
『天気の子』は、2019年に公開された新海誠監督の長編アニメーション作品。前作『君の名は。』の大ヒットを受け、次に描いたのは「世界のために誰かを犠牲にするのではなく、自分にとって本当に大切な人を選ぶ」というテーマ。
音楽は前作に続きRADWIMPSが担当し、劇中歌として「愛にできることはまだあるかい」「グランドエスケープ」などを提供。
「天気を操る少女」と「その少女を救おうとする少年」の物語を軸に、東京という都市の姿、格差社会、現代に生きる若者の心情をリアルに描き出している。
スタッフ
- 監督:新海誠
- 脚本:新海誠
- 原作:新海誠
- 製作:市川南、川口典孝
- 企画:川村元気
- 出演者:醍醐虎汰朗、森七菜、小栗旬、本田翼、吉柳咲良、平泉成、梶裕貴
- 音楽:RADWIMPS
- 主題歌:「愛にできることはまだあるかい」(歌:RADWIMPS)
- 製作:STORY inc.、コミックス・ウェーブ・フィルム
- 配給:東宝
- 公開:2019年7月19日
- 上映時間:112分
あらすじ
家出をして東京にやってきた16歳の少年・森嶋帆高は、都会の厳しさに直面しながらも、オカルト雑誌のライター・須賀圭介のもとで働き始める。そんな中、彼は不思議な力を持つ少女・天野陽菜と出会う。彼女は「祈ることで晴れを呼ぶ」能力を持つ“晴れ女”だった。
東京は異常気象によって連日の大雨に見舞われ、人々は青空を待ち望んでいた。帆高と陽菜は、その力を使って「晴れ女ビジネス」を始める。しかし、陽菜の力には代償があり、天気を操るごとに彼女自身の存在が消えていくことが判明する。
映画レビュー
劇場7作目。英題は『Weathering With You』、色は蒼天。雨をテーマとした『言の葉の庭』から6年。新海誠は、湿った太陽、太陽の雨を描いた。

オープニングは雨。新海誠は雨や雪を慈しむ。『秒速5センチメートル』では雪の温かさを、『言の葉の庭』では雨を赤い糸として描いた。雨、雪を空の音楽として、空の匂いを連れてくる香水として。雷や風を魂・想いを連れてくる乗り物として。曇・霜・霧をその先にある未来への門として描く。
ミケランジェロが石の塊を削って形にしているのではなく、石の中に閉じ込められた作品を救い出してこの世に放ったように、新海誠のアニメーションは森羅万象の中にある作品を救い出しているだけ。

新海誠は空と海を一体化させた。海は空から降った雨の水であり、降雨は海を愛する空の行為。空と海はつながっている。人は空とつながっている。
新海誠の作品には離島が多く登場する。帆高の故郷は神津島であり、『雲の向こう、約束の場所』では北海道、『秒速5センチメートル』では種子島、『言の葉の庭』は四国。離島と本土のコントラストによって距離を肯定的に捉える。断絶ではなく、結合の象徴として。

『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を抱えて帆高は家を飛び出す。小説を接続詞として使うことで、大人への反抗を匂わせている。なんという表現力。
『ライ麦畑でつかまえて』ではなく、村上春樹の訳本にしているのは新海誠が影響を受けたからだろう。これをカップ麺の蓋にしているところがすごい。自分の魂の一部であっても、蓋になるなら活用すればいい。あらゆる価値観やしがらみから自由だ。

帆高は雨に歓喜する。雨に濡れることで艶をまとう。少年少女は雨に濡れながら大きくなっていく。陽菜との出逢いの予感による歓喜。『ライ麦畑でつかまえて』は崖から落ちそうになる子どもをキャッチしようとする話だが、帆高は歌舞伎町の闇に堕ちかける陽菜をキャッチする。

離島を脱出した帆高は歌舞伎町に居場所を求めるが、昭和・平成を越えた令和の大都会はすでに高齢化し、東京は夢を抱いて上京する若者の受け皿の役割を終えていた。

都会に居場所がない帆高と陽菜は、晴れビジネスを通して自分の居場所を獲得する。仕事は自分で自分の居場所を作り、輝ける場所を作る長い旅。

「天気」は大きな要素だが、この世で掴めないものが「心」と「天気」。ただし、つかむこともコントロールもできないが、触れることはできる。だから愛しい。振り回されるが、追い求める意味がある。

池袋のホテルを雨宿りに使ったのも、ジュブナイルが少し先の未来で経験すること。映画はタイムマシンでもある。「これ以上僕たちになにも足さず、なにも引かないでください」という帆高の願いは、いまの自分のまま、あるがままの自分でいいという意志。

そして、新海誠の作品で何度も登場するのが拳銃。これは常識や大人への反抗の象徴。大人は本能や意志に抗う仕組みや制度を作り、不自然な世界を創り上げてきた。『天気の子』における敵は大雨などの自然ではなく、大人たち。
帆高は陽菜を守れるような強い男になりたい。強さに憧れるということは、常にそこに弱さがある。大人は、その弱さを誤魔化そうとする。その虚実に、帆高は拳銃を向ける。
SNSのいいねや共感が美徳とされるが、世間や社会に飲み込まれないでほしい。自分を貫いた果ての調和なんて一握りでいい。「自我」を貫く拳銃を持っているか。

帆高は雲の上の世界で、再び崖に落ちそうになる陽菜をキャッチする。警察から掛けられた手錠を使わず、陽菜とはしっかり自分たちの手を繋ぐ。大人の道具ではなく、自らの意志によって結ばれる。
『天気の子』は日本版『ライ麦畑でつかまえて』。陽菜を連れ戻しに行く高天原のような雲の上の世界は古事記の黄泉の国。『星を追う子ども』では地底に向かったが、今作では天上に捻転させた。帆高はイザナキであり、陽菜はイザナミ。すべてをリセットして新しい世界を創る。

「陽菜」と呼び捨てにしていた帆高は、ラストで「陽菜さん」と、さん付に戻る。再び世界を生まれ直そう、リスタートしようとする意志。英題の『Weathering With You』には、君と乗り越えていくという意味があるが、何かを乗り越えた帆高は、眼が強くやさしくなっている。
天気の子とは我々全員。人間は天気によって営み、気分を支配される。空と人はひとつ。だが、帆高にとって晴れとは空ではなく陽菜。世界が狂っていようと、天気が狂っていようと、大切な存在さえ心にあれば大丈夫。

『秒速5センチメートル』で貴樹は明里から言われた「きっと大丈夫だと思う」に呪縛されるが、『天気の子』では「僕たちはきっと大丈夫だ」と叫ぶ。帆高は独りではない。そして陽菜を守っていく強靭な意志がある。
そして本作は世の中へのメッセージと同時に、新海誠が新海誠に送ったアンサーも込められている。『君の名は。』で新海誠は旧来のファンから非難を浴びた。遠くに届く作品を作るほど、表層の色は変わる。これは晴れを提供するほど自ら消える陽菜と同じ。
そう、陽菜は新海誠自身であり、もう一人の新海誠(帆高)が自分自身を鼓舞する。新海誠が前へ進むための作品でもある。

もうひとつ、『天気の子』を語るうえで須賀の存在は欠かせない。仮題だった『天気予報の君』の企画書の表紙も帆高、陽菜と須賀の3人の絵が書かれている。

帆高との出逢いは、フェリーから滑落しそうになる帆高を須賀が救出する場面。崖から落ちそうになる子どもを救う『キャッチャー・イン・ザ・ライ』。天気の子は須賀の物語でもある。

雨が入ってくると分かりながら窓を開けたのも、雨(明日花)を受け入れたからだ。冒頭で土砂降りのフェリーの中、帆高を救えたのも、須賀にとって雨が明日花そのものだったから。

帆高は過去の須賀であり、大事なものの順番を平気で壊す帆高には、須賀が失くしてしまったものが息づいている。だからこそ、須賀は帆高に固執し、今の自分と同じ行動を押し付けようとする。帆高を肯定することは、今の自分を否定することだから。
だが、「もう一度あの人に、逢いたいんだ!」と叫ぶ帆高に、須賀は自分の後悔を払拭し、生まれ変わる。ひとは何度でも生まれ変われる。

PS.『天気の子』には、『君の名は。』の瀧と三葉が登場する。そのほか、主要人物が一隅に揃う。

時期は瀧と三葉が出逢い直す前の話。帆高と陽菜が世界を変えた3年以内にふたりは結ばれ、富美の手には三葉が作った組紐がある。

『君の名は。』に『言の葉の庭』の雪野が登場したように、新海誠は自らの魂のタスキをつないでいる。おそらく『すずめの戸締り』では帆高や陽菜に再会できるだろう。自由気ままな旅こそが、新海誠が実写ではアニメーションを扱う意味であり、愛される理由なのだ。
新海誠の作品は二次元なのに二次元を超える。人生に侵食してくる。日本のアニメ・クリエイターでは他にいない。もはや魂の破片なのだ。
『天気の子』のタイトル

2019年7月19日。令和最初の映画作品。仮題は『天気予報の君』。ここにも「君」が入っていた。この世で掴めないものが「心」と「天気」。ただし、つかむこともコントロールもできない。けど触れることはできる。だから愛しい。振り回されるが、追い求める意味がある。
「天気の子」は我々全員。人間は天気によって営み、気分を支配される。空と人はひとつ。だが、帆高にとって晴れとは空ではなく陽菜。世界が狂っていようと、天気が狂っていようと、大切な存在さえ心にあれば大丈夫。
英題の『Weathering With You』は、君と乗り越えていくという意味。天気の子は、少年・少女が社会に抗い、乗り越えていく冒険譚。
新海誠は、これからも大人への入学式を拒否していく。
『天気の子』のマクドナルド&チャーハン・サラダ

『天気の子』で登場するのが西武新宿駅前のマクドナルド。

4階の奥の席で帆高は3日間連続で居座り、陽菜から声をかけられた。陽菜は帆高にビッグマックを施すことでふたりは出逢う。雨より冷たい歌舞伎町の洗礼を受けたあと、ジャンクフードが何よりの温もりに変わる。「僕の16年の人生で、あれがいちばん美味しい夕食だったと思う」と独白する。帆高のセリフには、温かい家庭に恵まれなった境遇と、温かい一夜の恩によってこれから陽菜を救おうとする両極が込められている。一言のセリフに新海誠はプラスとマイナスのふたつの心を宿した。マクドナルドは外国の味に触れられる非日常空間であり、マクドナルドの「M」は旅人にとってのモーテル、そしてマーシー(慈悲)の「M」でもある。

帆高は命を救われた須賀に船内食を施すことで、両者はつながる。

帆高と陽菜の結びは手料理のチャーハンとサラダによって強固されていく。自宅に招き入れ、手料理を振る舞う。

客人ではなく、パートナーとしての関係を築き上げる。

池袋のラブホテルでも帆高と陽菜は同じ釜の飯を食べる。一家団欒が日本から失踪するなか、新海誠は食事によって、人間関係に栄養を与える。
のり塩チャーハンとチキンらーめんサラダ


陽菜が帆高に振る舞うスナックを使ったチャーハンやサラダは簡単に作れる。サラダはチキンラーメンとミニトマトを切ってベビーリーフの上に並べるだけ。これだけで美味しい。炒飯ものり塩と卵を乗せるだけ。豆苗は陽菜と同じく、ぜひ自分で育てたものを使いたいところ。
天気の子の『フェリー』

新海誠の作品で海を渡るシーンは珍しい。『秒速5センチメートル』で離島やサーフィンは登場するが、船が重要な鼓動となるのは初。

海を割ったモーセがヘブライ人を約束の地「カナン」へ導いたように、帆高はフェリーによって都会へ導かれる。自分を生まれ直そうと航海に乗り出す。

『天気の子』では、乗り物を明確に「結び」として描いた。帆高は船内で須賀にキャッチされ、ビジネスパートナーとなる。

陽菜の弟・凪(なぎ)に出逢うのも都内を走るノンステップバス。電車やバスは東京の動脈。乗り物を描かなければ東京の鼓動は聴こえない。

陽菜を救おうとする帆高を夏美が導くのはホンダのカブ。夏美とはドラクロワが描いた「民衆を導く自由の女神」。水没しようとする東京をカブで走る姿も海の上を渡るかのよう。電車やタクシーではなく、自分の運転で未来を切り拓いていく。不自由な“正しさ”からの逃走の象徴である。
天気の子と「雨」

『言の葉の庭』で雨の愛しさを描いた新海誠は、『天気の子』で雨の両面性を描いた。帆高は雨に向かって飛び出し、歓喜する。雨は陽菜だから。雨は陽菜を呼ぶ運命の赤い糸。ふたりが再会し、リスタートするときも雨。雨は始まりのサイン。道標。世間にとっては水害の源だが、帆高や陽菜の個人にとっては大切な存在。
新海誠は意識と無意識、善と悪の両方を同時に捉える複眼をもっている。ひとは雨があるから晴れを願う。「明日は晴れる」と言える。雨は希望の轍。

新海誠の映画は「海」が少ない。自身の名前にも、故郷の小海町にも「海」が入っているのに。海で印象的なシーンは『秒速5センチメートル』で、花苗がサーフィンで海に祝福される場面くらいだ。八ヶ岳山麓の峰々に囲まれた信州で育った新海誠は海への憧れは強いはず。
海は空から降った雨の水であり、降雨は海を愛する空の行為。雨こそが新海誠にとっての海なのである。
天気の子の衣装

『天気の子』は帆高と陽菜、そして須賀の三人の物語である。帆高の情熱と真っ直ぐは、過去の須賀だから。

帆高が陽菜の家を初めて訪ねるときの赤いシャツは須賀のお下がり。
帆高は須賀が何処かに置き忘れてしまった最も大切なものを持っている。『天気の子』は帆高を通して須賀が喪失を取り戻す物語である。親は子に自分の服を託すことで、もう一度生き返る。新海誠は衣装に「再生」を託した。
天気の子を見上げる
ほしのこえを聴きに
雲のむこう、約束の場所の舞台を巡る
秒速5センチメートルの舞台を追う
星を追う子どもをつかまえに
言の葉の庭の舞台を巡る
君の名は。を逢瀬する
すずめの戸締まりを旅する
彼女と彼女の猫を巡る
新海誠 もうひとつの世界
新海誠と新宿
新海誠 監督の映画レビュー集を出版しました

新海誠監督ご本人も気づかなった作品の深淵に迫った映画レビュー集です。
