渡るカラス:壁打ち虚無日記

現代には珍しい?ネット初心者。忘れっぽい自分こそ、日記を書くべきであると思うので始めました。読んでもらったとしてもただ時間が潰れるだけのブログだと思われます。勘弁してください。

渡るカラスなどとのたまっていますが、どちらかというと引きこもっているタイプです。 忘れっぽいというのは本当で、日々消えていく自分自身を現世につなぎ留めておくために日記書いてます。時の流れは恐ろしいもので、気が付いた時には自分の意識だけが時の流れに取り残されていく。いつまでも自分の頭の中に現在の自分を住まわせて置き続けられるほど優秀な脳みそではないので外部に自分を移植しておくことにしました。 ただ日記書くだけでは確実に三日坊主になるので、少しでも他人の目を感じられるネット上で日記を書き始めました。 私はネットも文章も初心者なので、読者が得るものは何もないとは思いますが、パノプティコンの監視員としてご協力願います。(どちらかというとシノプティコンでしょうか?) 

久々に日記でも書いてみようかと

10月18日

 久々に連休となったので日記でも書いてみることにしよう。

 前回の投稿からかれこれ2,3か月空いてしまった。やはりフルタイムで働きながらそれなりの頻度で日記を投稿しようとすれば、もちろんそれは並大抵のことではないのだ。並大抵であるところの僕にそれができるはずもなく、こうしてたまに思い出したように書き始めるのが関の山なのである。

 このように日記を放置している私のような人間がいる一方で、その間ペースを崩さずに日記の投稿を続けている方々もいる。とてつもない精神力だと思う。

 とりあえず近況報告というか、この数カ月間の出来事を書いてみようかしら。

 

資格増えました

 資格がいろいろ増えた。

 もちろん前回言っていた大型二輪免許も取得した。

 免許センターでの一発試験を受けてきたのだが、試験料やら発行手数料やら込々でおおよそ7000円で免種追加ができた。写真代を加味しても1万円は超えないのだから一発免許はお得である。普通に教習所に通おうと思えば普通二輪持ちだったとしても10万円前後かかるであろう。大型特殊についても大体10万強くらいであろうから、この二種類を一発試験で合格できたことによって大体20万円くらいの節約になったということになるのだろうか。もちろんこれらの車種を運転する必要が無ければ逆に損とも言えるが、幸い僕の場合は運転する機会があるのでやはりお得だ。

 ではそうして浮いた20万円が今手元にあるかというと、はて?

 まあ、僕の場合は教習所に通う資金が無いから仕方なく一発試験を受けてきただけである。

 

 大二輪免許の他にも仕事で使う資格を3種類取得した。恐ろしいペースである。できる業務が増えると毎日の仕事に緩急ができて、仕事の体感時間が短くなることがわかった。やはり毎日毎日同じことの繰り返しになると人は飽きるのであって、もちろんこの仕事を始めて半年経った僕も少し飽きてきたところだったのだが、これは良い刺激になった。まだまだとるべき資格は残っているので、今後にまた期待である。

 

 色々資格は取得したが趣味の資格は一つも試験を受けなかった。来年あたりはまた2・3個新たな資格が欲しい所である。

 

スイッチ2購入

 抽選に当たったのでスイッチ2を購入した。あまり急いで買う気はなかったのだが、せっかく当たったのならと買ってしまった。どちらにせよエアライダーのためにいつかは購入するつもりではあったので、その時期が早まっただけである。

 どうやらマリオカートが付いているようなのでとりあえずプレイしてみて驚いた。マリオカートワールドの世界は右側通行なのである。現実の運転への悪影響に怯えつつもそれなりに楽しくプレイさせてもらっている。

 そして先日ポケモンも購入したがこりゃ面白い。まさかポケモンからPPの概念が消えようとは。

 

 今日もポケモンを捕獲し、育てなければならないので日記はこの辺で終わりにしようと思う。

 

corvuscorax

大型特殊免許の一発試験を受けてきた。

8月10日

  先ごろの酷暑が嘘のように、一転梅雨に逆戻りのような天気になってしまっている今日この頃。1月ぶりに日記を書き始めた。

 この一カ月の間にもいくつか試験を受けており、資格を増やすことに余念は無い。一つはまだ結果待ちではあるが、何とか合格しててほしいものである。

 ここ数日間は次に受ける資格を何にしようかと迷っている。色々受けてみたい資格はあるのだが、というかありすぎてどれから手を付けていくべきかわからなくなってしまっているのである。例えば毒劇物。なんとなく危険な香りのする点が魅力であり、農業・工業に欠かせない有用な資格である。危険つながりでいえば火薬取扱もちょっと気になる。というか甲種危険物も早いうちに取っておきたいし、甲種消防設備も受験を進めていきたい。もちろん無線系もレベルアップしていかなければならない。そしてここ最近で個人的に最もホットなのは小型船舶である。車はある程度運転でき、ドローンも飛ばすことができるわけだが、水上はからっきしである。ここで船舶免許を取ってしまえば僕は陸海空に進出することができるようになる。

 いったい僕はどこをめざしているのだろう?

 

大型特殊免許

 先日免許センターにて、いわゆる「一発試験」というものに挑戦してきた。受験したのは大型特殊免許、重機などの特殊車両を公道で運転したり、それらを用いて公道にて作業を行うために必要な免許である。別に僕は重機を操作するような仕事に就いているわけでは無いが、だからといって免許を取ってはならないわけでは無い。単純な興味でもって取得しに行っても良いのである。

「一発試験」といえば、やはり採点の厳しさだったり合格率の低さだったりという話をよく聞くわけだが、「実際のところはどうなのか?」ということはやはり気になるものである。

 本当に合格できないものなのか? 本当に何度も受けなければ合格できないものなのか? それを確かめてみようと思った。

 

 今回受験した大型特殊免許は厳しいとされる一発試験の中でも合格率が比較的高く(40-50%ほどと言われているようである。)、まずお試しで受けてみる分にはちょうど良いだろうと思いネットで予約を入れてみた。

 そして実際運転試験を受けてみたわけだが、普通に合格した。大型特殊免許の試験車両であるホイールローダーは操作が簡単なのである。普段特殊車両を運転しない自分が受けても合格するのだから(試験車両に乗り込んだあと、試験開始前に質問タイムが設けられており、そこで運転装置について色々聞くことができる。ウインカーが自動で切れないところ以外は基本的にはAT車とあまり変わらない。強いていうならバケット操作だけ予習しておけば大丈夫そうであるし、バケットは発着点でしか操作しない。)、会社の敷地などで作業のために普段から大特に触れている人間が受けるのであればそりゃ合格するだろうという事は容易に想像がつく。

 ただし、いくら操作が平易とはいえ、その車両特性は一般の普通自動車のそれとは大きく異なるという事も事実ではある。全く無垢な状態で試験を受けようとしてもおそらく合格は難しかっただろうが、現代は調べればあらゆる情報に出会うことができる時代なのである。その辺はウェブや動画サイトで軽く予習した状態で試験に臨んだのだが、それだけの付け焼刃でも大きな問題はなかった。

 つまり少なくとも運転技術の点においては、普通車での運転経験があればその程度の予習でもって大特免許に合格することが可能ということが今回判明したというわけである。

 人が一発試験でなぜ落ちるかといえばやはり法規走行の部分なのであろう。普段の運転で崩れに崩れた法規走行というものを試験という特異な状況下で完全にこなすことができるかと言われれば、やはりそれは難しいのである。

 と言っても大特の試験コースは他の免種のそれと比べて短くシンプルであり、進路変更、右左折時、後退時の安全確認や交差点での優先関係さえ理解できていればなんとかなりそうではある。(課題としては指示速度20㎞/h、踏切、見通しの悪い交差点、交差点右左折、方向変換、障害物、発着くらいのものである。)

 

 そんなこんなで、結局その日に大型特殊免許を受験したのは自分を含めて3人だったのだが、その全員が合格していた。合格率100%である。

 もしも一発試験を受けてみたいと考えている人がいるならば、まずは大型特殊免許の受験をお勧めする。

 

 こうして先々月に中型免許が追加されたばかりである僕の免許証に、この度新たに大型特殊免許が追加された。次はまた秋頃、大型二輪免許をとりに行ってみようかな。その際にはまたこの日記に色々書こうと思う。

 

追記:大型二輪免許の試験を予約した。9月末の予定である。

 

corvuscorax

 

自我の破滅的綱渡り

7月2日

 先月の話、町田くんだりまで2時間程度のドライブをしてきたのだが、その道中の車内は猛暑であった。燃料を燃やし、必死にコンプレッサーを回転させて作り出した冷気も、この日差しの中にあっては焼け石に水のごとくである。

 それにしてもここ最近の暑さには辟易する。まさか6月中にこのような暑さに見舞われようとは、地球温暖化のやつもますます本格的に危機と呼びうる現象として議論されることだろう。と言っても、ここ最近はどうも地球温暖化はトピックとして飽きられているようにも感じる。「エコ」はいまだ大きなトレンドではあるが、その根は気候変動の抑止という枠を超えて持続可能性という大きな畑の中に移ったようにも感じる。人間の選択を「エコ」へと動かす根拠は肥大化し、気候変動以外の社会問題をも取り入れた巨大な枠組みへといつの間にか変貌している。いいことだね。

 「僕は夏がとにかく苦手である」ということを今までの日記の中で言及したことがあるかどうかは記憶に定かではないのだが、ここに改めて「私は夏が本当に苦手である」と宣言させていただこう。

 今年も暑い夏が来る、そう思うと憂鬱である。

 

何とも頼りない超自我を携えて

 ところで最近の僕はと言えば、身の回りのなにもかもをサボっているように思える。

 もちろんこの日記にしてもそうなのだが、あるいは家事であったり、資格勉強であったり、運動であったりといった事についてもサボっていると言える。資格勉強については今年初めに合格した件の資格に合格して以来何一つとして勉強を進めていないし、この6月はジムにも行っていない。もちろん日記については言わずもがな、ご覧の有様である。

 ではこの間に何か新しいことを始めたのかと問われれば、その答えは否である。この頃の僕はと言えば、出勤日はただただ仕事をこなし、休みになればゲームをしたり寝ていたりといった具合であり、おおよそ活動的とは言えない人間であった。ちなみに友達などと遊びに外出などというようなことも行っていない。今までに行っていた種々の継続的活動をかなぐり捨て、ただ「自分は労働しているのだから、それ以外の活動に割くことのできる体力や時間が存在しないのだ」という言い訳の下で怠惰な毎日を送っていたといえよう。ただただ時間流れる時間を右から左へ受け流すだけのつまらぬ人間なのである、自分は。

 ここ最近の自分については本当にひどいと我ながら思う。と、言ってみたところで何かが変わるわけではなく、何かしなければという焦燥感だけが自分の中に流れ込んでくるのみであり、自分の中身から何かが出てくる予感は無い。ただなんとなくこのままではダメな気がして焦る一方で、その焦りををどうにか解消しようと具体的に何かしようという欲望は湧いてこない。決意が身にならない自分は何を宣言したところでそれが意味を持つことはなく、意識の上で焦燥感の保留が行われるだけである。いくら「これをやる」と言ってみたところでその場限りの満足感が満たされるのみで、何かが実行されるわけではないのだ。

 時々自分の意識に対して地球のような多層構造を感じる。地球内部が重力による振り分けの結果として内核外核マントルのような層を成すように、僕自身の意識も何らかの力によっていくつかの層に分かれているように思える時があるのである。要するに潜在意識のことであろうが、どうも自分が意識できる自分というのはせいぜいマントルくらいまでのものであり、それより深層ともなると自分の意思力によっては直接的に干渉することができないようである。おそらく内核外核にあたる本当の自分自身は焦っておらず、地殻やマントル部分の自分のみが焦っているのである。これがよく言われる「自我・イド・超自我」という奴だろうか? フロイトの著書を読んだことが無いのではっきりとはわからないが、聞きかじった話の内容を基に判断を下すならばそのようになるだろう。あとで読んでみようかな、フロイト

 あまり適当なことをいうものどうかとは思うのだが、ひとまず自分が感じている自分自身の層構造が「自我・イド・超自我」であるとして、先述のようなここ最近の有様を見るに僕自身の超自我は非常に弱いと言わざるをえない。何とも頼りない超自我であるが、これでも28年(27年だったか?)連れ添った不可分な自分自身である。それを今から鍛え、変えていこうというのはいささか無謀というものである。僕に残された道は、このような破滅的道徳意識、恐ろしいほど低空飛行の理想、金魚すくいのポイの方が幾分かマシであろう自制心などが何とか他人にばれないように日々を乗り切るという綱渡りのほかないだろう。そしていつの日か、それが露見する日が訪れる。ああ恐ろしい。人並みに恐ろしさを感じる哀れな自我を傍目に、今日も強力なイドが僕の精神世界を蹂躙するのである。ココスでポテトを食べながらそんなことを思う。

 

corvuscorax

勿論カラス以外にもいろんな鳥を見ることができます。先日はイカルを見ました。

5月19日

 今年の2月ごろ、職場の敷地内でクルミを割るカラスたちについて日記に書いたことを記憶している。

 件のカラスたちは今もやはり敷地内にクルミを持ち込んでは割ることを繰り返している。それを出勤するたびに観察しているわけであるが、最近は職場に私物の双眼鏡を持ち込んで昼休みなどに鳥類観察にしけこんでいる。つまり「バードウォッチングというものをするなり」である。

 数日観察した結果、どうやら彼らは敷地内のそこかしこにクルミを隠しているらしいということが判明した。昼休み等に溝や水抜き穴などを見て回ったところ、幾つものクルミが発見されたのである。また、道端に割れたクルミの殻が多数転がっているのが確認できた。毎日どこかからクルミを持ってきては、割ったり貯食したりしているらしい。

 そんなこんなで今日もカラスを観察していたら、昼休みの中半に遠くからピーひょろ(鳶のことをそう呼んでいる。)が飛んできた。するとそれをみとめたカラスたちがスクランブルをかけたようにすごい勢いで飛んでいき、自分よりも体の大きいピーひょろに喧嘩を吹っ掛けていた。カアカアと威嚇して縄張りから追い出そうと奮戦している。

 ところでワシタカ目が鳥類で最強かどうかはさておき、彼らがカラスと比べてはるかに強力な爪や嘴を持っているのは確かだと思う。そんな相手に対して喧嘩を挑むカラスたちの勇気はすごいとは思わないだろうか?

 例えばこれを哺乳類に置き換えてみよう。僕ら人間が果たしてクマに喧嘩を挑むだろうか? しかもすてごろで。

 カラスたちは人間以上に必至に生きているのである。その姿を見て勇気をもらっ手から午後の仕事に臨むのだ。

 

 

※以下2月半ば頃書きかけていた文章に加筆したものを付す。

 

 これは先月のの話なのだが、試験に合格したことによりようやく職場内での市民権を得た。それにより、ついに自分の席とロッカーが用意されたのである。(今までは事務所脇の応接スペースが僕にあてがわれていた。)

 事務所にいるとどうしても管理職やお客の眼についてしまうため迂闊な行動をとることはできないが、職員室内であればもっとのびのびと空き時間を過ごすことができる。そこで、職場で暇なときは自宅に積まれている本を持ち込み、少しずつ読み進めることにした。

 

 本を読むと否が応でも何かしらの影響を受けるものである。それは小説であっても自己啓発本であっても同様で、読む本がどのような種類であるかどうかに関係がない。おそらくは自分と異なる系統の思考に触れる事が核なのである。

 もちろん影響元は本に限らずとも良い。音楽でもいいし、他人との会話でも良い。それこそブログでも良いだろう。とにかく自分の頭の外に出かけてみる事が必要である。

 本を読み続ける人とは、自分を変えることをいとわない人間である。

 それを安易に成長と呼んでよいかどうかはさておき、僕はそのような心の可塑性を維持することは良い事であるように思っている。そしてそのような可塑性の維持には読書というマッサージが有効であろうとも思うのだ。

 だから僕は本を読みたい。

 

corvuscorax

 

そう言えば、私は人間だった

5月14日

 ようやく仕事にも慣れてきたこの頃、そういえば僕は日記を書いてたなぁと思いいたり今に至る。

 

 ここ数か月、とにかく大変であったことは書き込んでおく。例の資格取得後には3時間のちょっとした研修を受けただけで実務に放り込まれた。「うそでしょ」と思ったが仕事をこなすうちに人間不思議と慣れてくるもので、1週間後には何とか形になっていたと思う。徐々にできることも増えてきており、戦力になり始めていると信じたい。

 実務に係わり始めてから早3か月、次なる資格取得に向けてまた研修が始まるらしい。(一昨日急に伝えられた。)とはいっても既得資格の関連免許であるから今度は実技試験を主に受けることになるようである。たくさん練習しなければなるまい。

 

 今日一日は運転免許の書き換えに費やされた。朝一で卒業検定を受けて合格し、午後一で免許センターへ向かって手続きを行った。もちろん運転免許の初回取得時も学科試験を伴うことから時間と労力がかかるものだが、書き換えの際も結構な時間を要するのである。午後一で行ったのだが結局発行されたのは17時近くになってからだった。運転免許係の警察官も大変である。

 

 なんやかんやあって、無事中型免許を取得した僕は帰路に爆弾ハンバーグを食べてご満悦にご帰宅である。さらにいいことに明日は休みだ。寝て過ごす。

 

 

 以下、書きかけの日記があったので加筆して公開。

(3月23日)

 久々の日記になった。何せ休みが久々だからこれは仕方のないことだ。一日12時間、週6日の勤務をしている最中にあって、その上で日記を書こうなどという気を起こす方が尋常ではないだろう。

 

 なんかなぁ。

 年齢だけは大人と呼ばれるくらいにはなったけれども、いまだに自分の中身がまとまらない感じです。たまごを混ぜはしたけども白身の塊がまだ残っている感じ。

 人は時によってその態度が変わるものだろうとは思うが、あまりにも一貫性のない自分の内面が甚だ恥ずかしくて感じてしまうときがたまにある。

 

 先ほど玄関先でタバコを吸っていた。アパートに住む身としては、いかに自宅といえどもニコちゃん摂取の為に寒空の下へ身を晒さねばならぬというのも仕方のないことである。

 うちのアパートは2棟組で、計8世帯が居住している。僕たちが引っ越してきた時には2部屋ほど空きがあったようだが、現在は全ての部屋が埋まっておりその人気ぶりが伺える。

 なんと言っても徒歩10秒の位置にクリニックとドラッグストアがあり、徒歩2分でコンビニへ行く事ができ、スーパーも近い。こんな山奥にしては非常に好立地なのである。

 それはさておき、玄関先にいると図らずも他の住人の行動が目に入ってきてしまう。僕がタバコを吸う10分そこらの間にも、おそらくは件のドラッグストアへ買い物に行くのであろう、数人アパートから出て行った。やはりこの建物の住人はそのドラッグストアに消費の大きな部分を依存しながら生きているようである。もちろん僕もそうだ。

 彼らを不均衡な仲間意識でもって見送りながらタバコを吸っていたら数年前に地元のカインズで起きた出来事を思い出した。

 

 その日僕は実家で飼育しているニワトリの餌を買いに行っていたと記憶している。なんと言っても20kgの大きなビニール袋を運ぶ重労働を担うのだ。自身を労わりたくなったとしても全く不思議は無く、そのためのタバコを吸おうと思いたった事も自然な事である。

 周囲を見渡すと、出入り口の近く、ショッピングカート置き場のすぐ隣に自動販売機とベンチが置いてあり、更にその奥に随分と古い灰皿が置かれているのを発見した。建物の角は薄暗く苔むしており、

これを機とせず煙草を吸わないというのは喫煙者の名折れであろうと考えた僕はそこで煙草を燻らせた。

 後日、タイヤ交換のためのレンチを買いにカインズを訪れるとその喫煙所は消滅していた。灰皿が撤去されていたのである。

 ひょっとすると、あの場所はそもそも喫煙所ではなかったのかもしれない。もともと正式に設置されていた喫煙所の残骸を一時仮置きしていただけで、その場所での喫煙は想定されていなかったのかもしれない。

 そう考えると確かに一般向けの喫煙所にしては 妙に奥まった場所にあると思いはした。しかし昨今の喫煙者に対する取扱いを鑑みればこの程度はありうると考えたのだが……

 店側もまさかこんな場所で喫煙する人間が発生するとは想定していなかったのだろうか。ひとたび喫煙者が発生したとなれば、そのような不届きものの手の届かぬ場所へさらに灰皿を遠ざけるしかあるまい。ひょっとしたら僕はやってしまったのかもしれない。

 

 そんなこともあったなぁ。自分が原因で何かしらの影響が周囲に及んでしまったかもしれないという状況に遭遇したとき、自分が人間であったことを思い出さざるを得ない。

 腐り落ちたと思っていた社会性がまだ形を持っていることを感じると少しうれしい。

 

corvuscorax

 

よく調べずに節分をしてみる。

2月3日

 いつのまにか2月である。

 「すべき事がある」という事は人間の時間感覚を加速させ、「いつの間にか」という言葉を頭によぎらせる。いかに時間が一定の流れであったとしても、それを感じる人間側のセンサーが曖昧さを持っていればこそこの現象は起きるのであり、そしてこの曖昧さこそが人間の人間たる証とも言えるわけである。

 私は勿論人間であるからして、油断するとこのように日記を書かずに半月ほどの日を過ごすこともある。

 

 今年の節分は2月2日だったらしい。

 正直なところ、節分についてはよく知らないのだが。今年はなんとなく豆をまいて、巻物を食べてみた。

 もちろん僕は恵方巻を食べる時に喋ってはいけないことも知らないので、普通に「うま」と言ってしまった。妻が「恵方巻を食べるときは喋っちゃダメなんだよ?」と言ったのを聞いて愕然。よく考えたら恵方も調べず、ただ机に相向かってかじりついていた。

 

 その後、豆をまく。

 いかに節分を知らずとも、あの掛け声は流石に知っていた。「鬼は外。福は内。」言いながら撒いてみたが、どうやら玄関などは空けておかなければ鬼は逃げていかないらしい。とはいえ豆には鬼に対して斥力を働かせることは間違いないだろう。豆に押し出された鬼は扉に押し付けられて潰れてしまったのかもしれない。つまり、我が家の扉には鬼が張り付いてしまったということだろうか?

 

 今日はもう眠くなってしまった。久々に日記を書こうとパソコンを開いたが、もう目が開かない。

 

corviscorax

 

カラスがクルミを割るとき

1月18日

 今朝の話。出社して煙草をモクしていたところ、敷地に2羽のカラスが飛びこんできたのを確認した。

 同僚の談笑をよそにしばらく観察していると、うち一羽はアスファルトの上で何かを咥え、ある程度の高さまで飛び上がり、何かを落とす、ということを繰り返しており、どうやらクルミのような固い木の実のようなものを割ろうとしているようであることが見てとれる。

 また、もう一羽はたびたび道路上に降り立ち何かを確認しながら道路脇のフェンスでその何かを観察しており、もしもその何かがもう一羽と同様の木の実であれば自動車に轢かせてその木の実を割ろうとしているのではないかと推察された。

 その後も掃除するフリをしながら観察を続けていると、二羽とも近くの杉の木にとまって何かをつつき始めた。おそらく殻を割ることに成功し、中身を食べることができたのだろう。

 

 カラスが車を利用してクルミを割ることは有名な話だが、聞くところによると、この行動を行うカラスの存在は地域差があるらしい。安易に擬人化してみれば、カラス界における文化のようなものなのだろう。

 たまたま私の住む地域にはその文化が存在するようで、職場の近くに住むカラスたちもその文化圏の内側であるということである。

 生物がこれらの行動に及ぶための一番の障壁は「一度手にした食物を一度手放すこと」であると本で読んだことがある。「死」に脅かされる生物にとっての「飢え」は大敵であり忌避すべき存在であるが、「車に轢いてもらう」「高い所から落とす」いずれの方法も、取得した食物を一度手放す必要があり、自ら「飢え」に一歩近づく行為である。

 高次の利益を享受するために低次の利益を犠牲にする、要するにこれは投資だ。目先のことばかりにとらわれる自分と、2次的な利益を念頭おいてに行動するカラスたち。果たしてどちらが知的か?

 

 それはそれとして、飛び上がって高い所から落とす方法を試みていた方のカラスの飛び方がかっこよかった。

 水平飛行で助走(助飛行?)をつけ、そのままもう一度力強く羽ばたいたと思ったら、まるで無重力かのようにふわりと垂直に飛び上がり、最高到達点でクルミを落とす。

 最高点に達したカラスは、クルミを落とす瞬間に空中でその動きを止める。一瞬前まで高速で飛行していたものが、一気に速度を失って空中に止まるのである。流れつづける時間の中で、カラスが空中で動きを止めたその瞬間、時間も止まったように思えた。まるで音楽が急に鳴りやんだ瞬間のように、いい意味で息の詰まる「間」を感じたのである。

 重力に支配され、陸に縫い付けられている人間には到底不可能であるその滑らかな動きに魅了され、僕はまた一つカラスのことが好きになっていく。

 

合格体験記

 奇しくも今週のお題は「いま勉強したいことはなに?」であるが、この度仕事上で取得を目指していた資格を取得することができた。

 それもこれも、この日記をほっぽり出してオリジナル教科書作りに邁進した結果であり、日記更新を犠牲にしたかいがあったというものである。

 

 取得した資格は一応国家資格ではあるのだがあまりメジャーなものではなく、市販の参考書などは探した限り確認できなかった。よって実務に関係する複数の資料を参照して学習を進める必要があるのだが、これがかなり厄介であった。

 例えば同一の内容Aについて、現状では3つの資料に分散して情報が記載されている状態であり、3つすべてを参照しなければAの全容を知ることができないようになっている。感覚としては「後出しじゃんけん」に近い。

 また当然問題集なども存在しないため、自分の学習進度がどの程度であるかを知ることもできない。

 自分の現在地を知ることができない状況下で、勉強すればするほど後出しで知らない情報が出てくるのである。学習が進むにつれて疑心暗鬼になっていった。

 

 これはいかん。

 いくら本来「知識をつける」という行為が暗中模索の言い換えであるとはいっても、今後入社してこの試験へ向けて勉強するまだ見ぬ後輩がこの暗黒に耐えきれるとも限らない。聞けば今までにもこの試験に合格できずに心が折れて退社してしまった人間も多いという。(試験にパスした者が出たのは2年ぶりであるともいう。)

 ただでさえ人手不足の世の中にあるのに、せっかく入社してくれた人間を手放すのは非常に惜しい。というか「1年間に1人応募があるかどうか」という自社の採用状況を鑑みて、手放すわけにはいかないのである。

 

 とにかく問題なのは、明確な達成ラインが設けられていないことだ。確かに覚えれば覚えるほど良いともいえるのだが、覚えるべきラインが設定されなければ何が大事なのかも見えてこない。ただただ力技で知識を詰め込ませるのは、効果的であるかどうかは別として、あまりにも楽しくないし辛いだけである。

 社風というか、業界全体の雰囲気として「臥薪嘗胆」を美としている節があり、また前例主義的な考えも根強い。「自分の時はこうだった、これくらいはやらなきゃね。」という旨の言葉をこの半年で100回は聞いたと思う。

 僕は適度にサボりつつ勉強していたからそこまで問題ではなかったのだが、まじめな人間が入社した場合にはきっとまずいことになるだろう。

 

 そこで、暇な時間が多かった試験終了から結果発表までの間の期間に、職場へパソコンを持ち込んでオリジナル教科書作りをすることにした。

 実務に関わっているわけではないのであまり深い事は書けないが、複数の資料に分散されて記載されている情報を一冊に統合するだけでもはるかに学習がしやすいはずである。

 こうして自身の受験体験を基に、図表を含めてA4全65ページの教科書が出来上がった。今後新しく入社してきた人間をモニターとして意見を求め、改良点を洗い出し、ゆくゆくは「これ一冊あれば試験は完璧」と言えるような一冊を作り上げたい。

 

corvuscorax