厳しくしかること。体罰を加え懲らしめること。
中国の故事「漢書」の「朱雲伝」に由来。 前漢の成帝の時代、朱雲が成帝の政治に対し厳しく忠告したため、朱雲は帝の怒りを受け、宮殿から追い出されることになった。しかし、朱雲は檻(手すり)に掴まり動こうとしなかったため、檻は折れてしまった。帝はそれを見て反省し、朱雲の意見を受け入れたという話である。
本来は厳しく忠告する(しかも目上の人に)ことを意味していたが、現代では子供等の目下の者への体罰や虐待の意味が強くなった。
文政10年。3月7日から4月8日まで、木ケ崎長母寺で見性寺薬師如来を開帳する。20日まで延長する。3月10日から27日の間、新町大光寺で身延山を開帳し、大繁盛となる。3月上旬、住吉町酒屋の小僧が酒室の中で室が崩れて死んでしまう。2月中旬、御広敷組高木芝蔵の子が筋違橋から落ちて死んでしまう。姉娘(長女)がこのことを知らせたが、申し訳なく思って行方をくらましたのを探し出す。3月、紅葉矢来(新御殿の木戸)の普請を行う。去る2月26日、公儀御儒者島田十蔵という者が囚われの身となり、江州あたりの2万石ほどの大名衆に御預けとなったので名古屋へやって来る。島田は御高持奉行の近藤か。警固の武士は80人、雑人と…
文政8年。2月12日、津田太郎左衛門殿中間が女中を殺し、自分も自害しようとするが死ねずにいたが、どうやら心中のようでもなく、殺人のようなので下牢に入れると。2月13日、日置橋のあたりで男が1人水死する。辰巳圦のあたりに女が1人水死する。心中だと。同日、熱田伝馬町美濃屋太右衛門は子飼い1人を折檻するうちに死んでしまったので、大いに面倒なことだと。2月17日、本重町で女が1人自害する。これは長島町何とかいう家に奉公し、藪入りで実家に帰っていて死んだと。2月上旬、建中寺裏で鉄砲塚裏のうどん屋が首を吊ったと。これは夫婦喧嘩だと。この頃の評判に銀上がる、金下がる、王は歩を取り、飛車となる。ある話で弐歩判…
文政7年。文政7申7月申ノ月の11日、23日の申ノ日の七時申ノ刻(午後4時)に申(ほぼ南西)のに向かって鉢をかぶり、合唱して次の文句を3度唱える。倶毘羅神現頭痛鬼出急々如律令(クヒラシンケンツツウキシユキウキウニヨリツレイ)と唱えて鉢の底に灸を7つすえる。ただし鉢は新しい品を用いる。もっとも誰に用いてもよし。12年目にまたこの日がある。このことがこの時大いに流行る。7月26日、熱田誓願寺の壁にもたれて38、9才の飛脚風の者が切腹する。8月21日、稲生で御松明方の揚火(花火)が行われる。ここで行われるのは初めてのこと。昼夜22本は上げれず。城から御覧になるためここで行われると。他所でもよく見える…