73歳という、自己の人生を省みることができる年齢まで生かされてみて思うのは、生まれた瞬間から『私は何のために生きるのか?』という『問』を探し出す為に懸命に生きてきたように思う。 『答』というのが、『問答』という言葉のように表裏一体になっていて、その正体が『郷理・さとり』であることは、直感的にウッスラと解っていても、そこに至る『問』が何なのか私には解らなかったし、まして『問答』というものが、『重ね合わせ・もつれ』現象の関係にある…とは想像もしていなかったその昔、実際には『問』があまりにも巨大過ぎて、自分の視界から完全にはみ出し、まったく観えていなかった・・・というべきであろう。 巨大な『問』が、…