食べることは、希望と絶望

摂食障害を患った人間の日々の記録や、過去の回想

食べるなら、誰かと

 あけましておめでとうございます。
今日から仕事始め、という方が多いかもしれませんね。有意義な年末年始は過ごせましたでしょうか?

 

 前回から約一週間、間が空いてしまいました。
2日まで実家で過ごし、3日から仕事で大忙し…とバタバタしておりました。
おまけに昨日腰を痛めてしまい、新年早々げんなりしております(笑)
寒い時期は体を痛める方が多いようなので、皆様もお気を付けくださいね。

 さて、年末年始実家に帰り、私の苦手な食のイベントがたくさんありました。
揚げ物、スイーツ、お餅、お菓子などなど…私が愛してやまない、しかし常に苦しめられている食べ物たちが溢れておりました。

母が毎年用意してくれるおせちとご馳走。過食の時に食べるものとは正反対かもしれません

 しかしやはり、家族もいる中で過食も嘔吐もできません。
きちんと適量食べ、間食をだらだらすることもなく、むしろ一人でいる時よりよっぽど健康的な食生活を送ることができました。

 

 毎回同じことを思っているのですが、
実家に帰る前は「ひとりで好きなように食べたい」
実家にいる間は「早く帰って思いっきり食べたい」
そして再び一人になると「家族といたほうが普通に食べられていたから、戻りたい」
と考えるのです。
 私の心では、常に「摂食障害を治したい」と「もっと好きなだけ食べたい、食に依存していたい」という相反する気持ちの葛藤が起きています。治したいのも事実、でも食への依存を手放したくないのも紛れもない事実なんです。まだしばらくは、どちらかに振り切ることは難しそうです。
 ただ「治したい」気持ちが強いときには、家族の存在がとても心強く感じられます。

 

 家族や恋人、友達と食事をとることはまだ苦手です。一切カロリーを気にせず心から楽しめなくなったし、かといってその場で制限をかけると、いたずらに食欲を刺激され、一人になった時の反動がすさまじいから。
 しかし、誰かと一緒に食べると、確かに食欲以外の何かが満たされるのです。よく「満腹感」と「満足感」は別物だと言いますが、まさにその通りです。一人で食べていると、胃の限界によって訪れる「満腹感」はあれど、「美味しかった!満たされた!」という「満足感」は得られません。その結果食べ過ぎ、罪悪感から嘔吐をしたり、極限まで落ち込んだりするのです。

 

 誰かと食べたほうが、絶対的に体にいい。そして結果的にカロリーを取りすぎない。これは私には紛れもなく実感を伴った事実なのですが…
 やはり一人で人目も気にせず、好きなものを好きなだけ貪る快感も、どうしても諦めきれないものなのです。食べ過ぎたら吐けるし、極端に食事を制限することもできるという「自己コントロール感覚」を持つことができるのも、中々やめられない要因でしょう(ここ最近の私は、食事を制限=拒食になることは全くできなくなりましたが)

 

 目の前の食べ物を、目で見て、匂いをかいで、食す際の音を聞いて、じっくりと味わって、食べる。
 そして目の前で一緒に食事をしている人と話し、笑い、一緒に「美味しいね」と言い共感する。
 文章にすると複雑ですが、実際は多くの人が何の気なしにできていることなのです。そしてこれができるから、「満足感」が得られてしっかり「ごちそうさまでした」が言えるのでしょう。私も摂食障害になる前は、きっと当たり前にできていたのです。

 いつかまた、かつてのように食を「楽しめる」ようになるため、少しづつでも「誰かと一緒の食事」とそこで得られる「満足感」の記憶を積み重ねていきたいな、と思います。

 

やっと、言えたこと

 年末ですね。

 多くの方がお仕事もひと段落し、家族や大切な人と過ごしていことと思います(^^)

 私はサービス業のため、本日までお仕事でした。明日実家に帰り、少しの期間ですが家族とゆっくり過ごそうと思っています。

 

 さて、この帰省に際して、私はずっとお願いしたかったことを、実家の母に伝えることができました。

 それは、「自分がいるときに、カロリーや太るなど、ダイエットを意識する言葉をなるべく言わないでほしい」ということです。

 

 実はこの言葉、何年もずっと言いたくて、でも恥ずかしくて情けなくて言えなかったんです。それを今回、やっと伝えることができた。私にとって、非常に大きな出来事でした。

 

 私は未だに拒食の考えをもっており、過食に悩まされながらも隙あらばダイエットのことを考えていますし、やっぱりもう少し痩せたい…と思ってしまっています。
 そして、誰かが言う「太る」「痩せる」「ダイエット」「カロリー」「食べ過ぎ」などの言葉に嫌でも心を揺さぶられ不安定になってしまうのです(たとえ自分に対して言われたわけではなくとも)。

 不安定になると、もう人と同じ食事はできません。とにかく一人になりたくなり、ひたすら食事を拒む、もしくは思い切り過食をしたくなります。

 面倒くさいやつだと自覚しています(笑)
でも、摂食障害の方で、このような傾向のある方は多いのではないでしょうか。
 自分がそれこそ四六時中考え、悩まされ、振り回されている言葉たち。それを他者から聞くというのは、また違う強さで意識してしまうと思います。

 

 家族が集まれば、自然と食事の機会も増える。
私は未だに人と食事することは苦手ですが、大切な人との食事はなるべく余計なことを考えず楽しみたいし、心配もかけたくない。そしてちゃんと食べたいものを食べる練習をすることで、摂食障害の治療につなげていきたい。最近は特に強くそう思っています。

 だから、苦手な言葉で気分を害して一緒の時間を楽しめなくなる、なんて状況にはしたくなかった。

 そのため、今回母に、自分の現在の状況と共に、上記の言葉を伝えました。
 母は深く問い詰めることも否定することもせず、ただ「あなたがそのままのあなたでいられるよう、お母さんも協力するよ」と言ってくれました。勇気を出して言った言葉を真っすぐに受け止めてもらい、母親には本当に感謝しかありません。

 

 今回の件を経て、私は自分の「病気の症状」や「食べてしまうこと」を、

恥ずべきこと、人に話してはいけない情けないこと

だと思っていたことに気が付きました。自分一人で抱え、気づかれないうちに治さなきゃいけない、そんな恥ずかしいことなのだと。そう考えていたから、身近な人にさえ助けを求められなかったのですね。

 

 今回私は勇気を出して、母に助けを求められた。自分が心地よく過ごせるよう、協力してほしいとお願いできた。
 大きな進歩だと感じました。言えて、本当に良かった。

 私は人に頼っていいんだ、助けてもらっていいんだ、と
ここ数年で初めて思えた。そんな年末の一幕でした。

 

 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
皆さま、どうぞよいお年をお迎えください。
そして来年も宜しくお願いいたします。

 

 

摂食障害と歩む道のり⑤ ~過食が心身に与えた影響~

 過食の大きな波にのまれ、日常を侵食されていった自分。
翻弄される日々の中、当然身体にも心にも悪い影響が出てきました。
今日はそれらの一部を紹介したいと思います。

 

※本記事には、実際の体重の推移や、過食嘔吐の記述などがでてきます。
 現在拒食や過食を治療中の方、影響を受けてしまう方は、閲覧ご注意くださいませ。

 

 

 

過食が与えた影響

①体重の増加

 それまで我慢してきた高カロリーなものを食べ漁るので、当たり前ですが体重は一気に増えました。

 当時の私は、身長160センチで、拒食真っ盛りの時の体重は、大体42キロほどでした。それが過食が始まり、3か月ほどで64キロくらいになりました。上がり続ける体重を見るのが苦しく、途中で体重測定しなくなったため、最後に見たのがこの数値です。ここから更に増えていたかもしれません。

 約3か月くらいで20キロ以上の増量。恐ろしいですね。
初めのころは代償行為もできなかったことも、ここまで増えた要因でしょう。

 この体重増加に伴い、持っていた服が軒並み着られなくなったことも辛かった。自分は変わってしまった、細かった頃の自分はもういない、と突きつけられているようで。

 

②体型への執着

 日々太っていく自分を見ていくのは、地獄のように辛かった。
 体についた脂肪は、脱げない鎧のようで、寝ても覚めても自分と共にあり、常にその存在を自覚してしまうのが何より苦しかった。一朝一夕では手放せないのです。

 その辛さから何とか逃避しようと、私は代償行為に手を出しました。初めは下剤の使用、そして脅迫的な運動・筋トレ、最終的に過食嘔吐を覚えてしまいました。

 運動は元々嫌いでしたが、とにかく痩せるため。遠くまでわざわざ歩いたり、大学でもエレベーターを使わずわざわざ階段を使ったり…「健康のため」というには行き過ぎた行動でした。運動も筋トレも、「辛い、辛い」と思いながらやってるんです。そしてもしできなければ、この世の終わりのように落ち込むんです。
 こんなのおかしいですよね。自分で自分をさらに追い込み、いじめ、それでも痩せを手放したくなかった。

 過食嘔吐は、覚えたことを本当に後悔しています。よく、嘔吐を覚えると摂食障害の完治は遅くなると言われますが、なるほど、確かに10年以上たった今でも同じ事を繰り返しています。
 もともと私は嘔吐恐怖症でした。病気の時も、吐いてしまうことが何より怖くトラウマでした。それが、まさか自発的に嘔吐をするようになるなんて、夢にも思いませんでした。汚いしお金の無駄だし惨めになる。それでも、この行為がなければもっと太っていたと思うと、辞められないのです。

 

③人との交流ができない

 太ってしまった自分を、友達や家族に見られるのが苦痛でした。「太った?」なんて言われようものなら、私の世界は終わるとさえ思っていたのです。そのくらい、当時の私には体型を維持することが全てだった。

 でも実際、長期休み明けで変わり果てた体型で学校に行っても、誰も何も言わなかった。いつもと変わらず接してくれた(気を使ってくれていたのかもしれませんが)。
 家族も、それとなく摂食障害のことは話してありましたが、病気について触れることもなく、食べることに気を遣うでもなく、いつも通り接してくれました。

 怖がって閉じこもろうとしていたのは、自分だけだったんです。自分を傷つける言葉を発するのは、いつも自分自身だけだったんです。自分の想像の中で怖がって、傷ついて、もがいていた。誰かに自分を否定されたわけではない。簡単に言えば、被害妄想。

 今ではそんな事実が少し飲み込めてきましたが、当時の私はいつもビクビクしていました。いつ自分の体型を否定され馬鹿にされるか、本当に怖かった。大学は何とか卒業できたけど、友達との交流も本当に最低限だったと思います。もっともっと、学生らしいことをして、友達とも仲良くなりたかった。

 以前の記事でも言いましたが。摂食障害は「孤独の病」です。人を孤独に追い込んでいく恐ろしい病気。自分は周りの人にだいぶ助けられましたが、本当に誰にも話せず、独りで苦しんでいる人が世界中に大勢いるのかと思うと、とても胸が苦しくなります。

 

④鬱

 当時の私は、大学に入って少しした頃から鬱病も患っていました。拒食のストレスと、慣れない独り暮らし、大学生活への不安もあったのでしょう。しかし拒食の頃は、まだ自分の体型という心の拠り所があったため、そこまで酷くはありませんでした。

 しかし過食に転じ、縋ってきた痩せも失くしてしまう。すると自己肯定感などほぼゼロに近くなり、鬱の症状は酷くなっていきました。当時、本当に苦しかった頃はリストカットなどの自傷行為もしており、今でも傷が残っております。馬鹿なことしたなあとは思いますが、当時はなりふり構っていられないほど、辛くどん底の生活だったんだなあ、と居た堪れなくもなります。

 

 以上が、過食が私に与えた大きな影響です。細かく見ていくともっとたくさんあるのですが、ここでは割愛します。いつか別の記事で触れることができたらと考えております。

 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。(今回は特に長くなってしまい申し訳ありません💦)

摂食障害と歩む道のり④ ~寝ても覚めても食べる・たべる・タベル~

食欲に翻弄される日々

 持ち帰ったプリンで、食べることの快楽を思い出した私。
この日以降、私は食べることに憑りつかれていきました。
今まで制限してきた分を取り戻すかのように、これまで我慢してきた食べ物たちへの制御できない欲望と執着が、私の日常を変えていきます。

 

 カロリー計算をしたり、食事計画を立てるなどの「拒食脳な考え方」は根底に広がったまま、ただただ自分の制御が効かなくなっていく日々でした。
 スーパーに買い物に行けば、今まで鋼の精神でスルー出来ていた総菜や菓子パン、お菓子たちが、かつてないほど強く私を引き留めます。カロリーを確認するまでもなく、絶対摂ってはいけないものたち、食べれば太ると信じてきたものたち。

 気づけば、それらがカゴの中にあふれんばかりになっていました。
 買ってしまった罪悪感と、ずっと我慢していたものがこの後食べられるんだ!という高揚感で、私の心はぐちゃぐちゃでした。

 人生で初めての過食衝動に、当時の私は抵抗も対処もできず、ただただ欲に突き動かされるままとなっていました。最初のうちは耐えきれないほどの罪悪感、焦燥感を覚え、食べた後の絶食や運動で帳尻を合わせようとしました。
 

 この頃はまだ病識もなく、良くも悪くも同じように苦しむ人がどのように対処しているか(代償行為も含めて)を全く知らなかった。
 そのため、抗えない食欲に翻弄されては落ち込み続ける日々でした。

美味しいものを、美味しく「適量」食べたいと、今も昔もずっと思っています。


過食の内容

 実際に私が過食で食べていたものを、少し紹介します。
基本的には、それまで我慢してきたものを食べたくなることが多かったです。一般的に言われる、ダイエット中避けたほうがよいものたちですね。

(過食する対象としての紹介・評価をしているので、以下、理解し難い文章かもしれません。ご容赦ください💦)

 

①菓子パン

 安くて、ボリュームもあり、重くもないので何個でも食べられる。

過食するのにうってつけの食材です。油分や脂質、砂糖が多く含まれるものが多いため、食べているときの満足感もありました。
 当時も今も、菓子パンにはお世話になっています。

②スイーツやアイス

 特に生クリーム系のもの。口当たりがよく、食べている時の幸福感が高かったです。ケーキ屋さんでバイトしていたので、普段から誘惑が多く、過食の時ここぞとばかりに食べていましたね…

③お惣菜

 カロリーが高いため食べることを避けていました。でも、人が作ったものって美味しいんですよね(^^;)たとえスーパーのお惣菜でも。
 いつも自分で計算して作った、基本薄味の料理ばかり食べていたので、しっかり油を使い味付けも濃いお惣菜は非常に魅力的でした。

マクドナルド

 マック、皆さんも好きですよね?笑
私も子どもの頃から大好きです。しかし拒食の時はもちろん禁止していました。
過食の時、バーガーもポテトも目一杯食べられることがとても嬉しかったです(普通に食べたらいいのに…)。

 

 こうして文にすると、どの食べ物も「適量」を食べれば何も問題ないのに、どうして普段は食べられず過食の時だけ堰を切ったように食べてしまうのでしょうね。
 恐らくですが、私の場合「普段」の時に上記のようなものを食べると、どうしてもそわそわしてしまい(禁止食材を食べてしまった罪悪感、カロリーを取ってしまった焦り)、「適量」で終われない、終われる気がしないのが原因かと思います。
 これも、以前の記事で話した「ゼロ100思考」の弊害ですね。ちょっとでも失敗してしまうと、もうそこから切り替えられないのです。

 

 さて、こうして足を踏み込んでしまった過食の沼。
その中で、身体にも心にも、多大な影響が出てきます。次の記事で、それらのことに触れていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

摂食障害と歩む道のり③ ~崩壊した拒食生活と過食の始まり~

大好きだったスイーツは、ほとんど食べられなくなっていました。その虚しさを埋めるために、ケーキ屋さんで働くことを選んだのかもしれないです。


初めての過食

 

 大学生となり、ひとり暮らしを始め、拒食の考えを軸にまわる生活を続けていた自分。

そんな私にもついに「過食への移行」のきっかけがやってきました。

 

 あれは忘れもしない出来事。

 当時アルバイトをしていたケーキ屋さんにて、私は商品を箱ごと落としてしまいました。商品はたしかプリンで、冷凍品を解凍するため出してきたと記憶しています。

中身はほぼ無事でしたが、パッケージが傷ついてしまったものは、お店の決まりで自分で買い取ることになりました(ちょっとブラックだったのかな?笑)。

今も昔も真面目で完璧主義の私。この大きな失敗が本当に本当にショックで、ものすごく落ち込みました。特段怒られたわけでもなかったのですが。「やらかしてしまった」「自分は本当にダメな奴だ」と自分自身を責め、追い込んでしまった。

多大なストレスと共に持ち帰ったプリン。いつも美味しそうだな、と思いながら眺め、でも決して口にはできなかった憧れが、今目の前に、しかも大量にある。

 

失敗のストレスでボロボロだった私は、無心でプリンを食べました。

半分凍っていたけど、おかまいなしに。

何個も何個も、次から次に。

今まで食べられなかった分を、取り戻すかのように。

美味しい、と感じる余裕はなかった。ただ、無心でいるために詰め込んだという感覚だったと思います。

 

 

ふと気づいた時には、大量のプリンの空容器が転がっていました。

やってしまった…食べてしまった

もう終わりだ。今までの我慢も努力も、全部無駄になった。

こんな極端な思考が頭の中を支配していました。

(このいわゆる「ゼロ・100思考」というのは本当に厄介で、今の私も手放したくて、でもずっと囚われている思考の癖です)

 

 さて、この出来事は、拒食を貫いてきた自分にとって、衝撃的な事件となりました。

食べてしまった罪悪感もそうですが、ずっと我慢していたスイーツの美味しさが、文字通りぶん殴られたかのように強烈に脳を震わせました。

 

 この日以降、私は今までのように、食べたいものを我慢できなくなりました。

食生活を管理できなくなり、今までの反動、というには大きすぎるほどの過食の波にのまれていくことになります。

 

きっと、心も体も限界だったのですね。

いつ決壊してもおかしくなかった。

自分自身のSOSに、全く気付いていなかったのです。

 

 

ここから、現在まで10年以上も続く「過食」との戦いは始まりました。

同じ過食でも、この大学時代のものは本当に本当に辛かった。

思い出しても、泣きたくなるぐらい苦しくて惨めでした。

次の記事で、始まった過食のことを書いていきます。自分のためにも、なるべく包み隠さず書いていこうと思います。

 

摂食障害と歩む道のり② ~加速する拒食脳~

こういう揚げ物や丼は、怖くて決して食べられなかった。


終わらなかったダイエット

 誰にも知られず淡い片思いが終わった私ですが、恋が終わってもダイエットを終わりにはできませんでした。痩せて身に着けた自信を失いたくなかったし、何より、また食べ始めてこの努力が水泡に帰すことが怖かった。

 

 受験真っただ中で、食事にも健康にも本来気を使わなければいけない時期。

それでも私は、センター試験の当日の朝食でさえ、カロリー計算をして食べ過ぎないよう気を付けていました。

ただ、当時は全てうまくいっている、管理できている、と「ハイ」な状態だったのです。

 

 受験は無事に終わり、希望した大学にも合格。

そしてひとり暮らしが始まりました。この生活の変化が、私の拒食脳に一層拍車をかけていくのです。

 

ひとり暮らしで加速する拒食

 

 家族の目があると、そこまで過激にカロリー管理、制限はできません。食事も出されたものを食べるため、完全にカロリーや栄養のコントロールはできない。

しかし、一人暮らしではすべて自分次第です。私は毎日の食事の計画を立て、カロリー計算も細かくして書き出し、それに従って食べるという生活を始めました。

せっかく学食があっても、カロリーがわからないし誘惑も多い。そう考え滅多に利用しませんでした。利用してもサラダバーのみ。大抵お弁当を持参しました。

 

 もうこの頃には、自分の中で「禁止食材」が明確になり、厳しく自分を制限していたのです。揚げ物はダメ、菓子パンも論外、パスタも脂質が多いから禁止…

好きだったものは、もう手が届かない。それらを食べることを許せない。

正直、何にも囚われず食べたいものを食べる友人が羨ましかったです。

みんな、揚げ物や菓子パン、パスタを食べても太っていない。私は絶対太るのに。そう思い、惨めにもなりました。

 

 もう私は、純粋な気持ちで食事をすることは叶わなくなっていました。

あんなにも食べることが好きだったのに、カロリーや栄養バランスに囚われて、制限されて…苦しくて、惨めでした。

 

拒食が生活に与えた影響

 拒食脳に支配された生活では、様々な弊害も生じました。

 

 まず、椅子に長時間座れなくなりました。

これは、痩せてお尻の肉がなくなり、骨が座面にあたって痛むためです(これは拒食症経験の方にはあるあるかもしれません)。

大学の講義は一コマ90分。椅子は固い素材が多かったので、本当に苦痛だった。

 

 次に、友達との交流機会が減るということ。

大学生となると、一緒にラーメンを食べに行ったり、飲み会をしたり、学食で一緒にご飯を食べながら談笑したり、といったことが当たり前だと思います。実際私もそんな付き合いに憧れていたし、周りの子たちはよくやっていました。

しかし、こうした付き合いに参加すると、必ず予定外の食事をすることになる。外食をしたり、食べ物をもらったりする。こんなこと、当時の私には問題外だった。せっかくカロリー計算をし食事管理ができているのに、それを無駄にしたくない。

そう思って、友人との遊びや飲み会の誘いはいつもやんわり断っていました。

本当は、もっともっと大学生らしいことしたかった。友達ともっと仲良くなりたかった。何も気にせず、食事もお酒も楽しみたかった。

 

 もうひとつ、拒食脳が与えた影響は、生き方を侵食されるということ。

カロリー計算に精を出し、同時に運動脅迫にもなりかけていた私は、生活の大半の時間を「痩せる」ための時間に奪われていました。勉強する時間も、趣味に打ち込む時間も、家族と過ごす時間でさえも、優先順位は食事やカロリー消費に関することより低かった。

だんだんと好きだったことから遠のき、好きでもない運動や筋トレをすることに時間を取られ、「私らしさ」と「大切にしていたもの」を失っていった。

 

 拒食症は、「孤独の病」ともいえると思います。

誰にも知られず孤独に「食べること」と戦っていく。

自分を守るため、周りとの交流を拒絶せざるを得なくなり、さらに孤独が深くなっていく。だからこそ、治りづらく、どんどん歪んだ考えが定着してしまうのでしょう。

 

 

 さて、こんな生活が長く続くはずがありません。拒食が一変して、反動から「過食」の波がやってくる、きっかけとなる出来事がありました。次の記事で、それをお話ししたいと思います。

 

摂食障害と歩む道のり① ~きっかけはダイエット~

すべての始まり

 摂食障害との歩みの始まりは、高校時代にさかのぼります。

 きっかけは、ありがちですが「好きな人に振り向いてもらうためのダイエット」です。高校生の頃の私は、勉強も趣味もそれなりに頑張れており、また年頃の女の子らしく「恋」もたくさんしていました。すべて片思いで終わりましたが…

 高校2年の時、私は担任の先生に恋をしました。その先生のクラスで過ごすうち、憧れとも恋ともいえぬような、むずがゆくて、胸がきゅっとなるような気持ちを多く感じるようになりました。

 その当時の私は中肉中背。小さいころからよく食べ、体格も良いほうでしたので、お世辞にもスタイルがいいとは言えなかったです。しかし好きな人ができ、他者からの見え方が気になり始め、ダイエットを始めました。

 今ほどではないですが、その頃の私も生真面目で完璧主義の傾向がある人間でした。そのため、いざダイエットを始めると、カロリー計算、食事計画、カロリー消費などに余念がなかったように思います。

 弁当を自分で作るようになり、入れるものはカロリーの少ない野菜や佃煮など。駅から学校までの約30分の道のりを早歩きで歩き、電車でもなるべく座らず立つ、といったことを徹底していました。

 若く代謝がよかったこと、登下校だけでも運動量が元々多かったことも手伝い、体重は順調に落ちていきました。

 これは摂食障害あるあるかと思いますが、自分で自分の体型や食べる量をきちんと管理できていることって、とても快感なんですよね。すべて思い通りにいっていると感じ、勉強や趣味にも並行してしっかり打ち込めていたように思います。

 

 しかし、体重が落ちるにつれて、違和感も感じ始めました。

 食べ物のことが頭から離れないのです。授業中空腹で、持ってきた弁当のことや、今の自分には食べられないもの(いわゆる禁止食材。菓子パンなど)のことをずっと考えてしまう。外食をするとなったときは、その日の他の食事、酷いときは前日の食事から少なくして調整しないと気が済まない。むしろ、そうしないと食べてはいけない気がしていたのです。

 だんだんと、自分の食に対する考え方が歪んできたのがこの頃です。

 

 体重は8キロほど落ちました。筋トレも並行していたので、見た目も変わり、自信もつきました。自分はすごい、努力できている、自分を管理できている!いわゆるハイな気分になっていました。

 

 ある日、恋をしていた担任の先生に、呼び出されました。何ともないふりをしつつ、内心大はしゃぎでついていきました。その先で言われた言葉は、

「すごく瘦せてしまったように見えるのだけど、大丈夫?何かあった?」

本当に本当に、心配そうにそう言われました。私は、固まってしまいました。

まさか、先生に好いてもらうためにダイエットしてますなんて言えない。

「受験のストレスで、食べられないだけです。でも大丈夫です…」

無理やり笑顔を作り、そういったのを覚えています。

 この時の私は、痩せたことに気づいてもらえた!もっともっと痩せなくちゃ!と、ある意味歪んだ考えをしていました。しかし今思い返すと、心配され呼び出されるほど「病的」で「急激」な変化だったのです。ここで違和感を感じて、止まるべきだった。食への考え方もとっくに歪んでいたのに、その異常性に自分では気づかなかった。

 

 結局、高校3年のある日、先生が結婚したことを発表し、唐突に私の恋は終わりました。

しかし、ダイエットは終わらなかった。しみついた痩せ願望、スリムでいることの快感、前と同じようにカロリーをとることへの恐怖、そして他者からの視線…

目的を失ったダイエット計画は、ここからさらに歪み、過激になっていきます。

この頃には、「ダイエット」ではなく「拒食」へ移行していたのでしょう。

この先何年も、食べるという行為に悩み、苦しみ続けることになるとは、この時は夢にも思いませんでした。

 

 長くなりましたが、これが私の摂食障害の本当の原点です。