「空の大怪獣ラドン」は特撮演出が素晴らしいと改めて確認
「恋と愛の測り方」のサントラ盤は、夜に聴くのをオススメな、心をとらえるサウンド。
「恋と愛の測り方」は邦題がダサいけど、既婚者の誘惑ものとしてスリリングで面白い、でもリアル地味め。
「幸せの教室」は、「ボーイ・ミーツ・ガール」もののあっさり風味、後はお好みでどうぞ
「アナザー・プラネット」のサントラは、映画の雰囲気とは距離を置いていて、でもマッチしている不思議な音。
「アナザー・プラネット」は不思議な雰囲気で1時間半を一気に見せます。
「ヘルプ~心がつなぐストーリー~」に素直に感動できない私は根性曲りかしら
今回は新作の「ヘルプ~心がつなぐストーリー~」をTOHOシネマズシャンテ3を観てきました。フラットでスクリーン位置が低いので、前に座高の高い人が座りませんようにというハラハラする映画館。
1960年代のミシシッピ州ジャクソン、作家志望のスキーター(エマ・ストーン)は大学を卒業し、新聞社に就職して家庭欄を担当することになります。かつての友人はみんな結婚して子持ちなのに、彼女は男に縁がないアウトロー。そんな彼女が、記事の参考に、友人エリザベス(アーナ・オライリー)の黒人メイド、エイビリーン(ヴィオラ・デイビス)に話を聞こうということになります。ミシシッピ州は黒人差別の強い地域で、黒人の女性は大体メイドになるのが当たり前、タクシーやトイレも区別されていました。特に、ヒリー(ブライス・ダラス・ハワード)は、慈善事業に熱心な一方で、黒人メイド用トイレ設置運動にもご執心でした。そこをクビになったミニー(オクタヴィア・スペンサー)は、育ちが貧しかったせいか奥様連から阻害されているシーリア(ジェシカ・チャスティン)のところにメイドとして働くようになります。そんな黒人メイドの実情に作家としての興味を感じたスキーターは、彼女たちの境遇を本にしてまとめようと話を聞いてまわろうとしますが、みんな口を開こうとはしません。とりあえずエイビリーンとミニーは協力してくれたのですが、それではネタが足りません。果たして、スキーターの本は完成するのでしょうか。
アカデミー賞の助演女優賞をとった作品です。キャスリン・ストケットの原作を、テイト・テイラーが脚色し、テイラーがメガホンをとりました。ミシシッピの美しい風景をバックに、黒人差別とそれに抗う人々の姿がコミカルに描かれます。メインキャストを全て女性にして、殺伐としたシーンや暴力シーンを一切見せないで、その中で黒人差別を描いたという点がユニークな作品と言えましょう。スキーターが黒人メイドについての本を書こうと思い立つのは、社会的正義感というよりは、ジャーナリストの若さから来る好奇心からですし、実際に、そういう行動によって、彼女が怖い思いをするシーンはありません。むしろ、差別感の中でぬくぬくしている奥様連を出し抜いてしまう爽快感の方が強いつくりです。
いわゆる悪役にあたる人間は、ヒリーとその取り巻きの一部くらいで、後は、スキーターに協力的ですし、エイビリーンやミニーにつらくあたる人間はそんなには出てきません。黒人差別がドラマの中心ではなくバックボーンとして存在するところが普通の黒人差別を扱ったドラマと一線を画しています。一家に一台、黒人使用人用のトイレを作ろうと提案するエリザベスとか、息子が事故にあった時、まともに病院に運んでもらえずに見殺しにされたエイビリーンのエピソードなど、ひどい話も登場するのですが、その悲惨さを前面に出してきません。むしろ、白人の奥様コミュニティで孤立しているシーリアのメイドになって彼女を助けるミニーのエピソードとか、黒人メイドと子供との絆の方に重点を置いた描き方をしていますので、全体がまろやかな味わいになっています。
ミシシッピ州を舞台にした黒人差別を題材にした映画というと「ミシシッピー・バーニング」を思い出します。暴力と差別意識が根っから染み付いている白人たちを描いた重厚なドラマでした。しかし、この映画は、意外やそういうハードなお話になっていないのですよ。暖かな光の中で展開するドラマは、どこかのどかで、笑いも結構入っています。白人の差別意識が前面に出てくることも少なく、教育によって差別意識が親から子へと引き継がれていく負の連鎖も微かにセリフで語られるのみです。人種差別を題材にした映画でも、こういう作り方もできるんだなあっていうのが、ちょっとした驚きでした。この題材で、コミカルでライトな映画を作れるようになったんだなあっていうのは、「ミケランジェロの暗号」を観たときと同じような感じです。ユダヤ人収容所を題材にして面白い娯楽映画を作れるようになったんだなあというのと似た印象なんです。
黒人差別をバックにした物語をコミカルに描いてもいい時代になったんだなあって感じてしまったのです。今さらそんなことを思うのは、時代錯誤かもしれませんけど、男性もほとんど登場せず、直接の暴力描写も抜きにして、黒人差別を描いてもいい時代なのは、そういう時代を過去のものとして認識できるようになったからではないかと思います。公民権運動を歴史の一部と認識できるようになったからこそ、それを背景にしたコメディタッチのドラマを作っても大丈夫になったのではないかしら。例えば、現状でも問題となっている移民問題を扱ったら、社会性を加味するか、ブラックな笑いの方向に走らざるを得なくなるでしょう。
演技陣では、スキーターを演じたエマ・ストーンが若さのエネルギーを感じさせて、こういう本を書いちゃう女性に説得力を与えています。ヴィオラ・デイヴィスとオクタヴィア・スペンサーは対照的なキャラクターをお互いを引き立てあう好演でした。悪役を一身に背負うことになるブライス・ダラス・ハワードの熱演も印象的でした。また、ちょっとだけの出番でしたが、シシー・スパセックとメアリー・スティーバージェンがいいところを見せますが、その分、白人側にいい人が多すぎるんじゃないかいって気もしちゃいました。
人種差別というのは、教育によって植えつけられるものなのですが、一方で、ジャクソンの母親たちは、子供の面倒をメイドに見させているので、幼いうちは黒人メイドを慕っているようなのです。ところが、成人したら、差別するようになってしまう。スキーターは、自分を育ててくれた黒人メイドを成人しても慕っていて、母親が彼女をクビにしたことを知ってショックを受けます。スキーターと他の奥様連と、どこが違うのかというところを映画は描いていませんので、そこは物足りなさを感じてしまいました。「差別意識を持っていたヒロインが、ジャーナリステッィクな興味を黒人メイドに感じて取材するうちに、黒人差別に批判的になる」といったドラマティックな展開になるわけではないので、どこか表層をなぞったというか、突っ込み不足な感じは否めません。特に気になったのは、白人男性で暴力を振るう人間は登場しないのに、唯一暴力を振るうのがミニーの夫だというのは、白人寄りの映画だという印象でした。
この先は結末に触れますのでご注意ください。
黒人メイドの一人が逮捕されたことをきっかけに、それまで腰が引けていた彼女たちが、スキーターの取材に協力するようになります。彼女たちの話した内容は仮名に書き換えられて「ヘルプ」という本にまとまります。本の内容から、ジャクソンの奥様連は大騒ぎとなります。そして、本はヒットし、スキーターはその印税を取材した女性たちに分配して送るのでした。さらにニューヨークの出版社から採用通知が来て、彼女はジャクソンを去ることになります。エイビリーンたちのことを気遣って、ここに残るというスキーターに、エイビリーンは「ここにあんたがいたって危険なことには変わりはない」と彼女を送り出します。しかし、エイビリーンがエリザベスの家に戻るとヒリーがいて、彼女に盗みの罪を着せて、クビにしてしまいます。そんなヒリーに何も言えないエリザベス。エリザベスの娘の「行かないで」という声を後に去っていくエイビリーンに、クレジットがかぶさります。
あくまで、女性同士の報復に留まるのが、品が良いというのか、何とかまろやかにまとまっています。暴力沙汰にならないところは、原作のセンスなのか、脚色によるものかはわからないのですが、娯楽映画の範疇にうまくまとめたという感じでしょうか。でも、何というか「白人にもいい人はいたんだよ」というメッセージが前面に出てくるのが少々鼻につく映画でもありました。2時間半を一気に見せるドラマ作りのうまさは見事だと思います。それだけに、きれいにまとめすぎてるところが気になってしまいました。まあ、こういう話に素直に感動できない自分の根性が曲がっているかなという気もするのですが。
「別離」は普遍的な人間の葛藤と不可解さを描いた映画として見応えあります。
ちょっとシネコンについて備忘録
今回はまた、オヤジ語り(グチかな)で、シネコンについて書いてみたいと思います。(忘れないうちに書き残すという意味もありまして)
シネコンというのが、日本で初めてできたのは、ワーナーマイカルシネマ海老名だと言われています。大きめのロビーに複数の発券ブースがあり、そこで、指定席券を手に入れます。直接、お金を払うか、前売り券、招待券との交換という形で、作品名、劇場名、時間を印刷した当日券をゲットすることになります。1箇所の入場口から、入るといくつものスクリーン(映画館)が並んでいて、その中のチケットに書いてあるスクリーンに入って、映画を楽しんで、終わったら出る。繰り返し観ることは不可。大体こんな感じでした。ただ、できた当初のシネコンは必ず座席指定というわけではなく、自由定員制でした。とにかく、画期的な映画館ができたということで話題になりました。また、この映画館の特徴は、ショッピングセンターに直結していたこと。映画を観る前後、待ち時間とかは、お買い物したり、フードコートで食事をどうぞというパターンです。中には映画館だけで勝負するシネコンもありますが、それでも、その周囲に何らかの集客施設を持ったものがほとんどでした。
ただ、ワーナーマイカルシネマ海老名が出来る前に、そういう映画館がなかったかというと、私が知っている限りでは、川崎チネチッタがそんな感じでした。(今の川崎チネチッタの前身)そこでは、9つの映画館の共通の発券窓口で当日券を購入して、各々9つの映画館に行って映画を観るというもの。シネコンのように入り口が1箇所ではありませんが、9つの映画館は同じ建屋の中にあり、比較的大きめのチネ1~4、ちっちゃい劇場のチネ5~7、地下にある、8,9というもの。また別の建物に別格として、800席を誇る大劇場チネグランデがあって、そこのチケットはチネグランデ入り口で購入することになっていました。同じく、横浜関内の横浜東宝会館も、チケット発券窓口は1つで、そこで5劇場分のチケットを販売していました。
シネコンの特徴として大きかったのは、番組の組み方です。当時の映画館は、普通1つの映画館で1番組(1本立ての場合もあるし、2本立ての場合もあります)で上映していたのですが、これを集客状況に応じて、週単位で上映劇場を変えていくというシステムになりました。それまでにも、大劇場で上映していた映画を中小クラスの劇場に移動させて上映するムーブオーバーというシステムはあることにはありましたが、それを週単位で細かくやるようになったのは、シネコンができてからだと思います。お客が集まるピークを過ぎた映画ですとか、当たらなかった映画は、翌週には小さなスクリーンに回されるということが普通に行われるようになったのはシネコンができてからの現象です。また、1枚のチケットで、1回こっきりしか映画が観られないということで、1つのスクリーンで、何本もの映画を上映するというのも当たり前になりました。そうなると、1日に1回とか2回しか上映しない映画が出てきまして、観たい映画の時間をあらかじめ知っておく必要があります。
また、シネコンの登場により、映画の最終回が遅くなったということは、大きな変化だったと思います。それまでの映画館でも、週末のオールナイト上映とかあったのですが、普通の日でも、23時過ぎに終了する回が出てきたのはシネコンができてからのことだと思います。これにより、1日の用や仕事を終えた人が映画館へも来られるようになりました。
また、シネコンの特長の一つに設備の向上も挙げられましょう。特に音響のデジタル化を推進したのは、シネコンが中心でした。それまでの映画館でも、やってきたことではあるのですが、シネコンではそれが顕著になりました。ドルビーデジタルやDTSの設備が標準になったのはシネコンからではないでしょうか。でも、創成期のシネコンでは、まだ完全ではなかったことを付け加えておきます。ワーナーマイカルシネマ海老名でも、最初は全スクリーンがデジタルではありませんでした。また、前述の川崎チネチッタは、ドルビーデジタルがなくて、比較的DTSを装備した映画館が多かったという記憶があります。ともあれ、映画館の音響がよくなるのは、観客にとってはありがたいことでした。
また、シネコンならではの独特な劇場構造も登場しました。座席数の多いスクリーンは従来の大劇場と同じような形なのですが、座席数が100以下の小さなスクリーンだと、縦長の壁面に小さめのスクリーンを設置して、座席に傾斜をつけた、ミニシアターとも違う映画館が登場します。最近できたシネコンでは小さいキャパの映画館でも、スクリーンサイズを大きくしているところが多くなりました。昔のタイプだと、3D効果とかが出ないのかもしれません。
また、基本的に言えることは、前の人の頭でスクリーンが見えなくならないような座席配置になっていること。昔なら、他の席に移るという選択肢があったのですが、全席指定では、それがままならず、前に座高の高い人が座って、画面が見えなくなったら、泣き寝入り状態になっちゃいます。そうならないような座席配置になっているのは観客にとってはありがたいことです。でも、もともとは普通の映画館だったのをシネコン化したような映画館では座席によっては、ちょっと頭の高い人が座ると画面が見えにくくなります。シネシャンテとか、ムービルとかそんな感じでしょうか。映画館によっては、スクリーンを小さくしても位置を上げることで、見えやすくする工夫をしているところもあるようです。
また、上映マナー向上のためのアニメを流すようになったのもシネコンからだと思います。最初は大きなお世話だと思われたようですが、世間の分煙運動の活性化もあって映画館での喫煙はほぼ絶滅。劇場内で携帯電話を使う人も大変少なくなりました。最初の頃は、携帯電話を使う人(大体ご高齢の方)が結構いましたもの。現在もマナー向上アニメはやってますが、新しく映画を観始める人もいるのですから、継続していただきたいものです。
でも、シネコンで大きいのは、人件費の合理化でしょう。それまでは、1つの劇場には、キップを売る人、入り口でそれを切る人、さらにプログラムや飲食物を売る人と、最低でも2人は配置しておく必要がありました。複数劇場分を1箇所でやってしまえば、その分、人は少なくてすみます。さらに、フィルムを全巻つなげたでかいリールを使った上映スタイルをとることで、フィルム交換の手間を減らす、さらには、デジタル化上映によって、フィルムそのものをなくしてしまう。とにかく、手間賃を減らそうという工夫が見られます。その一方で、上映1回ごとに場内清掃をしたり、スタッフの制服をアミューズメントパーク風にしたり、お客さんへのケアを向上させていることも認めないわけにはいきません。ただ、最近、シネコンごとのスタッフのクオリティに差を感じるようになってきました。スタッフへの教育という問題なのかなって気もします。同じ広さのロビー、スクリーン数も同じなのに、何でこんなに行列ができるのだろうって不思議に思うことあり、片や整然とお客さんが入場していく。たとえば、同じ時間にいくつもの上映開始する番組を組めば、入場口は大変混雑するわけでして、そういった番組の組み方のセンスもシネコンによって差があるようです。
個人的に、シネコンに初めて行って驚いたのは、スクリーンの前に幕がなかったことでした。それまでは、映画館のスクリーン前には、幕(ちょっと高級感のあるところは緞帳)があって、上映開始のベルとともに、それが開いて映画が始まるという、ちょっとしたワクワク感があったのに、それがなくなっちゃいました。また、照明を段階的に落とすようになったのもシネコンになってからの現象ではないかしら。CMでは比較的明るく、予告編になると若干照明を落とし、本編が始まると完全に照明を落としてしまうというシステムです。これは、一長一短がありまして、昔は、一気に照明を落とすので、そこからは、映画の時間になるというケジメがついて、場内は静かになりますが、今はそのあたりが曖昧になっちゃいました。一方、昔の映画館は消防法のせいなのか、完全に真っ暗にはなりませんでした。非常口のランプもついたまま。今は、完全に真っ暗になりますから、その分、映画に没頭できるようになりました。
また、シネコンは、意外なところに出店することがあります。郊外型ショッピングセンターに併設されるケースがそれです。既存の映画館が全くなかったところに映画館ができるわけです。それまで映画館に行く機会の少なかった方が、お買い物ついでに映画を観ることができます。そういうことが映画観客数の底上げにつながっていることは事実だと思います。でも、いいことばかりでもなくって、シネコンの台頭によって、多くの従来の映画館が閉館に追い込まれています。確かに施設の老朽化によって、遅かれ早かれ店仕舞をしなければならない映画館もありました。(私の実家にあった、七間町の映画館街はそんな感じでした)一方で、立派な設備、きれいな場内と最高の映画鑑賞の場であっても、経営が立ち行かなくなって閉館してしまったケースもあります。(藤沢オデオン系4館とか)そういうシネコンは、既存の映画館を淘汰してしまったのですから、その後をきちんと引き継いで、映画ファンの望む映画(主にミニシアター系映画)もきちんと上映して行って欲しいものです。アニメや3Dばかり上映されたのでは、それまでの映画ファンは取り込めませんし、高齢化が進むご時世ですから、高齢者向けの味のある映画を上映していただきたいものです。
今のシネコンに足りないものとして、少数の映画ファンのための映画を上映する映画館が挙げられます。そういう需要に対応するかのように、大体、各県に1~2館、ミニシアター向け映画を積極的に上映する映画館が出てきています。それは昔から地域になじんできた映画館だったりすることもありますし、新しく小奇麗なミニシアターが地方都市にできることがあります。東北の「××フォーラム」と名のつく映画館は、ミニシネコンとでもいうべき作りで、色々なジャンルの映画を上映してくれています。こういったミニシネコンと大資本のシネコンがうまく棲み分けをして、小さいところもきちんと採算が取れて、つぶれないように頑張って欲しいと思います。











