暖炉用『薪』の値段*

日本にいる友人の一人は家で薪ストーブを使っているが、この冬の薪は確保しただろうか。。。
今自分たちが住んでいる古アパートは古いながらの暖炉がある、これがまたいい雰囲気を出している。私がこのアパートに決めた半分の理由は暖炉があるからだろう。

大体この大きさで3ドル50セント、約300円ほどだろうか。ビニールでパッケージされていてコロラド州原産である。

金具でできた土台の上に薪を横にのせ、始めは大きいのを二本ぐらい並べ紙を燃やし点火する、数時間後に燃え尽きそうになればカチカチ赤い炭の上にまた新しい薪を静かに乗せる、この方が薪の量が節約できて経済的だ。しかし早く部屋を暖めたいときは当然ジャンジャン薪をくべる。
鉄のレースのカーテンはパチパチと飛んでくる火花除けである。

 

食事も終わりうるさい息子も寝た後は暖炉の火を見ながら、しばらく時を過ごす。
暖かい火と食べものがあるだけで、人生それだけで良いものだ。

結局、アメリカでは無骨で不器用、寡黙な男は損をするか*

日本では無骨であり寡黙(かもく)な男は何かありそうで男にも女にもモテるものだ、たとえ器用でなくとも。また他人から信用される男もどちらかといえば少し無口なほうが良いかもしれない、雰囲気が軽めの男はビジネスの世界ではおそらく軽く見られがちだろう。
しかし自分の芯を突き通す姿勢は『格好良い』かも知れないが、残念ながらここアメリカでは少し様子が違うようだ。

 

アメリカ社会で成功する男は、社交性があり明るくそれでいて『ナイス』である、このナイスとは人当たりがよく感じがいい、ということである。グループの先頭きって明るく振舞っているような男だろう、しかし日本でこの手の男は、何だ奴は!と嫌われるかもしれないタイプだ。
あなたがもしアメリカに住んでいて成功したいのならば、誰とでも気兼ねよく話し友好的な関係を持つべきだろう、それがたとえうわべだけでも構わない。暗い話やネガティブな事柄あるいはそんな感情を表せば人はもう近寄らない。アメリカでは表面的なところで人を判断することが多く、しばらく付き合いその人間の内面を見るようなことはせずその人が本当はどんな人間か、など気にしない。ということは誰とでも本音で付き合わないほうが良いという事かもしれない。

実に合理的であり物質的な世界であるがこれが資本主義国家であり民主主義のアメリカだろう。

2012意味深な大統領選投票用紙*

それにしても、日本のメディアは毎時間アメリカ大統領選挙戦の速報を流しているようだが、日本がアメリカの51州目の州になる日もそう遠くはないようだ、この報道の仕方はGHQが日本にまだ存在するようだが水面下では日本はまだ占領下日本か。
私の女房は共和党員であり毎日選挙宣伝の電話が鳴り止まなかった、私が電話に出たときには自分は外人で投票はできないが女房は既に誰に投票するか決めている、と言うことにしていた。
とにかく今回の選挙は郵便で投票したがこの投票用紙は実にアメリカを表している。

一番左側には多くの大統領候補者の名前と政党があるが、ご存知のように小さい政党がいくらがんばっても議員数で既にオバマかロムニーが大統領になることは決まっている、だとしたら自分が小さい党に属していても今回は意味がないわけだから自分の政党のことは気にせずどちらかに票を入れるべきだろうと感じるが、とにかく候補者を選ぶには矢印をつなげるのみである、投票所ならパンチで穴を開ける。
またこの用紙はコロラド州のものなので大統領選の隣には州立大学の学長を選ぶとか市内の電車の理事長を選ぶことも兼ねている。

本題だが、大統領選の欄の左中間下でコングレッションの上には『WRITE IN』とあるがこれは『書き入れろ』という意味になる、要するに自分が大統領に選びたい人物がこの欄(今回の選挙)にいなければ自分が大統領にふさわしいと思う人物の名前を書けばよいのだ。
もし自分の飲んだくれの夫がアメリカ大統領にふさわしいと思えば、旦那の名前を書き入れれば良い、逆に自分より頑固な妻がふさわしいと思えばここへ書き入れれば良い、名前のせいで誰からも咎められることはないし、攻められることもない。
『自由の国アメリカ』というより、これこそ”Freedom of speech” 言論の自由なのだ。
しかしながら、中にはドナルドダックやミッキーマウスなどと書き入れるおバカもいるわけだが、実際には自分は小さな党に属する党員だが今回の代表(候補者)を支持していないとか、単に『票を散らす』働きもある、とにかくこれで日本のように投票に行かない人が減れば良いことだろう。
日本でも『言論の自由』と憲法で保障されているが、アメリカの民主主義の『言論の自由』とは意味が違うのだろう。日本では多くの媒体が個人に対し誹謗中傷し、それをまるで『言論の自由』であるかのように謳うがそれは人としての道徳から逸脱したきわめて幼稚で未熟な考えであり行動だろう。

脳腫瘍術後一年9ヶ月*

 

病気になることは人を謙虚にさせるか、またはその逆だろう。

私はこの病の後には全ての趣味をやめて静かな人生を歩むことに決めた。
しかし静かな人生といっても子供の面倒や自分の仕事は大切なことである、要するに人生でさほど大切なことではないものは他の人に任せようと言うことである、ギターなら自分より上手くそれで金儲けをしているプロにまかせ、サーフィンならそれを職業とするプロにまかせて自分は浜辺で見る側になろうということである。人は若ければ若いほど自分は何でもできると思うものだ、しかし習う時間(努力)や才能など実際は限られてくるものである。
正直、自分はこの回復期にかなりの気力を失って手術前の自分の状態を忘れてしまった。サーフィンやギターの趣味もまるで遠い昔の自分ではない誰かの出来事のようだ、こうなればもうそのあたりのことを考えるのはやめて、仕事のことさえ考えれていれば良いだろうとさえ感じる、そういえば中国の医大の先生たちも仕事以外趣味といえるものは持っていなかったような気がする、ある教授は旅行でありある老師はアパートのプールでの水泳であり、これらは趣味ではなく余暇の過ごし方だろうか。中国人はインテリ層(これは金持ちと言う意味ではなく)になればなるほど質素である、私のアメリカ人顧客の医師でさえ趣味は特に無いと言い大きな家に住んでいるが自分の才能がいまだにわからない人間ほど多趣味なのかも知れない、それだから結局なにも大成しない。

最近2,3ヶ月は調子の良い時期が続いていたがここにきてまた睡眠時の小さな発作もあり具合はよくない、張り裂けんばかりの頭痛もあり首の後ろ側が締め付けられるように痛くなれば、それは悪いサインでありその後激しい頭痛と軽い発作が起こる、原因はあるだろうがこの脳腫瘍は未だに未知の病らしい。処方した漢方薬も飲んでいるが良くなれば飲まなくなるのはやはりダメか。
私のこの髄膜下脳腫瘍は良性であり摘出術後の心配は基本的に無いのだが一回でも脳を開けてしまえば、まるで空気に触れたことによって頭の中の雰囲気が変わってしまったような感じがする。
仕事は週に一回行き後は息子の面倒を見ている、傍から見れは楽な暮らしのようであるがこの『子育て』というのはかなりの重労働で食事を与えオムツを交換し泣き叫ぶ息子をふらふらの意識朦朧の体であやして抱きかかえるのは至難の業である。今のところ仕事日と週末が束の間の精神的な休息であるが前触れの無い頭痛とだるさによって週末に予定していた事のほとんどはできない、ただ青い空を見ながらとまどろむことになる、こうなってくると、ただ生きているだけでも良いことだと感じるが、今の自分の楽しみは『食べること』と『寝ること』、それからジムでの『サウナ』、あるいは『ショパン』や『ケニーバレル』を聴くことか。。。
このアメリカという国で暮らし存分に人生を楽しんでいる人も大勢いるだろうが、自分はそれに対して特に嫉妬など無く、だた自分が生きていることと家族や日本に友がいることに毎日感謝している。

二年後