朝井リョウ「生殖記」

こんにちは!小町です。
最近は涼しくなってきて、読書の秋も近づいて参りました。
今回はずっと読みたかった本、ようやくまとめる時間ができたので!
朝井リョウ「生殖記」です。
タイトルから面白そう。挿絵の無い白い表紙でどんな内容か情報が得られない。
ネタバレ厳禁との扱いもありますが、
触れないと前に進まないので、まだ読めてないよって方は回れ右。
読書後また来て感想を共有しましょう。
あらすじ
家電メーカーの総務部で働く達家尚成は、異性愛者を前提とした社会で擬態しながら33年生きている。そんな彼の「生殖本能」である「私」は、人間社会と尚成の「しっくり」を見つける様子を見守っていく。
斬新な語り手から見る
最初は語り手の「私」の正体がわからず、誰目線なの?と困惑しました。
読み進めるとまさかの(笑)
語り手に「え⁉」となるまでが山場です。
主人公の名前が「尚成」なので、音が「小生」と同じで一人称に聞こえるのも面白い仕掛けだと思いました。
物語自体はそんなに何も起こりません。
尚成が会社のレイアウト変更プロジェクトのリーダーとして仕事を任されることと、独身寮から引っ越すということしか起こりませんので、物足りないという評価も一部あるみたいですね。
しかし画期的な語り手のおかげで、起伏はなくと面白く読めたと個人的には思います。
「私」がすごく話口調なので、重い話題もノリが軽めなのと、
もはや?別次元の目線から語らせることで、「ヒト」の様子や社会の仕組みを俯瞰しつつ、作者の言いたいことをずけずけ言えてしまう免罪符にもなっています。
拡大・発展・成長を目指す永遠のレース
朝井リョウさんの『正欲』という作品でも投げかけられていた、「多様性」という言葉。
その解釈というか、一つの現実を本作で若干見せてくれたような気がします。
同性愛や、適応障害、人それぞれに生きにくい場面がありながら、
「生産性」がない、低い、とみなされた途端に排除される仕組み。それが人間が培ってきた社会です。
家族なり、職場なり、様々な「共同体」があり、
そこには共通の目的があり、
必ずといっていいほど「拡大、発展、成長」を求められます。
共同体に所属し同じ目的に進むこと、それら共同体と関係を持ち続けることが生きるためには重要になります。
家族という共同体においては子孫繁栄がまあ、発展ですよね。生物としてもあてはまると思います。
会社では利益を生むことです。
そうでない人間は、嫌な顔をされる。
これが当たり前かもしれない、ですが当たり前にできない人間からすると、とても苦痛なこと。
ヒトは1個体で生きられるようには進化していませんので、
共同体から排除される=生きる難易度が一気に上がる、わけです。
だから尚成も生きるために擬態して、ほかの人と同じふりをしてきたんですよね。
主人公に共感する、しないではなくて、
生きにくいなと感じたことがある人には、そういうことだったのかも、と思うポイントが見つかるかもしれません。
共通しているのはおそらく「拡大・発展・成長」を目指さねばならない社会。
私もこれがつらいなと思います。
仕事をしていても、新しいことを何かやらないと、次の問題を解決しないと、って、意味の分からないところから意味の分からない視点を持ち出し、改善しようとかしませんか。
SDGsとかね。(小声)
作品の中でも、勤めている家電メーカーが新しい炊飯器を企画しますが、今まで聞いたこともない成分をより含むように設計!という感じでほんとに人間って面白いなと思いました。(笑)
現実でもそんなのばっかりです。
成長には限界がある、それはみんなどこかで分かっていながらそうせざるを得ない。
でも、ヒトがこの地球に後付けした社会構造のうえでは、“今以上よくなる”以外に目標の立てようがないから、止まるわけにもいかない。
永遠の成長なんて存在し得ないことを誰もがわかっていながら、それでも全力で今よりももっと成長を目指し続けるという姿勢を解くわけにはいかない。
もう近い未来どうにもならなくなることは明白なのに、立ち止まれない。
監視し合っているから。
共同体の構成員たちが、拡大、発展、成長を目指すレースから降りる者がいないかどうか、お互いに見張り合っているから。*1
尚成は、最終的に「循環」に当て込むことで持て余した暇を使うことにしました。
生きやすさってなんでしょうね。
思うのは、所属するいろんな共同体、その中のどれか一つでも苦痛じゃないところがありますように。
擬態に殺されませんように。
≪朝井リョウさんの本のおすすめ≫
こちらの記事もぜひ。
朝井リョウ『生殖記』,小学館,2024年10月7日初版第一刷。
*1:96頁
土屋うさぎ「謎の香りはパン屋から」

こんにちは!小町です。
久しぶりの更新&読書もご無沙汰になっておりました。
なのでライトで読みやすいなと思った本を紹介します。
土屋うさぎ「謎の香りはパン屋から」、第23回『このミステリーがすごい!』大賞受賞作となっております。
今回はネタバレなしでお送りしたいと思います!
あらすじ
市倉小春は漫画家を目指す大学1年生。アルバイト先のパン屋〈ノスティモ〉を舞台に、親友の約束ドタキャンの謎、ひったくり事件、思い出のカレーパン探しなどおいしい空気に包まれた「日常の謎」の意外な真相とは―――。
各章・物語の構成
構成としては短篇5つの連作ミステリーとなっていて、各章のタイトルにはパンの名前が。そのパンの豆知識に絡めて締めくくるという上手なオチになっています。
第一章 焦げたクロワッサン
第二章 夢見るフランスパン
第三章 恋するシナモンロール
第四章 さよならチョココロネ
第五章 思い出のカレーパン
小中学生でも読みやすいであろう軽いリズミカルさがあって読書やミステリの入門編に良いと思う反面、
こってり濃い味ミステリに慣れすぎた大人(笑)は少し物足りなさがあるかもしれないという印象です。
(かく言う私もこってり人間)
しかしそれも作者の土屋うさぎさんは漫画家さんだと聞いて納得。
ライトな読み口や会話体、すぐにでも映像化・アニメ化できそうな描写がとても素晴らしい作品だなと思います。
あとすごく、パンが食べたくなる。(笑)
コーヒーとパンをご用意して本を開くことをオススメします。
日常の謎
「日常の謎」とは、日常生活の中にあるふとした謎、それを解く過程を扱った物語のことを言います。
大きな事件が起きるわけではないのですが、
まあ私たちの日常ってその場合の方が多いはずですから、より小説の内容を近くに感じることはできると思います。
毎日を少しだけ注意深く観察してみれば、
私たちの世界に溢れる謎やヒントに気が付けるのかもしれないですね。
土屋うさぎ『謎の香りはパン屋から』,宝島社,2025年1月。
伊与原新「藍を継ぐ海」

こんにちは!小町です。
先日発表の直木賞、芥川賞はいずれも該当なしと、残念な結果でしたね…
どの作品も好みがあって選べなかったということではありましたが、
改めて受賞した作品っていうのはすごいですね!
と、いうことで172回直木賞受賞作のこちら。
伊与原新さん「藍を継ぐ海」を取り上げたいと思います。
日本のどこかを舞台に、ふつうに暮らす人達とそこにふと現れる違う世界の見方。
科学を媒介に「受け継ぐ」がテーマの短篇が5つ収録されています。
夢化けの島
地層の研究で訪れている見島で久保歩美は見慣れない男性と出会う。彼は「萩焼」に興味があるようで「見島土」をさがしていた。
嫌っていた父、陶芸の技術、地道なフィールドワークの研究、受け継いできたからこそ二人の出会いがあったのかも。
そのままでは役に立たない土を使って、器という道具を作る。形ないものを形にして、新たな価値を生み出す。すべての生物の中で、ヒトをヒトたらしめている「仕事」というものの原点は、きっとそこにあるのだろう。*1
狼犬ダイアリー
東京で心折れたまひろは東吉野村へ移住しフリーのwebデザイナーとして負け犬のまま生活している。大家の息子が見た狼の噂が気になりはじめ……
絶滅したと言われるニホンオオカミの血は犬にも受け継がれ流れているらしい。
孤独でいたり協力関係を結んだり、そうして生きていくのかもと思わせてくれる作品。
祈りの破片
長与町役場に勤める小寺は空き家問題の担当を任されている。ある日集落のはずれの空き家から光が出ているとの相談を受け調査をすることに。
そこには原爆の様相を伝える破片たちが大量に収集されていた。
誰が何のために集めたのか。そこには受け継ぐべき思いが。
星隕つ駅逓
北海道の遠軽町で郵便局員として働く信吾。義父が勤めていた野知内駅逓はもうすぐなくなってしまうことが決定していた。そんな時、近くに隕石が落ちたと知って、妻の様子が少しおかしくなっていく。
子供の、地の、隕石の、、、名前って大事ですよね。
由来とともに後の世に残っていくもので。
藍を継ぐ海
祖父に引き取られて徳島の漁師町で暮らしてた沙月は、浜で産卵したウミガメの卵を盗んで育てようと考えた。
去年、置いていかれた子ウミガメを自分に重ねて助けたこと、家出した姉、カナダに流れついた漂流物。ヒトもモノも、巡り巡ってウミガメのようにまたどこかで母浜に戻ってくるのかもしれない。
ずっと、ここにいなくてもいい。ここでウミガメを待ち続けるのは、自分じゃなくてもいい。いつか自分が、この子ガメたちのように姫ケ浦を出ていったとしても、この浜で育った思い出が消えることはない。たとえ、二度とここへ帰ることがなくても。*2
いつかまた還ってくることができる。
器や研究、隕石や空き家やノートにも。誰かが生きていた痕跡が残っていて。
どこかで誰かに何かしらの形で受け継がれていくようなそんな優しい時間を感じる物語でした。
\伊与原新さんの作品の記事はこちら/
伊与原新『藍を継ぐ海』,新潮社,2024年9月。
今村夏子「むらさきのスカートの女」

こんにちは!小町です。
前回の紫陽花から、むらさき連想はでどうでしょうか。
今回は今村夏子「むらさきのスカートの女」です。
第161回芥川賞受賞作。
ミステリでもホラーでもないのですが、違和感の連続にゾクッとする感覚になること間違いなし。
あらすじ
「わたし」は近所で見かける「むらさきのスカートの女」が気になって仕方がない。彼女とともだちになるべく行動を観察し、同じ職場で働くように仕向けてみるのだが―――。
信頼できない語り手
都市伝説的な「むらさきのスカートの女」に執着して観察している出だしなのですが、徐々に私たち読者は、違和感に気付いていきます。
そう。「わたし」の方が明らかにやばい!
そっちが気になるよ!(笑)
ミステリーの手法に「信頼できない語り手」というのがありますが、(若干違うかもしれないけど)認知のゆがみを利用したぞわっとですよね。
そもそもの話、
うちの近所に「むらさきのスカートの女」と呼ばれている人がいる。*1
うちの近所の公園には、「むらさきのスカートの女専用シート」と名付けられたベンチまである。*2
と序盤から紹介されていますが、
「わたし」以外、「むらさきのスカートの女」って呼んでる描写がないんです。
語り手の異常性に気付いていくうちに何が虚構だったのかわからなくなる……
表紙もよく見て。
むらさきじゃない!
最後「何色の何を穿いていたのか、わたしはどうしても思い出すことができなかった」とか言ってますもん。
一人称語りなのに自分の話をしないので第三者視点のような感じがします。
それが自他との境界の曖昧さにつながっていたり。
普通、小説って読み進めていくと謎が明らかになったり、共感していったりするんですが、この作品は終わりに向けて「わたし」と乖離していくような気さえして。
他の方の考察とかですと、わたしと同一人物だとか、実在しないのではという説もあるようですが、それは個人的には否定。
小説中で、「わたし」以外の人物たちは「むらさきのスカートの女」を「日野まゆ子」とちゃんと認識してコミュニケーションをとっていますよね。
むしろ存在感がないのは「わたし」の方。
「わたし」は誰にも気づいてもらえないのです。
「わたし」自身でさえ、自分のことを認知できていないというか、客観的に見ることができないんでしょう。
だから、家賃滞納しても無銭飲食しても、ものを盗んでも罪の意識が欠落しています。
「むらさきのスカートの女」については、その異常さを事細かにメモしているにもかかわらず自分のことには一切無頓着なのです。
孤独と承認欲求
さて、自称「黄色いカーディガンの女」は「むらさきのスカートの女」とともだちになりたいらしい。
服の上下でもありますし。黄色と紫は補色の関係ですね。
※補色=色相環上で反対の位置にある色。組み合わせると引き立てあうが、混ぜると無彩色になる。
……意味深。
その割には、自分のシナリオ以外のところで彼女と接触したり助けたりはしません。
本当にともだちになりたいか……?
多分違うんでしょうね。
「むらさきのスカートの女」はいろんな人に似ているところがあると「わたし」は語っています。
おとなしかった姉、タレントに転身した元フィギュアスケート選手、画家になった小学生時代の友達、危険人物だった中学時代の同級生、漫画家兼ワイドショーのコメンテーター、前に住んでいた町のスーパーのレジの女の人……
そのどれもが自分より弱い(劣っている)と無意識で思っている存在なのかなと思いました。
かつ、憧れるような部分も持ち合わせている。
だからともだちになりたいという感情と同一視しているのかもしれません。
ただ話しかけられたら拒否しているところを見ると、手を差し伸べられることに対しては嫌なようですね。
自分より弱い誰かを助けてあげることで、自分を見てもらいたいという一種の承認欲求があるのではないでしょうか。
先ほど述べたように「わたし」は自分自身のことには疎いので、自分では自分のことがわかっていません。
自分をよくわかっている人は自ら変わろうとしますが、そうでない人って他人に変わってもらおうとします。
「わたし」は「むらさきのスカートの女」に執着していたのではなく、自分のために変わってくれる「誰か」を求めています。
人間は他者との関係で相対的に形成されると私は思います。
この「わたし」は他者との関係の希薄さを体現しているのかもしれません。
今村夏子『むらさきのスカートの女』,朝日新聞出版,2019年6月。
松下龍之介「一次元の挿し木」

こんにちは!小町です。
ブログ、3000PVを超えていました(拍手)
細々と書き続けてきて皆様に読んでいただけて大変うれしく思っています。
これからも頑張って綴っていきますので、どうぞよろしくお願いします。
梅雨の時期に入りましたが、連日すでに夏のような暑さですよね💦
ひやっとするような怪談……が思いつかなかったので、今回もミステリで(笑)
松下龍之介「一次元の挿し木」です。
第23回『このミステリーがすごい!」大賞、文庫グランプリ受賞の作品。
季節に合わせて紫陽花と、頭蓋骨の表紙が特徴的な作品を選んでみました。
あらすじ
4年前に失踪した妹の紫陽。ヒマラヤ山中で発掘された200年前の人骨と妹のDNAが一致したことで、七瀬悠は真相を突き止めようと行動する。不可解なDNAの謎や宗教団体との関わり、妹の行方を追う悠と、殺された教授の姪石見崎唯は事件に巻き込まれていく。
クローン技術と倫理的問題
いきなりのネタバレですが、タイトルからすでにお分かりいただけますよね。
一次元=DNA、挿し木=クローン
と、いうことで行方を追っている妹の紫陽は、クローン実験で生まれた存在だということはなんとなく序盤で察しがつくと思います。
途中途中でも言及されていますが、純粋な科学的興味だけでは人間の持つ倫理的観点の壁を超えることは難しい。
クローン技術はその最たるものではないでしょうか。
医療にも役立つはずのこと、作中でも分子生物学の世界的権威である仙波佳代子は孫の命を救われたと強調していますが、そこに至るまで、紫陽のような哀しい存在がいたことは無視できません。
さらに最後は「神」の代替(生贄、犠牲とも取れますが)として生きていくことを選ぶのですから、切ないことこの上なかったです。
科学的な話を中心に展開していくにも関わらず、わかりにくさを感じすに読みすすめらました。
それに加えて宗教や神話も織り交ぜ構成する手腕。本当にデビュー作?(笑)
個人的にはミステリとしてもエンタメとしても大変面白い作品だったと思っています。
遺伝子に組み込まれた運命
たった4つの塩基(アデニン、グアニン、シトシン、チミン)の並びで、人間が構成されていて、何か欠落していたり多く持っているというだけでも病気になったり、凶暴性が高くなたり、決定づけられているとしたら。
クローンは元の人間と同じ顔かたちだけじゃなくて、同じような運命をたどることにもなるのかしら?
自分自身が複製された人間だということを知っていた紫陽は、抗いたいと心の奥底では願っていたんだと思います。
自分はなぜ生まれてきたのか。必要な存在であるのか。
紫陽だけではなくて、誰しもが考えたことのある哲学的な問い、それがこの作品のテーマにもなっていると思います。
また、ギリシャ神話のミノタウロスも出てきますが、自分が生まれたのはなぜかという問いに深く関わりますよね。
最後のシーンなんて、ラビリンス(真実を見つけるための苦悩とも解釈するそうです)に迷い込んだテセウスとアリアドネの助けのメタファーでした。
過去という怪物
ここからは私の自分語り。
結構好きだなと思った一文を引用。
過去が、過去という怪物が、口を広げて石見崎を呑みこもうとしていた。*1
運命はもしかしたら、ある、と個人的には思う。
でもその過程をどう生きるかが大事だと考えています。
自分の行動や過去の過ちが「怪物」となって自分自身を襲ってくる。
そういう風に人生もできているんじゃないかな。
松下龍之介『一次元の挿し木』,宝島社,2025年2月。
*1:27頁
村田沙耶香「信仰」

こんにちは!小町です。
1か月(以上)ぶりの更新になってしまいました。
本は読みたいのに忙しさに時間が取れません。ついつい読みやすい短篇を選びがちになりますね。
私と同じような人に、今回は村田沙耶香『信仰』をおすすめしたいと思います。
過去にも村田さんの作品を記事に取り上げていますが、
独特な発想から生まれた味のある短篇とエッセイが8本も収録されています。
それそれのあらすじに少々感想を添えて。
信仰
「原価いくら?」が口癖の永岡に、同級生の石毛がカルトを始めないかと声をかける。同じく同級生の斉川さんが一緒だということで心配になった彼女はその計画に関わっていくことに。
健康にいい浄水器、海外ではあたりまえらしい鼻のホワイトニング、ロンババロンティックの皿……
何を信じて、何にお金を払うのか。
みんながみんな、何かを信じて生きている。
現実を信仰している永岡も。信仰って宗教だけのことじゃない。
押し付けられるとうざいし、胡散臭いし、狂気じみていることってなんでも当てはまると思いました。
「私、騙されたことがあるからわかるの。高い方が、信じてしまうの。高いお金を払った自分を否定したくないし、それに、背伸びをして頑張ったお金を払ったほうが、これは特別な体験なんだって感じられて、新しい場所へいくことができるから」*1
ロンババロンティックの皿が気になりすぎてお皿のサムネに。(笑)
生存
65歳の時に生きている可能性を「生存率」として指標化した世界。「生存率」は本人が生涯得るであろう収入の程度にほぼ比例して算出される。
80%以上はA、50%以上はB、10%以上はC、そして9%以下のDは野人としてほぼ動物のようになっていく。
生きているなと感じる瞬間って、人それぞれにあると思うのです。
「生存」する状態ってなんでしょうね、と考えさせらます。
土脉潤起
「生存」の後日譚。野人になることを選んだ姉と女友達と三人で共同生活を決めた妹。
タイトル「どうみゃくうるおいおこる」は七十二候の季節のひとつ。2月中旬ごろ、暖かくなってきた雨が雪を溶かし、大地がうるおい始める頃を言います。
彼らの惑星へ帰っていくこと
子供のころから「宇宙人」が身近な存在だった私。地球にきて、人間に紛れて過ごしている宇宙人たちと自分は同じだという感覚だったと著者はいう。
カルチャーショック
「均一」の街から「カルチャーショック」の街に旅行に来た親子。「均一」では、言葉も味も、容姿までも同じで、それを可哀想と言う「カルチャーショック」の街の老婆。
異なる文化に出会った時、良くも悪くも衝撃を受けると思いますが、受け入れる人も、自分たちの文化を押し付ける人もいます。
何が最良かなんて自分たちの文化の尺度では測れないです。
気持ちよさという罪
「個性」や「多様性」という流行りの言葉で誰かを傷つけはいないだろうか。
ハッとさせられるエッセイです。
書かなかった小説
便利な家電「クローン」を4体購入することことにした夏子は、自分を夏子AとしてクローンそれぞれB、C、D、Eの5人で生活を始める。
タイトルは意図的?
未完成の小説の体をとってシーンが途切れ途切れでその間に何があったのか、想像を搔き立てられるのが、面白い。
最後の展覧会
とある概念を持つ星を探して旅をしてきたKは、最後にたどり着いた星でロボットと出会う。そこで「テンランカイ」を開くことにしたのだが……。
見る人によって残酷な事実や恐ろしい歴史も額に入れられる、美化されてしまえる気持ち悪さを感じたのは私だけだろうか。
仕事や学業に忙しい合間にも、少しゆっくり思考する時間を作りたいですね。
村田沙耶香さんが気になった方は他の記事にも取り上げているのでこちらもぜひおすすめです。
野﨑まど「小説」

こんにちは!小町です。
本屋大賞2025の発表が迫ってきました!楽しみですね!
ひと足前に私のイチオシをご紹介しておきたいと思いまして。
野﨑まど『小説』です。
その名も!というタイトルで読む前からかなり挑戦的だなと思いました。
正直、共感できるかどうかでかなり読み手を選ぶと思います。
あらすじ
5歳で読んだ「走れメロス」をきっかけに読書に魅せられた内海集司は、生涯の友となる外崎真と出会い、小説の話を共有できる唯一の存在となっていく。小学校の隣にある小説家の家へ忍び込んだことで髭先生のところで好きなだけ本を読むようになるが、その屋敷は少し変で……?
小説を書くことに興味を持った外崎と、書くことができない内海。読むだけではだめなのか?それでも小説を読む。小説を読む。
問「小説を読むだじゃ駄目なのか」
この本の主題はまさにこれ。この問いに答えるためだけに書かれたといってもいいですし、作者なりの論理をもって真剣に挑んでいます。
ただ、考えたことない人も多いはず。
小説は読むものでしょう、と問いの意味が分からないという人もいると思います。
もしくは、「人生を豊かにしてくれるから」っていう小学生の時の国語の授業とかで聞いたテンプレ受け売りをそのまま飲み込んでいる人も多いかもしれませんね。
それよりももっと深く、濃いところまで掘り下げます。
その点で好みが分かれそうです。
自分も何か書いてみようとしたり、創作してみようとした経験がある人なら、好きなものなのを生み出すのがこんなに難しく怖いことなのかと共感できるところがあるはず。
さらに身近に天才がいたら……猶更打ちのめされる気持ちも。
涙が落ちた。真白い原稿用紙の前で内海集司は嗚咽した。情けなかった。自分は十分恵まれている。与えられている。なのに作文一つもまともに書けない。育まれた豊かな心が、自分を呪う言葉を際限なく浮かべ続ける。*1
主人公の内海集司は、医者である父親の影響もあって、社会に意義のあることを成す、人に必要とされることに対して敏感でもあります。
ただ小説が好き。読みたい。でもそれは何も生み出さない行為でもあり、後ろめたさすら感じているのです。
子供の頃は多少許されていたことでも、大人になるにつれ将来のためにならないと、お金や社会的意義を生み出せないと、無駄なこととみなされてしまう。
クリエイティブなことが求められすぎている現代ですから、
受け取るばかりで何も返せないことに自分が辛くなっていくのかもしれません。
一方の外崎は、次第にその文才を開花させていきます。
本質は変わらない子なんですけれど内海との対比がつらい。
自分に才能がない、それが分かって、憧れや羨望、妬みや後ろめたさ。いろんな感情が湧き上がった先で、
小説が読みたいなあと思った。*2
自分の感情が分からないとき、哀しいとき、寂しいとき、行きつく先は小説。その世界にいるときだけが心を救ってくれる。
私も子供時代から本の虫でしたから、本の世界に還りたい気持ちにとっても共感できました。
それから独特な文章。
野﨑まどさんははじめて読んだのですが、面白いですね。
視点は内海に置いているのに、明らかに語りは外からされている感じもして、
これは若干のネタバレですけれど、この小説が内海集司を主人公にした物語だというメタ的要素にひと役かっています。
自分の内面を増やす
E=mc2
世界一有名な数式ですね。
ほんの僅かな物質にもとても多くのエネルギーが内包されていることを言い、
エネルギーと質量は等価であることも示します。
宇宙と生命の誕生の起源にまでさかのぼり、生命が自分を増やすことの正当性、虚構という発明という点から、丁寧に書き、読むだけでも良いと納得させてくれます。
合理主義に逆行する
それから、ほかの方のレビューなんかを見ていると好みが割れている要因に
後半のファンタジー展開に違和感を持つ人が多いのかもしれません。
たしかにかなり唐突にきます。
ただ、個人的には大正から昭和初期にかけての新感覚派を彷彿とさせるようだという感想を持ちました。
リアリズムが流行し、ビジネス思考なんかが日本を覆っている時代。
フィクションが無駄なこととみなされた時代。今も似ています。
本を読む=自己啓発、として何かしら活かせることが読書になっていないでしょうか。
フィクションに対する違和感が、我々が現代の合理主義に染まっていることに他ならないのかもしれません。
読書が現実で活かせる、それこそ読書の効能だ、なんてあってたまるかですよね。
自分の内面こそ自分だけのもの。ほかの誰にも冒すことはできないんですから。
なぜならば、内海集司が寝食を惜しんで読み続けていたものは、親の原始的な自尊心や子供の幼い承認欲求よりも遥かに複雑な宇宙と人間の昇華体。古来より人の心を掴んで離さない、人間精神が編み上げる物語の結晶。すなわち小説であった。*3
惹かれるのもまた必然。
小説を読む。
野﨑まど『小説』,講談社,2024年11月。