人里に現れる熊の次の段階――冬眠しない行動は何を意味するのか

少し前に、ツキノワグマの巣穴満席問題に触れたわけだが、人里にかなり馴れた熊や、冬眠の気配がない熊の話を見つけたので、ふと思った。

これ案外、思ったよりも早く熊の生態が変化するのではあるまいか――と。

というわけで今回は、現状から見える熊の生態変化、その予想について触れていってみたい。

 

熊は何故冬眠するのか

さて、世間一般のイメージでは、熊は冬は冬眠するもの、という感覚があるのではないだろうか。

うん、それは事実だ。

――だが、『何故冬眠するのか』を考えたことはあるだろうか?

そういう生態なんでしょ? と思うかも知れないし、それは確かに事実だが、それでも『冬眠』とは熊にとっても大仕事だ。

何せ、秋にせっせと食べて脂肪を貯め続けて、巣穴に入ったら極限まで代謝を落としてひたすら休眠。

その間に襲われでもしたら、太刀打ちのしようもない。

そして、春までそのまま耐え凌ぎ、目覚めたころには飢えて弱った体で、餌を探しに行くことになる。

うん、冬眠とは寒い冬をノンビリぬくぬくと過ごしているわけではないのだ。

当事者にとっては、過酷な冬をどう乗り切るか、を突き詰めた苦肉の策と言っても良いと思う。

では、何故そんな『冬眠』を熊は決行するのか?

 

食料の無い、厳しい冬を乗り切るためだ。

 

熊の巨体を支えるためには、多くの餌が必要になる。

だが、冬にそれを得るのは困難を極める。

だから、餌を食べやすい時期に食溜めして、冬を乗り切る準備をするわけだ。

実際、餌の供給が安定している、動物園の熊は冬眠などしない。

冬にエネルギーを節約する必要が無いからだ。

となると、冬に人里で頻繁に熊を見かける、という事に少し心当たりが発生する。

つまり、人里の食べ物やゴミを漁っている熊は、そもそも冬眠など不要なのではあるまいか、という懸念だ。

当然だが、人は冬眠などしない。

人間の活動は一年を通して安定している。

ならば、その安定した人の活動にエネルギー源を求めることを覚えた熊は、冬眠の必要が無くなることになるわけだ。

無論、山には餌なんて無いから、熊の生活はますます人里に接近することになるが、そうなれば『追い立てられても負傷させられることはそうそう無い』という事を、熊も遠からず学ぶことになる。

行動圏は山の近辺から、都市中心部へ広がっていく事が予想されるだろう。

だが、『十分な餌の確保』は、熊から冬眠の必要性を失わせるだけでなく、次なる変化を招くことが考えられる。

 

――それは、熊の群れ化だ――

 

熊が群れない理由と、群れる可能性

普通、多くの動物にとって、群れとは多くのメリットをもたらす。

餌の安定確保、身の安全の確保、周囲の情報収集、経験の蓄積――多くの動物が群れを作るのも当然の話だ。

だが、熊は群れを作らない。

何故か?

餌が足りないからだ。

熊の巨体を支えるための餌は、膨大な量になる。

そして、群れを作るという事は、その数に比例して確保すべき餌の量も増える、という事になる。
現在でさえ広大な活動範囲が、更にその面積を広げるわけだ。

熊にすれば『勘弁してくれ』という話で、なので熊は群れを作らないし、作れなかった。

だが、仮にその『餌の確保』という問題が解決したとしたら?

狭い範囲に大量の餌があって、熊が餌の確保が容易になったら、それでも熊は縄張りの維持を強行するだろうか?

縄張りの維持は危険を伴う。

熊は確かに強力な猛獣だが、何せ熊の縄張り争いの相手は、同じく熊になるのだ。

強敵である。

野生では外傷一つで弱ることも死ぬ事もある、出来ればそんな強敵と戦いたいはずがない。

それでも縄張りを維持するのは、その縄張りが欠けたら十分な餌が確保できないかも知れないからだ。

では先ほども言った通り、別に縄張り争いをしなくても、十分な餌にありつけるとなったら、熊はそれでも縄張りを維持するため危険を犯すだろうか?

答えは、熊が川で遡上してくる鮭を取っている姿をみれば明らかだ。

十分な餌がある時、熊は互いに争う事はしないのである。

となると――人里で十分な餌を確保できる、と学習した熊は、争う事を止めるのではないだろうか?

それどころか、鮭のように1年の短い期間だけ、餌を豊富に確保できるのではなく、1年を通して餌を十分に確保できるともなれば――群れを作る可能性さえ、考えられるのではないだろうか。

ましてや、人里では熊も『追い立てられる側』に回ることになる。

山の縄張りでは無敵であったであろう熊も、身を守る術を要求されるわけだ。

豊富な餌を確保できるが、危険の伴う人里への適応を考えるなら、むしろ熊が群れを作らない、と考える方が楽観が過ぎる、というのは私の心配し過ぎであろうか。

ここでは、仮に熊が群れを作ったものとして、人の住む町のにどのような脅威がもたらされるのか、を続けて考えてみたい。

 

群れた熊の脅威とは

さて、動物は群れになると、途端に対処が難しくなる。

野良犬でさえ、一匹なら何とかなっても、群れを作られたら途端に問題が大きくなるのだ。

それが熊ともなれば、その影響が凄まじい物になることは明らかだ。

何せ群れを作る動物は、見張りを立てて周囲を警戒したり、一匹が周囲を威嚇している間に餌を確保したり、一匹で対応が難しい相手が現れたら助っ人が増えたり、仲間同士で情報を伝達しあったり出来る。

ハンターが熊に対応できるのも、基本的に相手が一匹だけだからで、3・4匹に囲まれた状況で何とかせよ、と言われても不可能に違いない。

加えて、町中で熊の群れと戦うとなれば、その難易度も凄まじい。

何せ、町中は壊してはならない物ばかりなのだ。

今現在、熊が町中に現れても対応が出来ているのは、一匹の熊を大人数で追い込んで、戦いやすい場所へ誘導しているからであって、これが群れともなれば話が変わる。

囲って追い込むにしても容易く囲いを破られるようになるだろうし、容易く囲いを破れると学習されたら、いよいよ打つ手が無くなる。

人を襲うリスクが少ない、なんて話も通用しなくなる。

人が脅威でないと学習したら、熊は人を恐れることをしなくなるし、どこかで人の味を覚えた熊が出れば、その経験は一瞬で群れ全体で共有されることになる。

積極的に人を襲う、熊の集団が町中に出現するわけだ。

こうなればもう、町中での発砲の危険云々と言ってられない状態になるのは目に見えているが――それでも行政が、自分たちの責任で発砲を決められるかどうかは正直難しい所ではないだろうか。

人間が熊の餌になっても、行政は『住民を守れなかった』で済むが(それは無論大問題だが)、発砲した結果、誤射で住民に当たりでもしたら、発生する問題はその比ではない。

それでもどうにかするのであれば……もう住民を地域一体から避難させて、大人数と大火力をもって熊への包囲掃討戦でも実行するしかない。

オーバーに聞こえるだろうか?

だが、『熊が人里で十分な餌が確保できる』と学習し、人間側の対応が後手後手に回れば、このリスクは考慮すべきものになってくる。

人里で熊が頻繁に見られるようになった。

熊が冬眠する兆しを見せない。

この条件が重なった時、熊が生き延びようとした場合、その熊は餌場を人間社会に求める他なくなるからだ。

 

熊の保護団体が“人の敵”と見なされる日

正直に言えば、私が今、現実的な懸念として抱いている可能性がこれである。

すでに一部の地域では、熊の脅威を実感している層が、保護団体を見る目に微妙な変化をにじませはじめている。
可哀想だから守るべき”という主張に対する共感が、以前より明らかに揺らいでいるのだ。

保護団体にしてみれば、
「自然を壊したのは人間だ。だから熊は悪くない」
「加害者は自然破壊を進めた側であり、熊はその被害者だ」
――
という考え方が根底にあるのかもしれない。

しかし、残念ながらこの理屈は

――『現実の被害』の前にはあっけなく吹き飛ぶ。

すでに熊は“人里に近づいている”どころか、頻繁に侵入を繰り返す段階に入っている。
しかも冬となり山の食糧が枯渇するほど、侵入の頻度はさらに高まることが懸念される。

そして当然、人との遭遇率も上昇する。

人に被害が出なければまだ良い。
だが、もし不幸にも町中で人が襲われる、あるいは登下校中の子供が被害に遭う――
そんな事態がひとたび起これば、世論は一瞬で豹変する。

これまでの
「迷惑だが意見の強い人たち」
というイメージから、
一気に
「人命を軽視する、人間社会の敵」
へと転落する。

その時には、
「保護活動が被害を拡大させた。妨害した保護団体こそ加害者だ」
という主張さえ、世間に広く受け入れられてしまうだろう。

私は熊を保護したいという主張それ自体を否定しているわけではない。
しかしその大前提には、人と熊の距離が保たれていること が不可欠だ。

保護団体の側からすれば、
「その距離を崩したのは自然を破壊した人間だ」
と言いたくなるのかもしれない。

だが、今まさに現実に起きているのは、
熊が人間の生活圏へ進出している” という動かしがたい事実である。

私個人としては、人と人が敵対する状況など望んではいない。
だからこそ、保護団体が世間から“敵”と見なされかねない未来が近づきつつある現状を思うと、
もう少し穏当で現実的な形で活動を進めていただけないものか――と心から案じてしまうのである。

 

まとめ

というわけで、今回は以前の『熊の巣穴満席問題』に続く次の段階、『巣穴が満席であった場合、熊はどう活動するのか』についての考察を広げてみた。

これらの考察は、現時点では『心配しすぎ』と言われる範疇の懸念かも知れない。

だが、状況が悪化するにつれて、徐々に近づいてくる可能性の一つでもある。

行政が制度的に腰が重いことは理解するが、状況が確実に悪化する条件下において、事なかれ主義というのは、つまるところ『後が無くなって、もうどうしようもない状態』までズルズル後退していく姿勢でもある。

どうかそうなる前に、具体的かつ根本的な解決を目指して欲しいものだ。


宜しければ、『巣穴満席問題』を取り扱った前回の記事もご覧ください。

最近の冬なのに熊出没のニュースを見て思うこと――生存競争の現実