我が家 売家*


Mule Deer Place Littleton, Colorado U.S.A. 80125
この家を売ることを決めた。

アメリカで家を売ることは大きな決断を要することではなく、人々はまるでアパートを変わるかのように引っ越していく。
いま住んでいるコロラド州ダグラス郡ルックスブルグに愛想を尽かしたわけではないが、一言で言うと不便である。どうしてこのようなところに住みたがるかは安全を優先した結果だろうが、同時に退屈と不便がセットで付いてくる。
しかしながらこの地区は全米で住みよい安全な地区として7位に入るらしい、本当なのだろうか。
この地区自体は10年ぐらい程しか経っておらず、デベロッパー大規模に宅地造成を行う企業体が土地を買い上げ、不動産業者が家を建てていったところである。同じような家が並んでいて、無味乾燥である。私に言わせれば田舎ながら極めて視野の狭い考えを持った地区と言いたい。家の外見や庭のデザインは簡単には変えられず地区の承認が必要だが私に言わせればこの殺風景な住宅地をつまらないルールで維持する魅力は無い。水道代には一ヶ月基本料8千円はかかり、固定資産税は、デベロッパーが倒産してからは年に25万以上払わなければならない。日本でこの環境なら固定資産税はどうだろうか。

冬の夜はコヨーテの鳴き声を枕元で聞き、翌朝は庭にキツネの親子がいるといった環境だが、田舎なら周りに何も無い一軒家の田舎を望みたいところだ。ここからダウンタウンの仕事場までは40キロ離れていて交通機関は無く、15キロ離れた途中の駅まで車で行くしかない。
私の仕事(セラピスト)は顧客の家に訪問することもありこの場所は仕事に対し難しい、週二回のダウンタウンでの仕事も冬場の氷点下25℃では行くことすら億劫だ。
家を売ることはこの家の注文主である妻にしてみれば大きなことかもしれないが、彼女が独身時代に家を買うことはある意味無計画のようだったようにも感じる、どうしてここに家を買ったのか結婚後、幾度か話し合ったが彼女は挙句の果ては泣くだけで、その感じから男友人と不動産業者にうまくのせられた感じさえする。(私の見解だが)

結局、考えに考えて家を売り払い少しばかりここよりは便利なところへ引っ越すことに決め、売りつけた不動産を使い中古として売らせることにした、価格は2195ドル2080万円程だろうか。日本で言うところの庭付きガレージ付き3LDKだろうか。
高く家を売るには本当に手間がかかるのを痛感した、カーペットの張替え、故障箇所の修理、部屋の再塗装、地下室の塗り替えや、庭の工事など、私一人で行ったのだがもう懲り懲りだ。
アメリカでは専門業者を使うことは本当に費用がかかる、そのせいかDIY Do it yourself (自分でする)と言う言葉が広く浸透している。

アメリカでは、金持ち父さん貧乏…の本の流行もあってか多くの人々が家を購入した、数年前の話だが。しかしながら、経済の悪化で会社を解雇され、あるいは銀行からの貸付利子の高騰で利子だけ払うことが精一杯となり人々は家を売り払い、またはローンを払えず銀行から立ち退きを強制されてあえなく多くの人は家を失っていった。そのような家は超格安である。
アメリカ人は必要以上に大きな家に住み、多くの車を所有しボートまで所有している。本当にそれが必要なら良いのだが必要でないのなら、何故かという疑問さえ浮かんでくるが、それは早い話『見栄』の一言で片付いてしまう、当然多くは借金まみれらしい。
作曲家ブラームスは有名になり名声が出ても質素なアパート暮らしをし、自分はこれで良いのだといったことに私は心動かされた。
映画『寅さん』の渥美清さんも亡くなるまで、都内のマンションで夫人と質素な暮らしをし、車さえ無かったそうだが、彼らはモノでなく違うことに目を向けていたのだろう。
最近、アメリカでも日本でも必要以上の暮らしをしている人を多く見るが、うらやむ気持ちは皆無だ、逆にモノの少ない、まるで茶室で暮らしているような人もいるがそれはそれで少しやりすぎとも感じるが。。。
建築家の安藤さんも話しているが、家族仲良く住みよい家というものは結局のところ『こじんまりした家』になるということらしい。実際、必要最低限の中で生活すると、何が自分たちに一番大切なのモノかがわかるような気さえする。
私自身、本当に大切なものは目に見えないものだと感じる。それが人の『情』であるかもしれないし、『空気』であるかもしれない。

この家は結局、 2012年9月に売ることができた。

アメリカ人、土地への執着心*

『ここは先祖代々の土地だから』、『ご出身はどこですか?』、『なにか少し訛りがありますね』など、日本ではよく聞く。
日本人ほど生まれた土地、先祖から受け継がれた土地を大切にする民族も他にはいないだろう。
70前代、成田闘争をテレビで見、空港予定地に横たわり反対活動を続ける住民や農民などは今も忘れない。今もバラック小屋が空港地内に残っているそうだが、日本のような先進国で起きている話であるとは、全く信じられない。
なぜ、土地への執着心がこれほどまでに強いのだろうか。
例えば、アメリカで空港建設に反対する住民が現れ、日本のように過激派集団と結束するようであれば、警察あるいは軍が出動するだろうし、裁判でも勝訴する可能性はまず無いだろう。そもそも建設計画が起きた時点で国は住民に対し保障するだろうし、将来に対しどう考えても良いことなら結局住民も協力するだろう。そのためにアメリカの大型新空港はどんどん不便なところ建設される、日本の場合は文句の出ない海上ということだろうか。

私の田舎でも川に新しい橋ができることになり『三国大橋』、地元建設予定地町内会では意見が分かれ、早々と町が用意した新しい土地に引越し『三国ポートタウン』家まで建てた人『松さん』もいれば、頑固に建設予定地に居座る食料品店や電気工事店が現れた、空になった更地と古くからの店の景観は対照的である。おまけに食料品店の店主は昔ながらの郵便ポストまで新しくするなと頑固で、全く理解しがたい話だ。さらに建設予定地で家の建て替えまでした大ひねくれ者まで現れ、各人の根性まで丸見えだ、まったく笑い話に近い。
住民は昔ながらの街の雰囲気を残したいのだろうが、よく考えてみれば後世には新しい橋ができたほうが良いと感じる。三国町宿はフィレンチェやベニスのように重要文化財のような町ではないし、京都の町屋のように統一感も無い。ただ驚くのは、この建設計画が白紙になったことだろう。いま現在更地は更地でおまけに郵便ポストも存在する変な場所へと変わってしまった。
アメリカでも往々にそのような問題が起こるが、大抵の場合は署名運動となる。当然最後まで絶対反対のへんくつ屋も出てくるが数人の反対は問題にならないのは言うまでもない。

アメリカ人は土地への執着心が少ないように感じるのは私だけだろうか、家の購入も簡単に行い、ローンが残っていても手放し仕事を求めて州外に引っ越す、意図も簡単に。もっとも住宅に関する法律も異なるし、頭金以外の敷金・礼金なるものは存在しない、マンションなら家賃/月900ドルでも頭金85ドル(8000円)ほどで入居できる。
日本の単身赴任では、夫以外は家に残ることが往々にして多い。アメリカでは数ヶ月は別として、何年も単身赴任を経験することは考えられない、やはり子供にはうるさい頑固父親が必ず必要だ。
アメリカで単身赴任の場合は家族で新地に引っ越すか或いは退職だろう。
また最近ではインターネットで仕事ができるようになってから、ジープを後ろにくっつけた大型キャンピングカーだけで(日本の観光バスほどの大きさ)生活する家族も現れた。子供の勉強もインターネットである、ネット先には先生も存在し、国からも認められている。
彼らはアメリカをさまよい暮らす。彼らの考え方は非常に軽く、まるで宙に浮いているかのような人生のように見え、それで一生を終える。私はそれに対し肯定も否定もしない。人生はエンジョイするものと言うかごときだ。

自分の生まれ育った場所で一生送るようなことは考えにくいのがアメリカである。また都会生まれと田舎生まれのコンプレックスもほとんど無い(アメリカ南部は別だが)。ニューヨークから引っ越してきた友人はせわしないところはもう懲り懲りだと言い、カリフォルニアから引っ越してきた友人は物価の高さと住みにくさを不満に していた。私は田舎生まれのために都会で暮らしたときは少し嫌な思い(馬鹿にされた)をしたことがあったが、今考えればなんと小さな距離感での発想だろうかと感じる。日本では『県民ショー』なるお国自慢の番組があるようだが、アメリカ西部では隣町との比較ぐらいの距離感だろうか。そのような距離感で気質や性格が違うのだろうか(沖縄は別として)。アメリカではもう少し規模が大きくあなたルーツはどこかなのか?(アジアやヨーロッパ)と言う問題になる。
しかしこの土地への執着心の無さが、いわゆる『自由の国アメリカ』の考えに近いのかもしれない。

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最後に付け加えるのを忘れたが、私の田舎でもそうだが、寺の檀家、神社の氏子などいわゆる宗教に属することが、とりわけその場所への執着を高めてしまうのは言うまでもないし、ヨーロッパでは中世、あるいはそれ以前から『封建制』や『領主制』などがあり同じ土地に住み続けるしかなく簡単に引っ越せなかった。ヨーロッパは悪い意味で保守的だ。当然アメリカにはそれがら存在せず、また彼らが新しい土地に対しての不安や心配がないのもパイオニア精神(開拓者)の遺伝子が残っているからだろう。
『パイオニア精神』聞こえは良いが、その裏には先住民インディアンへの虐待と殺戮も意味している。これもいつか記事にしたい。
私はどうも同じ土地に長く居座ることは何か『停滞』を意味して仕方ないのだが。
日本人よ、新しく近くに引越して来た人を心から歓迎し、自分の人生が許す限り自らどこにでも行って多くを経験すべきだろう、もしかしたら意外と新しい未来が見えるかもしれない。
人生は実に短いのだから