感想は2400作品以上! 詳細な検索方法はコチラ。

アニメ『SANDA』感想(ネタバレ)…サンダクロースにお願いしよう

SANDA

子どもの権利が欲しい!…アニメシリーズ『SANDA』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

英題:SANDA
製作国:日本(2025年)
シーズン1:2025年に各サービスで放送・配信
監督:霜山朋久
児童虐待描写 恋愛描写
SANDA

さんだ
『SANDA』のポスター

『SANDA』物語 簡単紹介

極端な少子化が進み、子どもが大幅に減少した2080年の日本。その社会では子どもは手厚く保護すべき対象として扱われ、大人が子どもの育成を厳密に管理していた。大国愛護学園中等部に通う三田一重は、ある日、クラスメイトの冬村四織からなぜか命を狙われ、実は自分はサンタクロースの末裔だと知る。現在はサンタクロースは子どもに有害な存在とみなされていたが…。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『SANDA』の感想です。

『SANDA』感想(ネタバレなし)

スポンサーリンク

サンタに子どもの権利をお願いしよう

「子どもの権利条約(児童の権利に関する条約)」というのがあります。日本もこの条約を批准し、「こども基本法」を制定しています。

これは子どもは生まれながらに人権(権利)をもっていて、それは義務と引き換えに与えられるものではなく、また、何かをしないと取り上げられてしまうものでもないと定めています。

人権の具体的な中身としては、「子どもの最善の利益を第一にする」「差別されない」「命を守られ成長できる」「意見が尊重される」などがあります。

そしてこの子どもの権利を守る義務があるのは「大人(国)」です。つまり、大人は子どもに「私たちの権利を実現して!」とお願いされれば(実際はお願いされなくても)、それに応えないといけません

今回紹介するアニメは、子どもの権利条約なんておそらく存在しなくなったであろう未来の日本社会で、子どもが大人に切実なお願いをする作品です。

それが本作『SANDA』

本作は設定がかなり突飛で、舞台は「子どもの数が著しく減少した未来の日本」であり、そこでは子どもは極端な政策によって保護されています。ただ、保護と言ってもそれは名ばかりで、実態としては子どもの主体性は奪われ、人権は消え失せています。

これだけだと、まあ、わりと想像がつくディストピアものなのですが、そこに「サンタクロースの末裔で、ある条件で超人的なサンタクロース老人に変身できる子ども」という主人公の設定が上乗せされ、荒唐無稽さが天井知らずに上振れします。

「ど、どういうこと?」という感じですが、これがディストピアな舞台と絡んできて、ちゃんとテーマ性が浮かんでくるあたりの豪快なクリエイティビティはなかなかです。

『SANDA』は、『週刊少年チャンピオン』にて2021年から連載されていた“板垣巴留”による漫画が原作。“板垣巴留”は、擬人化された肉食獣と草食獣の織りなす社会を描いた『BEASTARS』(2016年)、ペットのヒト化を推進する社会を描いた『タイカの理性』(2025年)など、特殊な設定で日本を風刺的に映し出す作家性があるクリエイターです。

今回の『SANDA』は従来の“板垣巴留”作品によくみられる動物の要素は一切ありませんが、思い切ったキャラクターの変貌という点では通じているのかもしれません。

その『SANDA』が2025年に「サイエンスSARU」によってアニメ化し、監督は『ユーレイデコ』“霜山朋久”、シリーズ構成は『全修。』“うえのきみこ”が担当。もともとアクションもある作品なので、アニメーション化で迫力も増しています。

また、『SANDA』にはクィアネスに踏み込む展開もあり、そのあたりは後半の感想でもう少し掘り起こすことにします。

スポンサーリンク

『SANDA』を観る前のQ&A

✔『SANDA』の見どころ
★荒唐無稽で突飛な設定でテーマを扱うセンス。
★クィアネス含む脱規範的な一部のキャラクター。
✔『SANDA』の欠点
☆プロットはアニメ化されてもなおも粗削り。
日本語声優
村瀬歩(三田一重)/ 東地宏樹(サンタクロース)/ 庄司宇芽香(冬村四織)/ 永瀬アンナ(小野一会)/ 新祐樹(甘矢一詩) ほか
参照:本編クレジット

鑑賞の案内チェック

基本 全体的に大人(社会)による子どもへの虐待が描かれます。
キッズ 2.0
残酷な流血や暴力の描写があります。
セクシュアライゼーション:わずかにあり
↓ここからネタバレが含まれます↓

『SANDA』感想/考察(ネタバレあり)

スポンサーリンク

あらすじ(序盤)

2080年の日本。大国愛護学園中等部に通う14歳の中学生の三田一重は学級委員なので朝早くから登校し、同じく学級委員の冬村四織と教室で掃除などをしていました。

そのはずでしたが冬村は急に包丁を振り回し、問答無用で三田を襲ってきます。何の説明もなく、凄まじい殺気です。刃物をギリギリでかわしながら、この学級委員になって8か月の間に何か悪いことでもしてしまったのかと考えますが、思い当たることはないです。しかし、他の生徒が教室に入ってきた瞬間、冬村は平常に戻っていました。ただし、「今日中にあんたを絶対殺すから」とこっそり告げてきます。

その後の授業の合間に三田はあの冬村の言動の理由を考察します。「もしかして自分のことが好きなのではないか」と勝手に早合点してしまいました。その分析を聞いた同級生は三田のあまりに能天気な発想に苦言を呈します。冬村は普段から無表情ですが、クラスメイトの小野一会が亡くなる1週間前の一件があってからというもの、精神的に参っているのだろうということでした。冬村と小野の関係は詳しくは知りませんが、仲は良かったようです。

「トラウマゼロ教育」を校訓に掲げる校舎の前の校庭でランニングしながら、今日は12月25日だと知ります。この日は昔は「サンタクロースという爺さんが子どもにプレゼントをあげる日だった」と友人が教えてきます。現在の日本ではサンタクロースなんてものは信じられていません。

そのとき、雪が降ってきます。するとジャージを着ていない三田は急に胸が苦しくなり、膝をつきます。その姿を冬村はじっと見つめていました。

その後の委員会にて、三田は冬村とまた2人きりになります。そこで相変わらず無愛想で感情が読めない冬村は「赤いジャージを着ないのはサンタクロースの末裔だとバレるからなの?」と淡々と質問してきます。

意味もわからず三田は「消しゴムをください」という冬村の願いを叶えますが、さらにまた苦しくなります。冬村は「これで呪いの解放の条件はほぼ全て揃った」とひとりで満足。

「雪が降った12月25日に子どもに危険を顧みずに愛情を注ぐこと。そして子どもが要求したものを与えること。あとは赤い服を与えるだけ」 

混乱しながらも三田は赤い服を避けますが、異様な圧迫感で迫る冬村に胸に包丁を突き立てられ、三田は瀕死の重傷を負って血塗れで床に倒れます。

「小野は死んだのではなく行方不明になっているはず。小野を見つけるにはあんたの能力が必要なんだ!」と冬村は唐突に熱弁。

すると三田の身体はあり得ない変化をみせます。気が付くと、筋骨隆々のおじいさんになっていました…。

この『SANDA』のあらすじは「シネマンドレイク」によってオリジナルで書かれました。内容は2026/01/10に更新されています。

ここから『SANDA』のネタバレありの感想本文です。

スポンサーリンク

子どもであることの政治性

これだけ突拍子もない設定でアプローチしているだけあって、『SANDA』はもともとの原作時点で相当に粗削りでしたが、アニメ化されてもその粗削りさは変わっていません。根底にあるテーマに対する風刺としてその剛腕っぷりをどう受け止めるかで、評価も変わってくるでしょう。

本作は日本のディストピアを土台にしています。子どもの数は5万人程度と極端な少子化となっており、その背景は詳細に説明はされていませんが、貧困の悪化が示唆されているので、何か生物的な生殖面での変移が起きたわけではない様子。

この天子時代を迎えた日本社会では、少年愛護法が制定され、子どもは過度なまでに保護の対象となっています。しかし、「保護」とは名ばかりで、実態は子どもの主体的な権利を奪っており、国によって結婚相手を事前に決められているなど、自由はありません。

そのうえ、極端なほどに「大人」と「子ども」で区別する規範が厳格化しており、15歳で行う未成人式など、「子どもでいる」ことを神秘化しています。トイレは「男女」ではなく「大人と子ども」で分けられ、制服はみんなスラックスで異性に恋愛感情を抱かないように徹底。このあたりはだいぶファンタジーですが、「子どもを寝させない」ことで第二次性徴を止めているらしく、この作品内の世界の子どもたちは思想的にも身体的にも檻の中です。

この設定からは、現在にも通じる日本の保守的な社会の圧力がありありと浮き上がってきます。

そして本作における「サンタクロース」はそのディストピアに対するカウンターカルチャーのように位置づけられています。なので今作のサンタは「高齢の男性」というイメージで意図的に固定化されているのも理屈としては理解できます(現実のサンタは 『SANTA CAMP サンタの学校』でも映しされるようにわりと多彩ですが)。

同時に本作は「老いへの受容」というか「大人になることへの恐怖に対する克服」を主題として成立させており、これは現代でも普遍的な葛藤だと思います。

その未来像のためにあんなサンタを持ち出してくる展開が凄いですけど。それに本作のヴィランである92歳の学園長の大渋一二三も、若さへの執着を具現化した「子どもフェティシスト」みたいなサイコパスですし、その大渋に搾取される「合法的な暗殺者」として役割を果たさざるを得なくなる10組の生田目二海であったり、とにかくテーマに対しての大袈裟なまでのキャラクター構築と配置が豪快…。

三田一重が大人のサンタクロースとしての心理を抱くようになりながら、10代の子どもに恋愛感情を抱くことに罪悪感を感じる展開とかは、さすがに「そもそも三田は子どもであることには変わりないからそこまで思いつめなくても…」とは思うのですが(周りが騒ぐのはまだわかるとして)、この原作者はこういう「本能的衝動が社会倫理とぶつかる」みたいな論点が好みなのかもしれません。

とまあ、豪快にテーマに突っ込む作品で、ややあっけにとられながらの鑑賞でしたが、でも冷静に考えてみると、子どもは子どもであるというだけでものすごく政治的な存在であり、政治の作用からは逃れられない…という現実を捉えてもいるので、風刺としては全然悪くない、むしろ野心的で面白いとは思いました。

スポンサーリンク

大人と子どもの狭間のクィアネス

『SANDA』は子ども側の視点でテーマと向き合っていけば、それは大人と子どもを往復する多感な思春期の風刺とみてとれます。漠然とした大人になることへの恐怖に対して(それはろくでもない大人ばかりの社会への失望の鏡映しでもある)、「私たちは大人になっていい」と背中を押してくれるような…。

そんな中、本作はクィアネスな表象があり、テーマ性と交差しているキャラクターがいます。

それが冬村四織と小野一会のペアです。

本作の前半の謎となる行方不明となった小野一会の一件ですが、真相は「眠ったことで急激な第二次性徴を迎えて大人の体に成長した」ことで自ら姿を消したためでした。この小野一会は明白に冬村四織に恋愛感情があることが描かれ、キスしたり、その第二次性徴事件も「冬村四織と体を交える性的な夢」をみたことが引き金になっています。

この小野一会の描写は、「冬村という唯一無二の性別に夢中」であると作中で説明されたり、はたまたその彼女が迎える最終的な結末といい、「Single-Target Sexuality」や「Bury Your Gays」といった典型的なレズビアンにありがちなトロープではあります。

それでも保守的な規範の中で、自由恋愛まで制限されるこの社会において、ましてやセクシュアリティをどう自己受容するかは10代の子どもには深刻な悩みでしょう。本作はそんなクィアネスの揺れ動きを物語に組み込んでいました。

一方、冬村四織はもっと曖昧で、女子生徒ながらも182cmと高身長で、容姿も女性的ではありません。その身体ゆえに自分が男なのか女なのか、子どもか大人かわからないと、アイデンティティに苦悩している心情が映し出されます。しかし、小野一会と一緒にいるときだけは気持ちがラクになっていたようです。

冬村四織の小野一会への強い感情は恋愛なのかは明示されません(小野からは「私とは違う」とみなされてしまいますし、風尾二胡からは「冬村は男でも女でもいけるタイプ? 三田と小野のどっちが好きなの?」と問われても上手く反応できませんが…)。身体と比べると精神的にはまだ子どもの未熟さが残る冬村四織は、今まさに心の成長の真っ最中。本人がどう自分を認識するにせよ、その主体性は誰かに邪魔されていいものではありません。

この冬村四織は本作の中でも最もキャラクターデザインも、その中身の複雑さ含めた人物像の構築も、どれも奥深さがあり、目の離せないキャラクターでした。正直、やや類型的すぎる主人公の三田一重よりも物語上の魅力があり、こっちを主人公にしてもいいくらいだったなと思うほどです。

『SANDA』
シネマンドレイクの個人的評価
6.0
LGBTQレプリゼンテーション評価
△(平凡)
スポンサーリンク

関連作品紹介

日本のアニメシリーズの感想記事です。

・『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)』

・『光が死んだ夏』

・『九龍ジェネリックロマンス』

以上、『SANDA』の感想でした。

作品ポスター・画像 (C)板垣巴留(秋田書店)/SANDA製作委員会

SANDA (2025) [Japanese Review] 『SANDA』考察・評価レビュー
#男子中学生 #女子中学生 #ディストピア #クリスマス #レズビアン