前の記事の最後に書いたように、プルーストの「失われた時を求めて」を、挫折覚悟で読み始めている。
きっと10ページも読めないだろうと思っていたけど、読み始めたら予想外に面白い。
描写されているのは、語り手である男性が、ベッドでまどろんでいるときに脳内に湧き起こる想念の詳細と、それについての執拗な分析や見解、さらにそこから連想される諸々の雑事など。それがきりもなく語られている。
それが、妙に面白い。
本文の前に、訳者の高遠弘美氏の「前口上」があって、こんなことが書かれていた。
プルースト生誕百年だった一九七一年のこと、福永武彦が「私はこの大長篇のうち、初めの方の四分の一ぐらいを読んだにすぎない」と新聞紙上で書いたことがある。
それでいいのかフランス文学者。(´・ω・`)
そういえば大学生のころ、研究室の飲み会で、教授(日本語学)が、『失われた時を求めて』の読破に再挑戦していると話していたのを聞いたけど、その後、読了したという話は聞かなかった。
1980年代の文系の学生には、ジョイスの「ユリシーズ」やプルーストの「失われた時を求めて」のような、一般的に難解とされる作品を「読んでいる」と表明することを一種のステイタスと捉える層と、そういうペダンティックで空虚な振る舞いを黙殺、あるいはこっそり冷笑する層とがあったけど、私はそのどちらでもなかった。
そういう読了困難な翻訳小説が存在していると聞いて、ごく素朴に興味を抱いた私は、すぐに大学の図書館に行ってプルーストの棚を探し、「失われた時を求めて」の巻数の多さに唖然としつつも一巻目を手に取って開き、冒頭部分を少し読み…
そっと棚に戻して帰宅した。
その時の自分(18歳)が、「失われた時を求めて」を目にしてなにを思ったのかは、全く覚えていないけれども、自分にはこれは読了できそうにないと判断したのは間違いない。
その冒頭がこれだ。
長い間、私はまだ早い時間から床に就いた。ときどき、蠟燭が消えたか消えぬうちに「ああこれで眠るんだ」と思う間もなく急に瞼がふさがってしまうこともあった。そして、半時もすると今度は、眠らなければという考えが私の目を覚まさせる。私はまだ手に持っていると思っていた書物を置き、蠟燭を吹き消そうとする。眠りながらも私はいましがた読んだばかりの書物のテーマについてあれこれ思いをめぐらすことは続けていたのだ。ただ、その思いはすこし奇妙な形をとっていて、本に書かれていたもの、たとえば教会や四重奏曲やフランソワ一世とカール五世の抗争そのものが私自身と一体化してしまったような気がするのである。
45年前に手に取ったものと翻訳は違っているだろうけど、18歳の自分が読んでどう思ったかを推測することはできる。
当時の私は寝入り端に頻繁に金縛りに合うという、睡眠障害のような問題を抱えていて、金縛りの最中に襲いかかる恐ろしい幻覚や幻聴に怯えていたから、眠りながら思考するといった、ある意味平和な睡眠のあり方が存在すると言われても、全くピンとこなかっただろうと思う。
その後に続く「フランソワ一世とカール五世の抗争」云々も、世界史音痴の私を退散させるには十分な障壁だったに違いない。おそらく、この箇所まで目を走らせて、私(18歳)は本を書架に戻したのだろうと思う。
だけどその時、あとほんの数ページ先に目を通していたなら、書架に戻さずに、貸し出しカウンターまで本を持っていったかもしれない。
あるいはそれよりも不自然で、寝るにはほど遠い姿勢、たとえば、夕食のあと、肘掛け椅子に座ってうとうとしたようなときには、身のまわりの世界は秩序を失い、完全に変調をきたすだろう。それは魔法の椅子に座ったまま全速力で時空を旅するようなものであり、まぶたを開けた瞬間には、自分が寝たのは何ヶ月も前、それも別の国でだったと思うに違いない。
(同上)
まるでSF小説から想を得たような一節だけれども、本書の註釈によれば、おそらくプルーストはH.G.ウェルズの「タイムマシン」(1895年)を念頭に置いていただろうという。SFが大好きだった当時の私であれば、この一節から勇気を得て、大著の1巻目を借り出すところまでは行けたと思う。
まあ読み終えられず挫折しただろうけど。(´・ω・`)
ちなみに、「失われた時を求めて」第1巻の刊行は、1913年、プルーストが42歳ごろだったという。
1913年というと、日本では大正2年で、巷では松井須磨子の「カチューシャの唄」が大ヒットして、森永ミルクキャラメルが発売になった年だと、Wikipediaに書いてあった。
「失われた時を求めて」の日本語版は、1931年(昭和6年)で、 淀野隆三・佐藤正彰・井上究一郎・久米文夫訳で、武蔵野書院から出たのが最初のようだ。
私が大学図書館で手に取ったのは、時期的に、1953年から刊行されたという新潮社版(全13巻)あたりではないかと思う。
当時の本を見てみたくて、ヤフオクあたりで出ていないかと探してみたけど、残念ながら出品は見当たらなかった。あまり売れなかったのかもしれない。
H.G.ウェルズの「タイムマシン」は、奇しくも「失われた時を求めて」の原作第1巻が出た1913年に、翻案小説が日本から出たという。
翻案したのは黒岩涙香(1862-1920)で、海外の小説の翻案を多数手がけて新聞に掲載し、評判になったのだとか。
その黒岩涙香版「タイムマシン」は、現在、Kindle Unlimited(読み放題)で利用できるようなので、読んでみようと思う。


