戦国時代の人物の中でも、石田三成ほど評価が分かれる武将は少ないでしょう。関ヶ原の戦いで西軍の中心人物として知られ、「裏切り」「融通が利かない」「人望がない」といった否定的なイメージが先行しがちです。しかし、史料を丁寧に読み解いていくと、彼は単なる敗者でも冷酷な官僚でもなく、豊臣政権を支えた極めて有能な実務家であり、強い信念を持った人物だったことが見えてきます。本記事では、石田三成の生涯と功績、そして誤解されがちな人物像について掘り下げていきます。 1.石田三成の出自と若き日の才覚 石田三成は近江国(現在の滋賀県)に生まれました。若い頃から知恵に優れ、寺で学問を修めたとも伝えられています。豊臣秀…