歌手。元祖・御三家の一人。 1960年に「潮来笠」でビクターレコードからデビュー、同曲で第2回日本レコード大賞新人賞を受賞し、「第11回NHK紅白歌合戦」にも初出場。 1962年、吉永小百合とのデュエット曲「いつでも夢を」が30万枚以上を売り上げる大ヒットとなり、第4回日本レコード大賞を受賞。 1966年、「霧氷」で第8回日本レコード大賞を受賞。
いつでも夢を (MEG-CD)
2025年はどんな1年でしたか?「仕事の思い出」を振り返って、Amazonギフトカードをゲット! 良かったことも、悪かったことも、全部ひっくるめてブログ&SNSでシェアしてください! MEETS CAREER × Hatena Blog 特別お題キャンペーン #2025年仕事の思い出 by マイナビ転職 ブログ更新が仕事のようなものなんです!稼いではないけどホントです。毎日更新続いてます。そうルーティン化してます。1週間の中で、土日にまとめて5~6記事を打ち込んで予約投稿、そして、だいたい、月曜とか火曜とかの朝の時間帯に「あっ、これ書いてみたい!」と思いつくんです。1回で仕上げられず、2~3回…
※本ページには、プロモーションが含まれています※ ☆ランキング参加中☆ にほんブログ村 #ライフスタイル どうなんでしょ?正直なところ、二代目っていうのは?この出演スターの中で、ちょっとー、いやかなりー、異色に感じるのは、「二代目橋幸夫yH2」だよね! 前回シリーズリンク hatch51.com まずは、まだ最近のニュースであるので、しかも、前記事で取り上げているので、一代目、橋幸夫さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。前記事でも触れたが、病魔に苦しむ中でも、ファンの復活への期待の声に応えて、歌手現役引退を撤回して舞台に立ち続けた姿はカッコいいし、尊敬したいですね〜。 前回リンク hatc…
※本ページには、プロモーションが含まれています※ ☆ランキング参加中☆ にほんブログ村 #ライフスタイル 色んなジャンルの往年のスターを結集して執り行う手法がスゴい!とやはり思わざるを得ない、夢スター歌謡祭だ。 前回シリーズリンク hatch51.com 正直に言うと、13プロの16人が挙がっているが、13個の記事を書こうと思えば書けそうではある。だが、それをやっちゃうと、世代がバレバレすぎるので、いや、もう既にダメかーぁ。 前回リンク hatch51.com 聴いてみたい、見てみたいと思うのはー、、、、『学園天国』by 元フィンガー5 晃(あきら)かな。まぁ、大ヒットしただけでなく、カバー…
橋幸夫さんが亡くなったというニュースを見て一度引退宣言をしてその後撤回、割と最近まで所属していた事務所、夢グループのCMに出演していたのを見たような気がします。 橋幸夫さんは歌手として長きに渡り第一線で活躍していましたが、その一方でレコード会社の副社長だった事もあります。 リバスター音楽産業だったと思いますが、このレコード会社から1984年にデビューしたのが「セイントフォー」でした。 橋幸夫さんがプロデュースしたという事をアピールしていたように記憶していますが、Wikipediaを見ると実際に橋さんと会ったのは1~2回だったと書いてあり、実際はプロデュースもしていなかったとの事。 ◇ 実を言う…
下界の天気は悪くても、雲の上には紺碧の空が広がっている。 「そこは青い空だった」(1964年 橋幸夫 吉永小百合) 作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田 正 727(seven two seven) この語感と響きから空の旅への強い憧れを抱いたものの、飛行機に乗ることは叶わぬ夢だった。 その夢が実現したのは、歌が世に出てから15年後だった。 歌詞に残念な箇所がある。 北のすずらんと南のパインは、「匂う」ではなく「香る」の方がよかった。吉永小百合の歌う箇所だからなおさらのこと。 橋幸夫さんの御冥福をお祈りします。
男女のバレーボール、惜しかったですね。日本は、大体、前半、力負け、後半、粘り勝ち、で、最終セットとなるのですね。 サッカーもメキシコとがんばり、阪神もおめでとう、です。 橋幸夫さんご冥福を。 石破総理退陣、私としては、後にめぼしい人がいない理由で残念ですが、就任して、にっちもさっちもいかず、勝手に進められるので、一矢報いようと身を引いた、というところですか。でも、それなら、思いっきり、捨て身の戦法もあったと思うのですが、かつて掲げた日本の将来を見据えたポリシーを骨抜きされ、後先、考えた、保身なのでしょうか。 また、後世に悪例を残したのですね。 (90)受動とポジティブ ただ見て、シェアしている…
リンク 昭和の青春を彩った歌手、橋幸夫さんが2025年9月4日に亡くなりました。82歳でした。「潮来笠」や「いつでも夢を」などの名曲は、今も多くの人の心に響きます。この記事では、橋さんの功績を振り返り、昭和を知る世代には懐かしさを、若い世代には昭和歌謡の魅力を伝えます。さあ、一緒に橋さんの歌声に耳を傾けてみませんか? 1. 橋幸夫さんの訃報 2025年9月4日、橋幸夫さんが肺炎のため東京都内の病院で亡くなりました。所属事務所・夢グループによると、橋さんはアルツハイマー型認知症を患いながらも、歌への情熱を最後まで持ち続けました。6月のコンサート後、体調を崩し入院。9月に入り容体が急変し、妻・真由…
関東地方では一昨日の15号台風は、埼玉はほぼ避けて、当地は適度の雨で庭先も潤いました。 甚大な被害に遭われた地方の方々にはお見舞い申し上げます。 その二日前のニュースでは、橋幸夫氏の訃報でしたね。 実は、同年齢の82歳。 18歳でデビュー。まさに芸は身を助くですね。 小生は、その当時、学業の最中。ようやく、単位が取れて卒業。 就職したところ、当時の学卒の初任給は、なんとも3~4万円でした。😂 それでも、日本の高度成長期からバブルが弾けた後まで、コンピュータの揺籃期から、当時の大型機、ミニコンピュータ、制御用コンピュータ、パソコンと付き合って、面白い仕事人生でした。 そして、おっとどっこい、おい…
今日は「法事」だった、そして来週(9/14)も・・・ 昨日亡くなられた「橋幸夫」さんに、さだまさしさんが提供した曲に「夢の轍」がある。 さだまさしさん自身が、「橋さんはいつも心から地球を心配し、未来への責任感と愛を強く抱いている」と述べている。そして「沢山の人の心に、木を植えるように拡がってくれたら」と、その願いを込めたと語っている。 戦争のない世界を願い、そのためには命を投げ打つ覚悟すらあるという、強い平和への想いが歌詞には込められている。 自然や未来への責任感を込めて、歌を通して希望を植える—まさに「木を植えるように夢を植える」といった比喩は、長期的な視点で未来を育てるというメッセージ性が…
歌手の橋幸夫さんが、9月4日にお亡くなりになりました。 デビュー曲の「潮来笠」、吉永小百合さんとデュエットの「いつでも夢を」は、みんなが知るところの歌ですが、私は次の4曲が好きな歌です。いずれも作曲は吉田正さんです。「太陽の街」「おけさ唄えば」「白い制服」「南海の美少年」 上記4曲中、「太陽の街」「おけさ唄えば」は、以前gooブログに掲載したものを、当ブログに転記しました。(歌の題名に記事のリンクを張ります。) 「白い制服」は、歌詞から想像するに看護師との恋愛物語でしょうか。 「南海の美少年」は、島原の乱の天草四郎を歌った歌ですが、この一番目の最後に、🎼・・ああ はまなすの 花も泣く~の歌詞が…