エナジードリンクは『毒』でしかない⊛

アメリカには本当に多くのエネルギードリンクがあるのだが、毎年10人ほどがこれが原因で亡くなっているのは事実である。
4年間で2万人もの人が緊急救命室(ER)に運ばれているのである、これらの原因は化学合成されたカフェインや他のエネルギーの元と言われ添加されている薬品である、亡くなる多くは10代の若者が圧倒的に多く中には児童も含まれている。
例えば、アリゾナに住んでいた16歳の少女はバケーションで訪れていたニューメキシコで数缶のレッドブルを飲料後に亡くなっている。
実は大人でも多くがエナジードリンクの依存症になっていて、特に20-30歳代は顕著である、アメリカ人の多くは何らかの依存症や中毒に陥っている輩が多く、中年の主婦や会社の幹部であっても何らかの薬物依存が多く存在する。

思い出してみれば私も脳腫瘍術後に家で子供の面倒を見るためによくエナジードリンクを買って飲んだものだ、私がよく飲んだものはロックスターのノンシュガータイプのものだったが飲んだ後で手が小刻みに震えたのを覚えている、また仕事前にもよく飲んだものだがろれつが回らず顧客との会話がままならなかった、飲まないほうが良いと感じてはいたのだがついついあれこれ口実を考えて飲んでしまう、これは完全に中毒であるしかしそれらのエナジードリンクも数年前から遠ざかっている。
昨年久しぶりに一人で長距離運転の最中に途中のガソリンスタンドで眠気防止にエナジードリンクを買って飲み干しまた運転し始めたのだが、このときの運転中の軽い発作のような経験は決して忘れないだろう、危うく事故を起こすところだった。
資本主義のこの国では企業や会社が大きな力を持っていてたとえ死亡者が出ようと、缶の注意書きの文章を修正するぐらいで内容を変えたり販売を中止するようなことはない、政府にすれば税金も徴収できるのだから、しかし考えてみればあまりにも無知すぎるがそれが自由とも言えるなぜなら危険と感じれば飲まなければ良いだけで、他の大勢の『ラリった』若者は喜んでいるのだから。

アメリカでは車を運転していてもよく車の後部にエナジードリンクのステッカーを貼っているものをよく見かける、大抵はモンスターエナジーと呼ばれるものであるが(日本発売中)、コロラドにはコロラド州オリジナルのエナジードリンクがありそれは”Go Fast”という名前だ、発売以降人気があり今では海外にまで輸出されているがその味は好評でアメリカでゴールドメダル(意味がわからない)を受賞しているのであるが、この味は全く日本の『梅味』そっくりであり飲んだときは私も少々驚いた。
私があまりにも詳しく書けば書くほど購買意欲を助けているように感じられるが、健康な状態で飲料し続けているときは気持ちもハッピーでなんのお咎めもない感じだろう、しかし数年にわたり飲み続ければ間違いなく慢性疾患を呼び起こすのである、一番可能性が高いのが高血圧症だろう、当然成長途中の若者であれば死に至る。
日本で売られているレッドブルでさえこれをお読みの読者は決して飲んではならない、また日本の製薬会社が販売している小瓶の滋養強壮剤も毎日飲めば肝臓に支障をきたすのは遥か昭和の時代から言われている誰もが知ったことである。

さらに興味がある方は英語であるがリンク先をクリックして頂きたいものだ。

エナジードリンクに関連する死が34件存在する

これ以上の死。

エナジードリンクを悪用する若者。

近くのスーパーでエナジードリンクが売られている様子。

2/3.00 2本で3ドルすなわち1本150円ほどか

 

平積みされたロックスターを見れば買うしかないだろうと考える若者は多いはずだ

 

 

ラリって、ラリって、ラリればこの世に怖いものなし。。。

 

ロックスターオーガニックもよく考えたものだが、もう本末転倒だろう
 
 
もし、あなたが健康で長生きしたいのならこのような飲みのもは口にしないべきだ。
 
 
 
 
 

 

アメリカの簡単な花粉症の治療法⊛

 

スギ花粉症であろともそうでなくても、とにかくはっきりしたアレルギーともわからず長引く風邪かと思い毎年苦しんでいる人は多いだろう、ある意味お気の毒としか言いようが無いが。
私自身もここ数週間ひどい咳と黄色い痰、また粘膜性の多量の鼻水に悩まされ深夜まで眠れない日々が続いていた、風邪と思っていたのだが熱も体のだるさも無いし本当に変な症状だと感じていたのだが、それがようやく極めて初期のアレルギー性気管支炎であると判明した。
異常気象ともいえるここ最近の長雨で何らかの植物が異常を来たしたのだろう、例えば大量の胞子か菌を発散したか大量の湿り気と同時に未だかつてない何かが空中に大量放出されたのだろうか、考えてみれば日本の春のスギ花粉も明治時代から植樹しはじめた林野庁の責任でもあるが、乾燥と空気の汚れも重なり人体が拒否しアレルギーとなってしまうのだ。

そこで今回は小麦などの食物アレルギーは別として、季節的な花粉やある種類の植物が原因と考えられるアメリカでのアレルギー対処の方法をお教えしたい。
それは自分が住んでいる近くで採取した100%の純蜂蜜を毎日朝夕大さじ2-3杯を舐めるのである。
症状が重く年数が過ぎているのなら少なくとも数ヶ月間、半年は必要だろうかまた蜂蜜は中医学では便秘改善の効果もある(以下参照)。
ここで一番大切なことは地元の蜂蜜であり遠く離れたところのものではない、なぜなら今時分が住んでいる周りの植物と環境が違うからである、要するに蜂蜜に含まれる植物からもたらされたモノによって自分の体内で免疫を作るのであろうか(はっきりした要素は不明)。
しかし、これがアメリカで行う初歩的なアレルギー対処であり、これを始めてから自分の咳も完全ではないが急に収まり、これは当たっているのかもしれないがこんなに早く改善するものだろうか。

日本でこのように身近な場所の蜂蜜が手に入れば良いのだが、○○県産蜂蜜とでも検索すれば良いだろう。。。

もう一つ。花粉で目に痒みを感じるのであれば、ワセリンなどの粘着性の高いクリームを薄く目の周りに塗る事でもかなり痒みが緩和される。また、同様に鼻の穴の周りに塗る事でも多少の鼻水などの症状を緩和させることができる。これは外科的な処置だが。。。

憤!冠水⊛

日本での休暇は友人と会い従兄弟との会話を楽しむなどで45歳のおっさんとしては有意義だった、しかしコロラドの自宅に帰れば予期していない事態が起きていた、それはここ最近の46日中31日が雨ということに起因している。

 

なんと地下が冠水していたのだ。
築72年の家は長年の風雪にも耐えてきたろうが、残念ながらこの異常な長雨には耐え切れなかったようで、コンクリートの割れ目からは気の根っこや泥水がまるで湧き出ているかのように流れ出すのだが、この事態に私は地下の改装と言うよりもいっそのこと埋め立ててしまったほうが良いのではとさえ感じた、いやあるいは日本式の『釣り堀』でもはじめてご近所の人に開放するべきかもしれないとさえ感じた。
今年の夏はどうやら私はこの仕事で頭が一杯になりそうであり今回の帰省した日本での想い出を胸にこれからコンクリートの修繕に汗を流そうではないか。

在米7年目を迎え私は日本人でなくなったか⊛

現実というものは容赦ないものである。

今回私は家族で数週間の帰省し日本を満喫するつもりだったのだが、数年のアメリカ暮らしの感覚は日米の文化の違いや気質の違いに溝を作り、結局は生まれ育った田舎の透き通った海で息子と釣りをしたことしか印象に残らなかった。
私的にはアメリカで暮らしていても自分自身は日本人であり自分の感覚もモノの考え方も何一つ変わってはいないといつも感じていたのだが、あるいは自分自身変わらないでいようとしていたのだがアメリカ人伴侶とのアメリカでの暮らしはじわじわと確実に自分を変えてしまっていた。
悲しいことだがある意味以前の自分はこのような日本の世界で生きていたのだと痛感してしまい、もし女房と結婚せずアメリカに渡らなかったら自分はどのような気持ちで今頃日本で何をしていたのだろうかと家の布団の上に横になり天井を見ながらひとしきり考えた。
だからといってアメリカで暮らすこと自体が誰からもうらやましがられるような凄いことでもなく、反対にこれから日本に帰ってしまいたいという思いも無い。
しかしながら自分が生まれ育った海が見える小高い丘の上に立つと、自分が今もっている全てを投げ出してもいいからこの丘の上に小さな小屋でも作り、自分が老いて一生終わるまで一人ここで暮らすのも悪くはないのでないかと考えたのは事実だ。
結局人は長年自分の国を離れると自分の国の風景や自然しか頭に残らないようであり、今回自分がこんなにも美しい自然と日本海に囲まれた環境で幼い頃から暮らしていたのだと感じた。

今回ほど日本人の国民性を痛感しアメリカ人の豪快さや曖昧さやいい加減さに親しみを感じたこともないだろう、日本人は感情や気持ちを素直に表さずいろいろと考え過ぎであるが後で考えればその考え自体はほとんど無意味であるように思える、また自分の気持ちを表すのは怒ったときだけでそのときは既に誰かの忠告など聞く耳すら持っていない。
あまり深く物事を考えなくても自分を素直に表現するべきだろう、それは別に悪いことでもなく別に傷つけるわけでもないのだから。
昔よく島国根性という言葉を聞いたものだ、しかし今回残念ではあるがそれが浮き彫りとなって感じてしまっただろう。
しかし言っておきたいが、全ての人の視野が狭く度量が無く臆病で自分もみんなと同じでなければ安心しないという人ばかりではないと願いたい。
しかし昔から続いている封建的な日本社会が多くの自殺者や精神疾患を生み出しているのは事実だ、要するに物事は上から下に流れ『主従的』でありこのような社会で個人の考えや権利を簡単に主張できない社会的な仕組みが完全に成り立ってしまっている。

日本中どこへ行っても街は掃除されきれいだがそれは人の気持ちと対象的である、人間は本来不完全な生き物なのだからある意味いい加減で堂々と不器用、それでいて陽気なバカでも全く構わないのだ、しかし日本の社会はそのような人間ですら大きな器で受け入れなければならないだろう、日本の社会にいま不足しているのはお互いに許し合いお互いを受け入れる気持ちではないだろうか、まるで日本中どこへ行っても空しい欲と誰かへの恨みのような人の怨念が渦を巻いているかのように感じた。

在米7年目を迎え私は日本人でなくなったか。。。

現実というものは容赦ないものである。
今回私は家族で数週間の帰省し日本を満喫するつもりだったのだが、数年のアメリカ暮らしの感覚は日米の文化の違いや気質の違いに溝を作り、結局は生まれ育った田舎の透き通った海で息子と釣りをしたことしか印象に残らなかった。
私的にはアメリカで暮らしていても自分自身は日本人であり自分の感覚もモノの考え方も何一つ変わってはいないといつも感じていたのだが、あるいは自分自身変わらないでいようとしていたのだがアメリカ人伴侶とのアメリカでの暮らしはじわじわと確実に自分を変えてしまっていた。
悲しいことだがある意味以前の自分はこのような日本の世界で生きていたのだと痛感してしまい、もし女房と結婚せずアメリカに渡らなかったら自分はどのような気持ちで今頃日本で何をしていたのだろうかと家の布団の上に横になり天井を見ながらひとしきり考えた。
だからといってアメリカで暮らすこと自体が誰からもうらやましがられるような凄いことでもなく、反対にこれから日本に帰ってしまいたいという思いも無い。
しかしながら自分が生まれ育った海が見える小高い丘の上に立つと、自分が今もっている全てを投げ出してもいいからこの丘の上に小さな小屋でも作り、自分が老いて一生終わるまで一人ここで暮らすのも悪くはないのでないかと考えたのは事実だ。
結局人は長年自分の国を離れると自分の国の風景や自然しか頭に残らないようであり、今回自分がこんなにも美しい自然と日本海に囲まれた環境で幼い頃から暮らしていたのだと感じた。

今回ほど日本人の国民性を痛感しアメリカ人の豪快さや曖昧さやいい加減さに親しみを感じたこともないだろう、日本人は感情や気持ちを素直に表さずいろいろと考え過ぎであるが後で考えればその考え自体はほとんど無意味であるように思える、また自分の気持ちを表すのは怒ったときだけでそのときは既に誰かの忠告など聞く耳すら持っていない。
あまり深く物事を考えなくても自分を素直に表現するべきだろう、それは別に悪いことでもなく別に傷つけるわけでもないのだから。
昔よく島国根性という言葉を聞いたものだ、しかし今回残念ではあるがそれが浮き彫りとなって感じてしまっただろう。
しかし言っておきたいが、全ての人の視野が狭く度量が無く臆病で自分もみんなと同じでなければ安心しないという人ばかりではないと願いたい。
しかし昔から続いている封建的な日本社会が多くの自殺者や精神疾患を生み出しているのは事実だ、要するに物事は上から下に流れ『主従的』でありこのような社会で個人の考えや権利を簡単に主張できない社会的な仕組みが完全に成り立ってしまっている。
日本中どこへ行っても街は掃除されきれいだがそれは人の気持ちと対象的である、人間は本来不完全な生き物なのだからある意味いい加減で堂々と不器用、それでいて陽気なバカでも全く構わないのだ、しかし日本の社会はそのような人間ですら大きな器で受け入れなければならないだろう、日本の社会にいま不足しているのはお互いに許し合いお互いを受け入れる気持ちではないだろうか、まるで日本中どこへ行っても空しい欲と誰かへの恨みのような人の怨念が渦を巻いているかのように感じた。