
デモ行進やデモを見ると私はその国が『民主国家』だと痛感する。ヨーロッパにしろ、ここアメリカでも人々に最高に不満が溜まりこれは大々的に訴えない限り何も動かないぞ、と感じると皆で団結しデモを行う。今回のデンバー市内でのデモは公立学校の教職員の賃金改正のデモである。私の大学での賃金を含めコロラド州は教職員の賃金がアメリカ国内の州で比べてもあり得ないほど安く、一度教員になったものの数年にわたっても賃金が変わらないので仕事をあきらめてコストコなどに再就職する元先生も多いのは確かである。
溜まりにたまった不満と訴えを認めてもらおうと今月はデンバーにある大通りで大デモ行進を行なった。ローカルニュース各局は朝からこのニュースを取り上げて、先生たちへのインタビューを流した。先生たちが訴える先はデンバー市である。市が教職員の賃金を決めているのだ。この写真からも分かるように白い先頭の車は警察車両でその後ろにテレビ局が状況を撮影している。こうして見る限り警察はデモを取り締まる側ではなく、デモの参加者をガードしているのが容易に理解できる。考えてみれば市の警察官も教員と同じ公務員で言わば同じ穴のムジナである。歩いているデモの先頭のその先では警察官がホームレスや行進の邪魔になるような余計なものを懸命に排除している。後ろのテレビ局は当然この行進をテレビでなるべく大きく見せようと必死である。この写真を撮った現場も行き交う他の車はクラクションを鳴らし、通りは騒然としているのだがクラクションは応援しているぞ!という意味である。バスの運転手もタクシーの運転手も仕事をしている車が目立ってけたたましく音を鳴らす。
アメリカのデモ(暴動ではなく)をテレビで見るといつも感じるのは、そのあとに何かが変わるだろうという確信である。参加者は単なるウップン晴らしや、どうせ訴えを聞いてくれないだろうという消極的な動機ではなく、はっきりとした問題がそこにありそれに対し何かが変わることを切実に願いデモを行う。そこにみじんの諦めムードも品のないヤケクソも存在しない。実際このデモの後には市が賃金アップを確約しデモは成功を収めた。しかし客観的に見ればデモを行うことを前提とし賃金の改定が行われたような、いわゆる出来レースのような雰囲気も少しは感じるのだが結果オーライであればそう感じてしまうものだろう。しかし世界の国々では信じられないようなデモの結果もあり、社会主義国ではデモの首謀者を逮捕し締めあげることを行なったり、殺害するまで追跡されたりと死の覚悟をしてデモを行う国すらある。要するにデモに対しどれだけ寛容かでその国の民主主義度が容易にわかってしまうのも事実だ。
大げさに言えばフランス革命にしろ失敗に終わった80年代の中国の天安門事件(中国では事件化されてしまっている)にしても民衆が訴えなければ国は、要するに国を司る連中を変えることはできない。日本でも時々デモがあるがその後に政府や行政に何かの変化がみられるだろうか?実際何の変化もなければこれは大きな問題であろうとさえ感じる。実際北方領土問題などは国民がロシア大使館前等で大きなデモを見せつけるぐらいのことをするべきだったのだろう。しかしこの問題は逆にロシア国内で北方領土返還反対のデモが起きて、これも理由に返還交渉は無理だと言わんとするロシア政府の雰囲気になってしまった。一方慰安婦問題もやはり大きなデモと大使館前での抗議を見せつけるぐらいの行動を起こさなければ、韓国が北朝鮮化している現時点で問題は今後も解決しないだろうとアメリカの小さなデモを見て感じた次第だ。
日本でデモなどの民主活動が少ないのも昔からの封建社会が影響している。それは『御上(おかみ)に逆らうなんてとんでもない、そんなことをすれば自分を含め家族全員危険な後々厄介な目に遭うだろう』と思わせるような絶対的な強さが日本の中央集権にあるように見られるが、実際にそのような封建制度が今もなお、強く色濃く残っているのはその中の国家権力と言われる警察組織である。絶対的な立場を使ってくる警察署内での刑事の取り調べには気を付けるように、とデモの話からとんでもない結果となってしまった、失礼。筆者
