
自分の視野も昔はもっと狭かった自覚があります。しえるです。
SNSも、ライブ配信のコメント欄も、リアルの世界でも、自分の目に見えるものがすべてかのように思ってしまう人というのは一定数いると感じます。
ちっちゃい子どもがかくれんぼするとき、他人から丸見えでも隠れた気になっているのは、自分が見てる世界がすべてで、まだ他者目線に立つことができず、「自分に見えてなければ相手からも見えてない」と思うからというような話を聞いたことがありますが、それを聞いた時に、その延長線上で、自分と他者の視点の違いをうまく学べてこなかったのかなと繋げて考えてみたことがありました。
今はネットで世界中のことを知れるし、多様性の認識も上がりつつあるものの、タイパ思考やおすすめのアルゴリズム、AIの利用などで意外と視野は狭くなりやすく、自分と違う趣味嗜好や思想に触れる機会は意識しないとつくれなかったりします。
背景を想像し、視野を広げるためには、自分が見ていないものに目を向ける訓練が必要なんですよね。
世界の人口は今約80億人で、そのうち日本人は約1億人しかいないので約1%です。
もし日本人の総意というものがあったとしてもたった1%の意見にすぎないし、そもそも日本人1人1人も意見は異なるから、そんな総意なんてものは現実的にはありません。
だから視界に入ってくる意見、目の前の数人、数十人、数百人、数千人、数万人であっても、世界的に見れば1%にも満たない微々たるものです。
たとえばライブ配信を1万人が見ていたとします。

コメントを書き込むのはその10%未満程度なので、1,000人にも満たないでしょう。
その中で配信者さんが掲げるルールに明らかに反する書き込みをするのは、仮に10~20%だとしたら100~200人くらいです。
これは荒らしや鳩などが5~10%、それに反応する正義側に立ちたい自治厨たちが5~10%といったところじゃないかという推測です。

時に不快なコメントが多く見えることもあるかもしれませんが、視聴者全体から見れば多く見積もってもたった2%程度の人たちの声にすぎないという話になってきます。
これは配信者さんがしていた具体的に話していたコメントを書き込んでいる人数の話をもとに、わかりやすい数字で多めに見積もってるので、実際はもっと少ないんじゃないかと思います。
数字自体はあくまで勝手な推測なので鵜呑みにはしなくていいのですが、炎上騒動のコメントに参加しているのは1%前後なんていう研究結果*1もあったりするとおり、騒いでいるのはほんのひと握りだけというのはたしかなのでしょう。
さらには、話題によって書き込む人というのは顔ぶれが入れ替わっているもので、自分の目に入るコメントは決して、コメント欄や視聴者の総意ではありません。
たとえ自分の目から荒れているように見えたとしても、そのほかの9割以上の視聴者は見てないか、見ないようにしているか、気にしていません。
実際に私も配信を見始めた頃はコメント欄を見ていなかったので、なんか注意されてると「なんかあったんだな~」くらいにしか思ってませんでした。
大会イベントで劣勢から優勢になった時など、コメント欄が手のひらを返しているように見えたとしても、それは劣勢でここぞとばかりに現れるアンチや杞憂の言葉に自分が注目していただけです。
目を向ければ普通に応援してる人はたくさんいるし、私も当人たちが諦めてない限りはずっと一貫して応援しているし、劣勢やガヤがうるさい時ほど届いてほしいから応援に力が入ります。これはもうサッカースタジアムに通ってた頃からずっとです。
また、観察してると、「やばい人多すぎw」「こんなんで炊いてるやつw」みたいなコメントを目にすることもありますが、キレてる人も、それに反応して見下してる人も実は超少数派だし、それがわからない時点でどっちもどっちです。
残りの80~90%くらいの視聴者は平和に楽しんでいるもので、一部が大きく見える時があるけど、それがすべてではないというのは、私自身にとっても1番忘れないようにしたいポイントです。
これはコメント欄だけでなく、SNSやネット、ひいては普段の話題や価値観にも通じるもので、自分の目に大きく映るものって「おま環」、つまり「それお前の環境だけの話な」ということばかりだったりします。
ここを理解すればするほど、ノイズを払いのけやすくなるので気持ちが楽になりやすいと感じます。
情報の精度はわかりかねますが、下記サイトによると2025年10月時点、世界中で約60億人、約7割の人がインターネットを利用しているのだそうです。
めちゃくちゃ普及したなと感じるネットも約3割は使っていないことになります。
今の時代、ネットでいろんな情報が入ってきますが、「ネットを使っていない人の声」というものをネットから知るのはなかなか難しいでしょう。
さらにネットを使っていても、SNSに投稿したりコンテンツを公開したりはしない「見る専」の人というのもたくさんいます。
アクティブユーザーとかじゃなくて見る専についての調査って少ない気がするんですけど、2017年のレポートではTwitterとInstagramで約5割の女性が閲覧週1以上・発信月1以下、2022年の動向調査ではTwitterとInstagramの約8割が見る専という記事は見つかりました。
SNS女性利用者の半数にも上る「見る専クラスタ」 企業は彼女たちとどう関わればよいのか | 株式会社ガイアックス
SNSにおける”見るだけ”ユーザーは何割? | SNS・WEB集客の新大陸
データの信頼度や実際の状況はわかりかねますが、私の周りにもSNS使ってるけど投稿しない人は何人もいましたし、ネットにある意見がネット利用者や人類すべての声ではない可能性は高いと思います。
なんならネットは意見のある人が特に見えやすく、どっちでもいいとか、それ以外の意見が見えづらい場所なのではないでしょうか。
たとえ投票機能で割合が可視化されていたとしても、そこに当てはまる選択肢がなければ、本当の割合というものは見えてきません。
世の中、なんでもかんでも白黒つけたい人ばかりじゃありませんし、悪魔の証明と言ったりするように、ないことを証明するのは非常に困難です。
メディアで目に入ってきやすいのってやっぱり注目を浴びたい人の声が多いですし、注目を浴びたくない人の意見はなかなか入ってきにくいでしょう。だって注目を浴びたくないんですから。
私は注目は浴びたくないけど、だからってそうじゃない意見がないことになるのは嫌だなと思って書いてるところがあります。
わ…わたしの心は変わらない
心が変わらないかぎりあなたは同じことをつづける
いいえもっとひどいことを『北斗の拳』(2巻巨星堕つ時の巻)
長年同じコミュニティに属しているとか、男女論、恋愛論、常識、流行とかもそうですけど、囚われた考えを持っている人って、みんながそのことについて関心を持っているとか、こうするのが当たり前、こうあるべきとか、どちらかの派閥に属しているというのが前提な考え方の口ぶりを見聞きすることが多いような気がします。
1日に何十回も何百回もツイートしてる人がみんなの総意みたいなスタンスで何か意見しているのをみると「いやいや世の中の人はもっと忙しいから」って思っちゃう。
— 板川侑右 (@yusukeitagawa) 2021年5月24日
そもそもそんな派閥に分かれる必要がないとか、多くの人が気に留めていないことって結構あるものだし、逆に「こんなの自分だけ」と思ってることのほうが案外仲間がいたりもするもんで、今の自分にとって大前提の考え方が本当にそうなのかな?と疑う姿勢の大事さを感じています。
