
給食会社の営業部長。中小企業なので人手が足りないときは営業以外の業務をヘルプすることもある。代理なので、専門スタッフには及ばないが、自分なりに最善を尽くしている。これは「ベストを尽くす」の意味ではない。無難にこなす、後から問題にならないよう、言動には気をつける、という意味だ。本業以外の業務で失点したくない。というのもヘルプでプラスを作っても会社上層部から「君の本業ではないから」と評価されない一方、しくじってマイナスを作ったときはしっかりマイナス評価されるからである。そんなクソ仕様なのでミスをしないように慎重に当たっている。
先週金曜日の昼過ぎ、電話がかかってきた。かけてきたのは昨年10月に僕が立ち上げた現場のパートスタッフKさん。当時、人手不足のため当該現場の立ち上げの責任者を僕は代理でまかされていたのだ。Kさんは僕が採用したパートさんだった。今年の4月にその現場は本来の担当者に引き継いだので現在の状況を僕は知らない。現場を離れている僕にパートさんが用事があるとも思えなかった。Kさんは唐突に「時給がまちがっています」と切り出し、僕が面接の際に口頭で約束した額より時給が30円安いとKさんは主張した。僕は慎重に対応していた。雇用条件については口頭だと言った言わないの話になるので、会社の規定で書面で提示することになっている。それを告げるとKさんは「書面は見た記憶がある。だが、内容は覚えていない」と認めたものの、「書面を見ながら部長さんは、書面に書いてある時給とは異なる金額を口頭で私に告げました」と主張した。書面覚えてるやん。きっつー。仮に僕がそれをやったとして何の得があるというのだ。失点したくないマシーンなのに。
いやちょっと待て。昨年10月に雇用して丸11ヵ月経った8月末、今になって時給が間違っていることに気付いたわけ?おかしくないか。それを指摘すると「ウソみたいに聞こえるかもしれませんが本当です。部長さんだってそういうことあるでしょう」とKさんは言った。Kさんは僕という人物をわかっていない。もし僕がこづかいを知らないうちに100円少なくされたら、たちまち気が付いて、奥様に泣きつく。お金は大事だからね。
「確認してください」と言われたので労働契約書を確認したが、現在の時給が記載されており(当たり前だ)、Kさんの印も押してあった。「労働契約書に現在の時給が記載されていて、Kさんの印も押してありましたよ。お手元のコピーを確認してもらえばわかるはずです」と僕が伝えるとKさんは「それはそうなんですけど」つって別の方向へ話をもっていった。なんと同じ現場で同じ時期に働きはじめて現在も在籍しているパートスタッフ5人全員が僕が伝えた時給金額と違う金額が支払われていて、11ヵ月経った8月の末に5人全員が同時にそのことに気がついて、労働契約を締結する際に5人全員が金額を確認するのを忘れて印を押してしまったと主張したのだ。「確認してください」と謎の強気で言われたけれど、間違いのない労働契約書を確認できただけである。5人全員が同時に記憶障害を起こすなんて不思議だね。UFOに拉致られたのかな。
とんだ言いがかりである。なぜこんなことをするのか。まるで「弁護士から連絡があって知ったのだけど某アニメの挿入歌、僕が大昔につくった曲に似てない?ファンのみんなはどう思う?」とネットでつぶやくアーティストのようだ。Kさんは時給アップを狙ったのだと僕は考えている。現在の現場の状況は知らないが、立ち上げに関わっていた、そこそこの立場のある僕は格好のターゲットである。粛々と対応しよう。こちらには非がないのだから。相手のペースに巻き込まれないようにしよう。と思っていたら切れるカードのなくなったKさんが「部長さんは、私に個人的に好かれたいと思って、リップサービスしたのかもしれないけど」なーんて言い出したので鼻血がブーっと出そうになった。60歳オーバーのパーマきつめのおばはんに好かれたいと思ったことは、1974年冬の寒い日の朝に母親の腹から出てきてから一度もないのですけど。
最後にKさんは「部長さん、労働契約書とおっしゃいますけど、そんな紙のつきあいではなく、血の通った話し合いをしましょう」と言い出したので、紙に書かれた社内規定にしたがって人事労務の担当者にこの件は任せることにした。きっつー。このように世の中には、万が一成功したらラッキーくらいの軽い気持ちで無茶苦茶な理屈を武器に真顔で攻撃をしかけてくる人がいる。付き合っていられない。(所要時間23分)