歩・探・見・感

歩・探・見・感

ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

「旧北豊島郡尾久町」時代のマンホール蓋

今回の対象は「旧北豊島郡尾久町」時代のマンホール蓋。

目撃情報を確認し、それらが現存しているかどうか確認するため、2025年2月17日調査隊を派遣した。

久しぶりの荒川区編となる。

荒川区立八幡児童遊園

所在地 東京都荒川区西尾久二丁目5-9

公園の脇には「八幡堀」と呼ばれる農業用水路跡の八幡堀プロムナードが整備されていた。

北側から

南側から

この途中に尾久町のマンホール蓋が展示されている。

尾久 ヲク
この付近は、昭和2年から7年にかけて下水道が整備されました。(北豊島郡尾久町下水道、昭和7年以降は荒川区尾久町)このマンホールの蓋は、この時造られたもので、ヲが9ケで「ヲク」と読ませたユーモアの中に、当時沢山あった水路が下水道として、次々と埋められていった状況がしのばれます。
平成7年 荒川区役所土木部道路課
     尾久を考える会

北側方面



途中の八幡堀プロムナードにあった尾久町のマンホール蓋の紋章



②東京都荒川区立尾久宮前小学校

所在地 東京都荒川区西尾久一丁目4-17



西側にある門の中の左側にあった。

柵があるが、その間から確認可能。

児童の下校時間帯は避けるべし。

旧小台通り

旧小台通り沿いにある大久保ビル脇の奥に長谷寺がある。

長谷寺の境内

奥まったところにあったので、中々たどり着けず、周辺をウロウロ。あきらめかけていたところ、ようやく見つけることが出来た。

所在地 東京都荒川区西尾久一丁目



長谷寺の境内

旧小台通りを少し進むと、右側に路地があり、突き当りを右に曲がると行き止まりになっていた。柵があり、覗いてみると、そこにあった。

上の写真のお堂の手前を左側に行けば、行けた様なのだが、私道だと思われるので、行かなかった。

所在地 東京都荒川区西尾久一丁目


歴史
1873年明治6年
大区小区制により上尾久村、下尾久村は日暮里村、谷中本村、谷中村、金杉村、三河島村、三之輪村、町屋村、その他下谷区に属した諸町と共に第十大区一小区(戸長は谷中本村)と、船方村は巣鴨町一丁目から四丁目と上駒込村、駒込染井町駒込妙義坂下町滝野川村、上中里村、中里村、田端村、西ヶ原村、堀之内村、その他本郷区小石川区に属した諸町と共に第九大区三小区(戸長は駒込富士前町)となる。

1878年明治11年)11月
大区小区制が廃され、郡区町村編制法により北豊島郡が設置される。

1889年(明治22年)5月1日
市制町村制により、上尾久村、下尾久村と船方村の一部が合併され尾久村となる。

1923年(大正12年)4月1日
尾久村が町制施行し尾久町となる。

1926年(大正15年)4月
北豊島郡役所が廃止され、東京府直轄となる。

1932年(昭和7年)10月1日
東京市編入により、尾久町は南千住町日暮里町三河島町と合併され、荒川区となる。

旧町名時代のマンホール蓋探しはまだ続く。