2025年2月8日、護国寺を後にして不忍通りを歩いていると「富士見坂」の説明板があった。

富士見坂
大塚2丁目と5丁目の間
坂上からよく富士山が見えたのでこの名がある。 高台から富士山が眺められたのは、江戸の町の特色で、区内には同名の坂が他に二か所ある。 坂上の三角点は、標高28.9mで区内の幹線道路では、最高地点となっている。 むかしは、せまくて急な坂道であった。大正13年(1924)10月に、旧大塚仲町(現大塚3丁目交差点)から護国寺前まで電車が開通した時, 整備されて坂はゆるやかになり, 道幅も広くなった。 また、この坂は、多くの文人に愛され、歌や随筆にとりあげられている。
とりかごをてにとりさげてともとわが とりかひにゆくおほつかなかまち
会津八一(1881-1956)
この道を行きつつ見やる谷越えて蒼くもけぶる護国寺の屋根
窪田空穂(1877-1967)
文京区教育委員会 平成14年3月
この説明板の近くに公共基準点があった。


ここはまた坂の途中。
更に登っていくと欄干跡らしきものが二つ残されていた。

旧町名案内「旧大塚上町」

もと、小石川村に属した、元禄年間(1688〜1704)以来護国寺領大塚上町、伝通院領大塚上町の二か町であった。護国寺領は正徳3年(1713)、伝通院領延享2年(1745)町奉行支配となった。
明治5年、護国寺領と伝通院領および大塚町飛地を合併して、たんに大塚上町と称した。
町名は、大塚仲町および大塚坂下町の上にあるので、大塚上町と名づけた。
町内の南端の現・大塚3丁目の交差点は、海抜が28.9メートルで区内の幹線道路では最高地点である。
むかしはここから富士山がよく見えたので、護国寺へ下る坂を富士見坂という。
「たんに大塚上町と称した。
町名は、大塚仲町および大塚坂下町の上にあるので、大塚上町と名づけた。」という書き方が気になる。
自分だったら、・・・と書くかな。(・・・は想像に任せる。)
説明板に「坂上の三角点は、標高28.9mで区内の幹線道路では、最高地点となっている。」と、旧町名案内に「町内の南端の現・大塚3丁目の交差点は、海抜が28.9メートルで区内の幹線道路では最高地点である。」とそれぞれ書かれていたこととネットではこのことを調べた方はいないようなので、誰も探してみようなんて思いもしないことにチャレンジしてみることにした。
この日は大塚三丁目の交差点のそれぞれを行ったり来たりして探してみたが、見つけることはできなかった。
2025年2月10日再訪して、探してみたところ、不忍通りの南西側の歩道を少し護国寺側下りたところに基準点があった。
文京区3級基準点 文3-R01130

公共基準点 3級 No.1543724 建設局道路管理部

ふたつの位置関係はこんな感じ。


若干、文京区3級基準点の方が高い位置にあるように見える。
家に帰ってから調べてみると、文京区のホームページに『文京区公共基準点配点図(令和4年4月)』というのがあった。

ちょうど中央辺りにR01130と書かれている。
でも、三角点ではないよね。
国土地理院のホームページに「基準点成果等閲覧サービス」というのがあった。

上の条件で大塚三丁目交差点付近を検索してみた。

ここに「文3-R01130」があったが、三角点は見つからなかった。
2024年2月13日、池袋で有楽町線に乗って、護国寺で降りる予定にしていたのだが、地下鉄に乗り慣れていないためか、間違えて丸の内線に乗ってしまい、新大塚で降りる羽目になってしまった。
そこから大塚三丁目交差点へ向かう。
北東の交差点付近で下記を発見する。

これが交差点に一番近いところにある。
これは何?
三角点ではないことは確か。
三角点は、花崗岩等の丈夫な石材でできたもの(標石)と真鍮又はステンレスでできたもの(金属標)とのこと。
ということで、素人ながら調べた結果、三角点があるわけではなく、単に区内の幹線道路では最高地点であるらしいということだった。
しかし、文京区の高度を調べていたら、ホームページある資料に
後楽1丁目の海抜3.1mを最低に、大塚5・6丁目、目白台3丁目、小日向2丁目付近で海抜31mを越えている。低地の部分の平均高度は海抜10m以下、台地の部分の平均高度は海抜20~24mである。
と書かれていた。
ホントに区内の幹線道路で28.9mが最高地点なのか?
と疑問符が湧いてくるが、文京区には問い合わせをしない。
なぜなら以前問い合わせたことがあるが、無視されたことがあるので。
ちらみに文京区内で一番高いのは六義園にある藤代峠で、標高35mとのこと。
人工物を入れると東京ドームホテルが155mなので、一番高いのかも。

撮影日 2025年3月11日