ベネズエラ出身の男性指揮者。Gustavo Dudamel。
1981年1月26日、ララ州の州都・バルキシメトで生まれる。最初はヴァイオリンを学んだが、やがて「ベネズエラ青少年・児童オーケストラ全国制度財団」(FESNOJIV、または単に「システマ」とも呼ばれる)の創設者、ホセ・アントニオ・アブレウ博士に師事し指揮法を学ぶ。プライヴェートでは2006年にエロイーサ夫人と結婚している。
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」&第7番
マーラー:交響曲第5番
教皇ベネディクト16世バースデイ・コンサート [DVD]
サントリーホールで大事なコンサートがある日は、なぜか雨模様、で 寒い…(^_^;) 今回もなぜかそんなお天気の土曜日 グスターボ・ドゥダメル指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニックの公演にいってきました。 念願の初ドゥダメルさん。。 コロナ禍で中止になった新宿御苑でのベルリンフィルとの「第九」一万人コンサートを(まだチケも無い頃から)楽しみに待ち望んでいたけど、、 そして今夏のヴァルトビューネ河口湖も(こちらはお金がないから)いいなぁ…とため息でやり過ごしていたけど、、 今度こそ… …その前に、、 23日にバーンスタインさんの映画『マエストロ:その音楽と愛と』のことを書いた時に聴いていたマーラー…
さて、私の週末の始まりです。まずはこれから。マーラーの定番的指揮者からあえて離れて、ドゥダメルの指揮で。葬送行進曲で始まることと、独自の解釈の難解さからマーラーは暗いものと思われがちのような気がするのだけれども、この曲に関して言えば、生命の浮き沈み、喜怒哀楽、苦悩から解放、そこに生じる人の持つありとあらゆる感情を飲み込んだ、実に人間くさい作品だと思っております。そのようなことを考えながら、自らも実に揺れに揺れた一週間を振り返るべく、この作品を聴いているのです。
本日のクラシック三昧はこの辺までかしらね。ラストに明快なパワーを頂きましょう。本当にドゥダメルのドヴォルザークは生きる活力、すなわち生命力に満ちあふれていることよ!今この瞬間の自分に欠乏してるのはこれだ。
プログラム ジョン・アダムズ:Must the Devil Have All the Good Tunes? グスタフ・マーラー:交響曲第1番ニ長調「巨人」 プログラム 2019年3月20日(水) ジョン・アダムズ:Must the Devil Have All the Good Tunes? グスタフ・マーラー:交響曲第1番ニ長調「巨人」 ピアノ:ユジャ・ワン 指揮:グスターボ・ドゥダメル(ロサンジェルス・フィルハーモニック音楽監督) 管弦楽:ロサンジェルス・フィルハーモニック ジョン・アダムズ:Must the Devil Have All the Good Tunes? 《Must th…
ラフマニノフのこの第2楽章、アダージョってこんなにドラマティックで格好よかったのか。ユジャ・ワンの演奏が男気溢れる感覚で素敵すぎた。今日はなんかクラシック音楽のその聴き所のツボがいい具合に耳に残りますな。「聴こう!」という邪念なく聴けていると言うことかもしれない。
病院から帰宅。結局待ち時間が非常に長く、終日休となりました。この夏以降の状況を医師に説明したところ、睡眠時無呼吸症候群を疑われました。確定したわけではありませんが、もしそうであるならばストンと腑に落ちる。とにかく睡眠中にやたらと目を覚ますのですよ。で、すぐに寝てしまう。毎日がその繰り返しで、そりゃ、体力も低下しますし、慢性的な倦怠感にも襲われるわけです。ドリンク剤を飲もうが、アルコールを断とうが、どうにもならないわけですよ。数日中に自宅での検査キットが送られてくるとのこと。これにて一発で原因が判明すると楽なのですが。そんなこんなで、病院疲れを癒しながらユジャ・ワンのこれを。気分的には少しだけ楽…
これまで自分が聴いてきた数少ないラフマニノフのピアノ協奏曲録音物は、いずれも音の抜けがもう一歩足りないように感じられていたのです。それが故に演奏までもがどこかくすんでいるように思えることも。しかしこのユジャ・ワン盤を聴いてみると、それはラフマニノフのピアノのスコアによる、実は特徴的なものなのではないかと思えるようになりました。和音が不思議な雑味として捉えられる瞬間が多々あるのです。それはえぐみとしての雑味ではなく、味付けとしての雑味とでも表現すればよいでしょうか。味として複雑なもの。それがあるからこそ、音としてスコンと抜けるものを求めるだけではないように思えたのです。これはそのようなラフマニノ…
ドヴォルザークの交響曲が「野暮ったい」クラシック音楽だとはつゆとも思いませんがな。誰だよそんなことを言いだしたのは(これで故吉田秀和氏だったら素直に謝ります)。直球にキャッチーであることと、土着的なそれとを混同してしまうと、そのような固定観念と発言とに至ってしまうのではないかと。音への意識をたゆたうかのごとく張り巡らし、小さな針の穴に糸を通すかのごとく張り詰めて座して聴くだけがクラシック音楽の楽しみ方では決してないと思うのですよね。そこに描かれた音の世界を広い懐で受け止め、棒球だろうが何だろうか、全て聴取感情の反映として打ち返す楽しみがあるのもまたクラシック音楽なのではないかと。そこでこのドゥ…
帰宅後に。試験に向けての参考書と過去問集を一気に発注。追い込むよ。その決意表明と言うほどものではないけれども、このマーラーで意志を固める。然るべき大音量で。そして明日になると、届けられた書籍を前に呆然とするのでしょうね。「こんなもの、本当に出来るのか?」と。それもまた人生よ。
本日帰宅後のネガティヴ・パワーには、ドゥダメルをもってしても太刀打ち出来なかった。