アメリカの車検⊛

そういえば昔日本にいた頃アメリカには車検がないからねぇ、と誰かが言っていたのを聞いた覚えがあるが、それはアメリカを知らない輩の言葉だったようである。
アメリカにも車検はある、一応あるのだ。
今回はアメリカで暮らす予定のある方やこれから留学するという読者向けの話をしておきたい。
アメリカでは毎年自動車税を払わなくてはいけないが例えば5月に車を購入したならば、毎年4月中には登録更新のはがきが来る、これはVehicle License Renewal と称される、また2年ごとに自動車自体の検査いわば車検のようなもの、『エミッションテスト』を受けにエミッションテストができる民間の検査場あるいは個人経営の自動車修理屋まで行かなくてはならない、そこでのメインは排ガステストでありまたその他に3-4箇所同時にチェックされる、また州によってはチェック箇所が多くなることがある、例えばコロラドではフロントガラスをチェックされないが隣のユタ州ではガラスに少しでもヒビが入っていればテストにパスしない、ニューヨークではシートベルトも確認される。

さて、話を進めたいが。
自家用車登録更新のはがきが自宅に届き自分の車の登録情報が載っているので自分のモノに間違いが無いか確認する、コロラドでの登録更新費用は72ドル37セント円では7千円ほどだろうか、しかし更新費用は車の年式により変わり新車は高くなるが私の車は古いので安い。
今回は2年に1回のエミッションテストが必要であるとはがきの表面に赤字で記されている、因みにコロラドでのエミッション検査料金は全て込みで25ドル(年式問わず)である、要するに2年に1回の車検代は25ドルであり登録更新費用は72ドル合計しても1万円にも満たないという格安価格である、これはさすがに自動車大国といった感じであるが自動車の維持費が高ければ生活に支障もあるだろう、なにより車の販売にも関係してくるが実際は自動車産業を維持するための構図だろうと感じる。

私が住んでいるのはジェファーソン郡であるため、ネットなどで Jefferson county emissions test place などと検索すれば検査場が出てくるはずだ、レビューで好感の持てる検査場を探し実際車を持ち込むのである、稀にであるが愛想の無い検査場もあるためどこでも同じとは思わず、レビューを確認するべきだろう。
また州によっては小さな民間の修理屋でも検査器具さえそろっていれば法的な検査をするので注意して探すべきだろう。
ネットで評判の良い検査場を探して車を持っていく、見た感じでは日本の車検場と似ているが入り口に既に今は何分かかるといった表示まであるのは親切である。ここはエアーケアコロラドという検査場でデンバー近郊に何箇所か存在する。
ここは自宅から30分ぐらいのところの検査場であるが、私は入り口からレーンに従い検査台前の停止線で車の中で待機いると違う入り口から急にこちらに来いと言う手招きがあるので、車を検査台入り口まで移動しキーは挿したままにして降りて薄汚い待合室で自分の車を見ながら順番どおりに自分の車が係員によって検査を受けるのを見ていた。
車の前面に風を送り実際に走っているのを想定しながら排ガスをチェックしたりする、この場合当然タイヤはローラーの上で回転させ、このとき同時に速度計が合っているかもチェックするがこれは日本の車検と同じである、またこれと同時に燃料キャップの破損やエンジンチェックライトやクラクションなども簡単に確認されるがコロラド州ではエンジンチェックライトで落とされることはなく、以後要確認ということだけで済まされるという、なんともお気楽な検査であるが排ガスチェックはマリファナ合法の州だけあってか厳しい。

私個人の車は自宅改修のために2年前にキャッシュで購入した約19万円のマツダMPV1997年製である、この車は来年20年を向かえ既に走行距離も33万キロを越えている、当然私はこの車がもしも検査にパスしなかったらどうするべきだろうかと待合室で待っている間にしきりに考え始めたが実はそれは十分ありえることだ、33万キロも走っていれば悪いことも想像する、しかし家の改修資材の運搬や毎週の買い物などこの車は今では私にとっての『足』でありアメリカ暮らしでの相棒である、太平洋を渡って広島から西海岸の港まできた純日本製の極めて乗りやすい白いMPVに愛着さえ感じている、室内の匂い古びた日本製のシートの匂いはここだけが日本であるとさえ感じる、今新しい車など買う余裕も無く、もしパスしなければ妻の車で改修の資材など運ばなくてはならないがそれにはレンガもブロックも載らないしほとんど無理であろう、それよりも今までこの車の修理費に買った値段よりも出費しているのである。
結局、検査が8分ほどで終わり係員の女性から出てコンピューターの前で手数料を払うように言われた、私が車はパスしたのかと尋ねると検査シートが出てくるまで結果はわからないというのであるが、そのプリンターから紙がでてくるまでのたった数分間であったが検査にパスするか否かで、私はここぞとばかり久しぶりに緊張した、考えてみればおそらく2016年の今年一番緊張した時間をここで過ごしたかも知れない、するとすぐに係員の女性から『OK合格よ!』と聞くと私はなぜだか急に冷えたメキシコ産の瓶入りコカコーラが飲みたくなった、私は緊張から解きほぐされるとなぜか無性に幼い頃飲んでいた炭酸飲料が飲みたくなるのであるがこれは幼少の頃の経験が影響していると考えられる。
とにかくそのプリントされた紙を受け取るとこれからどうやって登録を進めればいいのか訪ねたが、
私の尋ね方がやはり外国人風であったために私がアメリカ人でないと彼女が察すると、急に彼女は動揺しはじめ数回まばたきしと同時に目をきょろきょろさせた、英語も理解できるし私は別に彼女を同様させたかったわけではないが、緊張から解きほぐされた後で自分の単にろれつが回らなかったのであるが、同時に私自身も彼女のやけにはみ出した目元のアイラインを見てしまい少なからずとも動揺した、なんという化粧の仕方だろうかそれとも朝出かけるときに時間がなかったのだろうかとふと感じた。
彼女は料金を含め全てを記されている郡のオフィスに送れば良いと説明してくれた、私は了解し検査台から下ろされた愛車に乗り込み、無事に検査は終わったのである。

州によってはただ単に修理工場に行って車を預ければ検査を全て終わらせるところもあるだろう、しかしここが悪いあそこが悪いと難癖つけられて修理する場合が出てくる場合があるかもしれないが幸いコロラドは半民半官のような工場があるので良い。

これは更新のはがきだが左下に排ガス検査要と記されている
入り口では検査待ち時間の目安が表示されている
ランチタイムで私の前は2台だけ 入り口は2箇所のみ開いているという暇さ 先頭のトヨタも古い

 

ローラーの上に載せられて大きなファンの音がけたたましい、マツダよお願いだからパスしてくれ

 

隣でもビュンビュンと扇風機を回し他の車たちも頑張っている 特に手前の三菱も古い

 

最低限のことだけを確認するシンプルな検査台 日本のように車検に莫大な金をかけさせる政府は愚かだ

 

登録情報と車の確認をしている係員
アメリカでは至るところで女性も同様に仕事をしているが
私が外人でも驚かないで欲しい私はアメリカで何でもやってきたのだから

 

一連の検査時間は1台につき7-8分ぐらいか
プリントされた検査結果

 

カスタマーインフォメーションの第1行にはコングラチュレーション『おめでとう』と書かれてあるが一緒に検査台に並んでいた年式の古い車達(私のマツダも含め)に対し本当におめでとうといった感じだ、これでまた2年間は排ガステスト無しで乗れるのでひと安心であるが、アメリカという国で私自身暮らし車に対する考えも変わった、ここでは車は完全なる道具であり暮らしの一部であるということだ、多少の傷や凹みはご愛嬌、走れば良いのだから。しかしなかにはもちろん趣味でクラシックカーや超高級スポーツカーを持っている大人もいるが、それでも仕事や買い物など日頃は自分の実用車のみを運転し趣味の車は休みだけである。
 
アメリカに来る前日本で乗っていた車はスズキワゴンRであった、その前はディーゼル仕様のゴルフなどの欧州車など20代の頃乗り潰したができるなら最後に5速の軽自動車、例えばダイハツエッセなど乗ってみたかった。

もちろん安全な高級車はそれなりに良いが、私は日本の軽自動車やイタリアのautobianchi abarthのような小さな車が好きである。

 

アメリカで地震雲を見る1⊛

私は地震雲や地震の前の兆候たとえばナマズがよく動くなどというのはあまり信じない、万が一だとしても単なる偶然だと信じてきた。というのを前提に話をしたいが、今朝スーパーに行くときにまたも不気味な地震雲を見たのでブログに証拠として記しておきたいものである。
当然根拠を探ることは難しいが、それでも大気中の水蒸気は極めて不安定な形で雲という偶然の形状を作り出すため、深い地中の微妙なウネリが発する際のエネルギーと何か関わりがあってもなんら不思議ではないがもちろん今の科学ではそんなこと立証されていないし、研究もあまりされてはいないだろう。
考えてみればコペルニクス(天文学者・キリスト教司祭)でさえ地動説を唱えたが相手にはされずこの世を去ったが、地震雲などの概念ももし熱心に研究を進めれば大いなる地震予知への謎解きが出来るかもしれない、たとえば雲を確認した時間や方角あるいは雲の厚みなどで。
しかし考えてみれば人間は地震予知が出来ないために本当に多くの不幸と経済損失に見舞われている、人間の英知でなんとかならないものだろうかと私は常々感じる。

全てを写すことができなかったが、以下の写真は東に向かい東から北東に向かって長い長いおそらく何百キロにも渡り薄く、そして途中でカットされたような雲である、この形状が限りなく続いていた。
地震雲の特徴はとにかく不気味で不自然であるということだろう。

偶然にも、この記事の数週間後に発生した熊本地震の
被害者の方に心からお悔やみ申し上げます
飾り気のないアメリカ 著者

 

日系アメリカ人という極めて極めてあいまいな立場の人たち

日系アメリカ人と聞くと雰囲気的には日本人と同類あるいは日本人の味方のような感じさえするが、実はそうではない。
中身は全くのアメリカ人であり時には日本人には非協力的で完全に日系人というアイデンティティだけで生きている人もいる、要するに自分は日本人でもなければアメリカ人でもないという中間的な意識である。当然日本人的な情(なさけ)に訴えても彼、彼女達は理解できない。利休や信長も紫式部も知るはずが無い、小野妹子さえ知らず付け加えていうなら邪馬台国は一体どこにあったかなどという疑問にさえ全く興味が無い(それは私にとってもどうでもいいが)。。。
日本人の血が100%流れていてもアメリカの教育でこれほどまでに、気質も表現方法も知識も変わってしまうのかと思うと教育は実に大切だと感じる。
日系アメリカ人の中にはこのアメリカの日本に対する歴史教育が原因で嫌日になり、驚くべきことに韓国の味方までする国会議員の輩まで存在する、実際慰安婦像設置の手助けをしていたのもカリフォルニアで活動している『ホンダ』といわれる日系議員であるが、こうなると完全に日本が舐められているとしか言いようが無い。
要するに日本の歴史教育もやや問題があるかもしれないが、アメリカが日本のことに対して教えている内容は基本的にアメリカが優位であることを印象付けることが多い、例えば日本軍がフィリピンで行った『バターン・死の行進』などをアメリカ流に正当化して学校で教えているのである、これは日本ではおそらく習っていないだろう、また詳細に日本が中国や韓国を侵略したことも教えられていて、日本が韓国を統治していた時期は完全に侵略してきた時期という説明である。。。
しかしこのような教育を受ければアメリカの中・高の日系人生徒は次第に日本に嫌悪感を感じ、自分は日本人ではなくもはやアメリカ人であるという意識しか芽生えないが、親から先祖の話などを聞けば、いや、それでもやはり違うのではという気持ちが大人になってからようやく感じるのである。
例えを挙げれば、妻の幼なじみは日本人であるが両親とも移住してきたため日系ではなく生の日本人である(生という表現がふさわしいだろう)、しかし彼女は日本人ということで学校でいじめられたために日本に親しみを感じず全く日本語を話せないのである、実に悲しいことであるがそれは学校での教育が関係しているのか、同級生の親が持つ日本のイメージを子供にどう教えてきたのかも関係しているだろう、あるいはただ単に周りの雰囲気か理由はわからないがそれでも両親は日本語根気よく話したためリスニングは出来るのである。
他にも私は日系人の知り合いがいるが、私が生の日本人だと話しても好意的な反応はほぼ無いに等しくこれがアメリカでの悲しい現実である、もっとも彼の父親は白人であるが。
こう考えると日本人の両親により日本の精神が叩き込まれていない日系人と付き合うよりも、理解力のある生粋のアメリカ人のほうが楽な気もする。
最後に、三浦和義ロス疑惑の担当刑事も日系人であったが、『ジミー佐古田』氏は親により昔堅気の日本流を叩き込まれた人物で日本語も流暢であり他の日系人とは違うという点を付け加えるとともに、彼のような人物がここアメリカにいることも忘れてはならない。
彼は今カリフォルニアロングビーチで探偵業を営んでいるらしい。
そして読者の皆にあえて言うなら、顔が似ているからといって日系人を信用すべきではない。

男は定年後、自分の飯を自ら作るべし

熟年離婚は毎日朝から晩まで家にいる夫の面倒が見きれず、
あるいはそれを想像しただけで気が変になるような女性のメンタルが起因している。
男よ、定年後に離婚したくないのであれば定年前から週末は自炊し
妻を安心させるべきだろう。
我が家は全く逆のケースで妻が働いているが、
そんな妻の定年後に私が昼飯から夕食までを彼女のために飯を作ることは
ほぼ拷問に等しいとさえ感じる。
料理が下手でも自分のメシはインスタントでもいいから
自分で賄うことが極めて重要である。
それぐらいは日本男児でもできるだろうから。
これは男のプライドの問題ではない
『共存』ということである
著者

アメリカで地震雲を見る1

私は地震雲や地震の前の兆候たとえばナマズがよく動くなどというのはあまり信じない、万が一だとしても単なる偶然だと信じてきた。というのを前提に話をしたいが、今朝スーパーに行くときにまたも不気味な地震雲を見たのでブログに証拠として記しておきたいものである。
当然根拠を探ることは難しいが、それでも大気中の水蒸気は極めて不安定な形で雲という偶然の形状を作り出すため、深い地中の微妙なウネリが発する際のエネルギーと何か関わりがあってもなんら不思議ではないがもちろん今の科学ではそんなこと立証されていないし、研究もあまりされてはいないだろう。
考えてみればコペルニクス(天文学者・キリスト教司祭)でさえ地動説を唱えたが相手にはされずこの世を去ったが、地震雲などの概念ももし熱心に研究を進めれば大いなる地震予知への謎解きが出来るかもしれない、たとえば雲を確認した時間や方角あるいは雲の厚みなどで。
しかし考えてみれば人間は地震予知が出来ないために本当に多くの不幸と経済損失に見舞われている、人間の英知でなんとかならないものだろうかと私は常々感じる。
全てを写すことができなかったが、以下の写真は東に向かい東から北東に向かって長い長いおそらく何百キロにも渡り薄く、そして途中でカットされたような雲である、この形状が限りなく続いていた。
地震雲の特徴はとにかく不気味で不自然であるということだろう。

この記事の数週間後に発生した日本の九州と南米エクアドル地震の
被害者の方に心からお悔やみ申し上げます
飾り気のないアメリカ 著者

コロラドのマリファナ事情⊛

外にいると時々鼻を突く牛小屋か豚小屋の猛烈な家畜の臭い、

それは、今日もどこかで誰かがマリファナを吸っているという意味だ。。。

 

販売から栽培までこの建物で行う 実はここも長い間空き家店舗だった

私の家の周りにも歩いていける範囲に5軒以上マリファナの店がある、見かけは写真のようにまるで厳重な薬局のような感じである、マリファナが嗜好品として認められているのはコロラドのほかにオレゴン、ワシントン、アラスカ州などもある。
大麻には産業用麻も含まれるがこの話は純粋な精神作用のある大麻(以下マリファナ)の話だ。

日本でもマリファナ賛否論が後を絶たず、ある者はタバコより安全で習慣性はないというがそれでも日本国家はマリファナを厳重に取り締まり持っているだけで即逮捕である、たかがマリファナで?
ならば実際アメリカではどうなのだろうか、コロラド州のマリファナ解禁から数年過ぎた、実際その前から医療用マリファナは存在し医師の処方さえあれば医薬品のように入手できたが、それはあくまでも医療用(いわゆる痛み止め)で特にこのコロラドでなくとも多くの州で手に入る、しかし数年前に医療ではなく嗜好として買うことができるようになった、嗜好品として売られているのは例えは酒類と同じように州の免許があれば店舗を開き商売ができるというわけだ。
私はアメリカでマリファナに関わる立場ではないが漢方薬セラピストとして十分過ぎるほど色々な人から話は聞いてきた、当然実物を触ったこともあるし店に足を運ばせたこともある。
大麻と聞くと何やら末恐ろしいイメージがあるかもしれない、しかし実際は乾燥させた植物を吸うだけである、おそらく大麻も麻薬と同じようなニュアンスで受け止めている人が多いかもしれないが『麻』と言う1文字がそう感じさせていると思いたい、しかし長い目で見るとただ乾燥させた草を吸うだけと言うことだけでは片付けられない次元にコロラドではなってきてしまっているのは確かだ。
漢方薬ではマリファナの種を『火麻仁』と称し(瀉下)腹下しさせて毒を出させる生薬である。

まず、これは基本中の基本であるが全ての万物には陰と陽すなわち2つの全く異なる側面がおのおの存在する、たとえば車が実に便利で良い乗り物だが空気汚染と事故により命を落とすこともある、白米は美味しい食べ物だがそれしか食べなければ脚気などのビタミン不足になる。
マリファナの良い点はその陶酔作用によりしばらく気が軽くなることである、何も考えなくていいような遠い昔に行けるような現実逃避感だろうか、よく考えてみてもその程度だ。
その逆に良くないことはやはり習慣性があるということである、これはまたその感覚が再度欲しいという欲求によるものである、これはタバコのようなニコチンではない脳からの欲求である。
習慣性のある人間であれば容易にマリファナの虜(とりこ)になってしまうだろう、例えばタバコがやめられない、酒がやめられない、マスターベーションを止めたくても止められないといった人間であればほぼ100%マリファナにハマるだろう、ほぼ100%である。
もしもある嗜好品がわずか10%でも習慣性、中毒性のあるものであれば人間は弱い生き物であるために摂取するべきではないだろうと私は感じる。

マリファナに似た喫煙するものにタバコというものがあるがタバコ自体この世に無くても人間は生きていけるし無かったとしても全く生活に不自由はない(始からそのものを知らなければ)、今では多くの国でタバコは害があると認められているが150年前ではそんなことは微塵も考えられなかった、ほぼ100%喫煙としてのタバコはこの世に存在しなくても良いが、神はそのものを与えて人がどう選択するかを見ているのかも知れない、因みにタバコの乾燥した大きな葉っぱは本来家畜が打ち身や捻挫をしたときに貼るシップ薬である。
結論から言えば、何かを火で燻しながらその燻した煙を体内に入れるということはタバコにしろマリファナにしろ身体にとって大きなリスクがあり肺をはじめ各器官に重大な悪影響をもたらす、これはマリファナ、タバコ、葉巻、パイプ、そして例えば乾燥パセリを紙に巻いて吸っても身体には害があるということだ、はじめにこのことを十分に理解すべきだろう。
こうして考えれば別に世間にマリファナが無くとも、最初から全く知らなければ、知識が無ければ、好奇心が無ければ吸いたいと思わないだろう。
そしてここアメリカ以外ではあまりこれは知られていないが、マリファナは吸うよりも食べるほうがはるかに危険であり、実際マリファナ店にはマリファナが入ったグミやマリファナ飴あるいはマリファナクッキー、マリファナブラウニーがある、こられの食べ物は食べてから20-30分後にやっと効き目が現れる要するに陶酔感であるがこの数10分後という時間差が大変危険でその間に多く食べてしまい急激な中毒症状が現れるのである、それが結果として自殺あるいは殺人を引き起こしている。
地元の子供の間では友達の家に行っても自家製のブラウニー(チョコレートケーキ)やクッキーは出されても絶対食べてはいけないと親は子に注意しているのが悲しい現実だ。

数日前、地元のニュースを見ていた時、イラクで戦争を終えた兵士が帰国後に深刻なPTSD(心的外傷ストレス症候群)に悩まされ彼はマリファナを吸って凌いでいるという話があった、残念ながらコロラドではPTSDが医療用マリファナの保険外になっているため嗜好品として吸っているのだがそれでは値段が高すぎるために州を訴えることにしたそうだ。
確かにPTSDは深刻な精神疾患で仕事にも家族とも対等な付き合いはできない、寝ても起きても戦場の悲惨な殺戮光景が頭から離れないし、もうどうしようもないだろう、しかしマリファナを吸っているときは確かに気持ちも楽になり良いかも知れないが、マリファナが無くなればマリファナが無くなったことでストレスも溜まりこれもまた大変であろうと感じる、現実逃避は吸っている間とその後しばらくのみであることを考えると本当にこれは高くつく代物だというしかない。
漢方薬の安神薬の類にはそのようなストレスを緩和させるものもあるが、そのような知識も何もアメリカには残念ながら無い。
しかし問題は将来PTSDが改善したとしてもおそらくマリファナを止めることは難しいという点である、なぜならば既に長い間マリファナに頼ってしまっているから止めると不安になる、そしてまたそれをマリファナで補うこととなる、よほどの強い意志がない限り精神疾患が治ったからマリファナも同時に止めることはできないだろう。
結局、要するにはじめからマリファナ自体知らなければ別にマリファナで凌ぐこともしないだろうし、当然世界中のPTSD患者がマリファナを吸っていないだろうと感じる。
このような場合の精神疾患の解決策は結局のところやはり家族の手当てと母親や妻の長期間の無私の愛情しかないようである。

さて実際コロラドでの暮らしはどうなったかを話したい。
まずマリファナ解禁で良くなった点を挙げたいがそれは間違いなく税収が増えたことで州の財源が潤うことである、しかしこれ以外で自分達の暮らしが豊かになった感覚は無い。
悪化した点はいくつかあるが、まずはじめに州外のホームレスが増えて治安が悪化したことが挙げられる、彼らは当然マリファナを吸いたくてはるばる来たのであるが、今では各交差点に一人か二人は立って物乞いをしている、中にはローカルの人たちもいるが彼らにしてみれば場所を取られいい迷惑だ。治安は本当に悪くなりこの家の近くでも夜な夜な女性が一人で出歩くのはもうだめである。
また本当に多くの人たちが州外から引っ越してきて道は混み、住宅価格は跳ね上がりアパートなどの家賃も高騰しているのが現状である、なぜなら転入により住居の絶対数が減ったために不動産屋が価格を上げてもその価格で住まざるを得ないと言うことである、これにより元々の地元住民が転職の都合で会社の近くに引越したくても、それはもう出来ないということである。
事実、私の家は買った当時(ちょうどマリファナ解禁の年)2080万円であったが今では市場価格3750万円以上という言わば博打的な価格である、これではもう不動産投資で購入したつもりだったのだが自分達の『終の棲家(ついのすみか)』と言わざる得ないだろう、残念ながらこのような浮いた不動産価格は固定資産税が高く見積もられるのみで嬉しくはない。(下記参照)
また学校では子供たちが親に代わりマリファナを友人(親に届ける)に販売しているのも事実である学校は見て見ぬふり、要するに黙認しているのが現実である(法律で容認されているため教先生は口出しできない)。
アメリカ合衆国の数少ない夏の避暑地コロラドがだんだんと住みにくくなってきているのは事実だ。

それでもマリファナは合法で良いと考えるならばそれは無知としか言いようがないだろう。
しかし人間のタイプは例えるならば数種類のブループに分けれ、1つはルールがあり難無くそれを疑いもせず守れるグループ(保守派)、または多少の知識により自我が現れルールよりも自分の意思を通したいと思うグループ(欲求不満)このグループのみが必死に合法化を推し進めている、またはルールなどはどうでもよくとにかく自分の意思を通してそれが自分にとって害でもいいという(自己破滅型)このようなグループは既に日本で大麻を育てて嗜好していることだろう、またはほんの僅かであるがルールを守りつつなおかつそれ以上の良い環境を作りたいと願うグループ、実際この僅かなグループのみが世の中を変えていく(発展改革型)などが存在する、だからマリファナ賛否論も終わりが無いように感じるがコロラド人としていえば特に要らないモノだと断言できる、これは私が脳腫瘍の後遺症に数年間悩まされながらもマリファナに頼らなかったという経緯もある。

最後に価格の話をして終わりたい、コロラドに居住していれば店舗の窓口で免許証などのIDカードを見せて、約30ドルで3センチ四方の量を買うことが出来るが州外者となると90ドルで同じ大きさである、店の中に入れば店員がどのような種類が欲しいかなど聞いてくるのでリクエストする、これは何に効く、これはどのような作用があるなどと言うが実際はさほど変わらないと感じる、またショーケースに入れられた多くのおしゃれ系喫煙具(ガラスパイプ)などもあり当然クッキーやグミも豊富で、あえていうなら大人の駄菓子屋的雰囲気だがその駄菓子の値段は高い。
また基本野外で吸うことは違反であるために自宅か自宅の敷地ということになる、ということは観光で訪れて買ったとしても吸う場所を探さなくてはならない。
マリファナはまるでペパーミントと杉(シダー)のような芳しい本当に良い香りがする、これを部屋の芳香剤としても売れるのではないかという香りであるが、煙は正反対に家畜小屋の糞の臭さである、全てのものには陰陽異なる性質があることを理解しなくてはならないだろう。

治療家としての私の考え
マリファナは終末治療には効果があるだろう、それは末期がんなどの痛み止めや命を全うするまでの鎮痛薬として考えればマリファナにでも仕事はある、しかしタバコのようにただなんとなく気分が軽くなりたいので吸うのであれば習慣性ができてしまいその煙により結局は寿命を縮めるだろう。私は完全な医療用として、日本でいうなら漢方薬のような医薬品として薬剤師や医師の処方の元でのみ管理し末期がんや悪性腫瘍などの不治の病を楽にするためだけに使うべきと感じる、そうすればマリファナの家畜小屋の臭いはやがて死を迎える香りということになるだろう。

マリファナの話はこの辺で良いだろうか。

音楽はもう愛せないだろう

私は時代によって価値が変わる音楽をもう愛せない 実に無意味なものと感じる
人が聴いて心地よいものでも それは永遠には続かない
脳がメロディーを覚えてしまえば その音楽はすぐに飽きてしまう仕組みである
音楽を奏でるために費やされる労力と時間
音楽を聴くために費やされる労力と時間
音楽を作るために費やされる労力と時間
これらすべて無駄かもしれない きっとそうだろう
人はなぜ これほどまでに音楽を求め それに陶酔するのだろうか 形がなく 時に野蛮で これほどまでに粗暴なのに
過去の音楽は消え去りやがて誰も聴こうとも それを誰も憶えてもいない
私の魂の自由は長い間くだらない音楽によって縛られていた
人の精神が弱いのは毎日毎日飽きた音楽を聴いているからか?
人には天地より与えられた汚れがなく限りがなく飽きのない音楽がある
それは風の音であり 波の音 雨の音だ
風の音に耳を傾けるべきだろう
生きている心地がする
荒波の音を聴くべきだろう
苦しさも半減するかもしれない
雨だれの音を聴きながら眠るべきだ
朝には悲しさも消えているかもしれない