ありゃ?もう30日ではないかい!
昨日は2時間程、暖かい昼頃にブドウの剪定作業をした。鉢植えと庭植えの両方を行ったけれど、途中で空腹となって止めた。そんな理由で庭植えの剪定は中途半端となった。
昼飯食ったら、やる気が無くなったのね。

今日は残りの枝を剪定しようと思う。だからブログを書いている場合じゃないのだ。
でも、書く。
ブドウの枝の誘引には、ソレ用のテープもある。そしてそうした資材を使ってみたコトもあったのだが止めた。なぜならゴミになるから。地面に落としたままにしておくと、劣化してマイクロプラスチック化してしまうだろう・・・というのが理由だ。
ならばやはり、麻ひもが一番いい。剪定の際に落としたままにしておいても、土に還ってしまうから。同様に綿ひももイイのだけれど・・・使用感において麻の方が扱いやすいのだった。
だから剪定枝に麻ひもが結ばれたままでも、分別収集に問題はないはず。しかし何故か、麻ひもは外して燃えるゴミの袋に入れた。特に理由はないけれど、たぶん枝にひもが結ばれたままというのが見苦しかったからだ。
意味のない、無駄な作業に時間を費やしたんだろう。
ただ、コレは趣味的な問題であって、ゴミとしてまとめても、ある程度はキチンとしておきたいのだった。コレが我が親父から受け継いだ習性だとしたら・・・かなり割り引かれたとは思うけれど。
親父がやったら、剪定枝の寸法はキッチリと揃えられて、全く緩む隙もないほどに縛り上げられた枝のかたまりと化すだろう。コレが大正生まれの軍隊経験者である。恐ろしい程に鍛え上げられた規律に関する・・・もはや調教結果である。この習性は生涯、衰えることがなかった。おかげでボケが進んでも几帳面な生活スタイルだった。
ワガハイは、そこまでキッチリとやれ!と言われれば出来ない相談ではないけれど・・・面倒だからやらない。これから残りの剪定を行い、その枝を上画像の上に積み上げて数日枯らす。するとひもで縛っても緩みにくくなる。そうして年明けにゴミとして出す。
剪定枝はこの一年で伸びた部分の良さげなトコロを選び、3~40センチ程度の長さに切ってラップで包む。それを冷蔵庫に入れて冷やしておく。外に置くならば暖かくなり過ぎず、凍らないトコロで土をかけて休ませておく。そうして春になったら挿し木にすればブドウを増やせる。
試しにやってみたことがあるから鉢植えが出来たんだけれどねぇ・・・こうして老いてくると、鉢は減らしたくなってきた。そ~~っと、どこかの山に移植してくるか?すると突然、山中に巨峰が実っている!動物たちは大喜びして、クマさんも里に出没しなくなるかもしれん。
もっとも実際には、病害にやられて枯れてしまうだろうが。
でも、そうして野生化したブドウが再発見されて、「甲州」というブドウが復活したらしいけどね。「甲州」って、欧州品種だからねぇ・・・いくら雨量の少ない山梨の地とはいえ、よくぞ生き残ったもんだ。
すると巨峰も・・・マスカットベーリーAも、そしてピノノワールまでも、丹沢の何処かで生きながらえ、日本(丹沢界隈)に適応した品種となって100年後に凄いコトになる・・・だろうか?
100年じゃ無理か?
そういうアホな妄想をしながら、来季の状態をイメージしつつ枝を切る。なぜか一つのコトに集中せずに複数のイメージを交錯させながら作業した。すると至近距離で鳥の鳴き声!ジョウビタキだった。ユズの枝にとまって囀った。そしてワガハイの方を見ていた。
目が合っても飛び立つこともなく、首を傾げていた。そしてフェンスに飛び移ると同じしぐさをした。
剪定作業を続けた。枝を切り、足元に落とし、そしてまた枝を切った。
ジョウビタキは我が足元左手に降り立ち、こちらを見上げた。また首を傾げている。
首を傾げる・・・というのは、ジョウビタキにとってはどの様な意味があるのだろう?いや、どのような感情なのだろう。人間の都合でコトバを付けるならば・・・
「ナニやってんだ?このハゲ爺!」
そして「まあ、勝手にやっておれ!ワシは知らんけど・・・」と言い残したような後ろ姿を見せて去った。
ま、「お前は老人なんだから、あまり無理せんでおいた方が身のためだぞ!」とでも言ってくれたコトにしておこう。
さて、剪定の続きだ。またジョウビタキはやってくるだろうか?ひょっとしたら剪定鋏の音に反応してやって来たのかもしれないけれど。