第30話

ここには駅がなかったんですよ、昔。私が高校1年生のときに、駒沢大学駅ができたんです

話し手
70代女性
聞き手
佐野陽菜

駒沢で暮らしている◯◯さんの人生と駒沢がどういう関わり合いを持っているのかお聞きしたいなと思って。

 いつも良いなと思うのは、駒沢公園。駒沢公園は結構近いので。行くと、あ、ここの近くでよかったなって思うことがよくあって。子供の頃から、よく親と一緒に遊びに行っていて、親がいなくなったら子供たちだけで行って。結構、大人になっても行くことがあって。テニスやったりとかもできるので、行くことがあって。

 なにより主人に出会ったのが駒沢公園なんです。だから私の中では駒沢公園というのは大きなカテゴリになっているんですよ、なにかといえば。子供達が大きくなっても、遊びにいく。いま孫がいるんですけど、孫も連れて。公園で遊ぶ。自転車の練習から始めるの。私はもう駒沢公園ですね。

人生と共にあったという感じなんですね。

 オリンピックがあったんですけど、私は朧げながらでしか覚えていないですけど、なんか聖火を見に行ったり、競技を見たりとか。あとはマラソンを。マラソン、この辺を走ったんですよ。マラソンコースが、環七とかを走っていて。

 その頃、ご存じないと思いますけど、アベベというすごい選手がいて。当時、私は2、3歳くらいだったんですけど。それはね、覚えてる。なんかすごい、すごく嬉しくて。「きた! アベベ! アベベ!」って私が言ってたって母に言われるんですけど。そんなこともあって、やっぱり公園ですね。あそこだけは変わらない、街が変わっても公園だけは変わらないから、すごく落ち着くの。

当時は住まれていて、小さい頃だった?

 そう、なんかね、覚えてないんですけど、環七で遊んでる、すごいまだ砂利道で遊んでる写真もあったりして。ああ、環七で遊んでたんだ、って。だから、そうやって、街は変わっていったのかなと思います。

環七が砂利道からあの大きな道路に変わって、それでも駒沢公園はずっとそばに、変わらず。

 変わらず。

公園でご主人と出会われたってすごく素敵と思って。

駅にあったところ、なにがあったかなって。この辺も全部変わっちゃってるから

 そうなんですよ。駒沢公園で私の若い頃にローラースケートとスケートボードがすごく流行っていて。で、貸してくれるところとかもあって。駒沢大学の大学生とか、みんな、あそこの公園で、スケートボードやったり、ロールスケートやったりして。私もそこに友達と遊びに行って。いっぱいね、チームがあったんですよ。10人から20人ぐらいのチームが色々あって、そこで出会ったってですよ。

 大学生とか?

 そう、主人が大学生で、私はOLでした。

 最初は、ただの仲間。グループの中にいて、教えてもらったりとかしてて、なんか、だんだん、だんだん、そういう感じになっていったみたいな(笑)。

で、ご主人とそこで出会われて、ご結婚されて。それからも、駒沢公園に遊びに行ったりとか。お孫さんもいまいらっしゃるんですか。

 いま6年生。

 じゃあ、いまは遊び盛りで。駒沢公園にもよく足を運んでおられているっていう。きっと文化とか流行もたぶん変わってきているんですよね。その当時はスケートボードだったけど、みたいな。

 そう、いまはね、みんな禁止されてるからできないんですよ。いまはパークがあって、そこの中だけだったら、できる。昔はみんなどこでもやっていたけれど。

そういう変わっていくことには、どんな思いを抱きますか?

 それはね、もう時代だから仕方がないかなって思う。なんか不寛容じゃないですか。いま、まあまあ若いもんだからしょうがない、みたいなのがないから、しょうがないのかなって。ちっちゃいお子さんもね、自転車に乗ったり、歩いたりとかね、安全に過ごせるように。

 なんか昔は代々木公園とか公園とか、もうみんなね、踊ったり。やっぱりまあまあ色々やってたからね。でも、そういうのは規制がかかるのはしょうがないですよ。

少し寂しいなとか。

 そうね、でも、ああいうちゃんとしたところを作ってもらって、そこでなんかやれるっていうのはいいかなあとも思ったし。

スケートボードのスポットになってるんですね。

 お兄さんたちから子供まで。みんなでやってますよ。

駒沢公園はいまも変わらずそこにあったけど、一方でなんか変わってしまって、なにがここに立ってたかしら、みたいなふうに思うこともありますか。

 ここには、駅がなかったんですよ、昔。私が若い頃、高校1年生のときに駒沢大学駅ができたんですよ。だから、ここの駅にあったところ、なにがあったかなっていうのはありますよ。この辺も全部変わっちゃってるから。だいたいこっちに来ることなかったしね。

どの辺りに普段はいらっしゃったんですか。

 普段は上馬の交差点のそばにスーパーとかお店がいっぱいあったから、そこで済ませてたし。あと三軒茶屋。でも、駅ができてから、こっちに来ることが、多くなりましたけどね。

エンタメが大好きなんですよ。もう高校生の頃からすごい

それは、高校生になられて行動範囲が広がったからでしょうか。

 そうです。だって、渋谷まで行くのに、バスか路面電車か。路面電車が走っていたんですよ。246を渋谷から二子玉川まで路面電車が走って。玉電っていう電車が走っていて。

 でも私が小学校の2年生ぐらいのときに廃止になって、それでバスだけになって、渋谷まで行くのは結構大変だったんですよ。

じゃあ、高校生とか中学生のときに、過ごしてた場所とか。

 もうね、地元か、三軒茶屋。

 地元はね、友達のお家か近くの公園。それこそ、駒沢公園とか。遊んでるしかなかったかな。

どんな高校時代でしたか。

 高校時代は。高校時代、学校が渋谷だったんで、めちゃめちゃ渋谷で遊んでました(笑)。渋谷、いまみたいにあんなじゃなかったし、もっと素朴な感じで。もうパルコぐらいしかおしゃれなとこなかったし。センター街とかすごいけど、センター街だってそんな人もまばらだったし。怖いところじゃなかった。いま、ちょっとなんか近寄り難いじゃないですか。私の高校時代にはそんなことなかったです。

 どんなことが流行っていたんですか。

 私たちの頃なんて、なんかお洋服買ったり、喫茶店でおしゃべりしてたりとか。あとはコンサートとか。私、エンタメが大好きなんですよ。もう高校生の頃からすごい。いまでもそうなんですけど。

それはご主人から?

 主人はぜんぜん、ぜんぜんダメ。私はね、高校生のときからずっとライブ。いまでもそうなんです。この年でも。

どうしてエンタメっていうところに。

 どうでしょうね。でもたぶん、音楽が好きだからかな。音楽が好きでコンサートに行ったり。いまはミュージカル。コンサートも行くけど、ミュージカルも。その頃流行ってた、ベイ・シティ・ローラーズとか、知らないですよね(笑)。

 あとは洋楽系も見てたし、あとはフォークとか。

なにが目当てだったんですか?

 ま、音楽のバンド。バンド系がかっこよかったの。

じゃあ渋谷に結構あったんですか。コンサートホールとか。

 渋谷はライブハウスでいっぱい。いまもあると思うんだけど。あとは、渋谷公会堂っていうのがあった。いまは名前が違うかもしれない。あとはNHKホールとか。

エンタメをこよなく愛していた高校時代だったんですね。ご主人はさっきぜんぜんっておっしゃられてましたけど。

おばあちゃんはご飯食べさせてくれるからいいかって思ってるみたい(笑)

 主人はね、自分でなにかをすることが好きだから、例えば公園でバスケットやったり、スケートボードやったり、テニスやったり、スノーボードやって、釣りして。みたいな。そういうのが好き。じっとしてなんか見たりとかしてるのは、たぶんね、苦手。

でも、出会われて一緒になられたっていうことは、一緒にいて気が合うなとか。

 たぶんそこで外の遊びをしてたから。テニスもやっていたし。そういうんじゃないかな。気があったとすれば。

(少々沈黙)

駒沢の暮らしはどうですか。

 便利だと思いますよ。だって、田園都市線に乗っちゃえば、10分以内に表参道に行けるって。そういう点では便利だし、お買い物だって地元で全部するし。なんかね、穏やかな感じがします。雰囲気が。住んでいる人というか。

 三軒茶屋とかいくと、ぜんぜん、また雰囲気がぜんぜん違う。駒沢は基本、住宅地ですから。大きなお家もすごい多いですし。あとはマンションとか。たぶん、こっちの広い通りに見えてたところは、マンションがすごく多いですけど、一本住宅地の中に入っちゃえば、もうそれは昔から変わらず、大きなお家がいっぱいあるんですよ。大きなお家を眺めながら、小さなお家に帰る(笑)。

暮らしている中でご近所の方とコミュニケーションとか。

 いま町内会とかもあるから、町内会の、なんか、いろんな町会費とか、いろんなの集金に、いろんなお家を回ったりもするから、そういうので、ご近所さんは顔見知り。

 あと、ゴミ捨てたりするのも、マンションだったら、マンションのゴミ置き場にポイって捨てればいいでしょ。でも、普通の住宅地だと、ゴミ捨て場があって、みんなそこに捨てて、お掃除当番で、お掃除したりとかね。未だにそういうのあるから、どうしても交流はしなきゃならないですね。

 交流の中でなにか生まれたりとかします?

 孫がいるから、登校班が一緒の方と仲良くなったり。結構、そういうのはあります。ママ友。私はおばあちゃんだけど。

 お孫さんも、可愛いですね。

 そうね、でも段々可愛くなくなってくるけどね。女の子は可愛いけどね。

 孫はね、超ゲーマーだから、ゲーム。ゲームのこと。私が知ってる限りのゲームの話とかはするけど。でも、おじいちゃんの方がね、すごい仲良し。あ、おじいちゃんもゲーマーだから。ポケモンGOとかしながら2人でその辺散歩に行ってます。

じゃあ、おじいちゃんにちょっと似てるところがあるんですか。

 そっくり。顔もそっくり。おじいちゃんにべったり、おばあちゃんはご飯食べさせてくれるからいいかって思ってるみたい(笑)。

なんか私、給食すごい苦手で(笑)。給食のこと思い出しちゃう

ご自身の6年生はどうでしたか。

 学校が、孫も行っているんですよ。私が出た学校。旭小学校っていうのがあるんですけど、環七の向こう側に。そこって、私の父もそこに行ってて。で、私が行って、うちの娘たちも行って、孫も行って。結構そういう方いらっしゃるんです。やっぱ、そういう点では、あんまりこう、人が動かないっていうのかな、ずっととどまっている方が多いんじゃないかな。入れ替わりがない、あんまり。

 じゃあ、ご近所さんで、◯◯さんはずっといらっしゃるから、◯◯さんと関係が続いたりとか。

 うん、同級生のお母さんが近所にいたりとか、そんな感じ。

ご自身のお父さんまで、そこに通われてたとは。相当長いですよね。

 そうですね。お父さん86歳で今年亡くなったんですけど。そうそう、86歳のお父さんから始まって。

ずっとある。でも、ちょっと変わったりとかしたんですか。

 学校はねえ、私が行ってる頃とほぼ変わってない。だからすっごく古い。たまに運動会のときとかに行くとすごく懐かしい。同じだから。

どんなこと思い出されますか。

 なんか私、給食すごい苦手で(笑)。給食のこと思い出しちゃう。昔は厳しくて、給食は全部食べ終わるまで、席を立たせてもらえなかったんですよ。いまは随分ね、寛容になったみたいですけど。私たちの頃はすっごい厳しくって。お昼休みがないぐらい。机に置いたまま食べられないものとか残ってたり。

 でも、もう食べられないものは絶対食べられないでしょ。そうしたら先生が、給食室に自分で片付けてきなさいって。で、片付けに行かなきゃいけなかった。それをすごく思い出す。

なにが嫌いだったんですか。

 私、お肉が食べられなくて。いまでも。だから、結局そのようにされても食べれるようにならない。

 昔はね、美味しくなかったですよ。本当になんか、スープの中にお肉と野菜が入ってて、食パン。あとは、鯨のお肉もでました。めっちゃ固い。めっちゃ硬いクジラの。嬉しかったのは揚げパンとか。そういうのは嬉しかったけど。

それでは、良い思い出はありますか。

 良い思い出。良い思い出は校庭がめちゃめちゃ広かったから。体育の授業とか、すごい楽しかった。勉強があんまり好きじゃなかったから。

体を動かして。どれぐらい広かったんだろう。

 結構、広かったですね。もう一つ、校庭があったんですよ。いまでも校庭は広いですよ、旭小。もう1個の校庭はなくなっちゃいましたけど、そこはね、子ども園になって。

 社宅とかもね、すごく周り、多かったんですよ。いろんな企業の社宅がたくさんあって。子供たちがたくさんいてっていう感じだったんですけど。そういう社宅がね、みんななくなってます。普通のマンションとかに建て替わっちゃって。そういうところも変わったかな。だから、子供も少なくなってるね。

友達の家に遊びに行くとか。よくしていらっしゃったんですか。

 してました、してました。昔はお母さんがいたんですよ。どこのお家にも。塗り絵とか、着せ替え人形とか。なんかそんな。あー、リカちゃん。リカちゃん人形とかで遊んでたかもしれない。

なんか、不思議。なんであそこなんだろう

 あと、結構ね、路地。路地で近所の子供たちが。うわーって集まって。で、下にチョークでなんか書いたりとかして、ぜんぜん誰にも怒られなかった。近所の人たちにも。路地で遊んでましたね、基本的には。ゴム跳びとか、あとはチョークで書いて遊んだりとか。

すごい。そっか。路地。

 路地で遊んでる子供はいないですね。遊んでると苦情が出るでしょ。声とかでね。だって公園だっていまボール遊びしちゃいけないとかすごい規則が厳しくって。

 (当時は)ボールで遊んでいようが、なにしてようが、誰にも怒られなかったですね。

中学校時代はどうでしたか。

 中学校も、いまでもあります。ちゃんと。いまでも変わらず。体育館あたりは変わった感じかな。娘たちは違う学校に行ったんですけど、孫はたぶんそこに行くと思う。受験しないって言ってる。できませんけど、勉強嫌いなんで。娘たちはね、2人とも違う。娘が2人いるんですけど、ぜんぜん違うとこ行っちゃったから、母校ではないんですけど。

ご自身のお父さんもそこに?

 父親、私の父の中学はそこじゃない。なんかね、途中でね、どこかちょっと世田谷の離れたところに、引っ越して。それでまた、こっちに戻ってきたって言ってました。

 だから、ずっと結婚しても、ここに住んでるから、主人はどこか行きたくなかったの。って言ってました。

その辺りはどうなんですか。

 でもね、なんだろう、どこかに行こうとは思わなかった。便利だし。なんか好き。この辺が。

それは、公園を出会いの場として、一つの人生を形作るものとして、ある場所だから。

 そうなんだと思う。日頃はね、忘れてるんだけど、公園。ちょっといくと、やっぱここいいわとなるから。

思い出すんですか。

 そう、やっぱり公園なんですよ。自分の子供の頃からいままで、そこに行くと、いろんな思い出が全部詰まってる感じ。自分が子供の頃にみた風景とか、主人と出会ったこと、自分の娘たちと遊んだこととか、そういうのが、公園という場所で。

 ブタ公園というのがあるんですけど、なんか可愛いぶたちゃんがね、オブジェみたいになっているところがあるんですけど。そこに行くと、自分の子供たちが友達たちと遊んだり、喧嘩したりしてたな、みたいな。場所、場所で思い出すことがある。

普段は忘れてしまっているけど、そこにいくと思い出す。

 なんか、不思議。なんであそこなんだろう。なんでなんだろうって。

生活史を聞いて:ミニインタビュー                佐野陽菜さん

都市に暮らす人々が、どんな場所の記憶を持って生きているんだろう?って、すごく考えているんです

入試と重なって(笑)。

 本当に大変でした(笑)。受験期のまっただ中に衝動的に応募して。「お話聞けるんだろうか」「文字起こしもできるだろうか」と思いながら駆け抜けたな。

 9月頭が大学の選抜の締め切りで、話し手のお話を伺ったのは8月下旬で。すごくバタバタしていたけど、一貫して同じ関心があった。〝都市で人々は、土地にどのような眼差しを持っているんだろう?〟というテーマをずっと考えつづけていて。

 たくさんのビルが建って、場所性に紐づいた人々の意識や想いがおざなりにされているんじゃないか。そこをどうにかできないか。都市に暮らす人々が、どんな場所の記憶を持って生きているんだろう?って、すごく考えているんです。

それはどんなところから?

 高1でお婆ちゃんを亡くしたとき、初めて死に触れて。「人間って儚く死んでいくんだな」というのと、骨になったとき「この人が持っていたこれまでの想いとか、記憶とか、体験ってどういうものだったんだろう?」って、初めて意識が回って。

 そこでちょうど高校を転校して下北沢に引っ越して。「過去に再開発があったようだ」と知って。お婆ちゃんの死から派生したテーマと、住民の人たちが「昔の下北沢の方が好き」と言っている話に重なるものを感じた。

それで、大学でオーラルヒストリーの研究をしようと。

 そうですね。私自身は転々と暮らしてきて。生まれは東京だけど、数ヶ月ぐらいで中国の天津に移って。幼稚園は静岡で。小学生でまた東京に戻って、ブラジルで5-6年生を過ごして、日本に帰っていまに至る。

 定住する文化が自分の人生の中にはなくて。すごくいろんな体験をするし、いろんな人と出会うけど、一つの土地とか長期的な思い出がぜんぜんなくて。

 今回、長く駒沢で暮らしてきた方にお話を伺って。「地元」というものを持っている人の想い、そこに積み重なっていく土地の履歴って、本当に深いなと感じた。公園にすごく愛着を持っていて。旦那さんと出会った場所であり、子どもたちを遊ばせた場所であり。その孫たちが遊んでいる場所であり。

 場所を起点にして積み重なる思い出がたくさんあって、それは「私が持ち得ないものだな」と強く感じさせられた。

 一つの場所にここまで長い眼差しや想いを持っている人がいるんだ、という驚きが、すごくありました。

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