私が若くして父を亡くした時、その悲しみよりも落胆したことは今後一体誰が私を叱り、そして誰が勧告や注意を自分に与えてくれるのだろうかと感じたことである。その父も亡くなって25年は過ぎた。人は時に調子に乗り、うぬぼれ、自分は常に上手くいっていると考えるものだ。しかしそれは愚かな証拠だろう。最近私は大学のテストで60点を取った。自分では自信もあり、これならば80点以上はいけるだろうかと思っていたのだが現実は甘くない、と同時に今までの自分のバカさを治すということが大切だと痛感した次第である。
私は久しぶりに「情けない」という言葉を噛みしめた。仕事がない時には6時間以上は市の図書館で耳栓をして学習した、それでも英語で専門的なことを学ぶのは難しい、いや難しすぎるし脳の問題もある。
そういえば、私自身考えてみればアメリカに来てからもその前も、誰からも本気で叱られたことが無い。ここでは女房とは口論はするが、女房は叱ってはくれず、訓戒も勧告も当然与えてくれない。要するに夫としての態度や素振り、あるいは子供に対する接し方などには多くの要求がある。しかしながら例えば、何かを買う前にそれが本当に要るか?あるいはそんな趣味今から始めても楽しめないのでは?お前、今やっていること本当に大丈夫か?、などという細かいことは基本アメリカ人は言わないものである、なぜならそれは「個人主義」を阻害するものであり、個人の尊重をしていないからである。要するに大きなお世話なのだ。考え方によってはそれは甘いとも言えるし、それがアメリカの習慣・文化の汚点だろう、そうでなけばこんなに頻繁に銃乱射事件も起きるはずがない。銃事件は「個人で身を守るべき」という傾いた個人主義の現れであろう。だから結局はもう大人である自分で真摯になって自分を顧みて、自分の「バカ」な点をつまみ上げ、捨てるか潰さないとならないのだ。人は大人になると本当に誰からも叱られることはなく長い時間過ごしてしまうものだ。例えば会社で上司に怒られたとしてもそれは仕事上の事や勤務の態度であって、自分の生き方に関しては上司は口を挟めないだろう、なぜなら生まれてからのことも、家庭環境もすべてに関して部下を知らなさすぎるからだ。
とにかく、今考えていることも、これからやろうとしていることも、もしかすると私自身既に「バカ」かもしれないし、今までにも自分は多くの気付かないバカを犯してきているのかと思うと、思えば思うほど身の毛がよだつ。むかし自分は長い間「タバコ」や嗜好品をやってきたが、今考えれば(私の考え)本当に無駄なカネと多くの健康を失ってしまった。付け加えるすれば多くの無駄な親友と言われる付き合いだけの友達により、多くの大切な考えを邪魔され、自分の人生の目標と時間を無駄にしたと感じる。昨年、偶然昔の友達をフェイスブックで見かけたのだが(友達の友達)私はどうしてこのような連中と毎晩飲み歩いたのだろうか、飲み歩いてしまったのかと自問する。私は当時酒に酔うとその辺にあるものを失敬する癖があった。朝起きてみると花鉢や区の消防団の特大消火器が部屋に置かれていて、友達に一体だれがここへ持ってきたんだ!と尋ねたものだが、自分は「バカ」以下の暮らしをしていたものだ。(今現在フェイスブックなるバカなことはやっていない)。しかし今考えるとその当時通っていた学校の女教師が私に小さな助言してくれた記憶がある、「ムロくん。彼と遊ぶのをやめなさい、意味無いから」。私はその先生の助言に従うべきだった、と言うよりは「正しいことを言う人は必ずどこかに存在する」要は神が置いたそのような人物の助言を聞いて、自分のバカを治す勇気が自分にはあるか無いかだろう。実を言えば私が戒律が厳しいといわれるキリスト教の道に進んだのも、初めは酒などの嗜好品をほかのクリスチャン達の雰囲気から止められるのではないかという気分からであった。
こうしてアメリカで所帯を持ち、女房と呼ばれる「アメリカの女性」を治めて暮らしているが自分自身時々真剣に自分を顧みて、「自分にバカなところが無いか?」と自問自答しなければ、今後自分は取り返しのつかない「バカじじい」になってしまう気がして、布団に入った後も反省と自問するようになった。私の母はまだ健在で時々スカイプ電話もするのだが、彼女はまだ気丈にも電話口で時折私を注意してくれるのでやはり母親だと感じる。今だから言えるが結婚するとき母が私に言った助言は「どんなことがあっても絶対に女房を叩くな、殴るな、暴力ダメ」という言葉であった、なぜならば「女は決してそれを一生忘れないから」ということである。実際私自身かたくなにその約束は守ってはいるのだが、実は些細なことで女房には一度、女房の実家で首を絞められた苦い経験があり、その後数日間は起き上がれなかった、女房は半分悪ふざけだったかもしれないが、脳障害のある私にしてみればそれでは済まされない。通常であれば警察事のような気もするのだが、夫婦間の「ハプニング」でことは収まった、義理の母は帰り際涙を流し私の頬にキスをしてくれたが。だからそのトラウマで女房の実家を今は敬遠ぎみなのである。しかしその思い出も悲しいかなよく憶えていない。どうでもいいが。
最後にもっと問題なのはこの生きている世界自体が「バカ」に傾いてきていて、それが全体であるために人類全員が気付いていないことだろう。だから数百年に一度の割合で世界を巻き込む大きな争いが起きてしまうのだろう。ということを書かせて頂いてこの話を終わる。
※ 自分の不甲斐なさ、未熟さという言葉を使いたかったのだが、わかりやすさで「バカ」という言葉を選んだ次第である。
筆者