仕事。これは生きていくうえにはやらなければならないことであるが、男(女)ゆえ価値ある大きな仕事をしたいものだ、しかし今の仕事が自分に合っているかどうかでこれからの人生の意義も大きく変わってしまう、自分にとってこれぞという仕事が意外にも自分の本領を発揮できる仕事でないかも知れない。
結論から言えば自分の天職と思いやっていることが、本当に自分の天職かどうか判断する方法は簡単でそれは単に周りの人間の評価で簡単に見分けがつくだろう、たとえるなら自分は陶芸家として多くの作品を焼いてきたが誰も良い評価をしない、ならばその仕事を辞めて違うことを仕事とすべきだろう、ファイナンシャルプランナーとして肩書きを持って堂々と仕事をしてもアドバイスした自分の顧客がそれでも自己破産寸前にまでなるようなことになれば当然その仕事としての顧客に対する助言は価値が無いだろう。
逆に自分があまり好きでない仕事でも周りの人間が高評価をするのであればそれは意外な天職かもしれない、当然好きではない仕事でも自分のものとなる時が来る。
私が昔浸かっていた世界では才能の無い上司が才能のある部下を管理する立場に居たりしたことがあるがこれはある意味両者にとって不具合な環境だろう、確かに収入を得るための職業は重要であり辞めることは容易いことではない、しかし自分に与えられた人生という時間内で自分らしく生きるためには精神が狂うまでその仕事にしがみ付いている必要もないと感じる。
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| 【女房】 |
才能は人生の状況により変化し与えられるのである。
例えばよくこういう話を聞く『昔はこんなこともっとできたのに今は難しい』、『私はこんなこと得意ではなかったんだけど出来るようになっている』、もしこんな状況があればそれは才能が変わってしまったのだといえる、神がいるとすれば神は人生の状況によりその場に応じて小さな才能を即座に与えられる(収入を得るくらいの才能)、またそれに気づくのは簡単で例えばこの仕事をすれば意外と気分がいい、あるいは結構うまくいく仕事などがそれだろう、もしこのような状況にあればその仕事を続けるべきであろう、また以前の仕事を未練がましく思うこともない。
世間で持てはやされる仕事に転職する必要もない、トラックドライバーなら時間通りに荷物を届けることができるのも才能であろうし技術だろう、環境衛生社の車に乗ることで糞尿を上手く汚水層から吸い出しホースを早く巻き取るのも才能だろう。
しかし日本の今の風潮では格好いい良い仕事というのは世間が作り上げてしまい、その他陽の目の当たらない世間の多くの大切な仕事の本質を見失ってしまっている、分かりやすく言えばカタカナ職業が天職の場合もあれば一般的に人気のない仕事に才能を見出しても大変結構だ。長年努力してやっと就いた仕事が実際は才能もなにも無いことがあるかもしれない、しかしそれなら学んでいる途中でそのことにもっと早く気付くべきだろう。
別に弁護士だけが最高の仕事でもなく女優業の場合でもそうである。庭師やペンキ屋や鳶職が世間から取り上げられないとしてもその分野で天職を見出せば真の充実と幸せを感じるかもしれない。
今の日本は自分の選択した人生設計のやり直しができないと言うがそれも世間が作り上げた価値観で実際はそうではないと遠くアメリカで暮らしていても感じる。
日本でまたオリンピックという世界規模の祭りが来るのに国内にあふれている意気のいい若者を使わずに、建設業界の人手不足を海外からの労働者に頼り受け入れるということは全く日本経済にとって本末転倒だろう、この建物を造るという極めて基本的なことが社会・人間にとってどんなに素晴らしく大事なことなのか若者に再認識させることが重要ではなかろうか。
もっと早くから自分の大きな才能を見つけ出すにはやはり周りの人間のアドバイスが重要だろう、親に聞くのも良いだろうし、学校の教師、習い事の先生や家庭教師もそうだろう、友人もしかりだ。
私は高校卒業後、洋裁の学校に入学し、縫製やデザインを学び型紙からジャケットやブラウスを作ったりした、しかし私と仲の良かった立体裁断の女講師は当時10代だった私にこの分野での才能が無いことを悟らせ広告業界への転身を強く勧めた、当然子供だった私は憤り頑としてでもファッションデザインの世界にしがみ付こうとしたがその後学校をあえなく中退した、中退後フランスに1人旅行しパリで本場のファッションはどのようなものかをじっくり見聞するつもりだった、しかしその前にあまりの文化の違いとファッションに対する認識の違いに大きな衝撃を受けたのを今でも鮮明に覚えている。当時の日本のDCブランドブームなどはまるで子供のお祭りのような感じで全く本質が無いことが分かってしまった、しかしフランスは街中犬の糞が多いが計り知れない大人の国で洋裁に関しても日本と比べ価値観が違い過ぎた。。。
結局その数年後広告業界に身を置き結局10年以上業界で懸命に働いた(食うだけの金は何とか稼いだ)、しかしそれもアイデアが底を尽き30代で業界を去った。
自分は才能が変わったと言いたい、結局今の仕事に就くまで大学も入りなおし時間と金は相当かかったが後悔はしていない、それどころか充実している。実際昔と比べると収入も少ないだろうしかし考えてみれば収入と仕事の満足度は必ずとも比例しないようだ。
今思えば当時の洋裁学校の講師に感謝している、しかし幼かった自分は『核心』を突かれカチンときたが、それでもそう言われたなら謙遜にそれはどうしてか聞くべきだった。
私は日本で何回も人生で大きな転機(挫折・失敗)を繰り返し結局アメリカに吸い込まれた。
最後、看板職人だった親父から鍼灸や按摩のいわゆる代替医療の分野に入るように高校生のころ勧められたが私はオヤジ気でも狂ったかと聞く耳を持たなかった、しかし女房はこう言う、それは私のことを良く知っている者の大いなる助言だったと。
天国の父よ。
