コーンランチ

今日の昼はコーンランチにするとするか。以下はコーンランチの手順である。

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5本で2ドル(約250円)ほどのコーンを一人で食べるときは3本とする

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しかし茹で上がるまでに時間少しがかかるため、その前菜としてスーパーで買った生ハムとオリーブとチーズを少しつまむとするか

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もう遺伝子組み換えでも何でもいい、腹に入りさえすれば、そして少しでも腹の足しになれば

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水は少なく、塩は多めにが鉄則。水に浸らなくとも蓋をすれば蒸しあがるのだ。よく皮やひげもつけたままで茹でれば体に良いというがそれは本当でひげは漢方である、しかしながら熱く濡れたコーンの皮を剥ぐのはもっと面倒だ。

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アツアツのトウモロコシを一人でフーフーして3本食らい、今日の昼はおしまい也。

人は小説を読まなくても生きていけるか?

作り話。妄想。理想論。憧れ。夢の話。作者の人生経験。これらは全て小説の元となる事だろう。

私は小説と言うものを一切読まない、これは別に主義ではなくただ興味が無いからである。小説と言うのはその主人公や登場人物の気持ちと自分をオーバーラップさせ、比べて、こんな感じで生きようとか、こうなりたい、自分もそう思うなぁなどと感じ、欲求を解消させたり、ある種の満足を感じたり自分を吟味したり、自分の思いを小説の中で見出したりする。考えてみればある種の快感を味わえるだろうし、小説の中のライフスタイルや暮らし方をまねたり、主人公の生き方を参考にしたりして、これもまたある種の快感を得るには上等だろう。もう少し辛口でいうなら小説を読むことは知的なマスターベーションである

しかし、自分が既にもう誰も想像できないような人生を歩み、それなりの生き方をしてきたならば小説なんぞ(あえてなんぞと言おう)読まなくてもいいだろうし、読む価値すらないだろうし、作り話などバカらしくて読めないなどという気持ちも感じたりするだろう。金銭的以外にも社会的に重要な役割を果たした人間や過酷な戦争から帰ってきた人間や冒険家などが小説を読まないのも納得できる。この小説家と言う偉大な妄想家に対し、自身のベストセラーについての感想を尋ねたり自分の作品に対しての公演を依頼するのは極めて馬鹿げた事だろうと感じる、それはまるで昨日見た夢の説明をしてくれと言っているようなものだ。これでなぜ作家が政治家になってもうまくいかない理由が理解できる。小説家の理想論で政治をすすめても全く周りはついてこれないだろうし、やることは全て的外れなのだ。

原作と言われる小説があり、それをセリフにした脚本があり、監督がいて、それを演じる俳優達がいて、ドラマ、映画、観客、収入と続いていく。しかしこの小説さえ生まれなければ世界から本当に多くの分野が消えてその代わりの新しい労力や時間が生まれるだろう。実際アメリカにおける映画界の肉体関係や金銭にまつわるドロドロした世界を一般人が垣間見てしまえば、本当にこの世界はこの世に要るのかと疑いさえ感じるだろう。要は小説などで人間の妄想やこの世界をわざわざ文章で表さなくとも我々はこの十分価値のある現実と立ち向かい生きていくべきでこの世の中には人間が生きる上での多くの未解決の問題がありすぎる。また小説と言う道具で時代の文化や風潮を固定化してしまうことが他の人間のもっと自由な発想や世界を封じ込めてしまっていると感じるのも確かだ。

私は読書が趣味です。という人間を虐げているわけではない、ただそれよりももっと多くの現実の世界を見たり感じることがいいのではと少し感じるだけだ。毎日寝るまでベットの上で本を読み、若干の社会的コミュニケーション能力に欠ける青い目の女房の悪口でもない。

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しかしながら世界の村上さんには、この先まで粒がそろったコーンのように頑張って頂きたいと感じる次第だ。

日本からの自分へのお土産1

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日本にはありアメリカには無いものは数多くあるが、私は毎回帰国するたびに何か持ち帰る。今回持ち帰ったものは『たこの吸出し』と呼ばれている軟膏である。この軟膏はできモノや腫れものをわざと化膿させ膿を出させて治すという優れモノだ。実際は化学物質でそうさせるのであるが名前からはなんとも自然療法的な響きがあり、塗っても怖くない感じさえするのが不思議でならない。

これを持参する前までタコの吸出しさえあればこんなの直ぐに治るのに、と言った気持ちをしばしばアメリカで感じた次第である。

眠れない夜はアップルソース。

コロラドの夜も冷えを感じるようになってきた。寝るころは15度ぐらいだろうか。外は久しぶりのみぞれのような冷たい雨、それも1時間も降ればやんでしまう。少しだけ開けた窓からは涼しいというよりは既に寒い風が入ってくる、この寒さは冬の暖炉の炎を思い起こさせる。
時計は深夜0時を過ぎたところだ。しかしどうしても腹が減って眠れない、どうしても眠れない。そんなときはやはり噛まずに食べられるものだろうか、牛乳はトイレに行きたくなるし、実際この長い間私は牛乳を飲んでいない、であれば、何か柔らかいものを食べた後は口をゆすぐだけでベッドに入りたい、そんな感じがいい。
アメリカにはアップルソースと言うリンゴのすりおろしがある。これは本当に純粋なリンゴのすりおろしで他に何の添加物もない。これは素直にうまいと感じる数少ないアメリカの食べ物一つだ。味はプレーンあるいはシナモン。このシナモン味というものは実にうまく、もしシナモン好きであれば確実に一回で一瓶は空けてしまうだろう。。。

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明日が来なければいいと思う日もある。明日ではなく来週が来てしまえば楽じゃないのか?
考えてみれば、毎週毎週の区切りで人生を送るのは時に厄介で嫌なものだ。いっそのこと一年10か月間日曜なしで働き、夏季2か月間の日曜日が来れば心からこの今生きている人生を味わえるのではないのか。

 

 

 

自由な時間がほぼ無い。

この夏は確かに暑いが日本と比べると何ら問題はない。この気温で暑いなんて言うのは贅沢どころか我々日本人から見れば一体これのどこが夏なんだ、というコロラドの夏ではあるが、冬が寒いためにそれでも夏の日中は暑く感じる。それはどうでもいいのだが、最近自由な自分の時間など無くとても閉口している。と言うよりもゆっくりと考える時間が無いということだろうか。

今考えれば、その昔日本で会社へ行く通勤時間も自分なりに考えることのできる時間だった。地方で暮らしていた時、車で通勤したのだが車の中では好きな音楽を聴いたり、帰りに本屋へ寄ったりと今考えれば自分の好きな時間が多かったものだ。しかしアメリカでは通勤も無く本屋すらない。辻堂で暮らしていた頃もお決まりの牛丼屋で晩飯を食らい借家へ帰ったものだ。あの頃将来アメリカに行ってしまうことを知っていたならば、牛丼の特盛を毎晩食らい、ごぼうマヨサラダも付けただろう。そんなことを考えるのはよそう、辛すぎるから。

ここに何をやらなくてはいけないのか箇条書きし後で振り返ることにしたい。

  1. 顧客の漢方処方を考える
  2. ひとり一人の顧客の治療方針を考える
  3. 今年の仕事の帳簿の整理
  4. 仕事部屋(オフィス)の整理と不要なモノの処分
  5. 女房への治療と励まし
  6. 家の地階から出ているコンクリートの修繕と家の周りの砂利まき
  7. 地下の水漏れの修繕とモルタル塗り
  8. 地下の洗濯室の壁の修繕と水パイプの整備
  9. 地下の天井の修理/一階の床の修理も兼ねる
  10. 玄関の戸の表に網戸を作ること
  11. 部屋のドアのニス塗りを完了させる
  12. 新たに4枚のドアのペンキはがしとニス塗りを始めること
  13. 台所の窓に日よけをつけること
  14. 裏庭の余分な折れてそのままの枯れ枝の処理
  15. オフィスの入り口の床のコンクリートの修繕とレンガ置き
  16. トイレの鏡ケースの修理
  17. トイレの蛇口の付け替え

そんなことどうでも良い、と思えるようなこともあるのだが、実際誰か(私)がやらなくては始まらないことばかりである。日本では誰か専門業者に頼んでしまうような事柄でも、アメリカでは莫大な工賃(レイバーフィー)を取られるので結局は仕事をしながらでも自分でぼちぼちするか、ということになる。

仕事、家族の面倒、家の修繕。それでこのアメリカ暮らしは完了である。当然いまだにグランドキャニオンもイエローストーンもニューヨークもシカゴもハワイすら行ったことはない。そう、基本女房が既に行ったところへは連れていってくれないのである。あゝ何という『かかあ天下』。

今現在自由だと感じる時間は床にはいり眠りにつくまでの数分か数時間か。

 

飾り気のないアメリカ 再スタート

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いい歳をしたオッサンがブログに浸り、夜な夜な記事を書く。
誰かを励ましているのだろうか? 誰かの楽しみになるのだろうか?
全く笑ってしまう次第だ。
とにもかくにも、また気合いを入れなおし話を続けていくこととする。
と言っても何もワクワクするようなアメリカの観光の話も流行の話しも、ドキドキするような大麻や銃の話すら何一つない。50近いオッサンが日ごとのつれづれを話をするだけだ。
申し訳ない、読者の皆様には何か刺激になるようなアメリカの話がいいかもしれない。しかしこのままのスタンスで続けていくことになるだろう。
まだ探している写真が見つかっていないページも6頁ほどあり、見苦しいことを謝罪する。なお、サイトのデザインは多少見やすいように変更し、ヘッド画像には昔の写真を使わせて頂いた次第だ。この写真を覚えている方は、『飾アメ通(つう)』であると言えよう。本当はそのような方をここに招待したいものだが誰もコメントさえ残さない、しかしそれはそれで一向に構わない。

盛夏 筆者

コロラドの短い夏。

コロラドの夏は8月に入れば朝夕はぐんと涼しくなり夏というよりは初秋に近い、しかし昼間はまだ聞き馴れない蝉の声を聞き、夜はこおろぎの羽を重ねる音を聞きながら寝床に入るといった具合だ、アメリカ暮らしも側面ではある意味情緒的であり、この国の国民の多くがショパンやロマン派の画家や詩人ヘッセ、あるいは日本でいうならば芭蕉や良寛ような感受性の高い人間であるならアメリカという国はまた良い意味で実に趣のある国だろうが、残念ながら現実は『ドンパチ』が好きな粗野で短絡的な考えの人間が多い、どうしてなのだろうか。

もし、ここに住む国民を総入れ替えし全く違う国にしたなら、ここは土地が肥えて自然が多く穀物や魚も多く取れる実に良い大陸である、アメリカという国を住んでいる人間を抜きにして考えるなら、すばらしい自然に囲まれた本当に恵まれたところである(私はアメリカ人が嫌いなわけではない)、例えば中国などの東アジアのように大陸自体が古いということではない。残念ではあるが中国などは土地が古いために何をしてもだめである(農業)。世界で恵まれた土地と自然があるのは限られているだろう。
話が横道にそれたが、アメリカ暮らしも10年目に入るが10年は短いほうであり私の顧客の中には昭和46年に移住し豆腐屋を営んでいた方もいる、日本から知人などを通じ人を呼んで働かせた時期もあったそうだが、残念ながら日本からアメリカに着る連中はいわゆるアメリカンドリーム(一攫千金)に憧れた人間が多く実に使いにくかったということを話していた、口がすっぱいほど言うがアメリカは実際住んでみると思っていたよりもかなり違う国だ。何が違うのかと一言でいえば、中身が薄く軽い国である。しかし明るい未来があるだろうと言っておきたいものだ。

コロラドには秋が無く夏が終わればすぐに冬が来る、というよりそれぐらい寒い風が吹き始めるということだ、おそらく秋といえるのは2週間ほどでその後は朝の吐息が白くなる。