NYで新生活を始める小室眞子さんに贈る映画

(来るという想定の話になりそうである)

ニューヨークに日本の皇室を出た女性が、日本人伴侶を携えてアメリカに来たとすれば、ニューヨーカーはこんなことしか言わないだろう。

「聞いたことないぞ、知らねえなぁ。誰だって?」

「何すんだい、こんなとこ来て?」

「言っておくがここは危ないぜ、家から出ない方がいい」

皇室という守られたところから、荒れ狂う冬の海に落ちるかのような環境のニューヨークだが、世界を知るという意味では最適な場所だろう。ここ以上に今の世界を表しているところは地上に無いかも知れない。

とにかく結婚おめでとうと言いたいものだ。家柄(皇室)を気にせず「好き」を押し通したお二人はさすがともいえる。そんな眞子さんがまずアメリカで経験しなくてはいけないのが、仕事を通じての言葉の壁だろう(ホントに働くならば)。言葉。言葉。言葉しかないだろう、暮らしを豊かにさせるものは。それだけは強く言っておきたい。しかし小室という男がなぜNY州の弁護士を日本人として目指すのかは理解に苦労する。現実的な問題として、アメリカの検事を自分の弁護で言いくるめることは出来るのだろうか?そのような被疑者を守る力が彼にはあるのか?弁護士というのは悪いことをしたことが明白であっても、仮定と憶測も交えて弁護しなければ’ならないという汚い仕事でもある。せめて財産や特許関連などの机上弁護士などであって欲しいものだ。

私から彼女へ紹介できる映画はこの一本である。ストーリーはない。80年代のアメリカに住むのアメリカ人同士のタバコとコーヒーが小道具の他愛のない会話集の映画。これさえ観て映画中のアメリカ特有の雰囲気とスクリーン上の会話が理解できれば、彼女も明日から何不自由なくNYで暮らせるだろう。映画のタイトルは、Coffee and Cigarettes 撮影はアメリカ人映画監督ジム・ジャームッシュによる。私は若い頃この映画を日比谷の有楽シネマで見たものだ。

アメリカで暮らすにはそれなりの度胸と覚悟がいるだろう。旅行であれば「思いっきり楽しんで!」と言いたいが、そんな言葉は微塵も言えない。生活自体は現実だからだ。超が付くお嬢様の彼女、大丈夫かなとも感じるが、人生は苦しむためではなくもっと客観的に苦しみの味を知るためにあるのだと私は思う。しかし日本人家政婦でも雇い100%身の回りのことはさせるつもりだろう。

アメリカ洗濯機選びの難しさ

だいたい、どこのホームセンター、電気屋に行っても日本製家電なんていうものは置いていない。親しみのある松下や三洋なんていうはもう日本でも存在ないらしいが。今アメリカにある白物家電は韓国ブランドの目白押しである。「LG」、「サムソン」。中国ブランドであれば「ハイアール」そんな感じだろうか。アメリカのブランドであれば日本では知られていないが、「ウィルプール」このブランドは日本のコインランドリーに多いだろう。「メイタン」これも古いメーカーだろう。アメリカのコインランドリーはこのメイタンが多い。もちろんエジソンが創った「ジェネラルエレクトロニック・GE」。そしてマイナーであれば、「アマナ」、「フリッジデール」やホームデポ自社ブランドの「ホットポイント」だろうか。

実際、売り場に行けば7割は韓国ブランドが占めている。それもそのはず販売店へのマージンがいいからである。例えるなら、18万円の家電の卸値は5万円。販売店は一台売れば13万円の利益である。これがヨーロッパのボッシュなどのブランドを18万を売り15万円が卸値であればたったの3万円のマージン(利益)である。当然ホームセンターは韓国製を売るのに躍起になり、万が一のアフターケアはメーカーに問い合わせてね。俺たち知らねぇから、ということで売り逃げに近い。売り逃げに近いというのは、やはり韓国製は見かけは良いのだが、故障が多いからである。

話を元に戻すとする。この家に引っ越した当時は前の住人が置いて行ったフロントロードのフリッジデールがあったが、寿命を迎えたのを機に日本のコインランドリーで使っていたウィルプールの縦置き、要するに上開けの旧式に買い替えた。ここで語句の説明をしたいが、アメリカでは洗濯機はフロントロード、トップロードという言い方で日本語で言えばドラム式(フロント)、あるいは上開きの全自動式(トップ)の意味である。ロードとは道筋という意味でもある。ドラム式洗濯機の乾燥機能付きは残念ながらアメリカではまだ一般的でなく、販売はしているが初めから終了まで6時間ほどかかるらしい(店員の話)。私は仕事で大量のシーツを使うために、汚れ落ちがイマイチである前住人の古いフロントロードには閉口していた。しかしこの新しく買った下の画像であるトップロードのウィルプールは最新の韓国製を真似ていて、本来の攪拌棒がなく、それでいて水の量は少なく洗っても余計に他の衣類のホコリが付き、なんと挙句の果てには洗濯終了後でも衣類に全く水に濡れていない、洗われていない部分さえあるという敢えて言うなら設計ミスのある商品だった。

一応言わなければならないが、洗濯機のデザインに関わらず、どのアメリカの洗濯機にも日本のモノとは違い、昔ながらのすすぎながら水を外に流していく機能が無い!これはどのメーカーにも言えることだ。順をあえて言えば、洗剤を入れ、衣類を入れ、洗いが終われば、適当に水が入り10分ほどぐるぐる回し、汚水を流し、もう一回水を入れて10分ほどぐるぐる回し、汚水を捨て、回転脱水し終了である。さらにショートコースを選べば、洗いの後、一度回転脱水し、なんとその衣類の上に2分ほど上から水をちょろりとスプレーし濡らしたあと、最終回転脱水終了で通常すすぎが無い世界だ。どおりで今まで洗濯物の少ないからと言って、ショートコースを選んだ暁には、乾燥後になんだかどれも履き古しの靴下のような、異様な臭いがすることもあった。時にはおしっこを漏らして乾いた後のような臭いがし、自分も年を重ねたものだと感慨深くなることもあった次第である。しかしそれはすすぎが完全に行われなかった証拠であった。。下の画像のようにスクリューの回転は効率が悪く洗濯物が全て回らない。スイッチは多いが、色物と白物の洗い方の差が分からない。

上のウィルプールという老舗ブランドでさえ、こんなことがあるのかとガッカリし、それから私の怒涛の洗濯機ネット検索と商品レビューの日が夜な夜な永遠に続いた。女房は最新のものを買うべきと初めは言っていたが、どんな付加価値があっても結局汚れが落ちればそれでいいのである。最新のフロントロード式洗濯機は1800ドル、20万円はする。もっとシンプルな旧式モノであれば4万円ほどで十分だろう。それで15年はあれば元が取れる。ちなみにこのウィルプールは6万円ほどであった。白物家電というのは結局付加価値の違いだけであり、基本機能が成立していれば、オーブンも、レンジも、冷蔵庫もそれはそれでいいのだ。韓国の白物家電は異様にスイッチ類の付加価値が多く、それもその箇所が故障したために使えなくなることが多い。

アメリカのモーテルである簡易宿泊所に泊まっているとき、私は必ずと言っていいほど洗濯ルームに足を運び、メーカー名を見ることにしている。中でも古いものは30年以上のモノもあり、メイタン、アマナ、ホットポイントなどが占めている。要するにホテル使用なんていうのは壊れにくく汚れが落ちて、それでいて万が一壊れても修理は簡素であるのに尽きる、と言った類の洗濯機であろう。結局私は「アマナ」というドイツ移民が1世紀以上も前にアイオワ州で興したブランドを購入することにした。それも一番簡素なデザインで無駄のないものである。しかしこの会社も正確には現在ウィルプールの傘下である。アメリカの昔ながらの定番洗濯機はアジェテーターという攪拌棒が付いていて、この棒により洗濯物は洗っているときに順番に下から上えと流れ、まんべんなく槽の中で洗われる。

アマナは不満足なところも見つけられず、長年このデザインで来ているという頑固なまでの定番感がにじみ出ている、おまけにディープウォッシュ機能もある。これは洗濯槽目一杯まですすぎの水が溜まる機能であるが反って水は大量に使う。よって洗濯は週一回、下着は家族全員生地の薄いものを使うことにしている。服は毎日違うものに着替えないが、靴下は当然新しいものを履いている。また夜一日履いた靴下を脱ぐときにその靴下の上の部分で指の間を丹念に拭いてから洗濯かごに入れる。こうすることにより指の間のホコリは取れて、水虫防止も兼ねる、かも知れない。

アメリカ暮らしの注意点を付け加えれば。アメリカという国で買い物をする時、その種類の多さに驚くであろう。コーンフレークの多さ、炭酸飲料の多さ、クルマの種類、クルマの原産国の多さ。家電の多さ。チューインガムの種類の多さ。これらはアメリカ式資本主義を表しているともいえる。要するにこれだけ多くの選びが出来るなら、消費者は何か買うだろうということである。自分の好きな味が無いからガムを買わない。自分の好きな車が無いから今回は買わないという、買わない為の口実をなるべく作らないようにさせるのが、アメリカの消費文化である。

ではどうするべきか?

とにかく退屈過ぎるほどの定番を選ぶのが無難である。例えば車であれば日本車のトヨタ、ホンダ。洗濯機は攪拌棒付のトップロード。ジーンズはリーバイス。靴はクラークス。食器洗いのスポンジは黄色い3Mで洗剤は緑色のパルモリブ。テレビはソニー。冷蔵庫は2ドア式のフリッジデールでいいだろう。銃はコルトなどだ。これは人を選ぶ時にも多少言えていることである。退屈過ぎるほどの定番でいいのだ。家柄や年収、会社など派手さを求めては痛い目に遇うかも知れない。

本能による空しい不倫、浮気

どんなに文明が近代化され他の惑星に生身の人間が簡単に行けるようになったとしても、原始時代から未来に亘って環境は大きく変化したとしても人の身体的構造が基本同じならば、この世界の不倫や浮気は永遠に続くだろう。

簡単に言えば人間は血の通った単なる動物である、しかし高等な理性と知性を兼ね備えた生物であり、遺伝子学的にも他の脊椎動物とは随分とかけ離れている。21世紀の今もはや進化論を論ずる次元ではない。進化ではなくそれは環境に応じて個々の動物が最適化されたのだと言いたい。(進化によって人が生まれたか、それともアダムとイブかという話ではない)人間が生まれてきたこの世の生理的な目的の一つに自分のDNA、いわば自分のオリジナル遺伝子を自分が選んだ「異性」と言われる相手との共同作業でこの世界に残すという重要な目的がある。世間一般的には社会に自分の子孫を残していくこと。と言われてるが。

人は恋愛しお互いに長く一緒に居たいと思うようになるか、あるいは過去の封建的社会では周りからの半ば社会的強制により「結婚」という契約を交わす。しかし人間の奥底に備わっている動物的本能では社会的な結婚などという約束事はどうでもよくて、いかに自分が優れたDNAをこの世界に残していくか、残していけるか? ということに完全にロックオン(固定)されている。しかしこれは社会的な尺度で見れば極めて自己中心であり、呆れるほど反道徳的である。そう考えれば、自分の奥底の「動物的本能」が「社会から期待されている人の理性や知性」よりも大いに盛んであれば、結婚後でもなりふり構わず、あるいは隠れてでも、伴侶よりも優れたDNAが残せそうな異性が見つかると動物的本能に「スイッチ」が入ってしまい、その相手との間に新たなDNAを残そうと強く思うだろう。そうなれば現在の伴侶に対しての興味は理論的に考えてもゼロになる(関心が100%消滅する、本能としてそうならなければならない)。結果的にそれらが不倫や浮気している、という言葉で表されるだけである。「あっ、この人いいな」、と思った時から不倫や浮気に走るプロセスは多種多様であるが、最終的な大いなる動物的本能の二人の意図は、実は気付いていないかも知れないが、単にお互いのDNAのある子供をこの世界に残していくことである。

また最後に、いまの「時代」ではと付け加えておくが、女性は男性に対し優しさ包容力、自分に対する献身度合いなど多くのメンタル面を期待するし重視し、逆に男であれば体型や顔バランスの良さなどが判断の基準で、自分を好きかどうかは二の次の場合もある。男女で判断の基準が大きく違い悲しいほどの矛盾さえ感じるが、実は後々その男性判断と女性判断基準で掛け合わされたDNAが今のこの世界に残っていく子孫として優れているということになるのかも知れない。しかし冒頭で言ったように、その判断基準は文明や時代によって変わるから心配することはない。ただ単に胸板が厚く戦闘に適した男性と、少しふくよかな丸みの多い女性が好ましい、という時代も過去にあったはずだ。そう考えれば今ではなく自分は昔に生まれていればよかった、と感じる現代人も若干はいるだろうと付け加えておきたい。

よって、結婚後は伴侶よりも良いDNAを持ち合わせているような人を探すべきではない、関心を持たないべきだ。結婚した相手に情けを尽くして愛し一生を終わるべきだ。それに生理学的な生殖活動終了時期(更年期)も意外にも早く訪れるものだ。私は人がこの世に生まれてきた目的の一つに、自分の意志や感情をコントロールすることを習得することが含まれていると感じる。しかし残念ながら伴侶が大いなる動物的本能を持ち合わせていて、既に手に負えない浮気者なら、自分を守るためにも別れるべきかもしれないと思う。本能や性癖は少しぐらいの周りに見せる反省ぐらいでは何にも変わらないからだ。