僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

見たもの読んだものなどの簡単な記録と感想のチラシ裏系ブログ

ドラゴンクエスト ダイの大冒険 27~38話

ドラゴンクエスト ダイの大冒険 3 [Blu-ray]

DRAGON QUEST The Adventure of Dai
シリーズディレクター唐澤和也
原作:三条陸稲田浩司
TVアニメ 日本 2020~22 全100話
☆☆☆☆☆

 

youtube最強ジャンプチャンネルで毎週2話づつ配信中。


ダイ大アニメ3クール目。
バラン編後半とザムザ編(ロモス武術大会編)。
38話だけ次章でロン・ベルクさん登場くらいまで。

 

バラン編、というかポップの覚悟辺りはダイ大前半戦の最大の山場と言っても良い部分で、旧アニメでは届かなかった部分が遂にアニメ化。

 

ここは俺が食い止めるお前たちは先に行け!的な自己犠牲精神はよくあるけど、普通に呪文の一つとして「自己犠牲呪文メガンテ」つーのも露骨で今考えると凄いな。


勿論、ゲームでは簡単に生き返らせる事が出来るけど、それをストーリー漫画でやったら・・・って、いやジャンプ漫画ではそんなの日常茶飯事か?「魁男塾」とか「聖闘士星矢」なんかは、もうそういう作家性みたいになっちゃってたけど、ドラゴンボールで生き返らせるとかは私は興ざめもいいとこで、そういうとこからDBは嫌いになってったなぁ。

 

ゲームでは安易に使われる自己犠牲呪文に対して、逆にそれを使った見せ場を入れつつ(アバン先生で先にやってるし)レオナのザオラルでは復活しないとか、どうせ生き返るんでしょ?とは思わせないギリギリのリアリティラインを構築したのかな?という気がしなくもない。

ゴメちゃんとか、バランの血とか奇跡を演出する特別な形で復活は結果的にするけども。

 

前にダイ大は王道っぽく見えて力の否定とかも描いてるし、王道に対するアンチテーゼみたいなのも意図的に描いてる所はあったりするのかなと書きましたが、この辺りもそうなのかも。

三条先生の他の作品きちんとは触れて無いのでそれが作風と言えるかどうかまではわかんないですけど。

 

で、そこからのザボエラ襲撃で、これも以前に書いたけど魔法使いはパーティの中で一番クールでなきゃいけない。一歩引いて状況を分析し、次の手を探すのが役割なんだと。

これがねぇ、私の座右の銘とまでは行かないまでも、このマトリフ師匠の教えは私もずっと意識して生きて来ました。

 

勿論、自分はそれが出来てるなんて言える程ではありませんが、状況を読んで分析するっていう思考のクセみたいなのは染みついてるくらいには。

 

普段書いてる映画の感想も基本は感情よりも分析ですし、逆に感情を優先させたい時は、そこを書きつつ、同時に冷静な分析も意識して入れるようにはしてます。

 

ただ私、割とせっかちなタイプではあるので、普段の生活でも割とカッカとしやすい所もあったりしつつ、根本は斜に構えたニヒリストでもあるので、熱くなる所と醒めてる部分と両方ある。ってあれ?もしかして私はフレイザードだったのか!?

 

まあ絶対的にこれが正しいなんてものは世の中には無いので、熱い所の良い面・悪い面、冷たい所の良い面・悪い面、どんなものでも状況や立場、視点によって変わるものだというのは気をつけたい所です。答えを一つにしたいと思う人は、それは思考の放棄、思考停止ですから。

 

自己犠牲ね、昔は凄くあこがれたし、今もあこがれはあるけれど、それを分析して考えるとね、私は何の価値も無い人間だったので、もし自己犠牲で何か出来る事があるのなら、それって価値が生まれるって事じゃない?みたいな所からの憧れ。

 

ああ、「まどかマギカ」でもあったけど、自分はこの先も何の取り柄も無く普通に生きていくだけなのかなっていう漠然とした不安を抱えて生きていて、その中で最後に自己犠牲の精神で世界を救ったっていう話じゃないですか。

 

いやいや、普通に生きられるならいいじゃん。こっちは普通にすら届かないから悩んでるのに、と「普通」の人を見てると昔からそう思います。まあ私は途中から「普通」なんてくだらね!と普通にもなれないくせに負け惜しみを言って、普通じゃない事にこそ価値を見出して生きるようになりましたが。

 

でも思うんですよね。何も無い自分が自己犠牲でも何か出来るのならっていう考えは、昔は無かったけど今の価値感や言葉で言う所の「無敵の人」と大差ないのでは?って。

 

ポップは大義の為に命をかける勇気の使途ですから、どうせ凡人の出来る所はここまでが限界、だとか自分が死んでも誰も哀しむ人も居ないし別に命は惜しくない、とかでは決してないですよね。

 

そこ考えると、昔自分がおぼろげながらにでもあこがれた自己犠牲と、ポップの自己犠牲は全然違うものじゃない?そこは一緒くたにしてはダメだよなぁと今なら思ったりします。

 

 

からの~ザムザ編。
昔はお父さんと戦う為の剣なら渡せないっていうマァムは正直好きにはなれなかったけど、彼女なりの思考や感覚も今なら、人ぞれぞれだって思うし、そこがね、ザムザ戦はちゃんとテーマにもなってる。

 

ザムザの最後、役に立たない存在はゴミだって言われて生きてきて、今で言う所の露骨なネグレクトみたいな感じだったけど、それでも自分にとっては血のつながった親なんだっていう終わり方をする。

 

今の時代なら、血のつながりとかこだわる必要無くない?自分は自分の生き方を選べよっていう方向性の方が主流だけど、邪険に扱われてきたからこそ、自分も何かの役に立つ存在なんだって認めてもらいたかったと。

これ、ダイやマァムの言ってる事にもちゃんと繋がる。父親と戦う為じゃ無く、自分の生き方を認めさせたいんだっていう話だったと。

 

で、これも大好きなシーンですが、チウを見て、自分が人間かそうじゃないかとかで悩んでたのってちっぽけな悩みだったなと。

 

更に面白いのは、今回はマァムの戦い方を見てダイも学ぶんですよね。常にパワー全開でなく、インパクトの瞬間だけパワーを使えば良いんだと。

空烈斬を完成させた事でアバンストラッシュも完成。師の教えを全て身につけて、今度は自分で成長して行くターンに入った(だからこそ次からもダイの剣の話があるわけで)

誰か上の存在を追いかけるんじゃなく、自分の生き方を身につけていく中で、仲間であるマァムやチウに学ぶって面白いなと思う部分だし、更に言うとマァムやチウの師は拳聖ブロキーナで、アバン先生のかつての仲間。

我が師の師は、我が師も同然!
じゃないけれど、この辺の話の組み立て方が本当に上手い。

 

アニメで見てもそうでしたが、超魔生物のデザインやカラーリングが正直ちょっとセンス無いなと思えてしまって、昔はあまり好きな章では無かったんですけど、今見ると色々な事が見えてきてやっぱりダイ大面白いなと思ったしだい。

という辺りで次クールへ。

 

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