宝永4年8月16日。辰半(午前8時)過ぎから文左衛門は政右と末森山へ出かける。3間(1間は約1,8メートル)の梁に4間の塩硝蔵が5つ建っていた。その間に舎塀を築き、それぞれを隔てていた。惣構(外周)の舎塀は東西40間、南北80間。他にも西には足軽・中間などの長屋ができていた。作事奉行は今井甚左衛門であった。文左衛門は酒を持たせて、まむし池で頂く。帰りに末森でまた頂く。その後、伊勝山宗寿のところに寄る。酒や食事を頂いて楽しむ。政右と一緒に日が暮れて帰る。文左衛門は弥中にだいぶん吐く。