少し早い秋の訪れ 8月25日

今年の夏は確かに何日か暑いと感じる日もあったが、もうすでに秋が来た気配がする。
今朝の温度は15度、早朝であればもっと寒いだろうか。
結局、小さなリビングルームにクーラーを買う予定でいたが、今年は予定で終わったようである。またオフィスのクーラーでさえ使わなかった。
私が住んでいるコロラド州デンバー市近郊は日本の上高地よりも高度があり、ちょうど上高地から登山で槍ヶ岳に行くのなら途中の横尾山荘あたりであるが、そう考えると山好きだった私にとっては感慨深いものである。しかしながらここは山といった気配はなく、単なる町である、そう考えると山の美しさは標高が関係しているのではないと感じざるをえない、なぜなら南米ボリビアの都市ラパスでさえほとんど富士山と標高が同じであるにもかかわらず、空気汚染などの問題があるし治安も桁外れに悪い。

幸いアメリカの大学入学にパスし、9月から40代半ばでのまた勉強の日々が始まる。入学のための英語試験では好成績を収めたようであるが、病気の後遺症の関係で『うれしい』などという前葉頭右の機能が働かないために、感動もなく、何もない。

今の私に合った言葉は『無味乾燥』であろう、しかし幸いながら味の機能は働くので、おいしいモノを食べたときはおいしいと感じることを神に感謝すべきだろう。
数年前に脳腫瘍を患い、しかしそれは良性であったが5センチ四方の穴を頭にあけて6時間以上かっぽじって掃除をすれば当然ダメージもあり、残念ではあるが私は日本では高次脳機能という障がい者に当てはまるらしい、しかしこのような微妙な障がいは無視したいものであるが現実は現実である、しかしどうでもいいことだ今の前向きな私にとっては。
味覚を感じる自分の舌があることが幸いだ。自分で天ぷらやスパイスから作る本格カレーあるいはひよこ豆のスープなどを作ることが楽しみだろうか、そして月に一回食べるだろうアメリカの牛肉を使った肉うどん或いは牛肉の大和煮。
そう考えると人の究極の楽しみはこの『食べる』ということが筆頭に挙げられるのではないだろうか、『食べて寝る』これがとりあえず暮らしのベースになるのだが、大人になると当然その寝る前に一つ楽しみが増えかどうかだろう。

こうしてコロラドが寒くなり、秋が来れば一年も終わりで一年を通じて考えれば、ここコロラドの一年は何の変化もなく、あっという間である。
どうしてすぐに終わるかと考えれば季節の節目をあまり感じないからだろう、日本のように節分や端午の節句、お盆、彼岸などそのような一段落はなく、アメリカにあるのは独立記念日、サンクスギビングとクリスマスぐらいだ。

私の人生は結局牛肉の大和煮に支えられたまま、一生をアメリカで終わるのだろうか。考えてみれば日本にいたときのストレスと比べると気楽なアメリカは良い一面も確かにあるが、どこの国でどうやって住もうと悩みや憂いは付き物だ。結局どこで暮らすかが肝心なのではなく、どうゆう『心持ち』で日々暮らすかが大切だろう。
例えば火星に行く宇宙船の中で5人乗組員がいれば、あるクルーは火星に対しワクワクするだろうし、あるクルーは毎日同じ船内で憂鬱になったと感じるだろう。
結局、人間は考え方のスタンスで人生どうにでもなると、アメリカで強く感じる次第だ。

8月の箴言

間違っていることを、間違いであると言う
『これはおかしい』と言うことは悪いことではない
黙っていることは問題を黙認することで、実はそのほうが悪い
意図的な間違いを正せばこの世界の多くの問題は無くなるはずだ
勇気をもって正義を通せば、必ず『神』が助けてくれる
神はそのために存在する。