聖者の境地は、聖者にしか分からない。と言ってしまえば、話はここで終わってしまう。ショーペンハウアーの力を借り、無理に想像して書いてみよう。本気にしないように。 人間に、真に根源からの反省と批判がはっきりと現われるのは、肯定された意志の自己否定という、パラドキシカルな決意のなかにおいてである。 総じて否定とは、Aを否定してA以外の何かを肯定する結果に落着するものである。ところが意志の否定の場合だけは、意志以外の何かを肯定するという結果は生じ得ない。 全宇宙は生きんとする意志であり、生きんとする意志以外のなにものも存在しないからだ。 では、どういうことになるのか。 この袋小路から抜け出るために昔か…