【ネタバレ感想】映画『ひゃくえむ。』アニメだからこそ表現できた“走りの道”と人生の哲学|一瞬に全存在を賭ける狂気

 新年一発目、スタートダッシュの意味も込めて視聴。「配信速っ」と思いましたが、ただ単に「時が過ぎるの早っ」でしたね。劇場公開から3か月経過していますし。原作は「チ。-地球の運動について-」の鱧先生。100m走を題材としたアニメーション映画となっております。

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 筋立ては、生まれつき足の速い主人公トガシ(松坂桃李、小学生時の声は種崎敦美)が、足が遅いと思われていた小宮(染谷翔太、小学生時の声は悠木碧)に出会い、トガシのアドバイスによって小宮は走りの才能が開花しかけるも転校によって二人は分かれる。

 

 高校生になったトガシは、走りをやめていたのだが、弱小陸上部から誘いを受ける際に走ることの喜びを思い出し、憧れだった先輩ランナー仁神タケル(笠間淳)が怪我のために腐っていたところを呼び戻して陸上を再開する。

 

 そしてそこに成長した小宮のエピソードが出て来て、彼は財津の発言に影響を受けてさらに覚醒し、日本陸上界で財津と同じく頂点に立つ。

 

 高校生編で、トガシと小宮は直接対決をするのだが、ここがすごいシーンで、私はスケベ心といいましょうか、「実写化すればお客さんもっと呼べたんじゃね?話題性もあるしさ」等と思っていたのですが、その浅はかな思い込みがここで打ち砕かれます。

 

 雨が降りしきる中、トガシは小宮に敗れ、「トガシくん、走り方変わったね」と言われ過剰なまでに豪雨が表現されるのはアニメーションじゃないと表現できない領域。

 

 で、ここから10年後。株式会社クサシノ(名前がもう…)に所属するトガシは、翌年の契約更新に安堵するような、高校生までとは打って変わって保守的な人生を送っているというか、会社名があらわしている様にクサっている。

 

 後輩のランナー樺木(内田雄馬)からも「先輩走り変わったっすね」等と、小宮と同じことを言われている。ここで悩んだトガシは、先輩ランナー海棠(津田健次郎)にアドバイスを求める際に言われる言葉なんだけど、もう100m走の話というより「道」みたいになっていく。

 

 で、海棠の言葉に奮起し、記録が伸び始めるも、ここでなんとトガシは肉離れを起こしてしまう。不摂生もしていないのに!ここで高校生編の仁神のエピソードが効いて来る訳だ。アスリートにはいつか終わりが来ると(主人公は追い詰められなけらばならない!)。

 

 落ち込むトガシにさらに追い打ちをかける様に、公園で子供たちに走り方のアドバイスをしているうちに、彼はアイデンティティクライシスに陥る。このアニメーション映画では、登場人物のメンタルに異常が発生するとそのキャラクターの体が震えてゆがんだりする。

 

 そして彼は「殻を破る」。初心に帰るというか、選手生命が断たれてもいいから己の全存在をぶつける走りをすると。

 

 終盤になってまず万年2位と揶揄されていた海棠もまた殻を破る。周囲の評価等ガン無視するかの様に、遂に彼は財津に勝利する。そのせいというか、自分はもうやり切ったと言わんばかりに財津はそのレース直後に引退を表明する。正直「選ばれし者だけしか分からない領域」の話ですねここらへんは。

 

 ラスト、とうとう小宮と再び、今度は肉離れとかお構いなしに万全の状態でトガシは対峙。レースが始まってゴールまで描写されるのだけど、勝敗に関しては発表されない。もちろんもうそういう話では無くなっていて、人間どうせ死んでしまってあとには何も残らないのだから、その全生命力を瞬間に燃やそうぜみたいな終わり方をする。

 

 どうも作者の鱧先生が、死ぬことをひどく恐れることが起因しているというか、忘我の境地に至るみたいな話を作りたかったのかも知れません。このあとに描かれた「チ。-地球の運動について-」でも、はたから見れば明らかに不合理な行動を主人公たちが、己の全存在を賭けて行っていますからね。

 

 で、みなさんここまで気づいたことがあると思うんですけど、この話「日本陸上」の中の話なんですよ。だから例えばウサイン・ボルトとかがこんな求道的な人物ではないと思うし、だからそういったことを考えると、100m走という競技を「道」の話として描けてしまう原作者の鱧先生と、それをアニメーション映画に表現し直した岩井澤健治監督の手腕の素晴らしさが際立つ訳ですね。

映画『お坊さまと鉄砲』感想:「チェーホフの銃」を鮮やかに裏切る、三宅隆太氏も絶賛の傑作コメディ

 今年最後に楽しい気分で新年を迎えようと、コメディ映画を見ようと思い視聴。他にこの作品を見ようと思った理由は、スクリプトドクター三宅隆太さんが、今年のベスト10の第5位にランクインしていたからというのもあります。シリアスなテーマを扱ってはいますが、保証します。これは間違いなくコメディ映画です。

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 舞台は2006年のブータン。国王が退位し、民主化へと舵を切ることになり模擬選挙が行われるのだが、そこで展開される群像劇が本作のキモ。

 

 まずOP、ラマ僧のラマ(ケルサン・チョジェ)が若い僧侶タシ(タンディン・ワンチュク)に模擬選挙が行われる満月までに銃を調達する様に申し伝える。ここで物語のゴールが示される。

 

 で、タシが銃を探すという話がまずひとつ。そこに銃コレクターのロン(ハリー・アインホーン)と彼をガイドするチャラい男ベンジ(タンディン・ソナム)の話が絡んでくる。

 

 模擬選挙を控え、既に近代文明の「汚染」が始まっていて、誰に投票するのかを巡ってロビイングや親族同士のいさかいやいじめが発生したりする。

 

 選挙委員でツェリン(ペマ・ザンモ・シェルパ)というキャラクターがいて、この人はいわゆる開明派で、選挙によって民主化されればみんな幸せになれると思っているが、劇中のブータン人のひとりに「いまでもじゅうぶん幸せなのに、選挙する必要ってあるの?」と言われほとんど反論できないで口ごもっているのは、ツェリンが「善意の思考停止」に陥っているのがわかる。

 

 彼女は近代文明を良くも悪くも象徴するキャラクターで、やたらに選挙の投票率にこだわる(成果主義!)んだけど、投票結果によってある意味での「教育」を受ける。

 

 銃を巡る話に戻すと、タシは無事銃を手に入れるが、それはかなりの骨董品らしくコレクターのロン(功利主義者)も探していた。ベンジが交渉して、AK472丁と引き換えならば交換するとことになるんだけど、その前にタシが売店(?)で目にした007で出てきた銃だからという軽薄さ。ここでもまたあっという間に文明による汚染が示される。

 

 そして模擬選挙の投票結果が発表されるんだけど、それはクライマックス一歩手前の演出で、結果は実際に映画を見てください。ここでひとつ観客から笑いが起こっても不思議ではない。結果というより開明派のツェリンに対する笑いといいましょうか。

 

 ラマが何故銃を求めていたのか、そしてそれをどう扱うのかが真のクライマックスなんだけど、ここで「チェーホフの銃」という創作上の原則を知っている方なら、それを逆手に取った巧妙さに舌を巻くのと同時に、ロンに下されるある種の「罰」を見て爆笑間違いないことを保証します。絶対笑えます!彼はたしかに「銃」をある意味では手に入れるんですけどね(ウププッ)。

 

 近代文明社会にどっぷりつかってそこから抜け出せない我々からすると、このブータンの人たちが送っている生活の方がマシに見えてしかたがないし、文明化なんてしたら劇中で描写される豊かな自然もほとんど全部失われてしまうので、このままでいいのではと思わざるを得ませんでしたね。

武田砂鉄「マチズモを削り取れ」

 TBSラジオ「武田砂鉄のプレ金ナイト」を聴いているので、彼の著作に興味が沸いてきたため読了(図書館で借りました)。

 内容としては、タイトルとおり日本にはびこっているマチズモ(男性優位主義)を、12章にわたって突っ込みを入れていくというものです。

 

 日本社会において、女性の生きづらさを例えば賃貸物件の内見のさい、不動産会社の人が男性の場合における恐怖とか、電車に乗る際に痴漢に遭わないかという恐怖、そして「体育会系」の人々がはびこることで、いつまでたっても男社会が変わらないことに、砂鉄さんの担当編集者K(女性)が絶望のためいきをついたりする。

 

 私が「?」と思った箇所が2点あって、ひとつはトイレ。かなりの男性が尿だけをする時に、まだ便座に座らずに立って用を足すそうな。私としては「そんな奴いるの?」と思わずにはいられませんでした。そんなことをしたら便器が汚れるだろうという想像力が無いのでしょうか大半の男性は?

 

 もう1点は、やはりといいますか、野球部における女子マネージャーという珍妙な役割。明らかに疑似的な母親という役割を与え、男性部員を甘やかして認知を歪ませ、そういった連中が社会のメインストリームを構成しているからこの男社会は変わらないんでしょう。

 

 他にも、「寿司屋(回らない高級店)は男の縄張り」「結婚式ってそもそも必要なの?」「カウンターバーがある酒場の、女性店員から見た安心感は何故生まれるのか?」という突っ込みがかなり的確にされていきます。

 

 ページ数は300Pですが、非常に読みやすいので、年末年始に空いた時間にでも読んでみるといいかもです。

人生初めての整体に行って来ました!

 当方お歳なので、体のあちこちにガタが来ているので、整体に行って来ました!飯田橋駅付近にある「OTA整体院」です。↓

https://maps.app.goo.gl/2XuZbGk6rwBp4B1D6

 何故ここを選んだのかといいますと、「二瓶有加ch」で紹介されていたからです!

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 この動画では、二瓶さんはボキボキにされていますが、私が行った日はボキボキの日ではなかったです。でも、かなり痛かったのは間違いなかったですね(体がくたびれている証拠)。

 

 PCで仕事をしているので、⌘ボタンを押しながらショートカットキーを押すという作業が多いので、左手の親指が痛い、左足の付け根がゴキゴキするという自覚症状があったのですが、一通りの施術が完了して言われたことが「親指をちゃんと伸ばして根元からひねって挙げないと50肩になる(付け根の部分が肩と連動しているから)」「右足の方に問題があるので、右足を前後に振る」というアドバイスを受けました。やはり専門の方に診てもらって良かったです。

 

 ちなみに「【新規】本格全身矯正コース(90分)」だったので、21,800円(!)かかりましたが後悔はしていません。年の瀬にちゃんとセルフケアが出来て自分エライ!

【ネタバレ考察】映画「ふつうの子ども」|宇多丸ベスト3位の衝撃!環境テロと初恋の結末がヤバい

 ライムスターの宇多丸さんが、2025年の映画ランキングベスト10のうち、第3位に挙げていたので視聴。あまり邦画は見ないのですが、それほど上位にランクインしているので気になっていました。物凄くざっくり言うと、子供がいたずらをしてそれがバレて怒られて反省する話です(ざっくりし過ぎw)。単純に子供たちの挙動が可愛いというか、微笑ましい気分にさせてくれましたね。なんかYoutubeの動物ハプニング動画集みたいで(ヒドイw)。

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 主人公はなんと、小学4年生の子ども上田唯士くん(以下唯士くん)。この子がクラスの同級生三宅心愛(心愛ちゃん)のことが気になっていて、彼女が地球環境問題について高い関心を持っている。話のきっかけをつかむという、ただそれだけの為に唯士くんも環境問題に興味があるふりをして心愛ちゃんに近づくのだが…といったところが序盤。

 

 そこにクラスの問題児橋本陽斗(陽斗くん)が加わって、彼の提案で町のあちこちに環境問題に言及する張り紙を貼ったりする。心愛ちゃんが陽斗くんを仲間に引き入れたのは、彼のことが気になっているからという、三角関係になっている。

 

 誰も住まなくなった家をアジトとして、心愛ちゃんは活動にのめり込むが、いつの間にか活動すること自体が自己目的化していき、最終的にはロケット花火を店に打ち込んだり(ここらへん、唯士くんに「それって二酸化炭素出ない?」と突っ込まれる)、挙句の果てには二酸化炭素を多く排出している牛を牛舎から逃がすという「テロ行為」に及ぶという、ここらへん行き過ぎた環境保護活動の戯画化になっていたりする。

 

 唯士くん視点からすると、ある種ノワール的な展開で、心愛ちゃんという「ファムファタル」によって愚かな男である唯士くんがとんでもないことをしでかしてしまうという話ではある。心愛ちゃん視点だと、環境問題に興味を持ったのはいいが、それほど深みのある知識が無いし結局子供でしかないので、浅薄な振る舞いに及ぶ。

 

 陽斗くんのキャラ造形がひどいと言うか、この子おそらく成長したらチャラ男になるんだろうなという感じがして、ため息が出てきます。

 

 終盤の「保護者呼び出し」のシーンがとにかく凄くて、唯士くんが先生に呼び出されて会議室に入っていくと、陽斗くんが親にすがって泣いているんですよ。でもこれ絶対にウソ泣きだと思う。入った瞬間にまず一番にその光景が飛び込んで来るので、なんか「うわー、こいつ馬脚を現しやがって!」と幻滅するというより「やっぱりお前はそういう奴だよなー」って顔が無になると言いましょうか…

 

 心愛ちゃんの親も居て(出て来る保護者の3分の2は母親)、彼女の耳の後ろにタトゥーが施されているのは「普通ではない過去」という意味があるのですが、何を持って普通なのかという問いでもある。

 

 で、心愛ちゃんがまず「殻を破る」。どういうことかというと、ここで彼女がグレタさん(有名な環境保護活動家)がしゃべっていることをまんましゃべっていて、要するに「言葉の自動機械」で、中身がなかったとある種の「自白」をする。かなり決定的な中身の無さは、牛を逃がした牛舎の人のインタビューで、二酸化炭素を出さないように配慮がなされていたのが判明しちゃったりしているので。

 

 で、一番最後に唯士くんが心愛ちゃんに想いを告げることになる。実は環境保護に興味がある訳では無くて、心愛ちゃんに興味があったんだと。つまりこの物語のゴールが、実は唯士くんが心愛ちゃんに告白することだった。

 

 まとめとしては、この主要登場人物3人の将来がちょっと心配かなと思ったり。特に陽斗くん。この子はこの件でちゃんと反省していないのではないかなと思う。終盤大泣きしてはいるけど、あれはおそらくウソ泣きであの場をしのぐための方便だろうし、唯士くんは大人になったら女性で苦労しそうだし、心愛ちゃんはいわゆる「Woke(お目覚め系)」と揶揄される人生を送ってしまいそうで、私は結婚していないし子供もいないけどこちらを保護者目線にさせてしまう、不思議な魅力がある作品でしたね。

2025年映画ベスト10【個人的ランキング】1位はジェームズ・ガン『スーパーマン』!ウィキッド・サブスタンス・国宝もランクイン+ワースト2作

 今年公開された映画で、私が見た中の極めて個人的な思い出ベスト10を決めました!だから「ワン・バトル・アフター・アナザー」が入っていないのは変だとか、まだ「ズートピア2」が残っているろう!等と言われそうですが、完全に好みでチョイスしていますw

 

 まず第10位「国宝」

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 邦画の興行収入成績の記録も更新してブイブイ言わせている(昭和)本作。そんなに上位に行かなかったのは、映画の尺でやる話じゃなかったのでは無いかと思ったのと、女性の視点で物語を再構築できたのでは無いかと思ってしまったからです。

 

 第9位「ウィキッド ふたりの魔女」

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 元のミュージカルは未見だし、そもそも本作はPart1なので完結していないとか、いろいろ消化不良な感はありましたが、最後の歌の力でねじ伏せられましたね。エルファバ、あんたについていくぜ!という気持ちになります。

 

 第8位「教皇選挙」

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 今年現実世界で本当に教皇選挙が行われたことと、映画の中の選挙というか候補者達の主張がまんま世界の縮図として描かれているのは上手いと思いました。

 

 第7位「サブスタンス」

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 デミー・ムーアの奮闘に敬意を表して。物語の構造は「笑うせぇるすまん」なんだけど、そこに「老い」「ショービジネス」「消費社会」を絡めた話の運びが良かったです。

 

 第6位「JUNK WORLD」

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 監督の堀貴秀さんが経済的に困窮しているそうで、驚愕しています。第一作よりも世界に広がりを感じる展開で、次作で完結するので見届けたいです。

 

 第5位「罪人たち」

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 監督のライアン・クーグラーさんが真面目で知的な人だからこそ制作が可能だった。アメリカにおける黒人音楽の源流の解説とヴァンパイア物を合体させるという離れ業。未見の人がうらやましいというかもったいない!

 

 第4位「トワイライト・ウォリアーズ 決戦! 九龍城砦

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 久しぶりに香港アクション映画を堪能させてもらいました。見ていてシンプルに元気になるんですよね。

 

 第3位「SING/SING」

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 男性が苦手とする「感情の表出」がテーマ。安全な場所で、安心出来る人たちに自分の感情を表出することで浄化が起こる(カタルシス)。やっぱり抑圧はよくないですね。

 

 第2位「ファイナル・デッド・ブラッド」

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 基本的にはピタゴラスイッチ的に人が死んでいくのを見てゲラゲラ笑うという、非常に悪趣味な作品なのですが、これがこのシリーズの最終作で、シリーズにほとんど出演していたトニー・トッドさんが本作公開後に本当にお亡くなりになり、図らずもこのB級映画の格を上げることになった。

 

 第1位「スーパーマン

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 今の世界の不正に対して、本当に真っ正直に「否」を唱えた本作。こういう真っすぐで、いい意味で人間味の溢れる作品に私は弱いみたいです。ですが、映画評論家の柳下毅一郎さんが「今作で、ジェームズ・ガンの弱点が露呈しちゃいましたね。人間味のあるキャラクターを描くのが上手いからこそ、超越的な存在が描けない」と指摘されましたが、それでもというかだからこそ本作は沁みました。

 

 番外編:今年のワースト映画

 ワーストといいつつ、2本あります。まずは「白雪姫」

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 本作の出来自体は微妙位のクオリティだったのですが、作品周辺の出来事がバイアスとなって単体では見れなくなってしまったからです。

 

 もう1本は「新幹線大爆破

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 オリジナルの精神を踏みにじる、体制に忖度した非常にダメダメな内容で、日本人の駄目さ加減とも合わさってこの国の終わりが進んでいるのを感じますね。

映画『Weapons』感想:SNSで話題の「あのババア」の正体とは?真の主人公に驚愕

 見る前に情報をあまり入れずに、SNSでの評判となった、「あの〇バアがヤバイ!」とか、特徴的なポスターだけを見て視聴に臨みました。ほとんど情報を入れてなかったので、まさかあのジュリア・ガーナーさんが出演していたのは驚きでした。彼女、どっちかというと真面目な映画に出ているイメージがあったので。とは言っても「アシスタント」と「ロイヤルホテル」しか見ていないからそう思ったんでしょうけども。

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 で、筋立てとしては、アメリカのとある小さな町で、17人の小学生が深夜の2時17分に同時に家を飛び出していなくなる。その17人は教師のジャスティン・ギャンディ(ジュリア・ガーナー)が担任だったので、保護者から責任を問われるという、キャンディ的には理不尽な目に遭い、自分の車には「Witch(魔女め!)」と落書きされる。

 

 この冒頭で私はてっきり彼女が主人公で、この失踪事件の謎を追っていくのかと思いきや、話の転がり方が違った。彼女は生徒に対する距離がおかしいと校長から忠告されていて、帰りに酒を購入して飲んだくれていたりする。

 

 元彼で今は警官のポール・モーガンオールデン・エアエンライク)を誘惑して一緒に飲み、一夜を共にするがポールは妻帯者で、しかもアルコール依存症から抜け出そうとしていたのをキャンディが台無しにしてしまう。

 

 ここらへんで主人公が誰かわからなくなり、私の頭には「?」が浮かぶ。キャンディもポールも人として問題あるし、この状況を収拾させることは出来なさそう。

 

 で、今度は何故か失踪した子供の親アーチャー・グラフ(ジョシュ・ブローリン)の視点から物語が始まりまたもや「?」。と思ったら、今度はポール、次は薬中のホームレスのジェームズ (オースティン・エイブラムス)に視点が移る。

 ここまで来てようやくわかったのは、ひとつの事件を多視点で描くことで、観客だけがこの事件の全貌をわかるという構造になっている。

 

 映画が中盤を過ぎるまで、実は主人公がまだ出てはいるけどクローズアップはされない。ようやっと後半になって誰が主人公なのか明かされる。主人公は17人が失踪したなか、その教室の唯一残ったアレックス・リリー( キャリー・クリストファー)であることがわかってくる。

 

 SNSで話題に挙がっていた「〇バア」ことグラディス (エイミー・マディガン)によって、アレックスの両親は家と自分自身を「乗っ取られ」、アレックスはヤングケアラーみたいに両親と失踪した子供たちの世話をさせられていたのだった!グラディスは、東欧の魔女っぽい魔術を行使してアレックスの両親や子供たちから何かを吸い取っているのだと思う。魔女と罵られていたキャンディではなく、本物の魔女がここにいたというオチ。

 ここでアメリカの脚本のお約束がようやっと示され、彼が「共感の出来るキャラクター」であり、「追い詰められている」のがわかってくる。なにせグラディスに強制されて共にどこかへバッくれられそうになってますからね。

 

 もちろん終盤彼は「殻を破る」。このままこの状況から逃れられないのではないかという思い込みを外す為に「反転攻勢する」。そう、ここまで話が進んで来て大人がまったくと言っていいほど役に立たないんですよこの作品!

 

 子供の模範となるべき教師のキャンディはアル中でNTRまでするし、警官のポールはキャンディの誘惑に負け、断酒を破り酒をのみ性的関係を結び、泥棒に入ろうとしたジェームズを捕まえるまでは良かったのだが、ふとした拍子に暴行を働き、車載カメラに録画されたのがバレないか戦々恐々とする。

 

 「まともな大人の不在」が、どっちかというとテーマなのかなとは思いました。それと、実際にあった事件を物語にすることである種の鎮魂になっているのかなと、情報をあえて収集しないで視聴に臨んだ感想です。

 

 帰宅後grokに、この映画は実際の事件を元にしたのかと聞いてみたけど、それは違ったみたい。以下はその質問の答えの引用。

映画「Weapons」(原題同じ、2025年公開のザック・クレッガー監督作品)は、**特定の現実の事件を基にした実話ベースの作品ではありません**。物語の中心である「同じクラスの子どもたちが一斉に深夜に家を出て失踪する」という出来事は、完全にフィクションです。

ただし、監督のザック・クレッガーはインタビューで本作を「非常に個人的な映画」と述べており、以下の影響を受けていると明かしています:
- 親友の突然の死(喪失と悲嘆の感情を処理するための執筆だった)。
- 自身の幼少期の経験(一部のキャラクターのエピソードが自伝的要素を含む)。
- 子どもたちの失踪というテーマは、一般的な「子ども行方不明事件」の恐怖や、社会的なトラウマ(例: 集団的な喪失感やコミュニティの分裂)を着想源にしている。

また、物語の構造はポール・トーマス・アンダーソンの『マグノリア』やドゥニ・ヴィルヌーヴの『プリズナーズ』からインスピレーションを得ており、超自然的な要素を交えつつ、人間関係の崩壊や依存症、コミュニティの闇を描いています。

映画の冒頭で「これは実話だ」と語られるナレーションがありますが、これは意図的なミスリードで、都市伝説風のホラー演出の一環です。実際のレビューや記事でも、明確にフィクションであると指摘されています。

要するに、現実に起きた特定の事件を元にしたものではなく、監督の個人的な感情と一般的な社会的不安を基にしたオリジナルストーリーです。

引用終わり。