スーパー内での物乞いで、アメリカも終わったと感じる。

 アメリカでの暮らしもわずかとなり、これからは米国の現状や闇につても話していきたい。

 日本で人気のあるユーチューバーや思想家は、日本は先が知れている、日本を出るべきだ。海外で暮らす準備をするべきだ、と断言している。その連中は既に欧州や中東の小さな国で暮らしている。それは大変結構なことではあるかもしれないが、世界中のほとんどが日本よりいい国であるはずもない。アメリカだって同じだ。昔テレビで観た刑事コロンボも、刑事コジャックもいない。大草原の小さな家のような愛のある家族はもうどこにもないかも知れないのだ。

 先ほどスーパーに買い物に行けば店の中の通路で「兄弟、小銭は無いか?」と若い白人男性に尋ねられる。アジア系は特に優しいというイメージがあり、彼らはスキンヘッドの私を観れば同情のまなざしで見つめてくる。しかし、まだまだ人間が出来ていない私は、カードしか使わないんだ、と言う(実際そうである)。それと同時に、この国は店の中ですら、物乞いをするような国に落ちぶれてしまったのか? と、この状況を見て悲しくなった。この大きな小綺麗なスーパーでも靴を履いていない客も結構いて誰が見ても乞食であると分かってしまう。カネは渡せないが、買いたいものがあるのなら代わりに買ってあげるのだが、彼らは常に店内の隠れたところで小銭を恵んでくれと他人に尋ね、その恵んでもらったカネは店では使わずにポケットに入れて、後で気分のよくなるクスリや大麻を買う足しにする。

 こんな状況を見ると日本はまだイイ国だと痛感するが、実際海外暮らしの経験がない人であれば、ユーチューバーや海外暮しのぼんくらの話を鵜呑みにするかもしれない。自分もカネをためて海外で暮らそうと思うかも知れないだろう。世界どこに行っても同じ重力があるように、どの国に行っても所詮は同じ。この地球の重力からは誰も逃げられない。であれば、その場で地に足を踏み込んで、懸命に知恵を使い小さくても落ち目を感じていても、生きていくべきだ。

再婚天国アメリカ!

 バツイチ、バツニ、バツイチ子持ち、シンママ等。どこぞのコピーライターが考えたのか? もう説明は要らないだろう。日本にはいい意味でも悪い意味でも新語が存在し、それに惑わされ一喜一憂する人間も多い。ここアメリカにはバツ3再婚同士カップルや、子持ち離婚女性と初婚男性の結婚もある、シンママと同棲する若い男性も多い。義理の甥っ子のジェームソン、隣のマーク、保険屋のマーティー、クライアントのビルらには同じ特徴があり、それは妻が数回離婚し妻側に子供が居るにもかかわらず男は初めての結婚、というケースである。アメリカでは実にこのケースが多い。

 しかし、その初婚男性には極めて強い一つの共通点がある。それはとにかく優しいことだ。付け加えるなら、あまり怒らない、そして常に受け身である。悪く言えば、他人本位、妻の意のまま、ある意味『自分が無い』という事かもしれない。アメリカの文化には良い点も悪い点もあるが、特に私がこれを通して感心したのは、離婚した女性に対し、決して初めから偏見を持たず、本当に好きであれば、子供が居ようとなかろうと彼女の個性をとことん尊重している点である。そんな男性というのは本当に尊敬に値するものだ。(フォローになってないか……)

 考えてみれば、結婚は法律の下で結ばれ、公的に認められた夫婦という絆の上での共同生活である。しかしこの公的に認められない単なる交際中のカップルであれば、たとえ何回も別れても、一年で三回恋人を替えても、他人は干渉せずどちらかに否があるともあまり思われないのだが、結婚という絆の上での離婚になれば、子供が居なくとも家族も大いに口を挟んでくるもので、おおよそ夫婦どちらかに否があるだろうと決められてしまう、と言わざるをえない。子供が居ればなおさらであるが子供が居なくとも「一体何があったんだ?」と親族や友人からも干渉されるものだ。

 このような男性の持ち合わせる最も重要なことは、妻への同情心という名の『愛』である。「初めの男はダメだったか?  自分が彼女の傷を治してやろう」。「今までの結婚はただツイていなかっただけだろう」。そう思わなくては時に辛い時もあるだろう。しかし最後に言うが、気をつけなくてはならないのは、男性側は結婚経験がないというのが黄金ルールだ。再婚同士は時に想定以外の労力を使う。また男女逆のケースもうまくいくが、これは稀であると言いたい。

気持ちがふさぎ込んだなら、音楽を聴くか、コメディーを観て無理にでも気分を変えること

 世界の状況は刻々と悪い方向へ行っているのか? それとも長い目で見れば改善しているのだろうか? 太陽は毎朝登り、心地よい風も、冷たい雨も降り注ぎ小鳥もさえずる。しかし人間が支配している社会は毎年のように変わり、決して安定しない。社会の情勢によって我々の気持ちも変わらざるを得ないのか? それとも頑なに変わらずに居られるか? 何万キロも離れたところの出来事は、何万キロも離れたところに全てを任せればいいのだ、自分達はここで大人しく暮らせて行ければ十分だから放っといてくれればいい、と思えば楽だろうが同時に無慈悲と言われるだろう。

 私は時々こう考える時がある、自分が戦争中の国に生まれたならば、或いは攻め込んでいる国に住んで召集令状を待つ身であればどうだろうかと。それでないとしても、十分豊かな国に生まれたとしても、自分には多くの孤独な時間があり、話す相手がいない時間が毎日ほとんどを占めて、夜は涙で枕が濡れるような暮らしがあれば、どこの国に生まれても同じだろうと感じる。例えば同じアパートで100人が暮らしていても、上の階では笑い声が聞こえ、下の階からはどうやって死ぬかなど、ロープを吊るす場所を考えている人がいたとすれば、たとえ『今』という同じ時間を過ごすにしても、それは差があり過ぎだろう。同じ時間を過ごすならば、嘘でもいいから、取り繕ってもいいから、泣いて苦しんで生きるべきではないと感じる。

 人間は所詮弱い動物であり、実は気分にによってほとんどの状況を支配されてしまう。この大脳の気分(ムード)を支配する前葉頭という所で支配されてしまうものである。私の経験を少し話がしたいが、私の脳腫瘍が出来た場所は気分を支配する前葉頭であった。発作の前には短気になり小さなことで怒り、同時に小さなことで落ち込んでしまったものだ。しかし術後は逆に感情が起きなくなり怒ることも、鬱っぽくなることも消え去った。私はその時に感じたことは、現実的に全く同じ状況を人が抱えたとしても、楽天的にとらえるか、考えすぎて鬱になるかは『単に気分次第』という事である。もう少し分かりやすく言えば、Aという状況があり、それが耐えられない凄くいやな事であったとしても、自分の気持ちをコントロールすることで、Aからもっと悪いMになるか、Aよりも苦痛を感じないZになるかは、単に自分のムード次第という事である。ならば、気持ちや感情、考えを変えるだけでPになるなら、是非そうするべきであるという事である。『悪い気分のままでいれば、それが固定されて性格も変わり、生きるのがより困難になるのは言うまでもないからである』。私は術後、性格が腫瘍ができる前の状況に戻るように懸命に気分を変えて生活したものである。もちろん日光浴も大切だが……

 また、私は脳の術後に自分のムード(気分)をフラットにさせるためによく音楽を聴いたものである。逆の言い方をすれば音楽を永遠に聴きたい気分であったが、どうやら音楽には自分の気分を固定させる働きがあるように思えてならない。私はクラシックなど興味すらなかったのだが、なぜか『ショパン』を一日中ヘッドフォンで聴いていたものだ。おかげで今ではどこかのBGMでもショパンを聞けばそれと分かるようになった。

 また、笑うことは非常に重要である。純粋なコメディアンは尊敬に値する。下の動画のコメディ俳優のローワン・アトキンソンもミスタービーンが爆発的に売れ出してしばらくした後、自分はこのままでいいのか? こんなバカなことを続けて行けるのだろうか? 自分はこんなことを演じ頭がおかしいのだろうか? と悩んだそうである。その後彼は方向性を少し変えて、もう少しセリフのあるコメディーを制作したりしたが、それはそれで見事に的を得た結果だと言いたい。今ではメグレ刑事を演じている。因みに彼は幼いころから『どもり』という吃音障害があったのだが、役を演じると同時に無くなっていったらしい。もし彼がずっと現在に至るまで吃音障害に悩み何もしなかったら、今全世界の人を笑わせることもなかっただろう。

 音楽の役割は気分を高揚させることや、逆に落ち着かせ安定させることであると思うが、私は今でも別に音楽が無くとも人間は生きていけると感じる。この文明世界のように車の音、生活音、暖房冷房の音など雑音が多ければ、例えば石器時代ように鳥の声や虫の音を聞いたり、風により木がざわめく音を聞いても、今の人間がもう昔のように落ち着くことはできないのかも知れない。私はピアノ曲も聞いたがウラジミールシドロヴという演奏家のバヤンというアコーディオンによるショパンやタンゴ、あるいは民族音楽を懸命に聴いて気分を落ち着かせた。音楽による好みは千差万別であることは十二分に知っているが、ここにちょっとだけ載せておきたい。

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