爆笑! 外国人オーナー寿司屋の実態*

アメリカに多くある寿司屋はアジア系オーナーのところが殆どで、日本人経営の寿司屋は全体の5パーセントにも満たないだろう、私は毎回アメリカの寿司屋に行くたびにわざとカウンター席に座り日本語で板前に話しかける。
今日はいい天気ね、新しいネタはあるの?。
などとアジア系の板前に話すと、ほとんど彼らはキョトンとしているか質問に応じずただニコニコしている、ニコニコするのは良いがあまりにもニコニコされるのも気持ち悪くなるものだが、どうやらこの店の彼らも言葉が分からないようでここも『偽(にせ)』かと思わんばかりである。
今週は女房の誕生日と言うことで、好きな寿司の食べ放題があるということで、オーロラ市にあるSUSHI KATSUに足を運んでみた、値段は時間制限なしで千円ぐらいだ。
店内は韓国風のデザインと日本のちょうちんがミスマッチだ、板前はラテン系でなんともややこしい。しかしなんと混んでいるのだ、待ち時間20分でどんどん客が入ってくる人気ぶりだ。

『いら?しゃいませ???!』
え!何だ、このお客に掛け声をかけていながらまるでそれが正しいかどうかを人に尋ねているような言い方は?と思ったが、カウンターの日に焼けたラテン系板前にこう言われると、わざと日本語で質問するもの馬鹿らしくなり、私はただ『オラ(やぁ)』 と小声で言うのみだった。
私は早速オーダー表に印をつけて店員に渡す。
アメリカの寿司店では短冊のようなメニューのオーダー表にネタの名前がありその隣にチェック印を入れて渡す仕組みであり合理的だ。
ついでにサードオーダーも注文しイカの天ぷら、とんかつ、シュウマイを頼む。。。
しかし出てきたものはイカの天ぷらではなく巨大な『天かす』。とんかつではなく駄菓子屋の『ビッグカツ』そのもの、シュウマイだけは冷凍ものだがまあまあいけるだろうか。

豚カツと称されるこの食べ物は外側の衣の食感しかない

さて、肝心な寿司であるが出てきたものを見て本当に驚いた、なぜなら寿司が信じられないほど小さいのである。店名をミニチュア寿司、或いはミニミニ寿司それとも今風にチョロQ寿司とも改名するべきだろう、これでは寿司KATSUではなく完全に寿司MAKE(負け)というところだ。
しかしこんな小さな海老どうやって選別したのだろうか、おそらくこのような大きさの種類なのだろう、玉子も器用に三角形に切っているという神業だ。
また、カウンターを覗き込むと何やら板前がまるで粘土細工をしているような感じでこれらのミニチュア寿司を作っているではないか、私はその真剣な職人芸的光景に笑いをこらえることができずとうとう他の客には悪いが思いっきりむせてしまった。

小指と比較しこのシャリの小ささがわかるだろうか タコの大きさも忘れずに見よ

その昔、宣教師時代に愛媛県今治市で布教をしていたころ『10円寿司』というところへ言ったことがあるが、そこの寿司よりもサイズは小さく私の小指の半分ほどである。
しかしこのような寿司でよく商売が成り立つものだと思いたいが、アメリカ人連中は実際のにぎり寿司の大きさを知らないだけなのだ、おそらく彼らが日本で寿司を食べることになればおそらく強大な寿司に驚くことだろうし、これは本当に普通サイズの寿司なのかと、逆に寿司ショックを受けるのは言うまでもないだろう、全くかわいそうな連中だ。

しかし私はつかの間のミニ寿司を女房と堪能し腹の底から吹き上げる笑いをじっとこらえた。

ウェブサイトはいい出来だが。。。
四国にお住まいなら、行く価値は十分ある新鮮なネタだ。

 

除雪ピックアップトラック大いに役立つ*

3月のコロラドは雪の季節である。
朝、乾いた軽い雪が辺りを埋め尽くせば昼の日差しで解けて夜には凍りつき厄介なことになる。
道には融雪剤はまかず市の除雪車で細かい砂利をまくがこれが原因でフロントガラスは他の車が巻き上げた砂利で簡単にヒビが入る、いい迷惑だ。

アメリカでは冬場よくピックアップトラックに除雪機をつけた車を見かける、またこれを専門とする除雪屋といわれる自営業者もいる。

日本ではこの形のトラックは現在ほとんど見かけないが、特に農地が多いアメリカ中西部では需要が多く日本のメーカーも多い。

通常のトラックに排土板をつけただけであるが、V8エンジントラックの馬力は意外とデカイ。

排土板は上下左右と動き目視しながら片手で操作しているようである。

日本では除雪費用が過去最大などとニュースで流れ、市町村は除雪費用に多大な出費をするが土建屋だけが下請けにならずもう少し工夫はないのだろうか。

日本の重機メーカーもこのような備え付けられる四駆自動車用除雪機を考案できないものだろうか。このような車が各町内に一台あるだけで冬場の除雪は十分だろう。

 

脳腫瘍術後二年目*

本当に早いものである。
脳腫瘍というデキモノが頭の中にでき、それを取り除いてから二年が過ぎた。
二年の月日というのは思ったよりも長いようで、脳腫瘍があったことさえ忘れかけている、そのくらい回復したと言うことかもしれないが。
二年が過ぎるまではちょっとしたことでも怒り、その怒りは二日ほど続き自分ではどうしようもないほど気分をコントロールすることは難しかった。。。
風邪をひけば、今までの強い薬により抵抗力や免疫力が少なくなり、病状は重く回復には時間がかかる。
一度疲れれば2、3日は疲れが取れず滅入ったものだった、このブログを始めたころはそんな病気の予兆もなかったが、このブログのコメント欄でも読者の皆様に励まされたことに心から感謝したい次第である、ただそれらの公開不希望のコメントは公表していない。

しかし病によって多くのことをあきらめ、新しい人生のスタンスを考える良い転機になったことも事実である。手術後にベッドの上で考えていたことは亡くなったオヤジのこと、小さい頃の友達、同級生、上海の大学での友、仕事で世話になった人などよく考えてみれば人のことばかりで、実際に死ぬ時もこんなものだろうかと思った。
自分の名声や金欲などどうでもよく、自分が好きでやっていることよりも本当はもっと何か目に見えないものが大切なのだろうと感じた。仮に天国があるのなら、死ぬときには現金も好きな車も持ってはいけないがこの世で得た多くの経験や失敗やその時に得た自分の『徳』は持っていけるだろう。
結局、今まで価値があり楽しいと考えていたことには価値を感じなくなり、飾り気のない自分になっていくのがわかるがそれでもいいだろう。

最後にこれだけは言えるが、この世の多くの人間は実に価値のないことに多くの神経を使いすぎて 人生や家庭をややこしくしているのだ、大切なことはすぐそこにあり目には見えないものだろう。