僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

見たもの読んだものなどの簡単な記録と感想のチラシ裏系ブログ

新機動戦記ガンダムW Endless Waltz/特別編

新機動戦記ガンダム W Endless Waltz 特別篇 [DVD]

NEW MOBILE REPORT GUNDAM-W
監督:青木康直
脚本:隅沢克之
日本映画 1998年
☆☆☆☆

映画版「エンドレスワルツ特別編」
OVA全3話に追加シーンを加えて劇場公開。
ガンダム・ザ・ムービー」として「機動戦士ガンダム第08MS小隊 ミラーズリポート」との2本立て公開。どちらも追加パートがあるとは言え基本的には総集編映画でありつつも、2本も同時に公開しちゃえるんだっていう当時のアニメ界、いや日本の勢いや活気が感じられる部分です。確かガンダム20周年とかで、プラモもHGよりMGとかが主流だった時期のはず。

www.youtube.com

今だとガンダムでさえ1クール作るのに精いっぱいでそれですら総集編回やプロモーション特番とかを組む時代ですしね。

 

確か「0080 ポケットの中の戦争」と「機動警察パトレイバー」辺りがOVA1話を5000円くらいの安価で売るっていうビジネスの嚆矢となって(その前のOVAは1本で1万円してた)、1時間OVAを劇場公開してその場でソフトも売ってしまうというのも「ガンダムUC」が最初のビジネスモデルとかだった気がする。

作品の内容だけでなく、そういう外の部分でもその時代その時代の特色、時代性が見えてきたりしてガンダムは色々な面で面白いです。

 

で、エンドレスワルツ特別編。
一番の違いと言えば、やっぱりドロシーの登場でしょうか?OVA版の時は一通りのレギュラーキャラが出ている中で、何故ドロシーだけ出さなかったんでしょうね?元々の構想や脚本にはあったけど、尺の都合でカットしたとかなのか、それとも意図的な何かがあったのかとかは、私は特にスタッフインタビューとかで読んだ事は無いかな?もし知ってる人が居たら教えてほしいです。

 

TV版の時は、トレーズ幽閉と共に池田監督が降板、変わりに高松監督が代理を務めて、そのタイミングでドロシーも出てきたので、本人では無いけどその思想を自分なりに代弁なり解釈して表現するというのは高松監督の立場とシンクロしてるのでは?という仮説を立てましたけど、OVA「エンドレスワルツ」は両監督も関わっていないし、TVシリーズでは各話演出で参加していた青木監督が3人目の監督として入ったので、トレーズもドロシーも出さずに、その後継人としてマリーメイアなりデキムなりが主軸となるのはそういう事なのかも?という解釈が出来なくもない。

 

あと前回のOVA版の方の時の感想で、30分×3を繋げただけでは「映画」にはならないよ、って事を話したのですが、ここが結構面白い処理をしていて、2話目のラスト、ウイングゼロ起動のとこが3話目への引きになってたんですけど、映画特別編だとそこを挿入歌演出にして盛り上げと時間経過効果を引き出してる作りになってる。おお~よく考えたなこれ。

 

とは言え、OVAのED曲「ホワイトリフレクション」をそのまま持ってきてるわけではなく、劇場版用の新曲「ラストインプレッション」を挿入歌とエンディングで2度使う、という処理をしている。

どうなんだろう?映画演出史における挿入歌の歴史とかは流石にちょっと私も詳しくないのでわかりませんが、同じ曲を2度使うって実は結構違和感がある。

そこって別々の曲を使った方が、劇中で印象に残る挿入歌と、エンディングの余韻に浸りながら聴くエンドロール曲とで役割が違うのでは?と思うけど、こと「ガンダム」の歴史に置いては、ガンダムF91の「エターナルウインド」が、本来は挿入歌のみだったけど、ラストにも合うからと元から用意していたEDの「キミを見つめて」を未使用にしてエンディングにも「エターナルウインド」の方に差し替えたっていうのは有名なエピソードですし、「めぐりあい宇宙」でも「ビギニング」が劇中とエンドクレジットで2度流れるからな。(クライマックスで「めぐりあい」が入るので混同しやすいけど)ガンダム史においては最初からやってる事だし、気にするような事では無いのかなとも思いますが、私の中では何故こうなってるんだろうと思う部分ではある。

 

あとは繋ぎの部分で話の整理とか、当然ガンダムですから見せ場のMS戦闘も増えている。

TV版の最後からOVA版EWと同じような事を書いてるけど、リアルタイム当時はそういうものだとさほど気にして無かったWという作品の雑な作りを、終わりよければ全てよしと思わせる良いまとめ方をしたのは「ガンダムW」という作品の上手くやりやがったなという部分だと思う。

 

今の時代だと、全体的な完成度なんかより、いかに話題になるかっていうのが重視される中で、ブームになってる時は面白かったけど、そのブームやトレンドが過ぎ去ってしまえば、ラストとかしょぼかったよね、みたいな流行アニメが沢山ある。そこに対する批判と言うより、そういう時代なんだっていう認識をしようという話。
逆にWとかは途中わけわかんなかったけど、最後カッコ良かったからその印象だけで、全体の印象までが良かった感覚で終われるというある種のマジック。まあ演出ってそういうものだけれど。

 

で、ガンダムシリーズのまた面白い部分として、その後はゲームとかプラモやフィギュアとかで、上澄みの良い部分だけを抽出して消費されて行くというのがあります。ガンダムWのイメージ=ウイングゼロの羽がカッコいい!が一番最初に来るという。

この辺は上手くやったなと思うし、逆にこうして久々に見返したりすると、そういえばこうだった!とか、当時は気にしてなかった新しい面も見えてきたりと、なかなか面白い感覚や経験が味わえて楽しい。

過去に何度も書いてますが、発表当時はあんなに酷評された「Z」が今や人気作として当たり前に受け入れられてるっていうね。

 

ああ、あと「フローズンティアドロップ」を読み始めて、最初の1巻2巻はトレーズ過去編で、今更ながらトレースが「13」という数字を背負ったキャラだったのを知り、13番目の星座である蛇遣い座=サーペントがトレーズの遺産として生きてくるというのはなかなか考えてあったんだなと思いました。

後に2000年になってからGジェネオリジナル機体として設定された「ガンダムアクエリアス」とかとか、EW発表当時はまだ未使用星座の空きが残ってた中でイレギュラーな星座という意味合いもあってなんでしょうけど蛇遣い座というのはなかなか面白い設定でした。


さてせっかくなので同時上映された「ミラーズリポート」も再観しておきますか。そっちも劇場版のみの主題歌がカッコいいんですよね。

 

関連記事

 

curez.hatenablog.com

 

curez.hatenablog.com

 

curez.hatenablog.com