鈴木大拙氏は、「力の争い」や「自国他国とむやみに区別」することを戒めています。「智は悲によってその力を持つ」のであり、今日の世界に「大悲」があるかどうかと問うています。 この状況は、現在にも言えることで、いやむしろ今日の方が事態がずっと深刻であると言わざるを得ません。聖徳太子の平和・調和・協調という「和」の精神、慈悲の心は、いったいどこへ行ってしまったのでしょうか。 「自己の心の底からひとりでに湧き出る」自由や創造性は、慈悲と共にあり、「力の争い」とは相容れないものです。大悲、慈悲のない力は、「暴力」に転落します。 「国力」殊に、軍事力については、「力の争い」への転落の危険が常に付きまといます…