
2026年令和8年丙午 正月
あけましておめでとうございます。
本年も相変わりませず、よろしくお願い申し上げます。
断腸亭
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丙午は、音読みだとヘイゴ、訓読みだと、ひのえうま。
60年に一度しか回ってこないが、年齢が近いので、あー、
この年かと、我々の世代だと多くの人がどんな年か
ご存知かと思う。私の妻の弟が三つ下で、この年の
生まれだが、人数は前後と比べて少ない。
ひのえうまは、十干十二支(じゅっかんじゅうにし)で
一般には最も有名な年ではあろう。
さて、十干十二支とははなにか。ちょっと書いてみよう。
十二支はご存知の、子から亥までの十二支。十干は、甲
(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、
戊(つちのえ)、己(つちと)、庚(かのえ)辛
(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)の10個。
十干十二支にするには、最初が甲、きのえと、子、ね、
の組み合わせで、きのえね。ここから始める。次が乙丑、
きのと、うし、その次が、丙寅、ひのえとらと、一つずつ
順々に組み合わせていく。
これで60通り、60年になる。同じ組み合わせがまた巡って
くるのは60年、六十干支(かんし)かかるわけである。
で、これがご存知の通り、還暦ということになる。
つまり、私の義弟など、ひのえうま、1966年生まれの
皆さんが60歳で、今年還暦。
十干十二支は、私など日本史を学んだものは、壬申の乱、
戊辰戦争など年を現わすのでその年の出来事の用語として
使われておりそれなりに馴染はある。
明治になるまでは、正式な公文書類はもちろん男性の書く
記録、個人の日記などにも使われていた。
私の生まれは昭和38年(1962年)癸卯(みずのとう、
キボウ)で今年63歳になるわけである。
また十干十二支は歴史的には、我が国を始め朝鮮半島、
ベトナムなど漢字文化圏で使われていたよう。
我が国では十二支は今でも一般に使われ馴染みが深いが
十干の方は明治の初めに太陽暦の採用とともに通常は
使われないようになったので今はほぼピンとこない。
十干も十二支も古代中国、殷の頃には既に使われていた
ようだが、これが入ってきたもので古墳時代には我が国でも
使われていたよう。やはり文字、漢字を使うようになった頃
からということであろう。
あの安倍晴明で有名な陰陽道と呼ばれる暦の思想に含まれる
ものといってよい。従って、年だけでなく広く暦、方位
などにも使われているもの。
ともあれ。今、丙午、ひのえうまの俗信はどのくらいの
人に影響を与えているのであろうか。ちょっと興味がある。
(蛇足だが、十干十二支は、いわば絶対値のようなもので、
古代から現代まで一貫して続いている。そうすると、最初の
甲子、きのえねが、どこかの年で始まっているわけなのだが、
それはどうやって決めたのか。先の陰陽道では説明できる
のであろうか。気になる。)
さて。今年、2026年令和8年丙午、なにやらまた年初から
国際情勢は風雲急を告げているがどんな年になるのか。
年初だが、旧臘のものがまだ一本残っていたので、
ここから始める。
12月30日(火)夜
軍鶏鍋や、と、いってよいだろう。
まあ、そう頻繁に行くまでもなかろうが、
やはり一年に一度は行きたい店。
池波先生の行き付け、でもあった。特に、夏、と書かれている。
軍鶏鍋、鳥すき焼、いろんな言い方があるが、
江戸からの東京名物である。
むろん予約。18時。
内儀(かみ)さんとともに、タクシーで向かう。
着いて、玄関を入る。下足番のお兄さんに名乗って、あがる。
この界隈にはかなり少なくなったが、ここも戦前の建築で
都指定歴史的建造物。
ここのところ二階の広間が多かったが、今日は一階。
八畳ほどの部屋であろうか。だがこれでも個室ではなく、
ここは、皆、入れ込み。
お膳。
左側が銅貼りだが、炭火のコンロに掛かった年季の入った
鍋。店の名入り。
基本、鳥すきのコース9,000円也。
ビールとお通し、まぐろの佃煮。
肉とザクが運ばれ、
やっぱりお姐さんが最初だけは鍋に入れてくれる。
レバーや砂肝のモツ、つくねを含めて鶏肉各部位と白滝
太くて立派な白ねぎ、焼豆腐。
やはり、江戸東京らしくごちゃごちゃと入れない。
絶妙な塩梅の甘辛の割り下で煮る。

見てお分かりになろう。これ全部でけっこうな量なのである。
お姐さんは最初に入れるだけはしてくれるが、高級
すき焼きやのように、取るまではしてくれない。
あとは、どうぞ、と。
モツ類はかなり小さく切られ、正肉も薄くそぎ切りに
されている。やはり火の通りやすさを考えている
のであろう。
煮えては食い、また鍋に入れる。
もう、夢中で食う。
また、食う。
ある程度、終わりが見えたら、ご飯を頼む。
肉を残して置き、卵でとじた親子丼にしてもらう。
三つ葉を散らし、
いい感じに仕上がった。
親子丼というのは、かの有名な人形町[玉ひで]が元祖と
自ら言っていたと思うが、やはりこうしてみると、江戸から
明治にかけ、おそらくかなりの数、東京下町にあった鳥料理や、
軍鶏鍋やのどこで生まれてもおかしくないものであったことが
よくわかろうというもの。
水菓子、みかんがきて、ご馳走様でした。
腹一杯。
勘定は、座敷で、二人でぴたり20,000円也。
うまかった、ご馳走様でした。
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