どのような人と付き合えば無難?

大人になってから友達なんて見つけるのはやめたほうがいい。それは疲れるだけだろう。友達は同じことをしながら同じ時間を共有する時に生まれるものだろう。ということは学生時代が終われば友人なんてできないと思った方が無難だろう。しかしそれでも会社の中でもバイトでも趣味の同好会でも自分と話が合えば、お茶でも飲みに行くか? というような話し相手は出来るだろう。しかし気を付けないといけないのは、いまの時代特に注意して人を吟味して選ばないと後々後悔すること場合が多い。恋人を選ぶ場合もそうである。非常に危険な人間が多すぎるが初めから全ての人間は悪いと思い生きていくのは悲しすぎるだろう。この世界にはまだまだ素晴らしいことがいっぱいあるから。しかし現実的に騙される人間は脇が甘いのだと言えばそれまでだが、2021年現在今までのように『情け』が通る世界ではなくなってきているのは言うまでもない。気を付けなければ我々が生きているこの世は本当に刻々と悪くなってきているのだ。

では、簡単に言えばどのような人が幸いかと言えば、それは少なくとも『神を信じている』人だろう。神以外の細かい宗教の羅列ではなく。ともかく、個人的に素直に神がいると思う、神は見ている、などと感じている人だ。しかし「あなたは神を信じる?」などと聞くことは野暮である。また極めて注意しなくてはならないのは、神を信じていると嘘をついてまで言う輩は理屈を抜きにすぐにその人から離れるべきだ。それは悪魔が言わせているのだ。

その次におそらく少なからず親を大切にする人間だろう。母親の年金が下りる日を楽しみにしている50代の独身の男も多いらしい。母親のカードで口座から年金を下ろしその金をもってパチンコに駆け込む。今はこんな時代である。ひと世代前ではマザコン、ファザコンなどという言葉もあった。そのような精神的に親に依存している人間ではなく、本当の親孝行というのは客観的に親という存在を理解し助ける人間のことだ。しかしながら毒親という新語もあるように、どうしようもなく、どうしてこんな人から生まれたのか、育てられたのかと思う読者もいるだろう。しかし独立した息子、娘の家まで親がカネをせびりにくればカネを貸すのではなく大いに渡せばいい。年老いた父親が年金もなく、老人ホームに入れる余裕もなくホームレスになりそうであれば、庭に小屋を作り住まわせてあげるべきだ。あるいはそのような気持ちを持たなければ、この後の時代はもっともっと過酷な時代が来るかもしれない。これを読んだ後久しぶりに親に電話するべきかもしれない。病気はどうだ、さみしくないか、カネはあるのか。年老いて自分で耳の掃除ができないのであれば、耳クソを大いにほじってやろうではないか!

話が横にそれたが、神を信じることと親を大切にすることは人間として必須条件だろう。

自己啓発本は読むべからず!

自己啓発の類の本は読んでも役に立たないと断言する。なぜなら人間は痛い経験からしか学べない、極めて愚かな生き物だからだ。

私は自己啓発本や自己啓発セミナーほど上品な詐欺は他にないと感じる。多くの人間は『成功』あるいは『お金持ち』という鍵を手に入れたくて他人が書いた役に立たない参考書を読むものだ。しかしながら自分にとって本当に大切な事は自身の数多くの細かい失敗から学ぶことが多く、先人の成功者が残した参考書などでは今後の自分の選択が変わるような失敗が学べない。極端に言えば自分たちは失敗を経験するために生まれてきて、失敗から学んだ知恵を死後に持って帰れるのであろう。世の中には数多くの自己啓発本があるが、こうすれば売れるだろうと考えつくされた嘘だらけの経験談も、うまく作られた意味の分からないユダヤ人から学んだという出来過ぎた話まである。中には翻訳したものも少なくなく、作り話にまみれたそのような本を実際に買って自宅で寝る前に読んだとしても身に付くわけがない。朝起きて電車の中で考えることは『疲れたな、昼に何を食べるか』。車であれば『今日は真っ先にあの仕事をしなくてはならない、』なんてことを考え、昨夜寝しなに読んだ啓発本なんてその日一日どころかその週思い出すこともない。しかし実生活で経験した自分の失敗であれば脳に記憶としてセットされるので、常にその痛かった感情がどこかにあり、万が一の場合は必要に応じてその失敗が脳内によみがえり、次なる回避ができるものだ。

もし大きな失敗することが怖いのならば、誰にも言われなくとも進んで正しいことを選び、善いことをするべきだろう。困っている人を自分のできる範囲で助け(騙されないように気を付けるべきだが)、自分の精一杯の気持ちで他人を助けるべきだろう(見返りを期待しては決していけない)。簡単に言えば良いことをすることで意味のない失敗を避けることができ、積み重なった自分の経験から多くを学ぶことができる。それに多くの事に経験を目的に挑戦し自分に磨きをかけることも大切だ。

人は皆特定の場所に生まれ、特定の場所で育ち、特定の場所で人生の時間を費やして、特定の場所で死を迎える。その場所(小さな世界)は神により与えられたと言っても過言ではない。それと同じで自分と全く違うところで生まれ人生を経験した自己顕示欲の多い人の話など、要するに違う世界の出来事の中で啓発されたことを違う世界にいるあなたが読んでも、それは違う小さな世界のあなたには直接関係していないということである。そんな本を1600円で買い、夜な夜な読んだりしても自分を変えられるわけなど無い。私が言いたいのは活字ではなく、自分の現実をもっと注視して強く自信を持ち生きろ、ということだ。

ハングリーマンがあるじゃないか:冷食 1

『ハングリーマン』=空腹男とでも言うべきか。

これは冷凍食品の名前である。アメリカの冷食の中にはフローズンディナーという、区切りのあるプレートに盛り付けした箱状の冷食が売っている。箱から出しプラスティックフイルムを少し剥がし、そのままレンジで温めるだけで食べられる代物だ。昔のアメリカの映画にの中でも、チャールズブロンソンのような主人公がアルミニウムの四角い皿ような容器から無骨に食べているシーンを観たことがあるかもしれない。TVディナーとも言われた70年代、80年代ではレンジは一般的でなく、オーブンを使ったためにアルミニウムの容器が主流だ。昔の機内食も確かそうだったかもしれない。その冷食のバラエティーは多く、女性向けやダイエットに特化にたものなど多岐にわたる。今回の冷食は名前はユニークだが、男性向けと察するべきだろうか。当然これらは食事を作る手間と時間を省くために考案されたものである。できれば今後フローズンディナーのことを時々書きたいものだ。

箱から開けてフィルムを少し剥がしレンジで4分、その後取り出して具材を混ぜてまた4分で終わりだ。合計8分で晩飯の出来上がりだ。

私はこんなもの食べる前から微塵も美味しいだろうとは思わなかったし、強烈に身体に悪いものが入ってるに違いないと感じた。これこそアメリカの食事を表現するにうってつけの食べ物はないだろうし、アメリカ人の食事は餌に近いと何度も言ってる。しかしこれらの期待は予想を外れ、過去の製品はどうか分からないが味が良いのだ。まず今回買ったものはメインがステーキである。それにマッシュポテトとインゲンマメ。それに非常にアメリカ的なモノとして真ん中に『ブラウニー』というアメリカ風チョコケーキが埋め込まれている。

60年代、70年代では『テレビディナー』などと呼ばれていた時代もあったが、第二次大戦後の成長期、1950年代以降の戦争特需により、女性が外に働きに行く頃を境にアメリカは冷凍食品の黄金時代を迎えるのである。当然この頃から女性が台所に立つ時間も減り共働きが増え、簡単な食事で一日を終えるという。いわば最悪のアメリカの食生活の時代に突入し、今もそれが続いていると言っても過言ではない。冷食を温める道具はガスレンジから電子レンジに変わっただけだ。あなたがもしアメリカのスーパーの冷食売り場を見れば、その袋や箱の種類の多さと数に圧倒されるのは言うまでもない。私であれば週に一度の昼飯程度で許される食べ物だろう。