沖縄の年末は、本土の喧騒を忘れさせるような穏やかな空気に包まれています。 昨年末、私は沖縄に住む友人を訪ねました。「どこか行きたい場所はある?」という彼の問いに、私は迷わずこう答えました。
「沖縄の縄文遺跡が見たいんだ」
ビジネスコンサルタントとして、また心理カウンセラーとして多くの組織や個人の心に向き合ってきた私にとって、日本の歴史の深層に触れることは、現代社会の課題を解き明かすヒントを探す作業でもあります。
今回は、南城市周辺の遺跡を巡る旅で見えてきた、驚くべき「日本人のルーツ」と、1万年以上続いたとされる「縄文の平和」の謎について綴ります。
縄文のスタンダード:青森「三内丸山遺跡」の記憶
沖縄の遺跡を語る前に、まず比較対象として触れておきたいのが、青森県の三内丸山遺跡です。
4年前に訪れた際、その規模と整備の美しさに圧倒されました。2021年に世界文化遺産に登録されたこの遺跡は、約5,900年前から4,200年前までという、気が遠くなるような長い年月(約1,700年間)、人々が定住し続けた日本最大級の集落跡です。
・高度な建築技術: 直径約1mのクリの木柱を用いた「大型掘立柱建物」は、当時の縄文人が高度な測量技術と建築技術を持っていた証です。
・計画的な集落: 居住区、墓地、道路が明確に区分けされており、秩序ある社会が存在していました。
・豊かな共生: 栗の栽培や漆の利用など、自然を支配するのではなく、自然のサイクルを管理し共生する高度な文化がありました。
しかし、この三内丸山でさえ、約4,200年前の急激な寒冷化(気温が約2℃低下)によって人々は去り、遺跡は放棄されました。この「文明の終わり」は、環境変化に対する組織の脆さと、適応の難しさを私たちに教えてくれます。
沖縄で出会った「2万2000年前」の衝撃:港川遺跡
青森のイメージを持って沖縄の遺跡に足を運ぶと、その「佇まい」の違いに驚かされます。
那覇市から南東へ。到着した港川遺跡公園は、三内丸山のような派手な復元施設はなく、一見するとどこにでもある質素な公園です。沖縄生まれの友人でさえ「初めて来た」と言うほど、地元でもあまり知られていない場所かもしれません。
しかし、そこには三内丸山を遥かに遡る、約2万2000年前(旧石器時代)の記憶が眠っていました。
奇跡の保存状態と「港川人」
1970年、実業家の大山盛保氏によって発見された「港川人」は、4体分の全身骨格を含む極めて貴重な遺骨です。なぜ2万年以上もの前の骨がこれほど綺麗に残っていたのでしょうか。
その理由は、沖縄の石灰岩(隆起サンゴ礁)にあります。本土の酸性の強い土壌では、骨は数百年で溶けてしまいます。しかし、アルカリ性の石灰岩は、タイムカプセルのように骨を保存してくれます。港川遺跡は、まさに地球が用意した保存庫だったのです。
DNAが明かした驚愕の事実
私はずっと、港川人は縄文人の直接の祖先だと思っていました。しかし、近年のDNA解析は、歴史の教科書を書き換える事実を突きつけました。
ミトコンドリアDNAの分析により、港川人はアジア人の祖先集団には属するものの、縄文人や弥生人の遺伝子とは直接繋がらない「別の集団」であった可能性が高いことが判明したのです。
これは、日本列島には古くから多様な人類集団が到来し、ある者は途絶え、ある者は融合し、複雑なグラデーションの中で「日本人」が形作られてきたことを示唆しています。
沖縄独自の「貝塚時代」と海洋民族の知恵
沖縄の縄文文化は、本土とは異なる独自の歩みを見せます。沖縄では縄文時代から平安時代頃までを「貝塚時代」と呼びます。
九州との海を越えた交流
約6,600年前、九州・奄美から渡ってきた人々が沖縄に縄文文化を伝えました。遺跡からは、佐賀県腰岳産の黒曜石や新潟県産のヒスイが見つかっており、古代の沖縄人がいかに広大な海を「道」として活用していたかが分かります。
独自性の進化
一方で、沖縄では「伊波式土器」や「荻堂式土器」といった独自の様式が生まれます。また、本土で農耕が始まった弥生時代以降も、沖縄では狩猟採集と漁撈(ぎょろう)を中心とした生活が長く続きました。
ジュゴンの骨を蝶の形に加工した「蝶形骨製品」など、独特の祭祀用品からは、彼らが独自の精神世界と美意識を育んでいたことが伺えます。
考察:なぜ縄文は「1万年」も平和を維持できたのか
今回の旅で私が最も考えさせられたのは、「持続可能な平和」の在り方です。
縄文文化は約1万数千年続いたとされています。現代の私たちは、これほど長く「政権」や「文明」を維持した経験を持っていません。
歴史上の「平和」との比較
・秦の始皇帝: 武力による中国統一を成し遂げましたが、その帝国はわずか15年で滅びました。
・徳川幕府: 世界でも稀な265年間の平和を築きましたが、それでも300年は持ちませんでした。
なぜ縄文は1万年も続いたのでしょうか。 漫画『キングダム』にも描かれているような「武力による統治」には、必ず限界が来ます。勝者がいれば敗者が生まれ、怨念が次の戦争を呼ぶからです。
縄文に学ぶ「真の平和」のヒント
縄文遺跡からは、対人用の武器や、集落を守るための大規模な堀などの防衛遺構がほとんど見つかりません。 そこにあったのは、「分かち合い」と「共生」の精神ではないでしょうか。
❶ 所有の概念の希薄さ: 自然の恵みを「独占」するのではなく「共有」する社会。
❷ 多様性の許容: 港川人のように異なる集団が入れ替わり立ち替わり現れても、それを受け入れてきた歴史。
❸ 高い精神性: 目に見えない存在(自然の精霊など)を敬うことで、人間のエゴを抑制する文化。
カウンセラーとして多くの悩みを聞く中で感じるのは、現代の争いの多くが「執着」と「比較」から生まれているということです。縄文の人々は、それらを「祈り」と「共生」に変換する知恵を持っていたのかもしれません。
結びに代えて:未来の「起業家」たちへ
沖縄の風に吹かれながら、2万2000年前の港川人と、1万年を繋いだ縄文人に想いを馳せました。
私たちが目指すべき未来は、単なる経済的成長だけではありません。 「自分ができることに命を燃やす」 かつてクリスマスパーティーで目にしたこの言葉が、今の私の中で遺跡の記憶と重なります。
子供たちのための食の安全、心を育む学校、そして志ある起業家たちの支援。 私が目指すこれらのヴィジョンも、縄文が持っていた「1万年続く平和」のバトンを、現代の形で受け継ぐことなのかもしれません。
日本人のルーツが多様であるように、私たちの未来もまた、多様で、そして平和であるべきです。沖縄の土の下に眠る古の記憶は、忙しすぎる現代を生きる私たちに、「もっと遠くを見なさい」と語りかけているような気がしました。