原題:SUPERMAN III
監督:リチャード・レスター
脚本:デイヴィッド・ニューマン、レスリー・ニューマン
原作:DC COMICS
アメリカ映画 1983年
☆☆★
1978年から続くクリストファー・リーブ主演スーパーマンの3作目。
今回はスーパーマンをつけ狙う敵側が多数の会社を経営するウェブスター姉弟というキャラになっているのだけれど、これが前2作のレックス・ルーサーと大差ないキャラで、今回はジーン・ハックマンが呼べなかったから別のキャラに置き換えました感がしないでもない。
他、スーパーマンではなく今回の映画の主人公に近いメインキャラで、コンピューターの天才・ガス・ゴーマンというキャラを配置。就職難の問題や、コンピューター社会に対する警告みたいな、時代を反映したテーマ性があるのかなと思いきや、ガスを演じるリチャード・プライヤーさんがコメディアンであったり、前作からそうですが監督のリチャード・レスターの資質がコメディー路線なのもあって、映画冒頭のつかみのスーパーマン活躍シーンから凄くコメディー映画として作ってある。
昨今のスーパーヒーロー映画ブームとその終焉を迎えた流れの中でも、コメディー要素って結構重要視されてきた印象があるし、暗くてシリアス一辺倒にならずにそういう要素も要所要所に入る事で、一般層にも楽しんでもらえる配慮がなされたのは悪い事じゃないし、確かにそこも面白い部分ではあるんだけれど、映画全体がコメディー路線みたいに思えてしまうのは正直好きじゃない。この「スーパーマン3」も私はリアルタイム世代とかじゃないけど、もしこの一連の流れを自分達の世代のヒーロー映画として見てたのなら、このコメディー路線は凄く嫌だっただろうなと正直思う。
今回、久々には見た物の別に初見ではないですし、こういう作品と割り切って見てるので、そこまで腹は立ちませんし、この作品なりに好きな部分もあったりはするので、それはそれで。ネームバリューでそれなりのヒットはしたものの、世間的にも評価はよろしく無かったようですので、まあそうだよねというのはよくわかる。
好きな部分が二つほどあって、それはラナ・ラングとネガスーパーマン。
まずは一つ目のラナ・ラング。スーパーマン二人目のヒロインと言えばやっぱりラナ。私はこの映画で初めて知ったんだったか、コミックの解説で先に知って、これがラナかと思ったかは憶えていませんが、ロイス・レインってやっぱり昔からバリバリのキャリアウーマンみたいなイメージが強くて、スーパーマンと対を成すくらいに、存在感もあって「スーパーマンの恋人」というある意味添え物ヒロイン的な存在には絶対にしないぞと。スーパーマンに負けない強い女性ってのは他の映画でも共通している。
対するラナ・ラングはスーパーマンがメトロポリスに出てくる前に住んでたカンザスの田舎町スモールビルの時代のヒロイン。
今回、久々に見返して、あれ?ラナって子持ちだったっけ。しかも高校生時代もプロムクイーンで、学校でみんながあこがれるヒロインとかいう設定だったんだなぁとなんだか記憶に残ってたのと違う部分もありましたが、まあそれでも都会的で先進性のあるロイスと比べたら、田舎の垢ぬけない地味ヒロインっていうポジションじゃないですか。比較した上で。
オタクは総じてね、ロイスみたいなヒロインより地味なラナの方が好きじゃないですか?「スパイダーマン」で言えばMJよりグウェン派っていう。いや今はスパイダーバースとか並行世界系のおかげでグウェンはパンキッシュなキャラになっちゃってますが、昔はラナと近い、清楚系悲劇のヒロインポジだったんですよ。
今回のラナも困ってる感じで、ロイスと比べたらいかにも弱いヒロイン。フェミニズム的な事を考えると、いかにも古い描き方だなぁと思ってしまう部分ではあるけれど、昔の感覚で言えばこれが普通だと思ってたし、むしろロイスとかうざったいキャラであまり好きになれないなと思っていた所に、こっちのヒロイン良いじゃんか、と思ったものです。
この後に、それこそクラークの高校生時代、スモールビルを描く「ヤング・スーパーマン」というドラマがあって(原題はそのまま「スモールビル」)私がアメコミにハマり始めた時期的には、多分近い時期に見てて、そこはメインヒロインがラナ・ラング。シーズン3か4くらいになって一応ロイスも出るけどあくまでレギュラーでは無くサブキャラ。
そこでのラナも良いなと思いつつ、ヤングスーパーマンはそっちはそっちでオリキャラが居て、サブヒロインとして新聞部のクロエって子が居てね、私は今度はラナよりクロエの方が好きだなとかなってました。クロエかわいいんですよ。
まあでもそれはそれ。TVドラマは別物ですし、映画「スーパーマンIII」はラナ・ラングが見れる。それだけで価値を見いだせる作品。という感じだったかな?昔の自分の感覚は。
もう一つの好きな部分は、合成クリプトナイトでスーパーマンが変調をきたし、闇落ちしたやさぐれスーパーマンになってしまい、そこから自分を取り戻す為、心の葛藤的な感じでクラーク・ケントがネガスーパーマンと戦うというシーン。
当時はあまり気にして無かったけど、ネガスーパーマンはコスチュームの彩度が低くなって、くすんだ色になってるんだなと。当時は他に比較するほどアメコミヒーロー映画は多く無かったけど、今の時代のアメコミヒーロー映画が山ほど増えた時代に、この色彩感覚を改めて見ると、色々と考えられる部分があって非常に面白い。
つーかこの彩度の低さって、まるで「マンオブスティール」版のスーパーマンみたいじゃないですか?原色バリバリのビビッドな色使いとか子供向けっぽすぎるから、少し色味をおとなしくしてリアルよりにしよう、みたいな感じでゼロ年代からのスーパーヒーロー映画の隆盛があって、そこである程度の土台を作ってから、そんなに恥ずかしがらないで、原作をもっと再現する感じのコスチュームにしようよ、という更に新しい流れが生まれた感じでしたよね。
そこを考えると、やっぱりダークなスーパーマンは色もくすんでるんだな。それは昔からなんだな、というのが見えて、現代からの視点として面白かったです。
あとはやっぱり善の心がクラーク・ケントで。そのクラークがネガスーパーマンに打ち勝ち、自分を取り戻した所で、あの胸のSマークをぐいっとやるシーンは、これぞスーパーマンという感じで、この映画の一番のハイライト。
逆に映画のタイトルにもなってる「電子の要塞」とのクライマックスバトルシーンは、う~ん当時はこれが、シュールでは無く目新しい映像に思えたのか、あるいは当時からショボっ!って思われたのか、そこは定かでは無い。
機械にとりこまれたり、コンピューター人間みたいな要素は一応これ原作のブレイニアックとかを映画にアレンジしたなれの果てなのか?ともちょっと思ったけど、どうなんでしょう?関係は無いのかな?機械人間ってだけで別に設定とか話に共通点があるわけではないと思うし。
今見返すと、昔以上に微妙さが際立ちつつ、何箇所か見所もあるんだからそれで良いんじゃない?ぐらいの寛容さが必要。
でもさ~、スーパーマン4作(とスーパーガール)にバットマン4作くらいしかアメコミヒーロー映画が無かった時代は、そんなもんだよね?
私はカプコン版「X-MEN」のゲームから入って、そっから小プロの邦訳アメコミを読み始めて、こういう古の映画を漁って、そこからゼロ年代のヒーロー映画の全盛期への道を見てきた人なので、最近の映画に文句ばっかり言ってる世の中に対して、いやあ贅沢な時代だなぁとかつい思ってしまいます。
気象観測衛星をハッキングしたって天気をコントロール出来るわけ無いじゃん!とかツッコミ所満載ですが、こんな映画でも貴重だった時代もあったんですよ、と言いたい。
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