そこは、軽自動車で侵入するのも少し躊躇するような道が続いていた。簡易舗装はされているが、長くメンテナンスされておらず、路肩は細い河川側は削られていて、前照灯が相当明るい車種でないと、初めての人間は夜走るのも嫌がるだろう。
土地が安く最寄りのJRの駅までは2km以上あるのだが、地方都市では中央まで出るのにそこから20分程度という好条件もあり、新築のしゃれた住宅が立ち並びそれが広がり始めているところを抜ける。その住宅群が切れるあたりの、両袖から雑木林からの枝葉がはみ出し、足元の石畳の端にはコケが増え始めており、フィールドを歩き回っている人間でなければ、侵入に躊躇するような道が続いている。その小道を、私と母は奥に向かって小走りに走っていた。母はまだ当時、まだまだ若かった。樹木には時折、日本産ではない樹種が混じっていた。多分、地元の動物園の圧倒的なコアラの繁殖成績を支えるものの一つ、ユーカリの樹園があちらこちらにあるからだったかもと、かなり後で思った。
蚕の画像がないかなと思ったが、天蚕(屋外で飼育する蚕)として利用されてきた、ヤママユガのはあったから、とりあえず貼っておこう。そちらでは有名なのでサイトを探したら、「安曇野などでは江戸時代に人工飼育に成功し、天蚕糸の生産と織物作りの中心地として発展してきた」とある(
あずみの織工房 MAKI )。色など物凄く魅力的だが、こちらでは残念ながら聞いたことはない。
なぜそこに向かっていたのか。多分その先にチコがいたような気がしたから。やがてその細い道はやや広くなると、轍はまっすぐに開けた空間に向かっていた。気が付いたら亡くなった母の姿は消えていた。その先で猫が相撲をとっていたかもというのも、夢の後で感じた想像だ。
夢に母が出てきたのは、彼女を送ってから初めてのことだった。
その夢を見た翌日、「軍神と農神と産業獣 #2」 アーティクルで触れた、稚蚕(ちさん)共同飼育所の遺構のある公民館に、ワイフと二人で行ってみようと思った。かなり入り口が狭い場所が何度かあり、スマホのGoogleの鈍感さにやり過ごしてしまったが、何とか大回りしてにたどり着くことができた。 こちらの七夕は旧暦で行われるので、そのような準備がされていて、公民館として活用されているようだ。まだ圃場、畑地が残るので旧住民はそれまで通り使っていると思うが、新規の住民参加などはどうなってるのだろうかとちょっと余計なことを考える。 なぜかというと、ささやかな夏祭りや子供の行事など、自分の居る集落の区内では、取りやめの方向になっていたり、ゴミステーション管理だけとりあえず回ればいいという流れになってきているから。 これも今は使われていない土俵の跡が、中庭に残っていた。かつての地域集落では、相撲は、折に触れ良く行われていたと思う。奄美諸島の小さな離島の離島にも、全て土俵が設けられていたのを、自分も確認しているから、ここにあっても不思議ではない。」 ようやくたどり着いたそこは、最近改修されたという木造平屋建ての公民館だった。
そしてそこの地下には、その改修時、忘れ去られていた地下の稚蚕(ちさん)共同飼育所が再発見されていたのが、昨年の話のようだ。
稚蚕(ちさん)共同飼育施設は、昭和六年に施工が始まり昭和七年に完成とあった。当然この立派な石碑は今回、存在が確認されて補修がされる前からあったので、そういうものがここにあったということは、気が付いている人は普通にいたのだろう。 残念なことに、中にも周辺にも人気はなかったので、中に入る交渉以前だったが、これは想定していた。この高さとこの隙間は、蚕の鼠害や寄生蜂被害防除的に当時の実態と合わせて色々知りたいと思ったが、追加で知る情報は今のところ何もない。 あまりに暑かったのでそちらも期待していなかったがうろついている猫の姿ももちろんない。しかし、この一眼レフのレンズを差し込むことができた隙間、いろいろ入り込める状態だけど、これでいいのだろうかとうっすらとは思った。 縁の下の隙間から除くと、先の動画で映しこまれた稚蚕(ちさん)共同飼育所の遺構。どちらにしても下見のつもりだったから、次回はそれなりの連絡などしていってみようと思っているが、猫の話は出てきそうもないかなと思っている。行ってみるとそんなに興奮するような場所ではなかったりするのはフィールドワークでは普通に経験する。
ここに蚕を鼠から守っていた尊い猫たちの碑でもあれば、できすぎた話だが、南九州では、多分猫は産業獣として使う割り切りが強かった気がしていて、最初から期待はしていなかった。これも馬さん、牛さんの供養塔で、牛さんが彫ってあった。 ということで、夢見が珍しいなと思ったが、特に不思議な展開などなくて、安い高倍率ズームをα7IIに装着して、適当に撮影してきただけ。Distagon 21mmも持って行かなかったが、構図や撮影に凝るには社外は暑すぎて、そんな精神的余裕は生まれず、半分は正解だったかと思った。 遠方に鈴山を望む。薮化した領域がかなりのもので、このあたりだけ航空写真で見ると、道路が見えないくらい繁茂している。その辺の雰囲気は夢で見た風景に少し似ていたが、石畳の道路なんてものはなかった。 ずっと上の方の恩師が、こちら南九州の大学に赴任されてきたときには、「c_C君、鈴山あたりはね、まだね、凄い秘境だったんだよ。」と話しておられたのを、覚えている。そのあたりは私もこの周辺は何度か彷徨った経験があるので、当時どおりとはいかないものの理解できる。
それでも、この近くではヤマコウモリが飛来したりするから、まともな山林が残っているのは、とても重要だ。
追記ー蚕の守り神である猫の話を書いたが、こんなニュースがあった。 「神様は猫、新たな「猫神社」発見 絵馬「倍返し」の風習とは?」 福島市東部で7月、研究者によって奇妙な神社が新たに確認された。 神社とともに発見されたのは、つり目だったり、三角耳だったり、シマシマやブチの毛皮だったり……。さまざまな猫たちの姿が描かれた93枚もの古びた「猫絵馬」だ。研究者は「現代になってこのような神社が新たに見つかること自体めったにない」と話しており、猫にまつわる地域信仰の解明につながることが期待されている。数は少ないが猫をまつったり猫にまつわる信仰があったりする神社は東北地方をはじめ各地に点在しており、その多くは養蚕業に関わっている。 カイコを育てて繭から糸をとる養蚕農家が恐れるのは、なんといってもカイコや繭を食い荒らすネズミ。猫はそんなネズミのハンターであり、時に「養蚕業の守り神」として地域の信仰の中で大切にされてきた。 養蚕農家はカイコを育てる際にネズミよけなどを祈願して神社から猫が描かれた絵馬を1枚借り、繭が豊作なら2枚に増やして返す。これが倍返し。 猫神社そばの個人宅に住む男性によると、神社は男性の先祖が居住する以前からこの地にあった。そのため、なぜまつり始めたのか詳しい経緯は分からないが、男性の家でも過去には養蚕を営んでおり戦後になっても、倍返しの風習は続いていた。 「倍返し」が報復の意味ではない、良い意味で使われている事例だが、これはこちらの「田の神さぁ」(たのかんさぁ)の「おっとい」の風習などにもつながる。「田の神さぁ」は誰が盗んで持って行っても良くて、それで豊作に成ったら、収穫物と一緒に返す。神様にいい思いさせてもらったら、倍返しかそれ以上。
追記―こんなニュースがあると息子が教えてくれた。
養蚕の歴史が長いところではこういう猫神信仰が発生しやすいかも。時代が下って始まっているところには多分生じない。こちらでは養蚕の遺構はあるが見つけられなかった。 口減らしで猫を川に投げ殺していた場所なら見つかった(「 軍神と農神と産業獣 」 )。 猫バカがいるかいないかの違いの結果かもしれないが、寒冷地の方が、家屋の中に入れて移植をともにしないと猫は死ぬから、結びつきは強くなるかもしれない。南西諸島で猫をたくさん飼っている窯元の家に遊びに行ったが、ともかく適当に繁殖して、普段から数も顔もあまり把握していない適当な飼い方だった。猫馬鹿の友人たちは「島飼い」だと、ちょっと軽蔑したような言い方で説明していた。可愛がらないわけではないが、産業獣としてそのへんに居て、平均寿命も短くターンオーバーして、メンバーの交代も激しい。みたいな扱い。
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