新年、無事に明けてなりよりと言いたい。読者の方々が大丈夫あることを心から願いたい。
そういえば、1984という未来世界を描いた米国の小説がある。この小説は実に面白く、まるで今の2020年2021年を書いたような小説である。まあ中身は良しとして。
最悪ともいえるような2020年も去ってくれた。しかし何ら明るい期待すら見えない2021年も、ここにいて我々はとにかくすべてを受け入れなくてはならない。しかし、人間はまず初めに感情で生きる動物であり、その後の考えから影響され、それにより選択し行動している。要するにこのたった二つだ。感情が悪ければ、悪く考えて、後々考えれば後悔する選択をしてしまうものだ。であるならば、初めから悪い感情を持たず、良い感情から始めればいい選択ができるだろう。
例えば、この新型コロナと言われる世界的な疫病でさえ(たとえ中国が意図的にしたとしても)普通に時により定められて生まれてくるとしても、時間的に考えれば一体どのくらいの確率で、生きている間にこのような疫病に出会えるのかと感じる。速い話、ペストを経験した世紀と、その時代に生き延びた人たち。スペイン風邪の時期と重なりその中でも生き延びた人たち。そしてこの新型コロナの時に生きていて、多くの人が亡くなるのを聞き、街が閉鎖されるのを見て、周りで感染する人がいて、職を失う人や、自分がいて、想像を絶するコロナ後の不況や恐慌もあるかもしれないが、それでも生き延びる自分達。このような経験だできること自体、ある意味非常に重要だと感じる。
私の母は戦争疎開者で戦争体験者である。神戸の空襲のあくる朝、防空壕から外へ出ればいつもの牛乳配達のお兄さんが、不遇にも逃げる途中夜中の焼夷弾に当たり側溝に自転車ごと落ちて亡くなっていた話など、耳にタコができるぐらい聞かされたものだ。母は幸い生き延びた。不幸と言われる惨劇でもあるが、そのような経験でさえ自分から誰かに「お願いして」も決してできないだろう。これらの経験が、私のような平平凡凡に暮らしてきた者と比べれば非常に重要なのであると感じる。戦争捕虜でシベリアに抑留され凍傷で右の指をすべて失うこともありえない惨劇だが、経験として考えれば、そのようなことが無い者と比べれば非常に重要だろう。いい悪いの次元ではなく。
話を元に戻せは、コロナも同じだろう。もし生まれてくる前に、地球で自分の予定されている死ぬまでの経験を年齢の箇条書きで見せられても、疫病も戦争も何もなく人生を終える後の生まれてくる順番の人間に比べれば「結構大変だが面白そうだな」、と地球での暮らしの時に自分のを見守ってくれる霊に言うかもしれないだろう(もしいるのであれば)。何が言いたいのかと言えば、色々なことは人生で起きるのは当然だが、一歩退き「客観的」に見ることが大切と感じるだけだ。すぐに感情移入せず、冷静に物事を見ることが、後々の考えや、物事の判断に影響されてくる。
読者の中には仕事を失った方や、失いつつある人もいるだろう。しかしどうか、自分のすべての感情を目の前の悪い出来事に注ぎ込まないで頂きたいと感じる。筆者