激しいコロラドの気温差とマスコミ

正直いうが、物事を見ていない人間が、物事を見ていない人間に正確な状況情報を伝えるのは難しいと感じる。ある意味、野次馬同士の噂話のようなもので、何が正確なのかさえ分からないだろう。

昨日、日本の兄から連絡があり、お前のところは大丈夫なのかと聞いてきたのだが、どうやら日本でデンバーの激しい天候と気温の温度差のニュースがあったらしい。向こうから連絡してくるのは珍しいといいたい。しかし実際は普段でも温度差30度くらいはよくあることで、40度は稀だがそれでもここの住人は慣れている。夏の気温の急降下は作物をダメにして、まだ葉っぱの落ちていない樹木は雪の重みで倒木が予想される。大まかに言えばこの二点だろう。

結局、悪いことは的中してしまい、家の敷地の大きな木は倒れ、それにより電線が伸びて、電気ブレーカーの箱が破損してしまった。しかしこれは電力会社の範囲ではなく、自前で直さなければならない範囲ということで、手痛い出費である。一応保険には入っているがそれでも幾らかは自前となる。結局のところ、この気候で痛い目に遇った。

とにかく、私が言いたいのは、日本のマスコミが凡そ報道するアメリカの情報は過剰で、脅し半分である。起こった事実は事実であるが、私が日本で報道されているアメリカの話を読むだけで、こんな怖い所には住めないし、行きたくもないといった気持ちさえする。いわゆる感情に訴えかける記事や報道が多い。残念ではあるが、アメリカ本国でも政治のニュースにしても、中国のニュースにしても、それは本当なのか?と疑いたくなる話が多く、一体誰の観念で記事を作っているのか?誰がこんな話公表することを許したのか、と聞きたくなるような記事や報道も多い。最終的に我が家ではテレビを片付けて、CNNやABC、FOXなどアメリカのネットワークのニュースもテレビも観ることを止めてしまった。しかし、問題は自分に危機が迫っているようなことだろう。幸い今回の気温の変化は向かいの住人が私の携帯にテキストを送ってきて、雪が降るから菜園をカバーした方が良いということであった。東日本大震災の時はクリスチャンの友人が早朝我が家のドアをノックして、日本で大変なことが起きているから家族に電話した方が良いということだった。このご時世でも毎回大事なニュースは人伝えである。

最後に、例えば今日本で起きている次期総理の事でさえ、実際には菅さんと決まっているのも関わらず、他の二人の候補のどうでもことを報道する。それらは本当にどうでもいいことで、もっと大事なのは菅という人物の実力や、日本の今ある少子化や税や労働者、領土問題を真剣に語り合う様な討論会を毎晩企画報道し、自民党への刺激をマスコミや国民、あるいは知識者側からどんどん与えるべきだろう。今日石破は何をした、岸田がどこの地方を訪問したなど、そんなことはどうでもいい客観的なニュースだ。どうして核心に迫ることを真剣に、近い未来の話を頭から湯気が出て、背中に汗がにじむまで議論しないのだろうか?正直言うが、マスコミは給料をもらうプロの野次馬でアホである。

才能の探しかた

才能というと、絵の才能、楽器を弾く才能など、何か特別なモノが自分にはあると感じるかもしれないが、実は難しく考えるほど、自分の才能から離れていくかもしれない。

初めに自分の才能を見極めるやり方として、好きか嫌いか?長く続けられることか、いやそうでなく出来るなら避けたい、と思うと感じることが重要である。例えばお菓子を作ることが好きで、長く続けられ、それでいて飽きず、出来上がったたものを誰かが見て食べれば『すごい見た目もいいし、凄く美味しい』と言われれば50%の才能は間違いなくあるだろう。他に例を挙げれば、人を弁護するのが好きだ誰かがいじめられていれば助けたくなる、大げんかの仲裁に入っても大丈夫。そんなことを感じて実際に学校等でしていれば、おそらく弁護士だろうか。そんな仕事だけではなく、モノを配ることが好き、配達して自分の配達分の仕事がなくなればスカッとするし、仕事自体にストレスも感じない。それでいて誰かから『仕事が早いね』などと言われれば、その才能がある。ならば宅配の仕事か、長距離トラック運転も良いだろう。野菜を作るのが好きで、自分の作った野菜は出来がよく味もいいのであれば、農家や園芸の仕事が良いだろう。また網を繕うことが好きで、海では魚のいる水域が何となく水温と天気で察することが出来て、それが外れたことがあまりないなら、間違いなく魚獲りである漁師の才能がある。例を挙げれば限りないが、モノを盗むことに秀でている、人をだますのがすごく好き。などと考えているのであれば、自分の人生を始めからやり直すべきだろう、なぜなら悪いことは全て悪魔から来ている為である。『悪いことを仕事にしたい』=あなたはもう悪魔に支配されているのだ。

この世には数限りの仕事があり、もしかしたらあなたの才能で生活の糧を生み出すことが難しいかも知れないし、仕事自体選べるような環境でないかも知れないが、自分の才能を使い好きなことをしたいという気があれば、いつか願いは叶うだろう。しかし、再度言っておくが自分の好きなことに才能があるかどうかは、あなたに対しての周りの人間の言葉で悟るべきだ。私は長い間グラフィックデザイナーとして従事してきたのだが、考えてみれば心から『いい仕事しているね』と言われたことが無かった。これにもっと早く気付くべきだった。(自分の描いたイラストはユニークだと業界内で著名な人間に言われたものだが)今考えるとデザイナーという商業美術は自分の才能分野でなかったと感じる次第だ。しかし人生は特別『才能』なんて気にしなくとも生きていけるし、食べてもいけるのだが、有意義な人生を送るには自分なりの才能を使った仕事に就いて、たとえ僅かな生活の糧を得ることで若干の幸せを感じるものだ。それは多少神に近づいたからである。

学校は自分の才能を少しでも見出すところである。残念ながら日本の大学で自分の専攻を変えるということは不可能らしいが、アメリカでは何の問題もない。とにかく、大学や高校は自分の好きなことを探すということではなく(最終的にはそうだが)、何が嫌いか?やりたくないかという、反対の見地からモノを見て自分の好きなモノを探すべきだろう、その方が早く自分の才能を見出せる。バイトも然りである。看護の学校へ行くのに、自分は人の面倒や看護が好きだから進学する、というのが実際は多数だろうが、誰かに『看護師になるべきだよ、面倒見いいから。』と言われるほうが、そっちの方が価値があるということだ。才能を見出すキーポイントは他人の関知から何かを言われることだ。逆に言えば決して自分の憧れで仕事を探さないということだろう。これは多くの俳優や役者に言えることで、才能のある俳優/女優は演じる時に自然であまり役を作らず、素の自分に近い表現をしているので見ている側も疲れないし、感動するものだ。しかしそうでない俳優は見ていても感動もなく不愉快だ。これはお笑い芸人が一夜限りのドラマなどに出ているときに感じてしまう。才能は別として俳優をやりたいという欲求が、演技のわざとらしさになってしまうのだろうか。