろいろな言葉を

持ち、使い分けていることが明らかになってきました。

 

 例えば、

「ピーッピ」は「警戒しろ」

「ヂヂヂヂ」は「集まれ~」

「ジャージャー」は「蛇がいるぞ」

「ヒヒヒ」は「鷹だ!」

 

 シジュウカラは言葉を持つだけにとどまらず、言葉を組み合わせて

文章を作る能力があることも分かって来たそうですから驚きですね。

そして、まだスポットライトの当たっていない、誰も気づいていない研究を

ひたすらに続けているうちに、いつのまにか20年目に突入したのだとか。

好きこそものの上手なれと言っても、凡人には到底、無理な話ですね。

 今後、研究を続けながら動物言語学を世界に向けて提唱していくそう

ですが、すでにその輪は広がっているようです。

 

 番組の中で一つのエピソードを話していたのが印象に残りました。

コガネグモという大きな蜘蛛が巣を張り、その巣にカブトムシが捕まり、

蜘蛛に食べられてしまったそうです。当時、図鑑にはカブトムシは最強の

虫なので、どんな虫にも負けないと書いてあったので、お母さんに見た

ことを話すと、お母さんは「では図鑑のほうを書き変えなさい」と答えた

そうです。お母さんのその言葉があったから、今の研究につながって

いるのだと思うと語っていました。

 さかなクンのお母さんもそうですが、子供が夢中になったものに対して、

否定せずに、その子の“好き”を伸ばし、応援してあげようとする大きな

愛情が子供の能力を開花させるのでしょうね。

 

 わが家の孫のハル君も魚が大好き。かっぱ橋で買ってもらった名入りの

マイ包丁でシャカシャカと気持ち良い音を立てて魚を捌いていきます。ただ

学究肌とは正反対。ですが、魚に対する“好き”は本物のようなので、

これからもたくさん釣って、捌いて、ご馳走してくれたら万々歳です(*^^*)

 

 ところで、隣接する神社の杜にはヒヨドリがよく来ています。

「イーヨ、イーヨ」と鳴いていますが、これも鳥同士の会話なのかな? 

なんとなく気になって、耳をそばだてている今日この頃です。

秋の夜長、「たゆたえども沈まず」を読了

  

 

 友人から借りて読んだ一冊の長編小説。 原田マハ著『たゆたえども

沈まず』という本です。 フィンセント・ファン・ゴッホとその弟のテオ、

そして2人の日本人画商との交流を描いた物語。

 

 ゴッホ兄弟と画商の林忠正は実在の人物、シゲと呼ばれるもう一人の

日本人は架空の人物だそうです。実際に彼らの間に交流があったのか、

史実なのかフィクションなのか、その境目をまったく感じさせない原田

マハさんの見事な筆致は、読み手の心をつかんで離さない魅力があります。

 

 当時、フランスに印象派が登場するまでは、伝統的かつ保守的な美術

様式の宗教画や肖像画などが主流であり、自由な技法を用いた印象派

風景画や静物画は低俗なものと蔑視されていました。アカデミー主催の

公募展「サロン・ド・パリ」での評価がすべてでした。いつの世も

過渡期というか、潮の変わり目はあるものなのですね。

 

 パリ絵画界に日本の浮世絵が多大な影響を与えたことも、あらためて

認識できました。フィンセント・ファン・ゴッホ歌川広重や渓斎英泉

などの浮世絵の模写をして、大胆な構図や鮮やかな色彩を採り入れるように

なったようです。日本の景色に似た南仏アルルに移住し、そこであの独自の

画風を確立し、名画「ひまわり」など多くの代表作を生み出しました。

 

 兄フィンセントの絵をこよなく愛し、その真価を世に伝えたいと願う

弟テオと日本人画商たち。壮大な夢の実現に心を通わせる3人の熱い思いが

胸に迫ります。精神的な危うさに揺れる兄を支えるテオの献身にも心打たれ

ます。強い共依存とも取れる複雑な兄弟愛が全編にあふれています。

 

 アルルでのゴーギャンとの共同生活はよく知られていますが、芸術家同士、

どんな諍いがあったのでしょう。フィンセントが自分の耳を切り落とすという

事件が起きます。療養先の精神病院の窓から見上げた夜空に、フィンセントは

パリの象徴とも言えるセーヌ川を見たのでしょうか。夜空の中央にグルグルと

渦を巻くのはセーヌ川? この偉大なる画家が真に描きたかったモチーフが

この絵に込められているのかもしれません。

 

「たゆたえども沈まず」のフレーズは、パリの標語とも言われます。「たゆたう」

とは「揺蕩う」と書き、ゆらゆらと揺れ動いて定まらないさまを表す言葉だとか。

強風に煽られ、荒ぶる波に翻弄され、揺り動かされても決して沈まず、やがて

まっすぐに立つ舟。そんな憧憬をパリという町に重ねているのかもしれません。

 

 兄フィンセントが自死を選び、時を置かずに天に召されたテオ。史実は

変えられませんが、その結末の切なさには誰もが心痛めることでしょう。

 

 以上、要領を得ない中学生の感想文のような長文になりましたが、内容を

忘れてしまわないうちにと、読書録のつもりで書いてみました。美術に詳しく

ない人でも一気に読める、秋の夜長にお勧めの一冊です。

 

 

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