近松門左衛門「曾根崎心中」の初演310周年記念の後編です
前回は
ガスパール徳兵衛は結納金の横領がないことを、死んで身の潔白を証明するため覚悟を決め、日も暮れてのち密かに
リサお初のもとを訪れたところまででした!
お初は涙にくれながら
「徳さまの御こと
幾歳馴染み 心根をあかしあかせし中なるが。
それはそれはいとしぼげに 微塵わけは悪うはし。
頼もし立てが身のひしで
だまされさんしたものなれど。
証拠もなければ理も立たず。
この上は徳さまも死なねばならぬ品なるが。
死ぬる覚悟が聞きたい」
と独り言になぞらえて床下の徳兵衛に足で問い同調する
「オオそのはず そのはず。
いつまでも生きていても同じこと。
死んで恥をすすがいでは」
【下之巻】徳兵衛・お初
道行
此の世の名残。夜も名残。
死に行く身を譬ふれば。
あだしが原の道の霜。一足づゝに消えて行く。
夢の夢こそ あはれなれ。
あれ数ふれば暁の。
七つの時が六つなりて残る一つが今生の。
鐘の響の聞納め。
寂滅為楽と響くなり。
近松門左衛門の名文「道行」の巻はそのように始まる
お初の勤める「堂島新地 天満屋」は梅田橋の近所にあったものだ
ここでおさらいも兼ねて曾根崎心中関係MAPを紹介しよう

弘化2年(1845)の地図です
中央の赤く細長いのが現在もある中之島。その一本北川の疎水的な川を元禄時代に河村端軒が改修し曾根崎川(蜆川)となり堂島新地・曽根崎新地が開かれたのだ
明治33年(1900)の大阪市街地図
明治に入って鉄道が伸び梅田駅(現在のJR大阪駅)が作られる
このころまでの「梅田」という地は現在よりも西にあった
現在のGoogle Mapと重ねてみよう
ワラジヤ 大正13年発行 大阪市パノラマ地図(復刻版)
近松物に欠かせないそんな曾根崎川(蜆川)は明治42年(1907)の「北の大火」による瓦礫で上流側が埋められ大正13年(1924)には下流部が埋め立てられる。
上のパノラマ地図では曽根崎新地側はもう埋め立てられており、いまだ「うめだばし」は残っている
「うめだばし」南西の大学病院は1990年代まであった阪大病院。現在はABC朝日放送などが入るホタルマチとなっている。
さてそんな場所にあった堂島新地「天満屋」からの二人の道行は続く

梅田橋より曾根崎川沿いに緑橋(現在の出入橋付近)に向かう

桜橋をこえ

曾根崎新地を通って

曾根崎新地の蜆川跡の石碑をみながら・・・・
ここで曾根崎川(蜆川)に架かる10基の橋を紹介しよう
神や仏に掛置きし現世の願を今こゝで。
未来へ回向し後の世もなをしも一つ蓮ぞやと。
爪繰る数珠の百八に 涙の玉の。数添ひて
尽きせぬ。あはれ尽きる道。
心も空も影暗く風しんしんたる曽根崎の森にぞ。

互いを連理の松の木に縛り覚悟を確かめ合うが、最期に及んで徳兵衛は愛するお初の命をわが手で奪うことに躊躇する。それをお初は「はやく、はやく」と励まして、遂に短刀でお初の命を奪い、終に返す刃で自らも命を絶った。

かくして現世で悲恋に満ちた最期をとげた二人の死
「未来成仏うたがひなき恋の手本となりにけり」と来世でのかたい契りとして結末と成る。
終
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