Creator's Blog,record of the designer's thinking

研究者の頭とクリエイターの感性で、書き、描き、撮り、制作しています

エッセイ1052.α7C II、初日で洗礼を受ける

SONY大阪サービスステーション(2025年12月25日)

昨年のクリスマスの日の話である。

ルフレームの映像機材を物色していた。

選択肢はすくなくSONYのシネマランシリーズしかない。

だがイメージセンサーと画像処理エンジンのシステムは、第Ⅳ世代のお古だ。

最近ようやく第Ⅴ世代のシステムがαシリーズの中堅機α7Ⅴに普及してきた。

そんな調子だから映像機材が更新するのは、随分と遅いだろう。

やむなく、αシリーズのお古機材、 α7C IIを調達した。

 

静止画兼用機材α7C IIを使い始めるには、まずテスト撮影が必須だ。

少し使っただけで、バッテリー消耗が早い。
ボディはすぐに熱を帯びる。
高温多湿の環境では、熱停止待ったなしだろう。

 

こうなると、第Ⅳ世代のお古システムである冷却ファン付きのFX2にしておけばよかったか……と、ほんの一瞬だけ後悔がよぎる。
もっとも、どちらもお古のシステムだから、どうせなら安いほうでいい、という理屈でα7C IIを選んだわけだが…。

 

さて、試写を始めてすぐに洗礼を受けた。
モニターのタッチ操作が効かない、
それどころか、画面が消えた。

原因は、おそらく液晶保護フィルムか?。
Kenkoの「マスターG」を貼ったのだが、どうにも分厚い感じ。

触った感触は、10年前の静止画ボディ用フィルムのように感じるという不信感。
感度の高いα7C IIのモニターセンサーと相性が悪いのだろう。

一方で、Insta360 Ace Proの保護フィルムは、タッチ操作も問題なく、衝撃を吸収してフィルムだけが割れ、本体を守ってくれた経験がある。
あれは、正直かなり優秀だ。

結論は身も蓋もない。
今、アクセサリーは中国製のほうが優れものだ。

そして追い打ち。
ボディがフリーズした。

バッテリーを外し、SDカードも抜いて、しばらく放置。
……動かない。

これはもう初期不良だろう。
サービスステーションに持ち込むしかない。

難波、である。

梅田にSONYショップがある、ここで購入した商品しか神対応はしないとWEBに書いてあった。

敷居が高いぜ。

だから平民は難波なのである。

だが京都からは、遠い。

――α7C IIとの付き合いは、まだ始まったばかりだが、先が思いやられる。

 

今日は、クリスマスだ。

アクアリーナのエアロビクスに出かけたついでに大阪、

難波のSONYサービスステーションへ出向く。

預けて1時間後、フリーズは設定の仕方だった、で解決。

ファームウェアーのバージョンアップは、できた、という原因不明の解決。

結局、フルに使えることになった。

なんだぁ、の気分だが、使えるに越したことはない。

クリスマスの午後の雑用だった。

 

雨、明日から寒波が来て冷え込む。

明日は家にこもって仕事をしようか、それとも寒波をついて撮影にゆくか、

京都市内の朝の気温予報1°で雪だって!?。

翌日寒波はきているが、気温は8°で晴天だよ。

どこみて測定してんの?。

 

後日談

α7C2は、またモニターがブラックアウトした。これが仕様なのか、初回故障なのかを探らなければならない。やっぱ静止画兼用機材は、面倒なことが多い。YouTubeの推奨ビデオなど、信用できない。結局自分で調整して、ようやく撮影機材になった。

 

 

 

エッセイ1051.南風の京都、曇りのイブ

京都府・美山(2025年11月29日)

新年を越すと、いつも画像が足りなくなる。

ないわけではない。
ただ、昨年の画像を使う気分にならないだけだ。

静止画はほとんど撮らない。
だからブログに添えられる“ちょうどいい写真”が、いつも不足する。
そんなことを書きながら、今日はクリスマスイブである。

気温は13.5度。南の風。
師走にしては拍子抜けするほど寒くない。
そのせいか、目が覚めたのは遅かった。
気づけば、もう昼が近い。

嫁に「メリークリスマス」と送ると、
「クリスマスは明日だ」と即座に返ってきた。
今日は親戚の叔父さんや叔母さんに、ギフトを配る日らしい。

京都の空は曇り。
ときどき雨が混じる、はっきりしない天気だ。

夕方になったら、
特別な目的もなく、
ただ街の空気を吸いに、少し散策に出てみようと思う。

 

エッセイ1050.フッ!!! 私だってSLの重連を撮っていた

八高線重連(1968年6月)なお、これは“見た目だけ重連”である

このブログがアップされるのは、新年七日の七草粥の日だ。
とはいえ予約投稿なので、これを書いているのはクリスマス前、師走の23日である。
つまり私は、年末に七草粥の話を書h!…、すでに意味がよくわからない。

年末恒例、Macの中身整理。
すると、怪しい画像フォルダから、懐かしい写真が出てきた。

フッ。
フッ!!
フッ!!!

……私だって、SLの重連を撮っていたのである。

狭山丘陵を走るD51重連
鉄ちゃんに連行され、埼玉まで出張したときのものだ。

小学校に入る前、千葉駅のホームに巨大なSLが入ってきた光景はいまも覚えている。
子どもの頃の記憶は、なぜかどうでもいいことほど鮮明だ。

当時の客車にはステップが付いていて、それでも足を大きく上げないと乗れなかった。
つまりホームが低い。
だからSLは、ほぼ全身をさらけ出しながら、
「どうだ、機械だぞ」と言わんばかりにホームに入線してくる。

そりゃ惚れる。

だからSLの重連なんて、夢のまた夢である。

手元には、堀越康夫さんたちの写真集
『北辺のg機関車達』がある。

1969年(昭和44年)、C62重連が牽引する急行ニセコ
これがディーゼル牽引に変わったのは1971年。

そして廃止されたのは1993年。
つまり、誰も見向きもしない時代に、彼らは本気でC62SL重連急行ニセコを撮っていた。

当時鉄道は「子どもの趣味」と言われていた時代だ。
それを大真面目に撮っていたわけだ。
いま思えば、これはもう立派だ。

後書きから引用しよう。

「あの煙といい、あの空転といい、いつ訪れてもC62重連は見るものを圧倒せずにはおかない。」

ページをめくると、機関車の輪郭がやたらシャープだ。
ニコンFに105mmだな。
わかる。完全にわかる。

このボディとレンズ、実はいまも私の手元にある。

これで北海道に撮りに行くことはなかった機材だ。
ただし、レンズはあっても、若さと気力がない。

私が高校2年の頃、北海道に撮りに行きたかった。
しかし私は貧乏高校生だった。
貧乏なので、北海道は遠い。とても遠い。

結果、埼玉で我慢した。

しかも狭山丘陵には、重連が必要な急勾配などない。
八高線重連は、ただ回送機をつないでいただけだ。
要するに、見た目だけ重連である。

一方、堀越さんたちは雪の北海道で、C62重連を本気で追っていた。

――羨ましいに決まっている。

いま、C62 2号機は京都鉄道博物館に保存されている。
ときどき、遊園地のような客車を三両ほどつないで、専用線を走る。

初めて見たとき、正直こう思った。
「あれ……サーカス?」

なんだか、ちょっと悲しかった。

だからだろうか。
いまでも、鉄道を本気で撮影対象にする人は、少ないだろう。

大概は興味本位でイベントや流行に便乗しているようにもみてとれる。

堀越さんのサイトがある。
ときどき写真が入れ替わっている。

――ずいぶん撮ったものだ。
そして、私は埼玉で我慢した。

写真集北辺の機関車達よりNO78.

 

出典

大木茂、武田安敏、堀越康夫:北辺の機関車達、復刊ドットコム、2017年。

サイト:http://locomotivesteam.web.fc2.com/top.htm

 

エッセイ1049.ポケットから始まる8K散歩 ― Insta360 Ace Proという相棒

Inst360Ace pro+エクスプローラグリップ

やはり、これは大変使い勝手がよい。

1年前から使用しているアクションカム Insta360 Ace Pro に、エクスプローラグリップを装着した。

このグリップが実によくできている。
シャッターボタンは押しやすく、焦点距離の変更や撮影モードの切り替えもダイヤル操作で直感的に行える。さらにバッテリーを内蔵しているため、長時間の撮影にも余裕がある。おそらく1日街に持ち出しても、バッテリー交換の必要はないだろう。

アクションカムだけあって手ぶれ補正は強力だし、8K撮影にも対応している。撮影モードのバリエーションも豊富で、用途に応じた使い分けができる。

実際、1年前から使い続けているが、フィリピンでのクリスマスシーズンには、走り回る子どもたちの素早い動きをしっかり追随できた。見た目以上に実戦的なカメラだ。

エクスプローラグリップを装着した状態でも、ダウンコートのポケットに収まる。
街歩きの途中で、さっと取り出して、さっと撮れる。
ここが、このカメラのいちばん大切なポイントだと思う。

最近の街歩きでは、SONYのカメラに加えて、必ずInsta360を持参している。
撮影モードを“香港風”に設定し、あえて少し荒れた画調で撮った映像を1月2日のブログにアップしたのだが、これが意外にいい。

そんなわけで今月は、Insta360と、α7C IIにツァイス55mmを付けた組み合わせで、街を散歩することが多くなった。

これまで、ここまで「使う場面」が明確なガジェットを発想した日本のカメラメーカーは、なかったのではないだろうか。
中国メーカーとライカの協業、その成果なのだと思う。

デザインも実に良い。

アクションカムは、米国のGoPro、中国DJIのOsmo Action、そしてInsta360と三強が並ぶが、個人的には Insta360に一票
なにより、よく考えられたアクセサリーが豊富なのである。

 

 

エッセイ1048.混沌は、固定しなかったところから始まっ

 

建築の軸組を制作途中の3DCG画面

 

目下、学術論文の制作に追われている。
テーマは、明治期小樽の都市景観だ。

街全体を対象とするなど、ずいぶん大きく出たものだが、少しずつ執筆を重ね、論文として編集し、順次公開している。国会図書館の電子図書でも閲覧できる。

いま取り組んでいるのは、論文で使用する3DCGの制作である。
トップ画像は、明治29年の大火で焼失した、木造三階建ての遊郭建築。その軸組を再現している途中のものだ。

軸組構造など、建築が完成すれば見えなくなる部分である。
だが、ここは律儀に、一本一本、柱と梁を組んでいく。

ここまでは、実に堅調だった。
この調子なら、あと二週間ほどで完成するだろう──そう思っていた。

その「安心感」が、災いを呼んだ。

完成した軸組は、本来なら固定しておくべきだった。
だが、しなかった。

そのまま床を載せ、外壁を張り、屋根をかけ、装飾を加えていった。
完成が近づいた頃、ふと違和感に気づく。

……建物が、僅かにズレている。

数え切れない操作のうちに、オブジェクトが少しずつ動き、
縦も、横も、高さも、揃わなくなっていたのだ。

下地が大切というのは、3DCGも建築現場も同じだ。

修正を始めると、こちらを直せば、あちらが合わない。
気づけば、混沌とした世界へと引きずり込まれていく。

もっとも、目で見ている限りでは、ほとんど分からない。
「まあ、いいか」
その慢心こそが、混沌の入口だった。

この混沌から抜け出すのに、二ヶ月を要した。

こんな3DCGを、あと六つ作らねばならない。
論文の締め切りは、二月。

……間に合うかなぁ。

 

エッセイ1047.企画未満のクリエイション

adobe AI生成画像 ロケ地での撮影イメージ

私のサイトは、相変わらず予約投稿だ。
季節に合わせようなどという殊勝な意識はない。
今執筆しているのは、クリスマス前の師走である。

そんな時期に、なんとなくこの一年を振り返っていた。
歳は60代。皮下脂肪は少なく、体型はまだ保っている。
叔母さんは、結婚式場で撮影の仕事をしていたから、撮ることにも、撮られることにも慣れている――
そんな叔母さんと、少しチャットを交わしていた。

では、叔母さんをモデルに、
イメージ映像のロケでもしてみるか――。

というのも叔母さん自らの撮影画像は、全部見せるというところが多い。

ならば若い女ではないのだから、見せるところと、見せないところに強弱をつけよう。

おばんさんの彫りが深い顔なら、中東の黒のヒジャブとアバーヤがよさそうだ。

実際ヒジャブをつけた画像をアップしていたが、大変よく似合う。
そんな企画が、膨らんでいった。

愛知県人の常で日常車を運転する。

ならばロケ地を考えよう。
まずは、静岡県の太平洋の荒波がもろに打ち寄せる塩見崎海岸。
荒波を下に入れ、青空を背景に機材を置き、
その上をアバヤをまとったモデルが軽やかに越えていくカットから始める。

次は、西尾市城址
深い緑の中を自由に歩いてもらう。
古い民家の路地裏の石垣と木立の間は、ロングショットで静かに追う。

そして、中盤は温泉地だ。

湯船の、ほぼ真上にカメラを据える。
アバヤを脱ぎ捨て、湯にうつ伏せに身を預けた裸体が、湯気の中で輪郭を失っていく。

肌そのものを見せたいわけではない。
水面に揺れる肩甲骨、背中の起伏、骨盤、ほどよい太さの足…
湯気に溶けていく身体と、わずかに残る女の体温の気配。

こうすることでコスチュームから解放された身体を風景の一部として扱うのだろう。
温泉という場が、それを自然に許してくれる。

終盤は、西尾市薄暮の大提灯祭。
提灯の揺れる光の中に、再び身体を「社会の中」に戻す。
非日常から日常へ――
そういう構造だ。

そんな映像の企画案も、叔母さんに恋人が出来たというので廃案になった。

このロケ地は叔母さんのイメージから導き出したので、今後使う事は無い。

それでも、これを契機に愛知県のお祭りに着目できたのだから、個人的にはクリエイションにつながった。

 

エッセイ1046.一世代遅れでも、使える道を選ぶ

chatGPTが作成したシステムモデルイメージ

いま映像は、8Kを目指している。
SONYイメージセンサーと画像処理システムも、すでに第Ⅴ世代へ移行しつつある。

そういう意味では、α7C2 は一世代前の、今では古い部類にぞくする第Ⅳ世代のシステムを積んだカメラだ。
ただし一点だけ評価したのは、手ぶれ補正が第Ⅴ世代相当であること。

ただし、これを設定すると1.5倍ぐらいクロップされる。

やはり古い世代のシステムを痛感。
映像において、最も重要な機能は画像処理と手ぶれ補正だからだ。

それに私の場合、スーパー35mmモードを多用し、
レンズ本数と機材重量を減らしたいという事情もある。

そこで、手元の α7C2 をどうシステムアップするか、
chatGPTと相談しながら検討していた。

というのも、α7C2 のモニターは約103万ドットクラス。
しかもSONYの合焦表示は非常に範囲が狭く、正直合わせづらい。
私はファインダーを覗かない派なので、外付けモニターは、なおさら必要だ。

もちろんボディのモニター上に合焦表示が出る。
だが被写体によっては視認性が低く、
夜の木屋町界隈などでは、ネオンや店の灯りに赤表示が紛れ込む。

「おっ、来たな」と思って撮影し、
あとで映像を確認すると――たいしたことがない。

つまり α7C2 の思想は、やはり 静止画寄りなのだろう。

動画では、ピントはマニュアルが正義だ。
そのためには 5インチ級の外付けモニターが必要になる。

そこでAIにイメージ画像を生成させてみたところ、
手持ちで取り回しがよさそうな構成が見えてきた。
なにより、赤いケーブルが妙に格好いい。

それにしてもグリップが2つもあるとはトホホのAI画像だ。

気を取り直して…、

よし、これでいこう。

RODOのマイクをつけたα7C2(2025年12月27日)

chatGPTが生成したイメージ画像をみて、オッ!、いいね、と感じた瞬間、実際にこれでパーツを組み上げてしまった。実はモニターもつけられるリグも調達している。こちらは少し大きくなる。だからこれぐらいが実用的だろう。

というのもこのボディに煙突が太くなるようなSONYのレンズは、オートフォーカスの切り替えボタンがあったりなかったりと不統一、大変全体のデザインバランスも悪い。概してSONYは、ニコンと比べればレンズのプロダクト・デザインがよろしくない。さらには安ボディにGMレンズなんか付けるなとも言われているみたいだ。α7C2は第Ⅳ世代のお古なシステムだから、少しは格好つけよう。

スモールリグのL字型フレームに、オーストラリア製のガンマイクRODE。これはカメラの電源をいれると自動的にONになり、USB-Cケーブルを使えばパソコンにつないで収録もできる優れもの。機材は軽いのが正義といいながら、重くなる自己矛盾。いやいや重くなるからホディやレンズは軽くしたいのだと言い張る。映像はパーツをくみあげる楽しさがある。

(画像:iPhon13pro)

 

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Fieldwork1010.自動化を排した映像制作手法の試行――冬季京都における撮影メモ

京都、木屋町界隈 (2025年12月)

京都の冬は美しい。
だから寒風の中に身を置いてでも、撮影に出かけようと考えた。

いつも「撮って出し」の映像では、さすがに飽きが来る。
それに、カラーグレーディングという作業が興味深い。

Insta360 Ace Pro 2 で 8K撮影が実用になることもわかった。
これに標準レンズのカメラを組み合わせ、三脚もジンバルも使わず、すべて手持ちで、いつもの散歩道をロケ地にする。
機材や機能を足すのではなく、むしろ引き算する試みだ。

そこで、今回の撮影と編集のために、次の 5つのコンセプトを立てた。

1)ロングテイクと「歩行ショット」を優先する

歩く人の後ろ姿や横顔を、長回しで捉える。
都市が呼吸している瞬間に、偶然が立ち上がらないかを待つ。

2)「音楽の支配力」を強める

音楽が映像を導く構造にする。
映像の切り替えを音楽の節目に合わせることは、あえてしない。

3)感情の「間」をつくる(ポエティック・エリプス)

説明はしない。
物語を語らず、観る側に「次」を想像させる余白を残す。

4)偶発性を活かしたドキュメンタリー的編集

偶然映り込んだ風景や人を排除しない。
歩行者の横顔、足元に落ちる影、風に揺れる行灯、市場ですれ違う一瞬――
そうした断片を、そのまま使う。

5)スロージュース(ゆっくりズーム/パン)を多用する

手持ちで、ゆっくり寄り、ふっと離れ、また引く。
揺れも含めて、モニターは覗かない。

Insta360 を「街の空気」だとすれば、標準レンズは「街のエレメント」だ。
標準レンズは F2.8固定、マニュアルで約3mに置きピン
ピントは合わせない。

つまり、
AFは使わない。
モニターも見ない。
三脚もジンバルも使わない。

いまの機材のスペックが本来向かう方向とは、真逆の使い方である。

だが、だからこそ見えてくるものがあってもよいだろう。
しばらくは、このプリミティブな撮影方法かなあ…!。

youtu.be

 

エッセイ1045.元旦の輪郭

 

2026年1月1日 新年あけましておめでとう

実をいうと、元旦は言葉が生まれにくい。

一年の計は立たず、
新しい誓いも胸に芽吹かない。
ただ、暦だけが新しくなっている。

街へ出れば、
人はみな初詣へ吸い寄せられ、
レンズの前には同じ風景しか残らない。
店は早くに扉を閉じ、
街は呼吸を浅くしている。

することが、ない。

目覚ましをかけずに眠り、
遅く起き、
親戚の声を遠くに聞きながら、
「平和だな」と思う。
仕事は、動かない。

今年も予約投稿だが、
元旦の一日を思い浮かべると、
浮かぶのは、いつもこの輪郭だ。

そして結局、
思い描いた通りの時間が流れていく。

それが、
元旦という日の静けさなのだ。

 

1044.京都人の嫌いな事



晦日、の京都。

東京人が、お正月に来るという。

なんで、お正月なんだよ。

平日にくればいいじゃん。

三島亭のお肉が食べたいという。

そら、きた。京都人の嫌いな雑用が。

平日に、くりゃ、いいじゃん。

お店で食べられるじゃん。

だから、大丸で並ぶ、

4箇所の入り口は、すでに200人以上列。

寒風で15分は、待つ。

やあやく玄関が開く。

老舗に並ぶ列が、食品売り場のなかを、やまたのおろち、みたいに売り場を徘徊している。

まだ今年は、巳年だったか。

エッセイ1043.今年も結局、論文とカメラで終わっていく

Insta360Acepro+ケージとSONY指向性マイク

この原稿を書いているのは12月9日。公開日は大晦日
どちらにしても、街はすでに師走の気配で満ちているはずだ。

そんな頃、深圳の Insta 社から FedEx でアクションカム用ケージが届いた。
さっそく AcePro360 に装着してみる。アクションカムはもともとスポーツ用途を前提に作られているので、街歩きで使うと少し“無骨すぎる”ところがあり、シャッターボタンの押しづらさも気になっていた。

しかしケージをつけると、たちまち小型デジカメのような佇まいに変わった。
独立したシャッターボタン、握れるグリップ、そしてケージ自体がバッテリーになっていて長時間撮影つかえるのが凄く便利だ。おそらく丸一日、京都の街を歩きながら収録できそうだ。

こういう“痒いところに手が届く”アクセサリーは、日本メーカーからはまず出てこなかった類いの製品である。
AcePro360 のレンズにはLEICA  Super Summarit と刻まれていて、YouTube 界隈では「ライカがデザインに関わっているらしい」と噂されている。真偽はともかく、妙に完成度が高いのは事実だ。

実際ロケに行くとFX30のシステムに、これを持って出かけることが多い。

さて夕方になったら、京都の街をこれでスナップしよう──などと考える。

もうひとつ届いたのは、FX30 用の SONY ECM-MS2。
これは無指向性寄りのコンデンサーマイクで、街の雑踏や冬の空気感、自然の鳴き声のような“環境音”を広く拾う用途に向いている。

対照的にガンマイクは指向性で、雑踏の中から舞妓さんのぽっくりの音だけを抜き出すような“狙い撃ち録音”ができる。舞台撮影には向いているが、今回は環境音を主役にしたかったため MS2 を選んだ。

冬の京都の環境ビデオを撮る時に活躍するだろう。

さて、問題の α7C2 である。
手元の α6600 の代替だが、価格は緩やかに下落中。
韓国の“キャリアウーマン詐欺師”をモデルに雪の歴史街区でロケをする……という、あの与太話のような夢も完全に消え去った。急ぐ理由もなくなったわけだ。

来年2月あたりが底値かもしれない。
本命はあくまで FX3 の後継機だから、C2 は“つなぎ”としての役割だ。

そんなことを考えているうちに、また師走の一日が静かに過ぎてゆく。
いや、静かどころではない。学術論文の締切が近づいている。

今年の年越しは、どうやら「論文を書きながら迎える正月」になりそうだ。

──良いお年を。

 

エッセイ1042.レンダリング待ちにやってきた国際詐欺師の話

国際詐欺師が送ってきた画像をchatGPTで生成した撮影ロケイメージ

二ヶ月ほど続いた建築3DCGづくりは、レンダリングとの我慢比べだった。
数分作業しては十数分の待ち時間。その繰り返しだけでも、百本ノックのような日々だ。

そんな“手持ち無沙汰タイム”に、FBの「知り合いかも?」から突然現れたのが——
国際ロマンス詐欺師である。

最初に送られてきたのは、ドイツ車の運転席で撮ったキメ写真。
プロフィールには、台湾出身、韓国でビジネス経営、ペンシルバニア大学MBA取得…と、
「詐欺師テンプレートですか?」と突っ込みたくなる豪華設定が並んでいた。

とはいえ、CGのレンダリング待ちで退屈していた私は、
「まあ、数日くらい遊んでみるか」と軽いノリで観察開始。

案の定、すぐにLINEへ誘導。
QRコードを送ると、アジア圏訛りの日本語音声が届く。
“声で信用させる”という典型的な手口だ。

数日間は、まあまあ平和に雑談が続いた。
せっかくなので、彼女の写真をもとに chatGPT で“雪のソウルで撮影した風”の画像を作ってみたりして、こちらの創作欲も一瞬だけ盛り上がった。

しかし、本題である私の論文がまったく進まない。
そこで核心を突く質問をしてみた。

MBA修士論文のタイトルは?」

返ってきたのは日本語で謎めいた一文。
「 アメリカの大学だから、英語タイトルがあるでしょう?」と聞くと、堂々の

“Business administration”

いや、それは専攻名であって、論文タイトルではない。
世界のどの大学院でも通用しないタイトルだ。
ここでゲームオーバー確定。

やんわり指摘し、私が英訳した文を送り返し、
「グッバイ・ソウルの女」で終了。
FBもLINEもそっと削除した。

冷静に振り返ると、怪しさは最初から満載だった。

  • FBは誰かの乗っ取りか短期アカウント。そのサイトを半分にちょん切った画像を送りつけてくる

  • 会社名などの属地的情報を絶対に言わない

  • 台湾→米国→韓国という多言語環境で日本語だけ妙に流暢という矛盾

  • そして自分の論文タイトルを言えない致命的ミス

典型的な国際詐欺ケースだ。

しかしまあ、数日間とはいえ“雪のソウルの架空モデル”という
創作の妄想をくれたのは事実。
夢を少しばかり見せてくれた詐欺師に、苦笑いの一礼だけしておこう。

なお、生成したAI画像はFBをのっとられた実在人物が存在するはずなので、配慮して顔を少し変えてある。

 

エッセイ1041.支援のパラドックス——“助け合い”が持つ影響を読み解く

AIが生成した救世軍の熱末助け合い画像。こんなだったかなぁーと疑問だが。

年末になると、メディアで「歳末助け合い」という言葉を目にする。
かつて救世軍の街頭募金が象徴的だったが、今日ではビルの大型スクリーンに映し出される国際ニュース、例えばウクライナ戦争の報道がその位置を占めている。
こうした視覚的な情報環境の変化を眺めながら、一つの仮説が浮かんだ。

それは、国際社会における「支援」という行為が、場合によっては戦争の長期化に寄与する可能性がある。
ウクライナへの軍事支援は、各国が「助け合い」の理念にもとづいて行っているものだが、その結果として戦争が継続されてきた側面があるという指摘は、国際関係論の分野でも一定の議論が存在するだろう。

もちろん、支援がなければウクライナが早期にロシアに併合されていた可能性もあり、どちらが望ましいかは単純に結論づけられない。
重要なのは、「助け合い」が常に平和をもたらすとは限らず、逆に紛争の構造を変化させる場合もあるという点である。

日本に目を向ければ、政府も国際協力の一環としてウクライナ支援を行っている。
ここには日本社会に根強い「連帯」あるいは「相互扶助」の価値観が反映されていると見ることもできる。
だが、その価値観が国際政治の文脈においてどのような結果をもたらし得るのかについて、十分に議論されているとは言い難い。

歴史的に見ても、日本は「戦争反対」という大衆的な意識が存在しても、政策決定や国際環境によって意図せず戦争に巻き込まれてきた時期がある。
ゆえに、感情的なスローガンだけではなく、国際情勢を冷静に分析し、因果関係を理解し、論拠に基づいて判断する能力を個人一人一人が持つことが重要となる。

そんな悪例として、コロナ禍で見られた“マスク警察”のような現象を挙げられるだろう。
形式的な規範が個人の判断を上回り、他者への干渉が生まれる。
社会心理学的には、同調圧力が強い社会では、こうした現象が集団的行動として拡張しやすいとされる。
このような流れが、無意識のうちに大規模な社会的方向転換につながる可能性も否定できない。

だからこそ、ドイツ・アメリカの思想家ハンナ・アーレントが語った
「考えて、考えて、考え抜け」
という言葉は、現代社会において再び意味を持つ。
助け合いの理念そのものを否定するのではなく、その作用や背景を多角的に検討し、主体的に判断する力が求められているのだ。

 

 

エッセイ1040.旧世代の限界と次世代の胎動:α7Ⅴ発表後の機材選択

このシステムにするかなぁー。レンズのデザインが違うのはchatGPT生成画像の愛嬌。オリジナルティがあってよいか…。

SONYの上位機種に搭載されていた次世代型イメージセンサーと処理システムが中型機まで降りてきた。

デジタル撮影機材の性能は、最終的には イメージセンサーアーキテクチャ
そのデータを処理する 画像処理エンジンのシステム によって規定される。
SONYの場合、これまでの主力機――α7Ⅳ、α7SⅢ、α7Rシリーズ、α7CⅡ、
さらにシネマ系の FX6・FX3・FX30――は、画素数や筐体設計こそ異なるものの、
根幹となるセンサー世代とプロセッシングシステムは共通していた。

そのため、各機種は用途別に最適化されてはいるものの、本質的には同一世代の技術基盤で構成され、
結果として 読み出し速度や解像度・クロップ処理に共通の限界 を共有していた。

■ 既存世代のボトルネック

旧世代のシステムの最大の制約は次の二点に集約される。

  1. 4K/120p は約1,200万画素まで画素数を下げなければ達成できない

  2. 4K/60p 以上で高画素にするとセンサー読み出しが追いつかずクロップが発生する

これは裏面照射型センサーの物理的読み出し構造に由来するもので、
機種間の差ではなく 世代そのものの限界 だった。

■ α7Vで起こった“世代交代”

今回登場した α7V(第五世代) は、中堅機に明確な分岐点を作った。
新たに採用された

  • 部分積層型 CMOS(stacked architecture の簡易版)

  • 新世代 BIONZ XR2

の組み合わせは、従来の速度ボトルネックを改善し、
SONYのラインナップ全体が“次世代仕様”へ移行し始めたことを示唆している。

この技術基盤が確立したことで、来年以降は

  • FX6 の後継

  • FX3 の後継

  • α7S 系の世代交代

などが本格的に現実味を帯びてくるだろう。

■ 過渡期の選択肢としての α7CⅡ

問題は、次世代シネマ機が登場するまでの時間 である。
発売直後の機種は高価で、価格が市場で安定するには半年以上かかる。

その間の“穴”を埋める現実的な選択肢が α7CⅡ だ。

  • ボディ重量約500gで携帯性が高い

  • 次世代手ぶれ補正ユニットを搭載

  • フルサイズ+スーパー35mmモード により、
     一本のレンズで二つの焦点距離を扱える

  • 旅行・フィールドワークでの機材点数を減らせる

旧世代センサーゆえ 4K/60p がクロップされる という制約は残るものの、
小型軽量ボディと高効率の手ぶれ補正は、
“ジンバル依存からの脱却” を可能にする設計思想として評価できる。

また、第五世代の登場によってα7CⅡは来年以降「型落ち」となり、
価格が下がるのも確実で、コストパフォーマンスの観点からは魅力が増すだろう。

■ 結論:本命は次世代FX3、しかし「過渡期の最適解」は別にある

本命はあくまで 次世代のFX3後継機 である。
部分積層型CMOSがシネマラインに展開されれば、
これまでの制約を超えた映像制作プラットフォームになる。

しかし、それが市場に降りてくるのは時間がかかる。
価格がこなれるにはさらに時間が必要だ。

いやむしろ他社の追い上げがあるから、SONYは来年一気に次世代型システムにする可能性も高い。

さて、その間をどう埋めるか。

  • 軽量・次世代システム・スーパ35mmモード を評価して α7CⅡを暫定導入するか

  • あるいは 手元機材のフルサイズ不在 の現状でもう少し待つか

この判断こそ悩ましい点だ。

 

エッセイ1039.AIを料理する側でいたい──拒否通知に学んだこと

chatGPTに生成させた恍惚の表情

昨日が暗い内容だったので、今日は少し“口直し”として明るい生成画像の話を書いておく。

AIにテーマは 「舞子が初めて男を体験したときの恍惚の表情」
もちろん実写では絶対に不可能な題材だ。もし現実の写真が出回ったら、花街の女将たちは血相を変えて画像の回収に奔走するだろう。
だからこそ、AIならではの虚構世界を楽しめる──はずだった。

しかし返ってきた返事はこうである。

「申し訳ありませんが “舞子が初めて男を体験したときの恍惚の表情” は性的描写を含み、
また“舞子”は未成年である場合が多いため生成できません。」

なるほど。AIにも“分別”というやつがあるらしい。
正確には、巨大な既存画像データの影響下にあるから、踏み外すと本当に“実在の誰か”の姿を侵害しかねない、ということだ。

ではテーマを変えてみる。

「舞子が初めての恋に落ちたときの表情」

はい、こちらも拒否。

“This image generation request did not follow our content policy.”

仕方ないので、ついに“舞子”の語を諦めた。

「フィクションの“大人の女性キャラクター”の恍惚表情を抽象表現で」

ようやく出てきたのが、ブログ上のトップ画像である。
見た瞬間「お、これは西洋絵画だな」と思ったので、日本人女性をリクエストすると──また拒否。

どうやら 恍惚表現は西洋絵画では伝統だが、日本では文化的に“題材が存在しない” らしい。

そりゃそうだ。鳥獣戯画という漫画を初めて発想した歴史がある。

だから今も漫画大国なんだ。
このあたり、AIの“学習素材の偏り”がはっきり現れていて面白い。

では今度は俳句だ。

「師走列ビーナの股間で腹満たす」

12月の帰省ラッシュで空港カウンターに外国人が延々と並ぶ“師走列”。
“ピーナ”はフィリピーナ。
長い列で腹は減るし、目の前のお姉ちゃんの股上の深いジーンズでも眺めて空腹をごまかす──そういう句だ。

当然ながら返事はこうなる。

「内容をそのまま視覚化することは性的・不適切な表現に該当するためできません」

そこでテーマを10回ほど変形して、ようやく生成にこぎつけた。
つまりAIに“そのまま”従っても駄目で、こちらの意図があって初めて素材になる。

つまるところ、

AIを素材として料理し、こちらの創造性に組み込んでこそ解放される。

じゃあ、制限フリーでコスチュームの画像を裸婦にしてくれる系のAIでも頼ろうか。

捜せば、それ系のAIサイトが結構あるじゃん。だが画像から体型を判断して頃合いのよさそうなボディを着せ替え人形よろしく、くっつけてくれてもつまんないし…。

画像に求められるのは、リアリズムなんだよね。

 

俳句をもとにしてchatGPTが生成したフィリピーナ

chatGPTが生成したフィリビーナの人体。美大のデッサンでは裸婦だけど、GPTは邪魔なコスチューム付きで、裸婦を生成してくれない。それでも皮膚の質感が平民の女の子らしく、日焼けし皮下脂肪が付いた、かえって色っぽいリアルな二十代のボディにはなっていそうだ。

chatGPTが生成した人体。皮下脂肪をそぎ落とした叔母さん!。人体デッサンではそんなモデルさんもいたけど。GPTは前側はつくらないそうだ。それでは絵画が成立しなくなるけどな。だからGPTは文科系もいいところだ。それに画像が大変ダサい。これにつきあっていては藝術は進歩しません。

adobeのAIが生成した。これぐらいの生成をしないと人体や魅力が伝わらない。

adobeAIが生成。フリピーナの20代はこれぐらいのスタイルだと、こちらは使える画像になります。ただしこれは、モデルさんクラス。普通の20代は、ここまではゆきません。

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