初めに、今年一年時々訪れて頂いた方。新規記事がないかと待っていてくれた方。たまたま覗いていただいた方、そしてコアな読者の方々など千差万別ですが、ここに来て頂いて本当にありがとうございました。
あともう僅かで2025年も終りですが、皆さまにとって今年はいかがでしたでしょうか?
私は前立腺のホルモン療法の予後によるものか分かりませんが、文章を組み立てる能力が衰え頭に浮かんだことを文にすることがうまくできませんでした。記事アップの回数も少なく離れてしまった読者がいることも想像しています。時には文よりも動画を出した方が楽で効率的かなとも感じますが、しかしそれも大変でしょう。
年を重ねると今年、来年と区切りをつけて暮らしていくことに多少の苦痛を感じることもある。ある意味365日と言う風に区切らなくてもいいとも感じる。もっと自由に生きたいものだ。
私はアメリカ合衆国という国で暮らしているが、もう既に海外で暮らしているという感覚は自分的には無い。しかしながら、日本に帰ると「この人はちょっと変。何か違う。」と思われることもあり、海外で暮らしていることを隠すことはできない。日本に帰り自分が日本の風潮と決定的に違うと感じることは「小さなことにこだわらない、昔のようにクヨクヨしない。」ということだろう。アメリカの様な平安な場所も少なく危険で人種も千差万別ならば、小さいことにこだわっていたり、昨日のことを思い出して考えていてばかりいれば「自分はこの世界で生きていけない」と感じるようになる。しかし当然アメリカ人でもクヨクヨしながら生きている人もいるだろう。
日本のことわざには石の上にも三年という、少しぐらい辛くても我慢すれば実があるということわざだが、アメリカであれば石の上にも数分というべきだろう。自分が逃げられない状況でない以外、我慢してそこにいることに意味はないというのが西洋の考えだが、価値観の違いというのは時に、自分の生き方まで変えられてしまう。
7月には私の最愛の母も亡くなり私はかなり落ち込むだろうと察していたが、案外そうでもなく精神的には完全に中年男性に出来上がってしまった自分がそこにいると気が付いた。自分が年を取り家族亡くなると、淋しいというよりは自分も数十年すればそちらに行くだろうなという気持ちになり「待っててくれ」という感じになる。
結婚し17年が過ぎた。ほぼ相手がどのような人間であるか、どのような器を持っている人間かなど、ほぼ理解してしまうと同時に今後は相手に何の期待もできないと悟る時期が必ず来る。あえてもう少しこんな感じならいいな、と思う時もあるが過度な期待は逆に自分も期待されても仕方がないということに結びつくので、相手への期待などするべきではない。素の相手受け入れるべきだろう。17年過ごして理解できたが自分のパートナーへは加点法でなければならない。初めは0点であり、いいところを見つけ点を足していくべきだろう。初めに100点を与えれば以降減っていくしかない。減点法ならば25点で離婚もあり得るだろうから。要するに、こんにゃくにかまぼこの味を求めてもいけないし、うるめいわしにシシャモの味と卵を期待してもダメだということ。
このように他愛のない文章になってしまい本当に申し訳ない次第でありますが、読者の方々の来年(区切るとすれば)が良い一年でありますように。また話は少しづつ書いていくつもりでもあります。
ありがとうございました。筆者
いわゆる引きこもり詩人『ディキンソン』
小説を書いたり、詩を書いたりするには、ブログも含め相当自分の世界に入らないとできないことが最近分かった。雑音があれば小説なんて書けないものだ。それで作家に子供がいないのも意図があるのだと納得できる。ある意味うらやましいが、賞を取ったとしても文壇に残り続ける作家が少ないのも、ある意味その世界の厳しさを感じる。
日本にはかなりの数の人間が家から出ず、太陽の光も浴びず毎日暮らしていることは知っている。彼ら彼女らは相当自分の世界に入っていることだろう。『引きこもり』なんて言葉は誰が作ったのだろうか。単語を作ればそこで定義が出来てしまい、私も当てはまると思う人も増えるだろう。極めて悲しいことだ。「ここのところちょっと調子が悪く、家からあんまり出ていないんだ、それも2年ほどかな」と言えばそれで終わることだが、定義づけしてしまえばその泥沼から出れなくなるだろう。もしこの時代にエミリ・ディキンソンが日本で生きていれば「あーあたし、中年引きこもりだ」と感じるだろうか。
今では詩人と言われるディキンソンはアメリカ開拓時に北東部のボストン郊外に生まれ育ったが、女子専門学校卒業後は徐々に家からでなくなり20代後半以降の外出はたった数回である。人生の半ばから外に出なくなってしまったのだ。しかし彼女は生前引きこもり中に詩を書き、自分では発表していないが、後々発見されて第三者により文壇に発表されたのである。テーマは愛、自然、死、神。享年55歳
蠅がうなるのが聞こえたーー私が死ぬときーー
部屋の中の静けさは
空の静けさのようだったーー
この頃はまだアメリカ1700年代の清教徒(ピューリタン)の影響があり、ニューイングランドと言われる東海岸地帯に住む人々も彼女もそんな宗教観念の中で生きたようだ。彼女の詩は情緒的なモノが多く、日本語で理解することが難しい時があるが、英語で読んでも同じように聞こえる。何回かのプラトニックラブもあったようだが、結局50代で生涯を終えた彼女に私は同情の念しかない。しかし人の生き方は、否定されるべきではないことは知っている。
参考図書:岩波書店 ディキンソン詩集(亀井俊介編)

私には甥と姪がいるが、二人とも基本家にいる。甥は手先が器用で社会の役に立つ人間であることは誰が見ても分かるのだが、あるきっかけで家から出なくなってしまった。彼の年齢であれば所帯を持ち子供の一人でもいておかしくない年齢だが、私とも会ってはくれない。こんな時、周りの人間は嘘でもいいから励まし才能を見つけてあげて、盛ってもいいから誉めて希望と勇気を与えるべきだろうと感じる。
日本でもアメリカでも多くの人が希望を失い、誰からも励まされず、否定だけされて、社会ではただけなされて、ダメだしを食らい委縮してしまっている。人々が勇気と希望を与えあう世界が来ない限りこの世界は委縮し、思いもよらない方向へ行くことだろう。
朝のルーティーン


朝のルーティーンなんて書くと、何カッコつけてんだと首筋が痒くなる。私はそんな柄でないからだ。ただ毎朝何をしているかである。
一番早い時間で仕事を始めるのは8時である。クライアントが仕事に出掛ける前に自宅のオフィスに来るのだ。
起きるのは6時少し前。塩うがいをして、小汚い中古の湯沸かしポットに水を入れたならコンロにかけて5分温める。マテは70度ぐらいでなければならない。その間にコップにマテを入れてボンビーヤを入れておく。マテは山盛り大さじ4杯だ。それ以下でもそれより多くてもダメだ。腕のチプカシで5分経過すれば、お湯を注ぎ椅子に座って外を眺める。まだ薄暗い日もあったが、サマータイムが終わり早朝でも明るくなってしまった。
直しかけの家の屋根の上にリスが見える。彼らも早起きだ。そのリスが急に近寄り、雨どいの上に何か食べながら座ったかと思えば、股間に何か光る赤いモノが見え隠れする。ヘソか? いや違う、何とおチンチンではないか。朝からなんという野郎だ、前立腺がん治療の後遺症がある自分に見せつけているのか? それとも「お前も今日一日頑張れよ!」という早朝メッセージだろうか?
マテが飲み終わると7時頃になる。一日の予定を色々思案しながら私は1時間かけてマテをゆっくり飲むのが日課だ。数杯飲んだ6時半頃に背中が熱くなり、なんとなくスイッチが入ったことが自分でも分かる。これで一日中大丈夫だろう。今日も数人来る予定だ。マテが終われば家族と自分にオートミールを作る。私は2カップほどのアツアツのオートミールをボウルに入れて、何も味付けのないオートミールを口に運ぶ。

ほぼ、私の食べている昼食を欲しがる女房
女房のシェリーも仕事を探し始めてからもうすぐ一年が過ぎようとしている。彼女も疲れているのは知っている。自分のIT分野の仕事を探すのは一苦労だが、アメリカの職探しもある意味簡単ではあるが、9割の会社で面接の結果のお知らせが結局何の連絡もなく放置されるのみ、という形は情容赦なく悲しくなる次第だ。最終的に2週間連絡が無ければ先方の『棄却』という無言の知らせになる。そんなやり方で本当にいいのか? ドライすぎるだろう。
それでもめげず彼女は姉の会計の仕事をネットを介して手伝っているがそれでも月に多くて800ドルぐらいの収入だろうか。
そんな感じでほぼ一日中モニターを半分に分けてネットで無料映画を見ながら伝票の整理などをしている「そんなことすれば間違いも増えるだろう?」と指摘しても一日8時間以上はそうやって座っているだろうか。一回座れば他のことで立ちたくなくなるのは誰も同じだが、私が昼に蕎麦や簡単な和食を作ると匂いにつられて「何作ってるの?」「作る前に私に言ってよ、自分も食べるかも知れないから」と言う。自分の好みでないモノならもちろん興味を示さないが(例えばカップヌードル)しかし蕎麦や少しでも簡単でおいしいモノであれば興味を示す「これは自分だけに作ったんだよ」なんて言えば5秒で涙目になり「冷たい人だ」などとこぼす。仕方なく最近では(ここ何年)「たぬきうどん作るけど食べるか?」などと軽く言うことにしている。最近ではまとめて一週間分の野菜スープを私が作りそれを二人で食べている。それと小さな食パンだ。
【下の写真】スープのほかに、女房がコーントルティアに豆のペースト(リフライドビーンズ)とチーズを挟んだものを添えてくれた。

今、倖せと感じること
今、倖せと感じること。
ただ女房と買い物に行って二人でカートを押すこと。
女房の作った食事が思いのほか、おいしかった時。
息子と女房と三人で小さなテーブルを囲み夕食を共にすること。
次の休みは家族で何をしようか小さなイベントを考えること。
カーテンの間から見える夕焼けの空の間に、かすかな青空がまだ見えている時。
食卓の窓から見えるリスが忙しそうに、木に登っていくこと。
自分が生きていること。
自分がまだ生きていて、家族と話ができること。
人生はすばらしい。
小泉進次郎さんは高次脳機能障害がある
昨今の小泉進次郎議員のニュースや彼の話を動画などで聞いていると涙ぐましくなる。私も脳腫瘍の手術後想像を絶する回復期を過ごしたが、小泉さんの素振りを見ていると「あなたも脳に疾患があるのか? 脳の手術はいつごろ?」と言ってしまうような状況である。『しんじろう構文』などとも言われているが、私にとっては単に悲しい限りだ。
マスコミも一般市民も彼をバカだとか引っ込めだとか言っているが、私にはその辺の問題と思わない。そのような状況でなく彼の場合どんな職種の仕事であっても、その仕事に就ける就けないかのラインである。要するに普通に働いて大丈夫な人かそうでないかの問題であり、代議士としての資質とか、ポンコツなどという次元の問題でないことを言っておきたい。社会には一見して障がい者と分からない脳疾患の人間に対してもそれが理解できた時点で優しく見守るべきだろう感じる。
私が物流会社の仕分け作業でアルバイトをしていた時も多くの仕分けバイトが入ってきたが、一定数の割合でどうしても仕分けが遅かったり間違ったりする新人バイトが居たものだ。どうしようもなく間違いの数が多いと初めは責められるが、次第にパレットの整理や商品が詰まった時のベルトコンベアーの直し、あるいは同じ職場でもトラック会社のトラックへの詰込みなどをさせた場合もあった。昔はそれでもなるべく解雇させない方向で会社は働かせていたようだが、でも自分から理由を考え辞めていった人が多い。それが実社会の実情だ。しかし世襲議員になれば周りがおんぶにだっこをしてくれるので、ただスーツを着て髪をとかし書かれたものさえ言えばいい感じで暫らくはやっていけるが、確固とした自分の哲学すらない人間が国のリーダーになれば今後その国がどうなるかおおよそ見当はつくだろう。
クルーの居ない非常に高価なヨットが沖合の洋上で風に帆を吹かれてさまよっているような状況だ、嵐が来ると暫くは耐えていたものの一瞬にして思いもよらなかった大波にのまれ、その後は光の届かない海底に向かいゆっくりと沈んでいくのだ。そのヨットには一億人以上の乗船客がいるにもかかわらず。

イタリア『オルゾ』味比べ?
オルゾというのは、イタリアに古くから伝わる古代種の大麦を焙煎した飲み物である。日本にある麦茶も六条大麦という種類を焙煎したものである。ということは麦茶用の麦をオルゾと同じように焙煎すれば同じ味になるのかということではなく、調べた結果オルゾは日本では『裸麦』に相当するように思われる。だから麦茶とは全く味が違うのだ。
私は脳腫瘍手術後の今から14年ぐらい前からネットでオルゾのことを知って時折ウェブサイトで取り寄せ飲んでいる。オルゾを含め一般的な「大麦に含まれるβ‐グルカンは、水溶性食物繊維のひとつで高脂血症や糖尿病の予防効果があることが国内外の研究によって明らかになっている。β‐グルカンは、大麦穀粒の中心部分に多く含まれ、大麦を精麦製品や粉に加工してもその効果が変わることはない」このように医学的にも効能のある飲み物である。イタリアの喫茶店バールでもオルゾは普通に飲めてカプチーノのように朝だけというような時間の制約もない。
イタリアでは幼い子供にオルゾを飲ませる習慣もあり、昔のCMではオルゾを飲んだ幼児が元気に家の中で暴れるCMも存在する。世界には麦芽飲料『ミロ』というものが存在するが、あれはインスタントコーヒーのように焙煎したオルゾをフリーズドライにしてココアを添加したものである。しかしオルゾに牛乳と砂糖を加えれば味はミロではなく、コーヒー牛乳と全く変わらないモノになる。
イタリアではスーパーのCOOPやConadに行ってもオルゾは売っていて、至る所で安く手に入る。値段も500グラム日本円では500円か700円あたりだろう。我が家のようにモカエキスプレスで作る焙煎オルゾもあれば、インスタントオルゾもある。因みに私はニューヨークにあるイタリアの食料品店から送ってもらっている。
さて、今回の味比べは『ネスレ・オルゾロ』とクラスタン社の『オルゾ・イタリアン』。イタリア以外では全くと言っていいほど知られていないオルゾだが、あのスイスの世界的なメーカーであるネスレもオルゾを販売している。そのぐらい需要があるのだ。クラスタンも1870年から続くメーカーらしい。実は私は以前から色々なオルゾを飲んでいて、『モリ』だとか代表的な『オルゾビンボ』など数限りなく10ブランド以上試飲しているが、今回このように2種のみだが真剣に飲み比べるのは初めてである。観た感じはコーヒ豆を挽いたものと変わらない。では以下がその結果だ。



Nestle ORZORO オルゾロ
味★★★★
風味★★★
濃さ苦み★★
Crastan ORZO オルゾ モカエキスプレス用
味★★★★★
風味★★★★
濃さ苦み★★★
(箱にcon orzo mondoと書かれてあるのは裸麦以外に普通の大麦(皮麦)も入っているという意味)以下参照
総評:正直、目隠しテストでも両者の味は差が分からず、味見なんてできる次元でないほど同じ味である。あえて言えばオルゾロの方が少し薄く、また苦みが少なく感じ逆にクラスタンのオルゾは少し苦い感じもしたが牛乳と合わせるにはこちらの方がおいしいかもしれない。オルゾを飲むとなんだか心が落ちつき、夜も眠れるようになる。ストレス社会の多い現代人には是非お勧めしたい。
厳密に言えば大麦は8種類存在し、まず初めに2つのグループがあり皮の取れにくい『皮麦』と取れやすい『裸麦』がある。その中でまた『うるち性』とネチネチした『もち性』に分かれ、またそれぞれ穂の構造が違う『二条大麦』と『六条大麦』に分かれオルゾは裸麦のうるち性でおそらく六条と思われる。英語ではHulless Barley。この裸麦は、紀元前7000年ほど前から西アジア地域で食べられている。日本の麦茶は皮麦大麦=うるち性=六条であろう。英語ではバーリー(大麦)、ウィート(小麦)、ライ麦、オーツ麦(オートミール)と言われることが多い。
残念ながらこれらのブランドは日本では売られていないが、私の地元福井の裸麦生産者が作って頂きたいものだ。モカエキスプレスさえ買えば作れるし、インスタントが手に入ればもっと楽だろう。
参考:全国精麦工業協同組合連合会、農林水産省サイト
男性ホルモン抑制剤を打たれて確実に変化した点?
昨年前立腺ガンと分かり、昨年暮れに一本そして今年の年明けに一本と右と左の下腹部に男性ホルモン抑制注射を打たれた。昨年のは3か月有効で今年のは今年いっぱい有効らしい。
更年期障害と同じ症状が出て最悪な場合は自殺願望まで出現するらしい。私の場合も重だるい副作用に悩まされている。
「神は男と女をこの世界に創られた(創世記)」これは聖書の話だが本当に男女でこの世界は成り立っていると日々感じる。その理由は私が男性ホルモン抑制剤を打たれてから、男性が得意とする分野の仕事に何の興味もやる気も起きないからである。例えば家の修繕、クルマのオイル交換、ちょっとした外仕事ですら全くやる気が起きない。これは別に病気だからということではなく、感覚的に別次元にいる気分さえする。だからと言って女性的な部分が伸びたわけでなく、おそらく私の友人のように、ガン治療で女性ホルモンを打たれたのならば乳房の変化やもっと感覚的な変化が出てくるだろうと信じるが今はそんなかけらも無い。やはり単に男性ホルモン抑制でしかないのだ。
この社会は男女平等や女性の社会進出が叫ばれている。しかしほとんどの場合重いものは「ねえ? ちょっとこれ持って重いし」と言われ持たされるのは男性側である。逆に女性にちょっと持ってくれると言えば「女のあたしに持たせる気?」と言う答えが返ってくるかも知れないだろう。別に女性軽視ではないがホルモン剤でこんなに男として変わるというのは、神は完全に男女を分けて考えてそれぞれに適切な生理学的な仕事を与えていると言うしかない。確かに女性でも大工や家のペンキ塗りやエンジンオイルも交換できるが継続的に仕事として肉体労働を担うのは断然男で、例えばほとんどの炭鉱夫あるいは潜水士が女性という現場なんて聞いたことはない。旅館の仲居さんが首の太い髭ズラで指にまでしっかり毛が生えた男性で「食事は何時ごろお持ちしますか?」などと手をついて言われれば「あれ、ここは女将さんも男ですか?」と自分なら聞いてしまうかも知れない。
断言できないが、気分的にやりたい仕事、興味などは女性、男性ホルモンがかなり影響していると感じてならない。
アメリカのハム
冷蔵庫にハムがあるとなぜか嬉しい。子供の頃ハムさえあれば白ごはん数杯は食べられただろう。アメリカのハムは1パックの量が多く食べ応えがある。薄切り厚切り種類は豊富で選び甲斐もある。日本のよりも塩味が少なくて逆に甘味がある。軽く醤油を垂らし食べるといい。子供の頃と同じでアメリカでもハムさえあれば白ごはん数杯はいけるだろう。しかしアメリカには本場イタリアのものとは違うボローニャあるいはボロニアという格安の「合成ハム」も存在する。これはいわゆるスパムのハム版と言えるだろうが、目を疑うほどの格安なボローニャハムは合成添加物の産物なので出来るならば毎日食べるのは避けるべきだろう。
5ドル以上のパック入りの通常のハムであれば普通においしく、サンドイッチにしマヨネーズと薄切りきゅうりを挟んだりできるが、私はハムに醤油あるいはダシ醤油が好きである。ハムと言えば通常は豚肉だが、アメリカにはターキー(七面鳥)ハムもあり人気がある、しかし味は薄く塩味が強い。日本人としてはパサパサ感がなんとなく合わないかもしれない。感謝祭のターキーも味はハムみたいなものだが、私には味が軽すぎて物足りない。「サブウェー」というアメリカで一番多いとされるサンドイッチ専門のファストフード店でもいろいろな種類のハムが選べ、ターキーは高いがその反面ボローニャは安い。しかしサブウェーのレベルは店によりパサパサのパンを渡されたら絶句するほど惨めな味だ。旅行で来たならばスーパーでパック入りのハムを購入し食べて頂くのが無難かもしれない。しかしブラックペッパー風味や燻製風味などもあるが添加物が気になるならば凝った味付けのモノは避けるべきかもしれない。
時差ぼけを直す最良の薬?
母の死去のため3週間ほど前に日本から戻って来たのだが、時差ぼけがひどい。こんなにひどい時差ぼけは初めてかも知れないが、おそらく今年一月に受けた前立腺ガンへのホルモン治療が原因であろうかと考えている。
ちょうど日本が明け方になる午前5時頃、アメリカでは昼過ぎの午後2時ぐなるとめまいにも似た眠気が急に襲い掛かってくる。座っていても気を失うぐらい強烈で「天井が回っているのではないか?」そんな感覚だ。こんな時差ぼけは今まで正直経験したことが無いと言っても過言ではない。
毎朝マテを飲んでいるがそのくらいでは何の役にも立たず、究極のカフェインドリンク(エナジードリンクは不健康のため飲まない)を飲むことになるがそれが『ダイエット・マウンテンデュー』。これを一番眠くなる2時の一時間前ぐらいに数杯飲んで、最も眠くなる時間にも数杯飲む。そして予備に眠くなる時間を通り越した後も数杯飲む。結局午後はチビチビ飲み続ける。しかし飲み過ぎると気分が悪くなり下痢する。これは人工甘味料が原因と知っているので私は普段はコーラもマウンテンデューもドクターペッパーも飲まない。
聞いた話によると、国際線の旅で西に向かうには良いが東に向かうのは時差ぼけがひどいらしい。これはもしかしたら地球の自転と関係しているのかも知れない。北半球を上から見て考えれば地球は太陽に対し反時計回りである、日本からアメリカに戻る際はその回転に対し追い着こうとする動きになるが、これは何か身体に対し無理があるのかも知れない。自転に対し逆らう動きは宇宙から見れば自転を無視した、停止していることに近い動きからかも知れない。

剪定してくれたのは隣人か?
そうか、私のいない間に庭の木を選定してくれたのはとなりのマークらしい。そういえばシェリーが昨年末に私のガンのことを隣人にこぼして以来私自身は彼らを見かけていないが、病気については知っていたらしい。うっそうと生えた木々の枝を落とす時期になっていたのだが、私にはそんな労力も無くただひたすら自分の仕事を通じ収入を得るだけで、庭の世話も掃除も半地下の部屋の片付けも毛頭ない。
そういえばここに引っ越してきた当時マークの妻であるジャンから、隣の広い庭を少し分割し売ってくれないかと打診されたことがある。幅約2メートルの斜めの芝生の庭を買ってどうするのだろうかと思ったが、そんな中途半端な土地を自分たちで何をしたいのか。そういえば、それ以来その土地についての話は顔を合わせても話さず十年以上過ぎた。アメリカでは打診されても興味が無い場合は取り合わないということで「ノー」という返事になる。いちいち「こないだの話なんだけどさー」みたいな掘り返すことはしない。誘われても返答しなければノーである。
とにかく捻くれた悪い方に考えないで親切で剪定してくれたと感謝すべきだろう。「この木も切ってやってるんだから少しぐらい土地を譲れよ」みたいな雰囲気も感じると言えばそうかも知れないが。
残念ながら私のガンも寛解していない。それが人生というものだと自分に言い聞かせているが、反面もうどうでもイイとも感じている。
ユニクロの通販買い物で大いに怒られる筆者
申し訳ないが、このブログの辞め時を日々考えている。極めて消極的だが最近良いことも無く、私は究極「しぼんでいる」。
アメリカ人のワイフ(女房は差別用語らしいので敢えて今後はワイフとさせて頂く)は気丈で私の何枚も上手で、感情的でもある。今はワイフも仕事を探しているので家計は「ぎゅーぎゅー」である。ぎゅーぎゅーのその上あたりかも知れない。
とにかく私は急に全ての古着に疲れ、新しいシャツと仕事用の黒いボトムジャージが欲しかった。アメリカにはユニクロの通販があるのでそれを利用して黒2枚、ナチュラル色1枚の長袖麻シャツとジャージを買った。ユニクロデンバー店は消滅したようだ。
ワイフは家に届いた袋から出ている商品に目を置き「一体何枚買ってるの?」と喚き、100ドル以上支払ったことを知るとロケットのように0.5秒で激高し、涙を流す。そういえばスペースX社の垂直ロケットは帰還できるように設計されて、もう既に数回成功しているらしいが、ワイフの場合はそのままどこかに飛んで行って、できればアンドロメダ星雲辺りまで行って欲しいものだ。
我々倹約夫婦は20ドル以上の買い物はお互いに申告することになっているのだが、ガン治療のホルモン作用もあり、毎日呆然とする中でそんなこと頭に無かったのだ。
読者の皆様には私がただここで愚痴をこぼしているかのように聞こえるかもしれない。もしそうであれば読者にも謝罪する。
私は前立腺ガン治療中の身体を押して、仕事に精を出している。私が行う一回の医療マッサージで60ドルである。二人来れば120ドルで今回のユニクロも払い済ませる。午前中のたった二人でだ。私はそんなことを考えながらオーダーしたのだが、ワイフは自分の買いたいものすら我慢している時なのでかなり腹が立ったのだろう。後で「言いすぎてごめん、値段とかで無くあたしに言ってくれなかったことが辛かったのよ」と謝るが、私は既に昔の彼女のことを頭の中で少しだけ考えていた。
こんな些細なことで子供のため離婚はしないでおきたいと思う、しかし将来は分からないが離婚したとしてもあの寒々しい福井の家で一人暮らしでろう。いや、黒猫でも飼うか。
こんなトラウマ的な通販商品は着ていても胸糞悪いので、残念だが7ドルの返品料と共に全品返品する次第だ。私はユニクロはもう購入しないかもしれない。
読者の皆さま、どうか時代の変化と波にのみ込まれませんように
考えてみればお金の価値も永遠に同じではない。今は変化の時代が到来している。戦後の給料は一か月1万3000円ほどで2万円も無かった。今は物価が急騰しているがいつの時代でもまず物価が変わり、その後給料も変わるはずだ。
今年の日本の米の価格の変動も物価の高騰も未だかつて経験したことのない変化だとここアメリカでも気づいている。コメの価格も消費者が変えることは難しいだろう。それよりも農家へのしわ寄せも今まであった。アメリカで日本のブランド米が驚くほど安く売られているのを見ると、今の政権は日本人のことを考えているのか? と腹立たしく感じるが、二世三世政治家は社会の底辺のことをあまりにもしらないので選ぶべきではないのかもしれない。ただ私たちは今、政治を含め大きな変化の真っただ中にいるのかもしれない。
我々にできることは選挙に行き新しい考えのあるグループ(党)を選ぶこと。政治に対し究極の不満があるなら同志を募り安全なデモを起こすしかない。
私たちが日本に居た時に偶然テレビにもよく出演する国会議員に会う機会があったが、彼女は私たちがアメリカから来たと話すとだた無言でピースサインをするだけであった。その一瞬でこの人がどんな人なのかなんとなく理解できてしまい、それから彼女に対する興味も期待も失せてしまったのを覚えている。テレビと実際ではあまりにもかけ離れた人間も多いことを悟った。テレビは編集されているのだ。
ニュースを観ても不安になる要素は多いかもしれないが、不安になってもならなくてもこの状況は急に変わらない。で、あるならば平静を保つ方が精神的にいいかもしれない。
読者の皆様が時代の変化の波にのみ込まれませんように。筆者
なぜ食品に税をかけるのが愚かか?
今の政治の状況とリーダーシップの欠如は甚だしい。事態はかなり深刻だ。少し混迷しているようにも見えるように感じるのは自分だけだろうか。
食品に対しての税は国々で変わり、正直なところドイツ7%フランス5.5%ということをはじめに書いておく。アメリカの食品の消費税は州によるが、それが微々たるコロラド州のようなところもある。
さて、話を本題に持っていく。これは個人的な見解であるが、なぜ生のジャガイモに対しすぐに食べられないのに税をかけるのか理解できない。世するに調理しなければならないモノは買ってすぐに消費が始まるわけでなく食べる前に仕事が存在する。作らなければならないのだ。
和食を例を挙げれば、肉じゃがを作るのに醤油、みりん、ニンジン、ジャガイモ、牛肉、砂糖、糸こんにゃくを使うとする。これらの食材を買うのに消費税だけで合計177円加わる。家族で食べる一回の副食一品でこれだけ掛かり、その他にメインの魚フライあるいは魚の煮つけや白米、味噌汁にまで消費税が加わる。おそらく一晩の食事に軽く見積もっても300円の消費税が加わる。それを一日朝昼晩。これを一生続ける。あるいは税額は徐々に上がる。計算はしないが、かなりの出費だろう、おまけに水やレンジを使い調理しなくてはいけないのに。当然ガス、水道、電気料金にも消費税が加わる。調理を考えれば食べることに対する消費税は倍にさえも感じられる。
私の考えは極端かも知れないが、これから何かやらなくてはいけない生の食材や調味料、インスタントなどに消費税を加えるということが少し矛盾して感じられたのであれば幸いである。もちろん高級酒や店の従業員の作った手の込んだサンドイッチやお惣菜が無税で良いという話ではない。
日本は食糧自給率30%にも満たないということは、既に多くの輸入相手国に食糧として多額の税を払っている。
袋じゃがいも 価格300円 税30円
袋ニンジン 250円 25円
牛肉 750円 75円
糸こんにゃく 120円 12円
袋玉ねぎ 350円 35円
ブリの切り身3切れ 800円 80円
生姜 150円 15円
ワカメ 250円 25円
油揚げ 100円 10円
米、また醤油砂糖等の調味料を省く
一晩飯、消費税合計307円。晩飯だけで一週間2100円の税。これを三食として考えれば一週間分の消費税だけで既に来週の買い出しができるほどになるだろう。ボンクラ政治家よ、よく考えて欲しい。
家の前の木を伐採して学んだこと
なんということをしてしまったんだろうか。もう片方の木の叫び声が今も聞こえるようだ。しかし仕方ないだろう、その伐採した木は玄関に入るコンクリートの歩道を押しはじめていたんだから。
今朝伐採した後、もう一本の生き残っている木の片側には枝が無く変な形だと思っていたのだが、その意味が理解できた。それは切られてしまったもう一本の木のためにあえて枝を伸ばさなかったのだ。そうして二本で共生していたのであった。木は何も話さないが、それがこの木が人間に伝えたかったことであろう。そう信じたい。
私たちは時として自然から多くのことを学ぶ事が出来る。共に暮らしている家族に多少の気を使い、自分の言いたいことを少し我慢したり、気を利かせて小さな贈り物をしたり、優しい言葉でちょっとだけ褒めたりする。これらのことは二本の木が労わり合い、自分の枝を片方に伸ばさないことに似ている。



それでもアメリカが好きか?
世界の国々は陰と陽に分けられると昔中医学を学んでいた頃に同級生と話し合ったものだ。アメリカは陽、日本は陰、ブラジルは陽。フランスは陽だがドイツは陰。これは結構当たっていると感じた。G7なんてふざけた組織があり、イタリアは国民総生産もさほど高くないがブランドが目立ちシレっと仲間に加えてもらったそうだ。
この小さな星である地球も、人間に大きさを合わせているのでジェット飛行機を発明して以来は世界も小さくなり、海を挟んだ隣の国とも命かけずに会えるような距離になった。おかげで戦争もできて資源も取り合いになった。ありがたいことだ。もう気付いているかもしれないがこの地球があって人間がいるのではなく、人間の大きさに合わせてこの惑星が出来ている。月までの距離も夢にあふれる火星もガンバレば行ける距離だ。これも全て人間の夢に合わせている距離である。もし月以外に太陽系の惑星も無ければ人間の夢すら起きない。これらの距離も全て人間の大きさに合わせているからである。物凄いロケットさえできれば火星にも行って帰れる。そう考えていけば人間と地球、その周りのモノも我々の創造主に創られたと考えるのは難しくない。
アメリカの地理も南アメリカもアフリカでさえ恐竜でなく今住んでいる人間のために時間を通じ形づくられたと思えば、アメリカがそこにあることに腹立たしさも感じないかもしれない。たかが建国300年にも満たない国があって世界で『俺様』的な態度をとっていても、悠久の時間軸から見ればクシャミをし、鼻水が出た程度の時間だろう。しかしアメリカという国の個性からいればこの国は実に魅力的で、いつも『クレイジーパワー』が炸裂している国も他にはない。少なからずPCの発明も飛行機もクルマの発明もそんな半ばふざけたパワーからとしか言いようがない。常識にとらわれない人間の理性すら超えてしまったパワーもあるが、他国の人から見れば全くクレイジーとしか言いようがない一面も政治、経済、科学すべての分野である。ただ言えることは、この地球上には無くなると世界的に少し困る国がありその中には日本もアメリカもおそらく含まれているだろう。しかし南米やアフリカの一国が消滅し今後世界情勢が傾くほど困るということは無いかもしれない。国の個性を維持するのはそこに住んでいる国民の仕事だろう。
さて、話を元に戻すが私にアメリカが好きか? と聞かれても実はどうでもよくて、同時に日本が好きかと聞かれても分からない。自分で選んで生まれてきていない国は自分なりに受け入れないと不幸になり、それと同じで自分の伴侶が生まれた国が好きかと聞かれ、嫌いだと言えばそれは不幸せ(ふしあわせ)の始まりにすぎない。
自分の父親が好きか、弟が好きか、母親が好きかとかそんなことは考えることすら無意味で、ただ受け入れるだけで良い。妻が好きか旦那が好きか。そんなことすら結婚後は全く考えなくていいということだろうが、受け入れないと間違いなく不幸になるだろう。同じ時間、場所で過ごし「息を吸うのも嫌だ、死んでしまいたい」と思うか「今が素晴らしい」と感じるかによってある程度自分の精神状態は創られる。収容所に居る間、過ごしてきた日にちを数え恨みと共にあとどのくらいで出れるかを考えた者より、国に帰ってから何をするか漠然とした希望を持ち続けた捕虜の方が生き延びたらしい。さて、自分の墓穴を掘る前にこの話は終わりにしたい。
いい人過ぎた『アメリカ』という人
ただ、いい人過ぎたアメリカという人、と言う感じだ。
今現在、トランプの関税祭りは否応でも世界中でニュースになり、問題を引き起こしているが、あれもそれも今までの政権が自分の国の立場を甘やかしすぎたからである。今までの民主党もその前のコントロールされたトランプ政権も、その前のオバマ、ブッシュにしてもアメリカは世界に対し甘かった分、自国にはしわ寄せがきて、不法難民が押し寄せ安い海外の製品に埋め尽くされ、アメリカの文化もモノも無くなってしまった。
私が来た2008年量販店に行くと安い中国の製品に圧倒され、デザインは無骨だが頑固なアメリカ製品は見当たらなかったものだ。車にしても日本車に埋め尽くされ味のある「ボート」と呼ばれた大きいフワフワした燃費の悪いアメ車はもう見当たらなかった。唯一セミトラックやダンプカーはアメリカを象徴していた。本来のアメリカは遠くの70年代80年代にどこかに行ってしまい、私の想像していたアメリカという世界はこの国には既に無かった。
おそらくトランプ大統領の想いも昔良きアメリカに留まっているとしか考えられない。今では街にホームレスが湧いてその半分は英語すら話さない連中。私自身自国を投げ出してアメリカに来た人たちに「大変だったろう、よくここまで来れたね」とは言えない。どうして自国に残り良くしようとしなかったのと言いたいが、彼らは一様にマフィアに支配されている。政治も終わっているという。しかし実際逃げることのできた『感覚的に普通の人間』がその国を去れば誰がその国を変えるのかと思う。これは日本に来る大陸系の人に対しても思う。
仕事にしても会社にしても移民が増えすぎて本国アメリカ人の場所すらない。日本で多くの会社や商売に外国人が入り込み本来の立ち位置があるはずの自分たちの立場が無くなれば私だったら狂気になるかもしれない。しかしそんな状況ですら長年我慢していたアメリカ人が、ここに来て本来のアメリカを取り返そうと言ったところで、移民や悪い意味での同性愛者が増えすぎてもう収集がつかない。日本もこのアメリカの移民、海外資本の流入などの状況から学ぶ必要はあるが、現在の日本の政治家からは学ぶ気配が見られない。
戦争は避けるべきだが、世界が関税で争えばその後に武器を持つのは容易だろう、なぜならそこには既に『感情』があるのだから。どこの国の指導者も戦争を知らない野郎だ。戦う気が起きてしまえば抑えることは彼らにはもうできないだろう。
女房の職探し
アメリカ。この株式資本主義の国は自分の持っている実力でしか争えない感じがする。何か小さなことでもだ。学歴はさておき。学歴は実力の二の次であるのは言うまでもない。
シェリーは大学でのIT専攻を経て、ITコテコテの道を長く歩んできた。昨年日本から戻っても米国のIT業界はどん底らしく、一つのポジションに100から300人の応募があるとこも珍しくないらしい。幸い私は病後にもかかわらず仕事が忙しいので家計は持ちこたえているが、先月も州からの援助も僅かながら頂いた。いわゆる食品に対する生活保障というものだ。この話もいつかするだろう。
話を進めるとする。
仕事の探し方:
女房はいくつかのサイトを使っている。まずは、言わずと知れた『リンクドイン』linkedin ここは同じ業種のポジションなどが狙いやすいそうである。しかしこのサイトは既に定職についている段階で登録し垣根(コネクション)を広げておくことが重要かもしれない。次に日本にもおなじみの『インディード』indeed 目標の念棒を入力し登録していく通常の職サイトと言うべきだろうか。『グラスドアー』glassdoor このサイトは個々の会社の面接状況や面接レビューなど、かなり突っ込んだレビューがあるらしい。このサイトのネーミングはいわゆるガラスの天井をもじっているもので、それはただ女性という理由で見えない何らかの力により役職に就くことが妨げられている状態のことを言っている。どちらかと言えば女性に特化したサイトかも知れない。
最後は自分の働きたい会社のサイトに直接行き採用しているか地道に探すことである。民間以外でいいのなら、連邦政府や州のサイトで中途採用案内が出ていないか地道に探すしかない。当然ではあるがアメリカには公共職業安定所は存在しない。
面接の順番:
自分が希望した会社のサイトから自分の履歴書(レジュメ)をメールで送り返事を待つ。履歴書は自分の勤めた会社と内容、役職。また失業していた時期には何をしていたかも記すことが重要らしい。シェリーは当然日本に滞在したいた時英語教師のバイトのことも書いたと言っている。今までの仕事内容は極めて詳しく書くことが重要であるらしい。
選考段階は大まかにいって三段階である。会社側が興味を持った応募者にメールし電話での簡単な質問面接から始まる。これはいわゆる身の上話に相当するだろうか。スクリーニングとでも言うべきか。志望動機、簡単な経歴の質問など。
そこで少なからず気に入られたならば次に自分が応募した部署のマネージャーやチームリーダーとの面接だが、これもネットを通じ行う場合が多い。ビデオ通話面接とでも言うべきだろう。ここでは大まかに収入や仕事内容など細かな話を進める。(女房はココで止まっている)
そして最後はディレクターと呼ばれる人間との最終面談である。ここでは当然会社まで行くことが必要とされる。この段階はほぼ就職70%決まりだろうという状態で、収入の確認や本人の仕事に対する意志の確認や相性なども見られるだろう。しかしここでもまだ自分以外のかなりの応募者が残っている場合は落とされる確率も当然上がる。
しかしこれが25年前であれば、いわゆるパネル面接という応募者4-5人が椅子に座り数人の面接官と話しその中の数人の採用が決まるという一度きりのラフな形の面接だったのだが、現在では面倒なプロセスで選ばれるのを気長に待たなくてはならない。
アメリカという実力主義の世界では逆に『ハッタリ』をかます応募者も多く採用した会社側も困惑を隠せない時が多々ある。要するに自分の実力以上のことを謳い応募するのである。例えばステーキハウス調理人応募と言えども現実的にはウエイトレスの経験しかなく、それもお客のテーブルに料理を持っていく前にカウンターの上で、皿のステーキの横に付け合わせのクレソンをちょっと載せるだけという作業に対し自分は調理の経験が5年あると言い、実際には包丁さえ持てない応募者もいるのが現実らしい。面接は口八丁で終了し勤めだしてから、ではやってもらおうかという段階で『実はこいつは何も出来ない!』と発覚するのだ。しかし時すでに遅しである。
キャンベル ニューイングランド・クラムチャウダー缶

クラムとはアサリ、ハマグリ等などの二枚貝のことである。チャウダーは言わば煮込んだダシスープ。そしてニューイングランドとは寒さが厳しいアメリカ東海岸部地域一帯のことである。イギリスから渡って来た人たちは後にその辺を『新しいイギリス』と名付けた。原住民は他所に置いて。言わば日本が中国北東部に開拓という名の玉虫色の『侵略』をしたときに新日本と言ったようなものだろうか。すでに人はそこに住んでいたのだが。朝鮮出兵も侵略である。それがピュアな歴史だ。ではウクライナとロシアはどうだろうか? 今はそんなことを話す気分じゃない。これは言わば単なる視点での主観と客観の問題だ。今後の世界、特にアメリカの出方次第ではウクライナが結局この問題の原因だったとなる可能性もある。それが歴史の怖いところで、この世界の歴史には真実が残らないのかと言いたくもなる。しかしそんなこと私にはどうでもいい。
ここはとにかく、缶入りのクラムチャウダーの感想に尽きる。このクラムチャウダーを開けてボールに入れた時に感じたのは、なんて白いんだ。まるで白いペンキだ。こんなものを食べるのか? という感じだ。一口含めばアサリの風味はあるが今一つ新鮮さに欠ける。それは仕方もないが、マズくて口から吐き出すことも無く、これはこれで良いかという感じだろう。それはおそらく口の中でジャガイモの触感があるからだろうか。
クラムチャウダーには堅い塩味のクラッカーを崩して載せる。それと付け合わせはパンだろう。カリフォルニアでは大きな丸いブールと呼ばれるフランスパンの中央をくり抜いてクラムチャウダーを入れた名物料理があるが、喉が痛くなるぐらいスープが塩辛くて最後まで食べれるものではなかった。
私はこの缶にカブの漬物とレバーの甘辛煮、白米という恥ずかしい限りの和食に近いものになってしまったが、外食の際はもちろんパンと食べるだろう。アメリカの北東部メーン州や、西のオレゴン州の港近くの海鮮レストランでは、まだまだおいしいクランチャウダーの店もある。ロブスターも安いはず。この話はあくまでも内陸州での話である。

ツナチーズサンドイッチ
高校生当時古ぼけた地元の映画館でよくアメリカ映画に出てくる無骨なサンドイッチはどんな味かと思いながら、スクリーンを見ていたものだ。中でも若いジャックニコルソンが出演していた『さらば冬のカモメ』のシーンにあるレストランでの食事。あれが若い自分の観たアメリカだった。
分厚い業務用のお皿に載ったバーガー等のアメリカ料理はすべてが「おいしそう」に見えたのだが、実際ここで食べるものはその期待を裏切るものが多い。アメリカ食は質でも量でもなく『カロリー』である。すべてに関してカロリー優先だと断言する。甘く脂っこい物あるいは、甘くなくても油脂感が重いものが喜ばれる。それが基準だ。
女房のシェリーに「何か作れるか」と尋ね、もしキッチンに食パンがあればほぼサンドイッチになる。種類はチーズサンドイッチ、エッグサンドイッチ、あるいはツナサンドイッチ。稀にツナチーズサンドイッチというスペシャルが出てくる。私はシェリーや息子よりも濃いマヨネーズ味が好きなため、塩とコショーとマヨネーズであいつらのツナが出来た後に、たっぷりのマヨネーズを混ぜてくれる。いや、それでも自分には少ない。今夜はそのツナの上に厚くスライスしたチーズを挟めるといった豪勢なサンドイッチだ。
いったんトーストしたパンを熱い鉄のフライパンに載せ、そのパンの上にツナとチーズをのせる。その上にもう一枚トースト済みのパンを載せ、ヘラで十分に押して、焼きをつける。それをひっくり返しもう一回ヘラで押し焼きながら今度はチーズを溶かす。出来上がったものは焦げ目のあるとろとろチーズのツナサンドである。
なんの変哲のない無骨なホットサンドだが、私が日本に居た時に無性に食べたくなるものの一つだった。なぜかアメリカに居る時は何の思いもなく普通に食べていたものだが、一旦その国を離れるとふと食べたくなり、アメリカ以外では簡単に作れないものだ。
